わたくしは王太子殿下を廃嫡に追いやった悪女でございます。
リリアーゼは金の髪に美しき青い瞳の女性だ。歳はまだ15歳。少女と言った方がいいだろうか。
王宮のテラスでお茶を共に飲んでいるのは、このアレノア王国のエリオス王太子、リリアーゼの婚約者である。
そして、隣にもう一人いた。王宮魔導士のチェシィ・マレイグ伯爵令嬢。彼女は魔法の研究をしており、色々な呪い等、不思議な事象に詳しいのだ。
だから、魔導士と呼ばれていた。その彼女はいつも、エリオス王太子とお茶を飲んだり、二人で会う時は同席してくる。
そして、エリオス王太子はリリアーゼに話しかけることなく、チェシィとばかり話をしていた。
「チェシィ。この間、オルドル伯爵家から見つかった魔術書だけれども、あれは本物だったのだろうか?」
チェシィはカップの紅茶を飲んでから、にこやかに、
「あれは偽物でしたわ。解読してみたのですけれども、魔法が発動しませんでした。」
「そうか。もっと魔法の書物が見つかれば、国の為に色々と役に立つのだろうけれども。」
「気を落とさないで下さいませ。このアレノア王国の為に、必ずもっと色々な魔法書を見つけて見せますわ。」
二人は見つめ合う。
仕方がない。
リリアーゼはにこやかに二人の話を聞いている。
婚約者であるエリオス王太子との大事なお茶の時間を邪魔されているのだ。
普通の婚約者であれば、文句の一つも言えよう。
しかし、リリアーゼには特殊な事情があった。
リリアーゼの前にエリオス王太子の婚約者だった姉のユリーナ。リリアーゼとユリーナはこの国アレノア王国の隣国マリリオ王国の王女である。
アレノア王国とマリリオ王国は実は仲があまりよくない。国交断絶までとはいかないが、常に緊張状態にあった。
だから、その二国の緊張状態を和らげるためにも、姉のユリーナ王女がエリオス王太子の婚約者に選ばれ、王立学園に留学してきたのだ。
しかし、そこでユリーナ王女はやらかした。
高位貴族の令息達と淫らな関係に及んだのだ。彼女は国を乱す悪女として牢獄へ入れられた。
リリアーゼにとってユリーナはあまり仲の良くない姉だった。
お互いに母が違う側妃の子である。王妃の子は、兄のフィリス王太子しかいなかった。
腹違いの姉と兄。どちらともあまり仲が良くなく、深く交流した記憶もない。
姉への印象と言えば、気位が高くていつも年下のリリアーゼを見下してきた。
口を開けば、蔑みの言葉ばかり言ってくるどちらかと言うと嫌な姉だった。
そんな姉がアレノア王国へ行った時は安堵したものだ。
隣国から、姉がやらかした高位貴族との浮気は伏せられていた為に、あの三か月前のあの日まで姉は幸せにやっているとばかり思っていたのに。
三か月前のある日、アレノア王国が軍を率いて国境へ向かっていると言う知らせがリリアーゼのいたマリリオ王国の王宮に届いたのだ。
父である国王は自ら軍を率いて国境へ向かった。
アレノア王国の国王が軍を率いているという情報だったからだ。
まだ国王が出向いてきているならば、話し合いの余地がある。
リリアーゼは父に頼んで、同行させて貰った。
王妃が同行を拒んだからだ。
「そんな恐ろしい所へはわたくしは行けませんわ。」
兄のフィリス王太子は国王に何かあった後に王宮へ残しておく必要がある。
だからリリアーゼが王女として同行した。
そして、国境へ着いてみれば、隣国の国王が白馬に乗って軍を率いて、こちらを睨みつけていた。
「お前の娘が我が国を乱した。高位貴族達に取り入った悪女だ。そんな悪女は返してやる。受け取るがいい。」
ユリーナの血だらけの首を投げつけてきた。
いくら仲が良くなかったとはいえ、首だけになってしまったユリーナ。
馬に乗っていたリリアーゼはその馬上で気を失った。
その後、聞いた話によると、話し合いによって戦は免れたが、リリアーゼが新たに隣国のエリオス王太子の婚約者になる事になった。
国王が頭を下げて頼み込んだのだ。
隣国は嫌がらせに悪女を送りつけたりと色々とマリリオ王国に仕掛けてきたようだったが、
それでも、元々は娘のユリーナがやらかした事が原因だから、頭を下げて頼み込むしかない。
