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今だけは

 世界が光に飲まれ、自分が立っているのか浮かんでいるのかもあやふやな状態になったと思えば、地に降り立つ感覚がした。

 目を開ければ、そこは教室ではなく、おとぎ話に出てくるかのような景色が広がっていた。

 海外の世界遺産に登録されている大聖堂のような内装に、一瞬目を奪われるが、現状を思い返す。

 俺は先ほどまで教室にいたはずだ。これは夢なのだろうかと考えてしまうが、夢特有のあやふやな感覚もなく、匂いや肌に触れる空気の仄かな暖かさは、これが現実だと教えてくれる。


「どうなってんだよ!?」

「ここどこっ?」


 声のした方を見れば、生徒達も立っていた。一体何が起きているのか、理解不能な状況に全員が、戸惑いと不安の表情を浮かべていた。

 拉致だろうか? 確かに金持ちが通う学校ではあるから、身代金の要求にはうってつけだが、果たしてそうなのか。

 この不可解な状況、拘束もなく、立った状態で目が覚めるというのがおかしい。拉致であれば拘束され、目隠しされてもおかしくはない。それにこの人数を一度に連れ去るのは至難の業だろう。

 しかし他にこの状況に当てはめられるものが――、


「召喚に応じていただき、感謝する、勇者の皆様方」


 大聖堂全体に響き、嫌でも知覚できてしまう厳かな声に、思考は中断され、そちらに意識を持っていかれる。

 目を向ければ、そこには煌びやかな衣装の初老の男が立っていた。どうにも現代社会に不釣り合いな服装に目が行くが、そもそも誰だ。

 そばには中世に出てくる騎士が着ていたような甲冑を身に着けた者や、顔を覆い隠してしまうほど大きなフードのついたローブを着ている者が何人かいた。

 『召喚(しょうかん)』に『勇者(ゆうしゃ)』と言っていたが、宗教か何かか?

 もしかすると俺達の事を勇者と呼んだのだろうか。なんとも胡散臭い話になってきそうだと、男を見つめながら思う。


「貴方は?」

「私は『ライアン・メルギスト・クビディターテム』。ここ、『クビディターテム王国』の国王だ」


 スーツ姿の怜悧な印象の、真面目そうな女が、生徒達を代表するように前に出て問うと、男は長ったらしい名前と自分が国の王だと名乗り始めた。何を言ってるんだコイツと一瞬思ったが、どちらかと言えば教師がいたことに驚いていた。

 そういえば四限は社会科の授業だった。ならあの女教師がいてもおかしくはないと思い返す。


「ふざけているのか?」

「まさか。混乱している様子、今の状況を説明しよう」



 そうして男、ライアン王が話し始めたのはこの国、いやこの世界(・・)の話だった。

 この世界――俺からすれば異世界――は、『クラウザ』と言うらしい。

 まさかの異世界に冗談かと吹き出しそうになった。実際生徒達、教師含めて笑いはしないが、困惑していた。しかし、真剣な表情でライアン王は話を続けていく。

 今この世界では人族と、魔族と言う人とは違う種族が戦争をしており、凄惨な戦いが繰り広げられているらしい。

 血で血を洗う戦い、そして根本的な“種族の差”で、人族は徐々に疲弊していき、追い詰められていった。このままでは、人族は魔族に滅ぼされ、世界は魔族が支配する闇の世界になってしまう……。

 だが、人にはまだ希望の光があった。それは『勇者召喚術』。

 異世界から強力な力を持つ者を呼び出す召喚術だそうだ。その術で呼び出した者に協力してもらい、共に魔族を打ち倒す為、クビディターテム王国、ひいてはクラウザの人々はその最後の希望の光に賭けた。

 そして術を行使して、俺達が召喚されたとの事だった。


 なんというか、失笑しか浮かばない。

 確かに今の状況に辻褄は合うのかもしれない。正体不明の光の柱に、体感時間ではあるが、一瞬にしての移動。思考も鈍くなく、薬の類や気絶させられ、連れ去られたと言う可能性も低かった。

