クリスマスチケット
これまでのあらすじ
竜二はある日通勤電車の中で偶然に赤い帽子の女を見かける。
マスクを外した女の顔を見た竜二はあまりの美しさに一目惚れしてしまう。
しかし同時にその顔はどこかで見たことがある顔だと思った。
デジャブのように・・・
そして同じ日の夜、また竜二はその赤い帽子の女を見つける。
竜二の前に何度も現れる赤い帽子の女・・・
この女はいったい誰?
その謎が少しづつ解き明かされる。
今年の冬は暖冬だそうだ。
新宿南口のフラッグスビジョンのニュースがそう言っている。
地球温暖化はもうまったなしで進んでいるのだろう。
竜二はオーバーサイズのジャケットのポケットに手を突っ込み、駅の南口の大きな階段を駆け降りていた。
クリスマスイブなのに雪も降らなければ異常に暖かい。
なんだか気分が出ないな〜と竜二は思った。
今日は実は竜二が行ったこともないお店のクリスマスパーティに呼ばれていた。
クリスマスパーティが開かれるお店がどんなお店なのかも知らないし、知らない客ばかりの中にひとりで行くのも嫌だった。
そこで部下の康平を誘ってみたが、さすがにクリスマスイブに予定がないやつなどほとんどいない。
康平ですら彼女と二人でクリスマスデートだそうだ。
仕方なく竜二は顔だけ出して帰ろうと思い、パーティには似つかわしくない普段のジャケット姿でそのお店に向かっていた。
すっぽかしてもいいかと思っていたが、そのクリスマスパーティのチケットをくれた人から、必ず行くように念押しされたのだ。
しかもお金もいらないと言う。
なんだか不思議な感じがしてどうしてもすっぽかすことはできなかったのだ。
そのチケットをくれたのは、竜二がいつも行くビアバーのカウンターで竜二の隣に座ったおばさんだった。
その日、竜二がビアバーへ行くと竜二がいつも座る席の隣に珍しく先客がいた。
若い女なら竜二も『しめた!』と思うところだが、そこに座っていたのは小さなカウンターチェアが肉で埋もれて見えないくらいでかい尻のおばさんだった。
『い、椅子大丈夫か!?』
思わず竜二は椅子の心配をした。
椅子のことなどまったく気にしてない小太りのおばさんは、街頭でどっかの宗教の布教活動をやっているようなかっこうをしたおばさんだった。
おおよそビアバーには似あわない風体のおばさんである。
おばさんは隣に竜二が座るのを知っていたかのように、堂々とカウンターに座ってビールを飲んでいたのだ。
竜二は仕方なくおばさんの隣に座りいつものHAZY IPAをパイントで注文した。
『なんか圧があるな・・・』
竜二は隣から伝わってくる遠赤外線のような熱を感じていた。
そして1杯目のビールを飲み終える頃に、急に隣のおばさんが竜二に声をかけてきた。
『まさかエホバの勧誘か!?』
竜二は少し身構えたが、おばさんはビールに酔ったのか陽気になにやら語り出した。
どうやら迷える子羊を救済しようとしているわけではないらしい。
おばさんはたまたまこのビアバーを見つけて入ったと言っていた。
元々クラフトビールが好きなんだそうで、どうやらクラフトビールのお店には鼻が効くらしい。
その気持ちは竜二にもよくわかる。
竜二もまたクラフトビールが大好きなのだ。
おばさんの話は面白かった。
しかも竜二よりもクラフトビールのことをよく知っている。
おばさんは、あの憧れのポートランドまでクラフトビールを飲みに旅をしたらしいから、これはなかなかの強者だ。
竜二はすっかりおばさんに気を許してしまった。
この店でこんなに誰かと話したのは初めてだ。
おばさんは口に泡を溜めて喋った。
でも目は酔ってなかった。
口だけが饒舌に話をしていたが、おばさんは不思議なほど冷静に話していた。
おばさんは話の途中、腕時計に一度目をやった。
するとおばさんは、予定の時間があらかじめ決められていたかのように急に話をやめ、帰り支度を始めた。
なんなんだ!?と竜二は訝しく思ったが、さして気にも止めずただ狭いカウンターがようやく広くなるなと思い竜二もホッとした。
そして突然!
おばさんのぽちゃぽちゃの肉付きのいい手が竜二の目の前にさっと現れた。
竜二がハッとすると、その手には何やらチケットのようなものが握られているではないか。
おばさんはそのチケットを竜二にグイグイ押し付けると
『これ、もらってちょうだい。お金はいらないからさ〜。』
と言って勝手に竜二の手にチケットを握らせた。
『え?なんですか?これ・・・』
と竜二があたふたしながら聞くと、そのおばさんは新宿東口にあるバーのクリスマスパーティのチケットだと言う。
どうやら自分が行くつもりで買ったのだが、その日が都合が悪くなったとかで誰かにあげようと思っていたらしい。
竜二とは偶然に会って思わずクラフトビールの話で盛り上がったので竜二にあげると言うのだ。
竜二はクリスマスなんてまだ先だし、まあタダでくれるならいいかと思い特に断りもしなかった。
おばさんは『絶対に行くのよ』と真顔になって念押しした。
竜二は『絶対に行きます行きます!』と安易に答え、おばさんに『ありがとう』と礼を言った。
おばさんは2秒ほど竜二の目の奥を睨みつけた。
そして安心したのかおばさんはご機嫌で帰って行った。
おばさんが帰って静かになった店内にはクリスマスソングが流れていた。
おばさんのせいでまったくBGMにも気づかなかった。
そっか、クリスマスは思ったより近いのかと竜二は思った。