瓦解
異世界に来てから二日目の朝、俺は大食堂で朝食を食べていた。
朝食にしてはかなり重めの料理が出され、元の世界とこちらの世界での食生活の違いを思い知らされた。
まあ、最悪残しても文句は言われないだろう。腹さえ満たせればそれでいいかと考えつつ、物言いたげな表情をしながら、自分の横に座っている奴を見る。
「はい、タカくん……あーん」
楠だ。俺の表情の意味を理解していないのか、理解してて意に介していないのか、フォークで突き刺した肉を、こちらの口に持ってきて食べさせようとしている。
もちろん、周りにはクラスメイト達が大勢いて、なんなら見世物を観賞する様にこちらを見ている者もいる。
「あー、うん。その、遠慮しとくよ……お腹いっぱいになってきたし」
「えー? そんなんじゃ大きくなれないよ?」
とりあえずこのあーんを拒否しようとするが、母親の様な台詞を吐く楠。
どういう立場から言っているんだ。そして俺はもう十分に身長は伸びている。これ以上デカくなる必要はない。
「いや、僕朝食はあまり多めに食べないタイプだから……ごめんね」
嘘である。
毎食、常人よりも遥かに多い量を食う。
だが、いい加減周りの目が鬱陶しいので、即刻その行為を止めてほしい。
「そっか、じゃあしょうがないね。ふふっ、でもタカくんと朝ごはん食べるなんて初めてだし、寝起きのタカくんも見られてテンション上がってるんだぁ」
「あ、はは……それは良かった」
そう、最悪な事に、この女は俺の部屋に朝から出向いてきた。最初はメイドが来たのかと思い、扉を開ければ、そこにはニコニコした楠が立っていた。
既に支度は済ませていたのか、いつも通りの髪型に、制服を着て。
幸い、千沙は情事を終えて夜中の内に帰していた為、決定的な瞬間は目撃されなかったが、もし朝まで一緒にいたら大変な事になっていた。
「髪上げてるタカくんって凄い新鮮だったし、眼鏡もしてなかったからばっちり顔見れたよ! やっぱあたしの思った通りイケメンじゃん! もっと髪整えたり、コンタクトにしてみたら?」
「まあ、そうだね。気が向いたらその内ね……」
眼鏡は伊達なので、視力は問題ない。単に見た目を地味にする為のアクセサリーだ。そして髪型も同じ理由でわざとだ、と楠に言っても理解出来ないだろうな。
まさか朝から生徒の誰かが来るとは考えていなかったので、いつもの眼鏡や髪を下ろす事はしておらず、ばっちり素顔を見られてしまった。
「タカくん性格良いし、見た目もカッコよくなったらめっちゃモテそう」
「どうだろうね、そういうのには疎いから」
「えー、もったいない……ま、あたし的にはそれの方が良いんだけど」
「え?」
なんでもなーい、と言いながら機嫌がよさそうに食事を口に運んでいる。
聞こえていたのだが、その言葉を拾えばそれこそ面倒なので、聞こえていなかったかのように聞き返しておく。
「皆、おはよう」
どうやって楠をこの場から引き離すか考えつつ、味の濃い料理を食べていると、千沙が食堂に入ってきた。
顔色は昨日よりも良く、不安や恐れを感じている様子も見られない。
大分疲れは取れたようだ。
「はよーっす、千沙ちゃん」
「こら、せめて先生をつけろ」
千沙の挨拶にいの一番に答えたのは、『禅銅守』。
西城と仲の良い男子生徒の一人だ。おちゃらけた態度は馬鹿っぽく見え、実際馬鹿だと思っている。
調子の良い奴で、その場その場のノリで動いているタイプなので俺とは欠片も気が合わないだろう。
他の生徒達も千沙に挨拶を返していく。本来なら教師などはこういうのんびりした場では敬遠される印象だが、歓迎されている様子は、千沙が生徒から人気な事が分かる。
「俺達の仲じゃないですか、親しみを込めて呼んでるんすよ」
「教師と生徒の関係だ。私も食事を取るから、お前もさっさと食事に戻れ」
昨日の千沙の痴態を思い返しながら、どの口が言っているのだろうとその様子を眺める。
ちなみに禅銅は本気で千沙の事を狙っているらしい。まあ脈は無いだろうな、ああいうタイプの男は苦手だというのを、本人から前に聞いたことがある。叶わぬ恋に邁進する禅銅に合掌。
「禅銅ってほんと懲りないよねー、絶対脈なしじゃんアレ。しつこい男って絶対嫌われるし、そもそも千沙先生のタイプじゃないと思うんだけど」