 それに話を聞きながら、この建物の窓から外を見てみたが、どういう原理か見当もつかない、空中に浮遊する建物が見えた。なるほど、異世界、ファンタジーだ。

 しかし問題はそこではなく、力ある者の召喚の部分。一介の高校生、教師になんの力があるのかと言われれば、戦争に役立つ力は何もないだろう。

 仮に力だけはあったとしても、戦争に対する意思、考えは、平和な国に生まれた俺達では到底及びつかない物だ。まだ軍人や未開の地にいる部族を呼び出した方が使える。

 それに力ある物を呼び出すという不明瞭な言葉。誰が対象に選ばれるのかも不明だし、そもそも召喚とやらに応じた記憶もない。勝手に呼び出された奴が怒り狂い、この場で反逆でもされたらどうする気なのか。杜撰で非合理的だ。

 女教師、『御舟千沙(みふねちさ)』もそう考えたのだろう。それらの考えを口に出して抗議し始めた。


「なるほど、貴方……いや貴方達の話は理解した。しかし私達にはそんな力も技術も無く、戦争などという環境は、話に聞くだけでしかない場所で生まれ育った。そんな私達が役に立つとは思えない。それに応じたと先ほど言っていたが、私達は応じたつもりもない。こちらの意思を無視しての呼び出しは、あまりにも身勝手過ぎる」


 目を閉じて、御舟の抗議を聞いていたライアン王だが、静かに、しかし王としての威厳だろうか。そういう雰囲気をもって言葉を返してきた。


「いいや、召喚術で呼ばれた者には勇者としての力が備わっている。そんな物は持っていないと困惑するかもしれないが、これは事実だ」


 勇者としての力、ね。今のところ自分の身体に違和感はなく、そんな力が備わっているとも思えないが。


「もちろん戦争という過酷な環境には不慣れかもしれない。しかし、安心してほしい。いきなり戦場に放り出すような事はしないと誓おう。知識も技術もこちらで教える。いささか性急にはなるかもしれないが、万全を期して勇者の皆を支えよう」


「い、いや待ってほしい。仮に力があったとしても、私達にはその戦争に参加する意思も意義もない。私ならまだ良いが、生徒達はまだ成人も遠い子供だ。そんな身勝手な事が――」

「残念ながら、召喚の対象に選ばれた時点で応じたのと同義なのだ。異世界の者には馴染みがないかもしれないが、『契約』で縛られている。帰る事は出来ない。身勝手な事は承知の上、心苦しいが、我らもそれほどまでに追い詰められていると理解して欲しい……」

「なっ――」


 御舟が言葉に詰まるのも無理はない。一方的な要求を無理やり吞まされたのだ。それも命の危険が伴うであろう要求に。

 そんな道理が罷り通るのか、と出る言葉を失うだろう。


 しかし、妙に不自然な点を感じた。御舟は気付いていないが、“力が備わっている”と断言していたが、その理由はなんだ?

 自分ですら自覚していない力を、何故ライアン王は備わっていると断言できた?

 それに万全を期してこちらを支えるとも言ったが、御舟の発言から俺達の知識と技術不足を感じたからか? 事前に準備はしてあるのではないだろうか、俺達の様なものが召喚されると召喚以前から知っていて……。

 杞憂で終わればいいが、こんな状況だ。いくらでも疑り深く考えを張り巡らせた方がいいだろう。


「いきなりの話で混乱しているだろう。我が城に部屋を用意している。そちらでゆっくりと休んでから、また話をしよう」


 そう言ってライアン王は騎士やローブを着た者達に目配せをした。どうやら騎士達に俺達を案内させるらしい。

 ライアン王はついてこないようだ。まあ王様がいくら大事な協力者とは言え、客将(きゃくしょう)の身分のような者達を自らが案内するには、立場的に周りの目があるという事かもしれない。

 流し目で御舟を見れば、俯き、顔色が良くなさそうだった。

 こんな訳の分からない状況にいきなり巻き込まれ、生徒達をどうやって守るかすら分かっていない。それどころか自分の命も危うい可能性がある。

 むしろ良く考えて動いていたからこそ、現状を理解して不安や恐れが増しているのだろう。


 一方で生徒達は御舟とは真逆に、不安や困惑の表情ではあるが、未だに自分達の置かれた状況をよく理解してはいなさそうだ。聡い奴もいるようだが、現実味の薄いこの状況のせいか、理解はしていても楽観的に考えているように見えた。