何よりも戦にしたくはなかった。
戦にすれば多大な犠牲が出る。そして、こちらの国力の方がアレノア王国より劣るのだ。
間違いなく負けるだろう。
だが、アレノア王国も本心は戦をしたくないに違いなかった。
勝ったとしても多大な犠牲が出る。アレノア王国もそれは避けたいはずだ。
従ってアレノア王国へ王太子エリオスの婚約者としてリリアーゼは、王立学園へ留学してきた。
アレノア王国の事を学ぶ必要があったから。
そして、時々、エリオス王太子と交流を持つのだが、いつもチェシィと言う魔導士が一緒で、まともに王太子と話をする事も叶わなかった。
怒らせるわけにはいかない。
意見を言う事も出来ない。
ただただ二人の話を聞いて、微笑んでいるだけ…
誰も味方はいないのだから…
リリアーゼは苦痛でしかない茶の席をなんとか笑顔で乗り切って、
疲れ切ったまま、王宮に与えられた自室へ戻るしかなかった。
平日は王立学園で学業を学び、休日は王妃教育で一日が終わる。
なんて辛い日々。そう思っていたのだけれども。
「リリアーゼ。お前、ちゃんと兄上に言った方がいいぞ。」
ふいに廊下で声をかけられる。
確かこの方は第二王子カレント様だったわ。
「これはカレント様ごきげんよう。何を言った方がよいのですか?」
まだ13歳のカレント王子はリリアーゼの傍に来ると、しっかりとした口調で、
「ちゃんと自分を大切にしてくださいってさ。兄上は自覚が足りない。兄上とリリアーゼが仲良くすることが二国間の平和を保つ事だってさ。チェシィとばかり仲良くして。
あ、兄上はチェシィが好きって訳でもないよ。でも、チェシィを尊敬し大事に思っている。それは間違いないかな。」
「そうですの。わたくしからは何も言えませんわ。だってわたくしは…」
「もっと強くなりなよ。俺、応援するからさ。リリアーゼ。」
「有難うございます。カレント様。」
嬉しかった。自分の事を心配してくれて、応援してくれる第二王子カレント。
カレント王子はリリアーゼの手に小さな白い花が刺繍してあるお守り袋を手渡してくれて。
「このお守り袋には魔法がかかっているよ。リリアーゼが強くなりますように。言いたい事を言えますように。兄上にしっかりと言いたい事を言うんだよ。」
リリアーゼはお守り袋を握り締めた。
そうね…少しは言いたい事を言わないと、わたくしは強くならないといけないわ。
そして、王宮のテラスで行われたお茶の席で、またもやチェシィがエリオス王太子の隣に座ろうとした。
リリアーゼは立ち上がる。
「わたくしと、エリオス王太子殿下の婚約者としての交流を持つ席のはず。どうして、いつもたかが伯爵令嬢を同席しているのです?」
エリオス王太子は驚いたように、
「お前こそ不敬だぞ。チェシィは何でも相談できる大事な王宮魔導士だ。お前の姉に私が騙された時、その悪行を暴いてくれたのがチェシィだった。お前が悪い女か。隣で鑑定してくれているのだ。お前が悪女だったら、今度こそ戦だな。お前の姉ユリーナは可愛い顔をして私を裏切っていた。悔しくて悔しくて腸が煮えかえる思いだ。私の気持ちがお前に解るか。」
「姉は姉、わたくしはわたくしですわ。わたくしと王太子殿下との婚約は両国で取り決められた物。わたくしはエリオス王太子殿下と婚約者として、行く行くは国の王妃として、お互いの事を知りたいと思っています。でも、チェシィと一緒ではわたくしは王太子殿下と話をする事すら叶いませんわ。」
チェシィが口端を歪めて笑いながら、
「恐れながら、わたくしは王太子殿下をお守りする義務があります。王宮魔導士として。
だから悪女から王太子殿下をお守りするのがわたくしの勤め。退席するつもりはありません。」
エリオス王太子に向かって、リリアーゼは、
「エリオス様はわたくしと交流を持つつもりはないと、そういう事でよろしいのですね。」
そう言うとリリアーゼは立ち上がり、
「国王陛下にご報告致しますわ。わたくしをないがしろに王太子殿下がしていると。」
エリオス王太子は慌てて、
「それは困る。」
「だって事実ではありませんか。貴方は自分の事ばかり、国の事を考えても下さらない。もし、両国の平和を考えていらっしゃるのなら、今すぐこの無礼な伯爵令嬢を退席させなさい。」