楠も千沙と禅銅のコントを見ていたのか、呟くようにそう言った。
傍からみれば、千紗の禅銅に対する対応は、他の生徒への対応と比較しても違和感はないが、楠の観察眼なのか、直感なのか、本人から聞かされた訳でもないのに、禅銅が千紗のタイプではないと見抜いている。
ちなみに、禅銅の千沙への恋心を俺に教えたのは楠である。いらない情報から、ある程度使える情報まで楠が勝手に教えてくれるので、こういうところは有用だ。
しかし……お前が言うのか? 半年以上俺に付きまとっているお前が? ジョークだろうか。だとしたらかなり面白い。
「さあ、僕にはよくわからないから」
「うわぁ、相変わらずちょー無関心。タカくんって絶食系男子?」
楠の意味不明な単語は無視しつつ、離れる気がないならこっちが料理を食い終わってしまえばいいかと、目の前の食事に集中しようとした時、隣に気配がした。
もちろん楠ではない。
「おはよう、三上に楠。よく眠れたか?」
「おはようございまーす千沙先生。もうめっちゃベッドふかふかでぐっすりでしたよぉ」
千沙が何故かこちらに寄ってきた。楠と俺に挨拶をして、それが当たり前かのように自然と、楠とは反対側の俺の隣に座る。
よく眠れたかとは、皮肉か何かだろうか。そして何故俺の隣に座る。
「おはようございます、御舟先生。どうしたんですか?」
暗に何故隣に座ったと言う意味を込めつつ、周りからは分からない程度に千沙を睨むと、ばつが悪そうな顔を一瞬した。
本当に何考えてるんだこの女……。
普段、千紗とは学内や生徒の目がつく場所では生徒と教師の関係を維持している。
あまり素っ気ない態度は普段の千沙と乖離して違和感があるので、ある程度の会話はするようには言っているが、どこでこの関係が漏れるか分からないので、最低限の接触にしている。
「んんっ……いや、なに。こんな状況だからな、普段あまり関わりのない生徒を気にかけるのは当たり前だろう。楠はともかく、三上はあまり喋らないし、色々抱え込んでいるんじゃないかと思ってな」
咳ばらいをしてもっともらしい事を言っているが、もしかしてあれだけ構ってやったのに、まだ足りないのか、それとも構いすぎて箍が外れたのか。
どちらにせよ、勘弁してほしい。
「あたしはともかくってなんか失礼なんですけどー……。でもたしかに、千沙先生とタカくんってあんまり関わりないかも?」
「だろう?」
なにここぞとばかりに乗っかっているんだ。
他に行ってくれ。ほら、禅銅が見てるぞ、嫉妬の感情で俺を睨んでいるぞ。
ちなみに西城も睨んでいるから楠もどこかに行ってくれ。
「そう言えば、先生もあのお風呂入りました? めっちゃ広くてすっごい綺麗でしたよねっ!」
「ああ、そうだな。私もああいう大浴場は見た事がなくて、驚いたよ」
俺を無視して二人で会話し始めたので、もうどうにでもなれと言った気持ちで、食事を進めはじめる。
「ですよね! でも千沙先生、みんなと一緒に入ってくれなかったですよねぇ。残念、先生すっごい良い身体してそうだし、見てみたかったのに」
「女性同士でもセクハラになるんだぞ……私がいると生徒達がのんびりできないかと思ってな。後で一人で入ってたよ」
「そんな事ないと思いますよ? しかもあのお風呂一人占めとかずるーい…………あれ、先生見回りしてましたよね?」
一瞬考えるような仕草をした後、楠が千沙に問いかける。
「ん? ああ、そうだが」
「いつ入ったんですか? 見回りの時は風呂上がりって感じじゃなかったですし……」
会話の雲行きが怪しくなってきたのだが……。
「あ、ああ。見回りの後にな」
「え? でも先生が来た少し後に、あたしレイちゃんの部屋に行ったんですけど、お風呂の前通った時メイドさんが掃除してましたよ?」
「え!? あ、いや……まあ夜中にな。遅い時間に入ったんだ」
「うーん? あたし夜中までレイちゃんの部屋いて、自分の部屋に帰る時も同じように通りましたけど、その時もお風呂から音とか聞こえなかったし……どういう――」
頼むから、もう喋るな千紗……。
墓穴を掘りまくっている千沙を見て、これ以上はぼろが出ると判断したためフォローを入れる。
「御舟先生、食事の後は王様とまたお話するんでしたよね」
「え、あ、うん――じゃなくて、そうだ!」