 俺も正直、この状況はどうしようもなく、なる様にしかならないだろうと考えている。

 帰る手立てもなく、仮に戦争への参加を放棄すればこちらへの支援を止める可能性もある。どんな世界かも分からないのにほっぽりだされては、どの道死ぬのと同じだ。

 大人しく協力――従うしかない。




 案内役の騎士達に付いて外に出れば、窓からしか見えなかった景色が広がる。時間はちょうど昼くらいだろうか、太陽が頭上に来ていた。

 大聖堂はこの国の高い位置にあるのだろう、この国を上から見渡すことが出来た。

 幻想的な風景だ、国を囲うような石造りに見える壁、その外側には広大な大地があり、地平線すら見える。元の世界では見られない景色。

 壁の内側には大小様々な建物があり、民家や食事処や物品を売買している建物もあるのかもしれない。流石に行き交う人々ははっきりと見えないが、建物の数から見ても、多くの人が暮らしているのが分かった。

 そして極めつけは巨大な城。王が住む城とはこれの事だろう。見栄えは良いが、これだけ大きいと移動も楽ではなさそうだ。見た感じ中世の時代に近いし、こちらの世界ではエレベーターのような便利な移動装置もないだろう。

 生徒達もこの風景に呑まれ、興奮する者や、感動する者がいた。先ほどまでの不安な表情はどこへいったのか。

 俺もこんな状況でなければ、この景色を楽しめたのだろうか。


「なんか大変な事になっちゃったねっ」


 騎士達の後を景色を見ながら付いていっていると、楠が寄ってきた。

 表情はこの景色のおかげか、楽し気だ。やはり現状をよく理解できていないように見える。


「そうだね、正直困ってる。今日もバイトがあるのに」

「あー確かに。あたしも今日発売される曲とか買いたかったし、ついでに化粧品とか服も見たかったんだよねぇ」


 話を合わせて、自分も困惑してますアピールをしつつ、そういえば時間の流れはこちらの世界も元の世界も同じなのだろうかと考えた。

 まあどの道、そんな心配をしたところで帰れるかも分からないのであれば無意味な考えだと思い、今は目の前の事に集中しようと切り替えた。


「タカくんはどうするの?」

「なにが?」


 相変わらず主語がはっきりしない奴だ。


「なんか戦争とか魔族とか言ってたけど、あたしよくわかんなかったし、タカくんはどうするのかなぁって。てかマジウケるよね、勇者とか」

「ウケる、かは知らないけど、正直どうする事も出来ないと思うよ。黙って向こうの言うことを聞いていた方が安全だと思う」


 いつまで安全かは知らないが、と語尾に付くのだが。


「そっかぁ、まあそうだよねぇ。てかあのオタク達マジうるさいよね」


 気が抜けるような甘ったるい声で、本当に理解しているのか怪しい発言しながら、話題を変えてきた。

 突然の話題の転換は女子高生にはよくある事なのだろうかと考えながら、楠が不快そうに目を向ける先を見ると、四人ほど生徒が集団になって騒いでいた。あれがオタク達だろうか。

 大きな声は少し離れたこちらからでも聞こえるので、確かにうるさいと思っても仕方がないかもしれない。


「やっべぇ! マジで異世界だよ!」

「こんな事本当にあるんだな~!」

「それに僕ら勇者だって! もしかしてチートみたいな能力とかあるのかな!?」

「異世界ならやっぱ美少女でしょ! でゅふっ……早く見てみたいわ~」


 よく分からない話をしているが、景色と自分達の置かれた状況に興奮冷めやらぬ様子だ。

 まあ別段気にするような事でもない。うるさくはあるが、無害だ。


 そういえば、趣味の相手の中にそういったオタク趣味の奴がいたなと思い出す。異世界に転生だったか転移だった。

 そういうコンテンツが今時の彼らのような人種の流行りなのかもしれない。


「まあ良いんじゃないかな、好きにさせておけば。他の人もこの景色を見て騒いでるけど、怒られる様子もないし」

「そうなんだけど、いっつも静かに教室の隅で喋ってるかと思えば、突然騒ぎ出すじゃん。アレもそうだけど……あたし、ああいうのキモくて無理なんだよね」


 この状況を楽しんでいるところは、確かに不謹慎と言えるかもしれないが、騒いでいる事のどこがキモくて無理なのかは分からない。

 単に楠は生理的に受け付けない彼らに、とりあえず難癖をつけたいだけかもしれない。嫌っている他者を非難し、排除しようとするのは自然な事だが、この状況で彼らに直接文句を言うような行動に出られると面倒なので適当に話題を振って気を逸らすことにした。


