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僕が仮面を取ったとき  作者: ご飯おかわり。
7/8

第7話

 あの日、川本伊澄が僕にキスをした日以来、彼が図書館に来ることはなかった。僕はと言えば、高3になり受験生ということもあり、ズル休みして図書館に行くことはなくなった。そうして僕たちは、あの日のことを忘れるように、お互いの存在に目をつむった。


 次に川本伊澄に会ったのは、僕が23のときだった。大学を卒業して、社会人になる年の春、僕は久しぶりに実家に顔を出した。大学に入学して上京して以来初めての帰省だった。母は長らく見ていない息子の顔を見て心底嬉しそうだった。父は、結局自分とは同じ道に進まなかった息子を許せずにいたんだと思う。一泊二日と短い滞在期間ではあったものの、父と会話をすることはなかった。だけど僕はそれでよかった。僕は実家に帰るという名分を立て川本伊澄に会いに来たのだから。





久しぶりに来た図書館。当時と変わらない姿に、川木伊澄と過ごした記憶が一瞬にしてよみがえる。外にあるベンチは一層黒ずんでいた。土曜の昼下がりは思った以上に人がたくさんいて、平日にしか来たことがない僕は驚いた。

入り口を入って、左側の奥、[文庫]のコーナーに『仮面の告白』はある。僕は川本伊澄がいるんじゃないかと思い急ぎ足で向かった。もちろんそこに彼の姿はなかった。図書館で会える気がしていたことが、急速に恥ずかしく感じられ、ごまかすように『仮面の告白』を手に取った。ぺらぺらとめくりながら、僕は川本伊澄に伝えなければいけないことがあると思った。なんでもない顔をして会ってはダメだと思った。会って伝えたい言葉が、思いがあった。


僕は切れる息を整えながら、ある花屋の前に立っていた。商店街を正面から入って7番目にある花屋だ。「signets」そう書かれたガラス張りのドアから中をのぞくと、若い男が接客していた。真っ黒な髪に、透き通るような白い肌。花を持つ手は、華奢な体に似合わずごつごつしている。僕は彼の名前をを知っている。


「川本伊澄……」


ぽつりと口から飛び出した名前に、僕は胸がいっぱいになった。会いたい気持ちに蓋をして、忘れようとしてきた気持ちが溢れ出す。僕はそっとドアを開けた。


「いらっしゃいませ」


目が合った彼は、驚いたような表情をした。そして優しく笑った。


「ありがとうございました」


客を見送ると、店には僕と川本伊澄の二人だった。なんとなく気まずくて、花を見ているふりをして僕に川本伊澄は声をかけた。


「おすすめは、ブルースター」


振り向いた僕に、彼は笑ってこう続けた。


「元気だったか?」


「うん……」


「店、来てくれたんだね」


「うん……。久しぶりに帰省したから会いたいなって思って」


「そっか……。今はどこに住んでるん?」


「東京。春から向こうで会社員」


「へぇ、かっこいいやん」


「次いつ帰るかわからないから、せっかくだしと思って」


「もう向こうに帰るんか?」


「今日の夜の便で」


「そうなんか。話したいことたくさんあるんだけどな……て言っても、俺なんかと話したくないよな」


「話したいことあるよ!だから来た……言わないといけないこと、あるから……」


「店、もう閉めるから、家あがって」


「大丈夫。あんまり時間ないし、伝えたらすぐに帰るから」


「うん」


「伝えたいことってのは、……あの……」


緊張して言葉が喉に突っかかる。


「いいよ、別に無理に言わなくても」


「伊澄くんが……その、図書館で、……」


「あー、そのことは本当に悪いって思ってる。若気の至りっていうか、変な出来心だったんだと思う。嫌だったよな。遥河の気持ちも考えずごめんな。あんま深く考えず早く忘れ、」


「嫌じゃなかった」


「え……」


「うれしかった。キスされてからもずっと額が熱かったし、あの日のこと全然忘れられなかった。ずっと伊澄君に会いたいって思ってたよ」


「遥河……」


「同じ性別の人を好きになるのはおかしいことじゃないと思う……」


「うん……」


伊澄君はうつむいたまま黙っていた。しばらくして顔をあげた伊澄君は顔をあげて、昔みたいに無邪気に笑った。僕の好きな笑顔で。


「ありがとう、遥河。なんか勇気でた」


「勇気?」


「俺今好きな人いるんだ。男。だから、好きでいていいんだって思えるわ。ありがとな」


「そっか。よかった」


「遥河は?恋人とかは?」


「彼女がいる。女の人。……て日本語おかしいかな?大学の時から付き合ってる」


「じゃあ今度帰る時は、彼女紹介してな」


「伊澄君も」


「できたらいいけど……向こうは全然俺に興味なさそうだかからなー」


「できるよ」


 あっけらかんと笑いながらも、どこか悲しそうな表情を浮かべる彼にとって、僕の言葉はあまりに無責任に聞こえたかもしれない。それでも僕は、「できるよ」と、その4文字しか返すことができなかった。


「住所、教えてよ。花送るから」


「気使わなくていいよ。どうせすぐに枯らしちゃいそうだし」


「まぁまぁそう言わず。枯れたら捨てればいいんだし、会いに来てくれたお礼」





 東京へ戻ってすぐに、川本伊澄から花が届いた。ブルースターというらしい花は、名前の通りきれいな水色で、星のように5枚の花弁がついていた。儚くも、印象的なその花は、まるで川本伊澄そのものに感じられた。バカみたいだけどそれがすごくうれしくて、慣れない花の水替えをしたり、枯れたら新しいブルースターを花屋に買いに行ったりした。そんな僕を見て、明美は驚いていたけど、いつからかそれが普通になるくらい、ブルースターは身近になっていた。


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