チェシィに向かってエリオス王太子は、
「すまない。チェシィ。退席してくれないか。」
「かしこまりました。悪女にはくれぐれも気を付けなさいませ。」
チェシィは席を立ち、テラスから出て行った。
エリオス王太子は不機嫌に、
「チェシィを追い出したぞ。しかし、お前と話す事などない。」
「解りましたわ。」
無言で時間が過ぎていく。
どうしても歩み寄る気はないようだ。しかし、言いたい事は言った。
リリアーゼは満足げに微笑むのであった。
廊下を歩いているとカレント王子に声をかけられた。
「リリアーゼ、髪に黒い蛇が憑いているよ。」
「えっ?」
「取ってあげるから。」
カレント王子が手に取り見せてくれたもの、黒く光っている蛇だった。
「チェシィに睨まれたね。言いたい事を言ったんだ。」
「ええ。カレント様が下さったお守りのお陰ですわ。」
「君はよくやってくれたよ。この黒蛇が証拠だ。父上に直訴する。
兄上は君をないがしろにして、挙句の果てに魔導士に黒蛇を着けさせたってね。」
「カレント様…まさか…」
「僕は国王になりたいのさ。そのために兄上は邪魔だったから。君を王妃にしてあげるよ。
リリアーゼはとても僕好みだしね。」
わたくしは、カレント様に操られるがまま、言いたい事を言って、チェシィを怒らせて…
そして、エリオス王太子殿下を破滅に追い詰める手伝いをしてしまった…
でも…カレント様が王太子になっても、わたくしは構わない。
エリオス様が王太子でなくても相手は誰でもいいのだから。
わたくしを王妃として迎え入れて、両国の平和を真に考えて下さる方ならどなたでも。
わたくしも姉に劣らず、エリオス様にとっては悪女なのかもしれませんわ。
国王陛下に、カレント王子と共に謁見を申し込んだリリアーゼ。
「わたくしはエリオス王太子殿下と将来の伴侶として交流しようと致しました。でも、王宮魔導士が同席して交流を持つ事も叶わず。王宮魔導士に退席するように言ったら呪いの蛇を髪に着けられました。」
カレント王子が手に黒い蛇を持って、
「これが呪いの蛇です。僕も少しは魔法を研究しているから、ね。この程度の蛇じゃやられないから。」
リリアーゼは尚、訴える。
「エリオス様はわたくしと結婚する事に不満があるようですわ。わたくしは両国の平和を願ってこの国に嫁ぎたかったのに…」
国王陛下は頷いて。
「エリオスは廃嫡の方向で考えた方がよさそうだな。まったく王としての器がない。
王宮魔導士チェシィは、魔導士長預けにしよう。黒蛇が本物なら、それなりの罰が下ろう。」
カレント王子が国王に向かって、
「父上、僕はリリアーゼを大切にし、両国の平和を願っております。どうか僕を王太子に指名して下さいませんか。」
国王陛下は頷いて、
「そうだな。高位貴族達とも相談をし、お前を王太子へ、エリオスは廃嫡する事にしよう。」
エリオス王太子は、国王陛下に呼ばれ、廃嫡を言い渡された。
リリアーゼに向かって叫ぶ。
「お前が言ったんだな。この悪女っーーー。お前の姉と一緒だ。」
リリアーゼは微笑んで、
「黒の蛇を着けられたのですから、貴方が愛する王宮魔導士に。当然ですわ。」
そして、カレント王子に寄り添い、
「わたくしはカレント様と結婚致します。カレント様は両国の平和を考えて下さる素晴らしい方。貴方と違いましてよ。」
エリオスが掴みかかろうとしたので、騎士達がエリオスを取り押さえる。
喚き散らすエリオスを騎士達が連れ去った。
後に黒蛇を憑けた罪により、チェシィは牢へ入れられた。
リリアーゼは牢へ入っているチェシィに会いに行った。
チェシィは牢の中からリリアーゼを睨みつけて来た。
「いい気味だと思っているのでしょうね。わたくしは、ずっとエリオス様を愛していた。
だから、エリオス様の婚約者を陥れたのよ。」
「何をしたの?まさか…」
「うふふふふ。最初の婚約者は公爵令嬢アリーディアという女だった。その女に魅了の首飾りを与えたのはわたくし…屋敷から首飾りが見つかるように仕込んだのよ。アリーディアは魅了の首飾りを使ってエリオス王太子殿下を操ったわ。あの女は愛に飢えていたから、エリオス王太子殿下に愛してもらいたかったんでしょうね。それをわたくしは暴いてやった。あの女は牢獄へ投獄されたわ。