「まあまあ……そういえば、友達はどうしたの?」

「え……? ナッちゃんとレイちゃんこと?」


 ナッちゃんとレイちゃん……朝に教室で楠に寄ってきた二人か。どの友達とは言っていないが、楠にとってはその二人が真っ先に頭に思い浮かぶ友人なのだろう。

 確か名前は、『相良夏希(さがらなつき)』と『真堂玲香(しんどうれいか)』だったか。

 相良は明るめの茶髪で、ショートボブに近い髪形をしている。顔立ちは利発そうな印象を受け、実際に運動部に所属している事を楠から聞いたことがある。

 真堂の方は、濡羽色の髪色で、腰まである長い髪をそのまま流した髪型をしている。顔立ちは冷たい印象で、感情もあまり表に出さず、静かで落ち着いた喋りをしていた。

 どちらも学内の男子からの人気が高く、顔立ちは整っているのだろう。

 一応は楠繋がりで会話をしたという記憶はあるが、内容までは覚えていない。

 そもそも向こうは俺に対して、あまり良い感情を抱いてはいないはずだ。流れている噂を信じているなら、俺は彼女らにとって、金で楠の気を惹く惨めな男子、になるだろう。


「その二人だね」

「さっきまでは一緒にいて喋ってたよ。二人とも不安そうだっだけど、先生とかみんながいるなら大丈夫じゃないって言ったらちょっと安心してた」


 別に二人の様子はどうでもいいし、なんならそっちを気にして離れていってほしかったが、どうやら既に話していたようだ。


「そっか、ならいいけど」

「え、なに急に。も、もしかして二人のどっちかに気がある……とか?」

「なんでそうなるの?」


 いや本当になんでそうなるの?


「だってだって! タカくん二人の話なんてしないじゃん。と言うか誰かの話なんてしてるの聞いたことないし、他人に興味ないって感じ? だから急に二人のこと気にしだしたら、どっちかに気があるのかと思っちゃうじゃん」


 そういう事になってしまう、のだろうか? 分からない。

 それよりも楠が意外と俺の事を理解しているのに驚いた。確かに興味の無い他人の話なんてする訳がないので、楠の言った通り、これまでそんな話はしたことがなかったのだろう。

 気を逸らそうとして、らしくない話題を振ってしまったか。まあとりあえず気を逸らす事自体には成功したので、良しとした。


「そういうわけじゃないよ。こんな状況だから、楠さんも友達の方が心配なんじゃないかなって思っただけ。気があるとかそういう理由じゃないよ」

「ふーん、ならいいけど……待って、あたしが友達の心配してるって考えてくれたって事は、タカくんはあたしのことを想ってそう言ったってこと? ……あはっ、超嬉しい!」


 深読みのし過ぎである。

 都合のいい解釈をしている、脳みそお花畑な楠を宥めながら、城に近づいて行った。




 大分歩いて、ようやく城への入り口にたどり着いた。

 大聖堂は城の城壁内部に建てられていた筈だが、歩いた距離的にも大分敷地は広いようだ。やはり無駄に大きいせいで、移動に苦労した。

 入り口は映画で見るような、大きな城門というわけではなく、しっかりと人間用の大きさだ。

 城の外装もかなり厳かというか、無駄に凝った意匠だった。案内されるまま城の内部に入れば、煌びやかな内装と、大理石に見える床の大きなフロアに出た。玄関のようなものだろうか。大きな階段もあるし、これで上層と下層を上り下りするのだろう。

 これまた元の世界では見られない構造の城に、生徒達は喜んでいる。


「土足で大丈夫なのかな?」

「兵隊さん達もそのままだし、大丈夫なんじゃね?」

「歩き疲れたぁ……」

「つーか腹減った、俺ら昼飯食ってねぇじゃん」


 暢気な事を言っている生徒達は無視して、内装を見回していると、こちらですと騎士達が更に奥へと案内を始めた。

 回廊を進んでいき、大きな両開きの扉の部屋に入ると、何十人と座れそうな椅子と、長く大きなテーブルがいくつか並んでいた。

 恐らくは、食事を取るところだろう。テーブルの上には小さな燭台がいくつと、フォークやナイフ、スプーンが置かれていた。

 席に付くよう促され、全員が座ったところで、 


「勇者の皆様にはこちらで食事を取っていただいた後、割り当てられた部屋へ、メイド達がご案内する事になっております。どうぞごゆっくりと食事をお楽しみください」


 騎士の一人がそう言って礼をして、部屋から出ていくと、初めて見る本物のメイド達が奥の部屋から料理を持って出てきた。見た事がない肉料理にサラダの盛り付け、スープ。パン等は元の世界とそう変わりはなかったが、こちらの鼻腔をくすぐる匂いは食欲を掻き立てた。生徒達も目を輝かせて早く食わせろと言わんばかりだった。