「なら早く食べた方がいいですよ」
そ、そうだなと千沙は急いで食事を進め始めた。
楠の方も、先生も大変ですねぇなどと言って、俺の無理な横やりは気にしてはおらず、なんとか誤魔化せたようだ。
やはり楠は相手の事をよく観察、いや物事をよく観察しているし、記憶力も良いようだ。軽い嘘から、簡単にこちらの隠し事に迫ってくる。
そういう能力が、彼女の無駄にいい情報収集力の一因なのかもしれないなと考えながら、少し冷めてきた料理を口に入れて、腹を満たしていった。
朝食が終わった後、騎士達が食堂に来た。
玉座の間でライアン王が待っている旨が伝えられ、付いてきてほしいとの事。
生徒達は腹を満たして暢気な表情をしているが、千沙はこれからの話に気を引き締めているのか、少し表情が硬かった。まあ昨日のアドバイスがあるので、深刻そうではないが。
俺も早いところ玉座の間とやらに向かおうと、騎士達に付いていこうとすると。
「おい、三上」
後ろから西城に声を掛けられた。振り向くと西城だけではなく、禅銅にもう一人、『西園寺亮』も一緒のようだ。
キザったらしい見た目に、若干のナルシストも入っている節が見られる西園寺だが、彼からは特別何かの感情を向けられた事はない。どちらかと言えば、西城や禅銅に同調しているだけで、本人はどうでもいいのだろう。
「どうしたの、西城君」
「お前、前にも言ったよな? アリスに近寄るなって。覚えてるよなぁ?」
確かにそんな事を言われたなと記憶を思い起こす。
こうやって西条が絡んでくるのは、以前からよくあった。
自分が振り向いてもらえないからと、構われている俺を脅して楠から引き離そうとしているのだろう。
まあ俺としてもそれでいいのだが、残念ながら“俺が楠に”、ではなく“楠が俺に”なので、そんな事を言われても俺にはどうしようもない。
「覚えてるよ。でも僕は別に楠さんに近寄ってるわけじゃ――」
「てめぇが金でアリスの気を惹いてんだろうが! 知ってんだぞ!」
「そんな事はしてないよ、それに金で気を惹くなんて、楠さんにも失礼だよ?」
「あぁ!?」
とりあえずもっともらしい、優等生らしい言葉を返しておくが、それが余計に苛立つのだろう。
俺の胸倉を掴んで、西城は更に声を荒げた。
他の生徒は騎士達についていって少し離れているので、こちらの様子には気付いておらず、見られてはいないが、それもいつまで続くか。
短絡的な奴だなと、冷めた目で西城を見つめる。
「調子に乗んなよ根暗野郎! てめぇみたいな奴がアリスと付き合えるとでも思ってんのか? 金でしか女の気を惹けない童貞野郎がッ!」
「まあまあ、落ち着けって敦。あんま暴れるとみんなに見られるぞ」
流石に見かねたのか、禅銅が割って入ってくる。
暴力沙汰になれば、立場が悪くなるのは自分達だと言うことを理解しているのだろう。
意外と冷静なのかもな。
「ちっ……三上、言ったからな。次アリスに近づいたらどうするか分かんねぇぞ」
禅銅に宥められたからか、それとも今の状況を見られるのは不味いと思い直したのか。
先ほどまでの怒りを治め、そう言って胸倉から手を放して騎士達の後を追っていった。
俺じゃなくて楠に言ってほしいものだ。どう見ても俺が近づいているわけではない事は、見れば分かるはずなのに。
自分に都合の良い様に物事を解釈する脳みそは、いっそ羨ましい。
「ま、敦の言うとおりなところもあるっしょ。三上も気を付けろよ、あいつ柔道黒帯だから、喧嘩になったらマジで痛い目見るぜ」
去っていく西条を見ながら、そんな事を言う禅銅。
柔道の黒帯が何だか知らないが、脅しのつもりなのだろう。
ガリ勉優等生には効果的な脅しかもしれないな。
「俺も正直、さっきの千沙ちゃんみて腹立ってるしよ……ほんと頼むぜ、三上」
声音を低くして、凄みながら俺の肩を叩き、西城の後を追っていく禅銅。
そして、鼻で笑い、見下した表情を向けてくる西園寺を見ながら、俺も騎士達の後を追っていく。
本当に、誰も彼も――俺を煩わせて、苛立たせてくる。
「よく来てくれた、勇者達」
騎士達に案内された玉座の間で、ライアン王が腕を広げて、こちらを歓迎した。
そばには昨日は見かけなかった男がいたが、その人物については触れずにライアン王は話し続けた。
「我が城の歓待は如何だったかな? 疲れは取れただろうか」