それから、貴方のお姉様。ユリーナ王女。あの女を操っていたのはわたくしよ。
あの女が次から次へと高位貴族と淫らな関係を持つようになったのは、わたくしが操っていたから。あの女は本当にエリオス様を愛していたわ。許せなかった。
だから、わたくしがあの女を操って…あの女は悪女として首を斬られたわ。いい気味よ。」
全ての悪の元凶はこの女だった。
この女が…この女が、アリーディアに首飾りを与え、そして、姉ユリーナを破滅においやった。全てはチェシィの仕業だったのだ。
チェシィは笑いながら、
「わたくしは公開処刑になるでしょうね。でも、後悔はない。わたくしの身分ではエリオス様と結婚する事は出来なかったもの。」
「エリオス様は平民に落とされたわ。国王の器が無いと…国王陛下に言われて。」
「エリオス様…」
チェシィは涙を流す。
エリオスを廃嫡に追いやった自分だって、十分な悪女だ。
そして、この両国の平和を守るために、時には冷酷な悪女にならなければならない。
「貴方の首はわたくしが斬って差し上げます。」
「リリアーゼ様。」
「わたくしはこの国の未来の王妃として、国民に力を見せるわ。」
一月後。チェシィの公開処刑が行われた。
両国の関係を悪化させた悪女チェシィ。
彼女は堂々と処刑台の前に立ち、しかし、瞳は誰かを探しているようだった。
リリアーゼが剣を持って処刑台の前に立つ。
「わたくしがこの度、王太子妃になったリリアーゼ。両国の平和の為にこの悪女を自らの剣で成敗致しますわ。」
わぁあああああああーーー―。
見物人皆が歓声を上げる。
リリアーゼは剣を手に持つ。
時には冷酷にならねばならない。そのために、処刑人を買って出たのだ。
「チェシィーーーーーー。」
民衆の中から声がした。
エリオスだ。エリオスがチェシィの前に転げ出て来て。
「チェシィ…私もお前の事を愛していたよ。」
「有難うございます。これでわたくしは心置きなく死ぬ事が出来ますわ。」
チェシィが騎士達に両脇から取り押さえられる。
膝をついて座らされたチェシィの首筋がさらけ出されて。
リリアーゼはゆっくりとした足取りでチェシィの横に立ち、剣を両手で持って振り上げた。
この女の首を落とす事で、両国の平和が約束されるのだ。
剣を持つ手が震える。
ああ…駄目だわ。いかに悪女とは言え、わたくしには出来ない。
チェシィはエリオス様の事を本気で愛していた。
出来ない…出来ないわ。
剣を手に持ったまま、座り込むリリアーゼ。
カレント王太子がリリアーゼの顔を覗き込み、
「リリアーゼ。後は僕に任せて。」
国民に向かってカレント王太子は叫ぶ。
「この女は悪女だ。しかし殺してしまっては、反省する事もないだろう。
僕は彼女を辺境の聖地へ送ろうと思う。そこで死ぬまで働かせて、じっくりと自分の罪を反省させるが良いと思うが、皆、そうは思わないか。」
「辺境の聖地…」
「そこなら…」
国民は納得したようだ。
チェシィは処刑を免れ、辺境の聖地へ送られる事になった。
テラスで今日も、カレント王太子とお茶を飲む。
「わたくしは冷酷になりきれませんでしたわ。」
リリアーゼの言葉にカレント王太子は、
「解っていたよ。聖地送りになったんだ。皆、納得しただろう。」
「聖地では彼女はどうなるのです?」
「辺境の聖地はピヨピヨ精霊が多数存在していてね。彼らの為に罪人たちがハチミツを集める作業をしている地域がある。そこが辺境の聖地。結構過酷で大変な作業だ。
人手が常に足りなくてね。ピヨピヨ精霊の為に働くといえば、国民も納得するだろう。」
「まぁ、エリオス様もそこへ行ったのかしら…チェシィを追いかけて。」
「さぁ、平民になった兄の行方など、王太子たる僕が気にする事はないよ。」
両国の悪女事件は全て解決し…
カレント王太子の優しさに、日々癒されるリリアーゼ。
色々とあった日々だったけれども。こうして愛する人とお茶を出来る日々はとても幸せ。
春の空は霞んで、花々がいい香りを運んでくるのであった。