「勇者の皆様には、我が国の料理を堪能していただきたく、料理人達が腕によりをかけて作りました。ぜひ、お召し上がりください」


 メイドが礼をしたと同時になんの疑いもなく、生徒達はいただきますと言って料理を食べ始めた。

 見ず知らずの誰かに提供された、しかも異世界の料理など口にしたくはないが、生徒達の様子を見るに、味も問題ないのだろう。舌鼓を打っていた。

 不安要素はあるが、確かに腹は減っているので、ありがたくいただくことにしようと俺も料理に手を付け始めた。


 ――料理は美味かった。







 食事を取った後、メイド達に案内されながら城内の各部屋の説明を受けつつ、割り当てられた部屋へ通された。

 一人一部屋だったので、のんびりできる。大浴場もあるらしく、好きに入っていいそうだ。メイドも甲斐甲斐しくこちらを世話してくれ、至れり尽くせりだった。

 それから夕食になるまでは各自、城から出ない限りは自由行動で、生徒達はいつも通りのグループに固まって城内を散策していた。

 俺はと言えば、蔵書された本がある大部屋、言わば書庫のような部屋に行って、この世界の本を読んでいた。そもそも言語が違うこの世界で、()()()()()()本を読んでいたが……書庫にも何人か生徒がいるし、楠のグループ、と言うか楠が話しかけてきてまるで集中出来なかった。

 鬱陶しいので本を持って部屋に引きこもり何か有益な情報はないかと探していたが、特に目立った物はなく、結局夕食になり、そのまま自分の部屋へと帰ってきたところだ。



 まあ有益な情報など大して期待もしていないし、楠が絡んでくるのも予想していたので、大きな落胆もない。

部屋で寛ぎながら、とりあえず現状の再確認をしようと椅子に座り、肘掛けに片肘をついてその上に頭を乗せる、落ち着いて考え事をする時の癖を出しながら、思考の海に沈んでいく。


 ライアン王の話だが、城内にいる使用人達にも聞いてみたが、どうやら事実のようだ。口裏を合わせている可能性もあるので、外出許可が出たら、この国の住人からも聞き取りをしてみようとは考えているが、恐らくはどの住民も同じような答えを返してくるだろう。

 生徒四十人、教師一人全員を騙す為に国中の口裏を合わせるなんて事はできないだろう。

 しかし、事実だろうが、全てを語ったわけでもないはずだ。そもそも何故人と魔族が戦争を始めたのかも話していないし、話さない理由があるはずだ。残念ながら、それを今知る術はないので、一旦は置いていくとしよう。


 次に勇者の力についてだが、こちらは全くもって不明。強いて言うなら、身体の調子が良いくらいか?

 戦争、それも戦う事が本業の兵士ですら歯が立たない魔族との戦いになるのであれば、そんな小さな物ではないと考えられるが……他の生徒に身体に違和感がないか聞いて回るべきだっただろうか。

 それに、教師にも勇者の力があるのだろうか? 一緒にこの世界に来たという事はその可能性が高いが、直接本人に確認する以外に方法は無いため、保留。

 

 そういえば夕食の時に、オタク達が『魔法』や『スキル』がああだこうだと言っていたが、それが勇者の力になるのだろうか。炎よ出でよやらファイアーやら言葉がトリガーと考えたのか、騒いで楠のグループに睨まれていたが、こういう世界だとああいう人種の知識は馬鹿にならないかもしれない。

 話を聞いてみても良いかもしれないな。後は――、


三上(みかみ)、いるか?」


 控えめな扉を三回を叩く音の後、声が掛けられ、思考を中断させられた。普段であれば声を掛けてきた相手に苛立ちを向けるところだが、その声には聞き覚えがあった。

 この声は……。


「いますよ、()()()()