「色々と配慮していただき感謝します。生徒や私含めて、一応は休む事が出来ました」
「それなら良かった」
無理矢理向こうが呼んで勝手に歓待しているのに、感謝もクソもないと思うが、社交辞令として千紗が感謝を述べる。
それにライアン王は和やかな笑みを浮かべて安堵した台詞を言うが、早速だが昨日の話の続きだ、と足早に本題に入った。
「勇者の皆は力を貸してくれるだろうか? 昨日も言った通りに出来る限りの援助はしよう。もちろん、いきなり戦えとは言わない事も誓う」
「それは……」
苦々しそうな表情をして言葉に詰まる千沙が、こちらを一瞬見たような気がした。昨日のアドバイスでも思い出しているのか、それとも別の何かか。
あの表情を見るに、これから言おうとしている事は、千紗にとっては苦渋の決断なのかもしれない。
そして、千紗が意を決してライアン王に己の意思を伝えようとした時、影が一歩前へ出てきた。
「俺は戦うぜ」
妙なキメ顔でそう言ったのは、禅銅だった。
いつもの様にその場のノリで放った宣言の意味を、彼は理解していないのだろうな。
「ぜ、禅銅!? 何を言ってるんだ!」
「だって千沙ちゃんめっちゃ困ってるじゃん。俺放っておけなくてさ……。俺達がその戦争に参加すれば、千紗ちゃんも困らずに済むんだろ?」
「ち、違……そういう事では……!」
千沙が誤解を解こうとしたが、遅かった。
自分一人で勝手に死んでくれるなら、お好きにどうぞと言えるが、あろう事か禅銅は振り向いて、クラスメイト達に自分の考えを伝えて、扇動するような真似を始めた。
「皆だってそうだよな? いつも俺らを助けてくれる千沙ちゃんが困ってるなら、今度は俺らが千沙ちゃんを助ける番って思うっしょ!」
下らない正義感か、はたまた千紗の前でいい格好しいをしたいだけなのか。どちらにせよ、何も理解していないガキの発言にしか聞こえない。
しかしその扇動は、生徒達には実に効果のようで、事態は悪化していく。
「なんでお前が仕切ってんだよ、ったく、しょうがねぇな」
「まあ禅銅の言うことも分かるし、先生助ける為なら?」
「絶対千紗先生にカッコつけようとしてるだけでしょ。でも千紗先生助けるのはウチもさんせー」
「勇者の力? とかあるらしいし、俺らでもなんとかなりそうだよな」
生徒の間に、禅銅のふざけた台詞が流行り病の様に伝染していき、それに賛同する者達が増えていく。千紗を助けられると思っているその自信は、一体何処から湧いてくるのか。
だが、こうなれば最早手が付けられない。この雰囲気では、仮に自分は無理だと思っている者がいても、言葉にしにくい状態になってしまっている。
日本人特有の同調圧力的な空気は、最悪の方向に流れを持っていってしまった。
「よっしゃあ! 俺らみんなで千沙ちゃんを助けようぜ!」
『おおーっ!』
「ま、待てお前達! 私は――」
「そうか、戦ってくれるか! 感謝する、これでこの世界は救われるだろう……!」
狙いすましたように、ライアン王が千沙の制止の声に被せ、禅銅――生徒達の発言をこちらの総意として決定するかの様に感謝を伝える。
完全に向こうの思惑に嵌められたな。
この状況を作り出したのは身内だが。
愚かな生徒達の行いに、唖然とした表情の千沙の姿は、この状況を正しく理解している者が見れば、痛々しくて目を背けてしまうだろう。
彼女の苦悩して考えた末の決断も、生徒を思っての行動も、瓦解していく。
「安心して、俺に任せてくれよ千紗ちゃん!」
禅銅は千沙を救ったつもりでいる自分に酔っているのか、調子に乗って腰に手を添えてそう励ます。
自分がしでかした事が千沙を苦しめ、彼女を殺すかもしれないとも知らずに。
コイツらはこの選択をきっと後悔する。
何故あの時賛同したのか、何故もっと深く考えなかったのかと。
己の無知や低能さに気付いた時には、誰かが死んでいるだろう。
何も知らず、考えもせずに鼓舞しあっている生徒達。
寒気すら感じるクサい青春ドラマを鑑賞するような冷めた目で、俺はその光景を眺めた。
あんまり話進んでませんね……。
次話からはちゃんと物語も動く……はずです。
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