「失礼する」


 入ってきたは、教師の御舟千沙だった。

 生徒達の様子でも見て回っているのだろう。


「なんだ、考え事でもしていたのか?」


 俺のいつもの癖を見て、そう言っているのだろう。


「ええ、先生は見回りですか?」

「そんなところだ。こんな状況で、不安になっている生徒もいるかもしれないと思ってな」

「ご苦労様ですね」


 ほとんどの生徒は、もうこの状況になんの不安も抱いてはいないだろうがな。至れり尽くせりな料理や歓待の数々ですっかり、心を許している。

 御舟も同じような歓待を受けていたが、生徒達とは違い、しっかりと現状は理解できているようだ。


「まあ不安を感じている生徒はあまり見受けられなかったがな……。怯えて心に負担を掛けるよりはマシなのかもしれないが……」

「まあ、楽観的とも言えますね」


 実際に俺の思った通りだったようだ。御舟はそうだな、と沈痛な面持ちで答えた。

 食事や風呂のおかげか、ライアン王と話していた時ほどは深刻な表情はしていないが、それでもあまり顔色は良くない。


「三上は大丈夫か?」


 こちらを気遣うような言葉は、彼女の性格を表しているのだろう。

 言葉遣いは男勝りで、冷たい印象を人によっては受けるが、御舟はかなり生徒想いの教師で、男女関係なく慕われてはいる。

 他の教師と比べれば、あの学校ではかなり若い部類に入るので、年齢が近いところも慕われる要因の一つかもしれない。まあ男子に関しては美人で年上のお姉さん的な部分がウケているのだろうが……。


「そうですね。わけの分からない状況ではありますが、食事も出るし、風呂も入れる。一人一部屋割り当てられているので、のんびり寛げてますよ……暇を潰せる娯楽は少ないですが」

「そうか、それなら良いんだ。もし不安や悩み事があれば、私に伝えてくれ。出来る限り力になる」


 自分も疲れが抜けきっていないのに、他人の気遣ってばかりなのは人の好い証拠か。

 生徒に慕われるのも理解はできる。


「ありがとうございます。今のところは大丈夫ですよ。先生こそ大丈夫ですか? 少しは落ち着いたかもしれませんが、疲れは抜けきってないかもしれませんし、部屋に戻って休んだ方がいいですよ」


 肉体的というよりは精神的に疲れているのだろうが、今日だけでも結構な距離を歩かされている。どちらも相まって本人も気付かない疲労は溜まっているはずだ。

 倒れる、とまでは言わないが、疲れていては頭も回らない。現状を理解して行動できる人間は今のところ、この御舟だけ。貴重な人間が使えなくなっては困るので、休むように伝えた。


「あ、ああ……いや、私も落ち着けて気が休まる場所を探していて……そのついでに生徒達の様子の確認していてな。まあ私が気が休まる場所と言えば……君のそばくらいだと思って……」

「は?」


 顔を伏せ気味にしながら、腕をさすってモジモジしながら言う御舟に思わず素が出る。


「その、三上……今は二人きりだし、近くにも誰もいない……い、いつも通りに話さないか……?」







 ――ああ、そういう事か。

 存外、切羽詰まっていたのかもしれないな、この状況でこうした行動をするということは。


「……なんだ、甘えにきたのか? 千沙(・・)


 学校で装っている、三上隆景(みかみたかかげ)の仮面を外し、()()の時の己の顔を表に出す。


「ッ……い、いやそういうわけじゃないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と隆景が言うから――」

「学内じゃ、二人きりでも控えているだろ? それに気が休まって落ち着ける場所なら、割り当てられた部屋でもいいだろう」

「うっ……い、今ここは学校ではないし、一人でいると上手く考えがまとまらないし……その……うぅっ」


 顔を赤らめ、か細い声で言い訳しようとしている千沙を見ながら、クスりと笑う。

 そろそろ()()()()()()()()()()だが、相変わらず自分の素直な感情を伝えるのが苦手なようだ。その初々しい生娘のような様子は、大変男心を擽るだろう。


「冗談だ。少しからかっただけ。少しは肩の荷も下りたか?」

「くっ……お前はプライベートだと本当にいじわるだな……まあ確かに、気は楽になったけど……」


 赤い顔のまま、こちらを恨めしそうに睨むが、本気で怒っているわけではないだろう。

 こうやって千沙をイジるのはいつもの事だ。そのいつも通りが千沙の重い気持ちを幾分か和らげたようだ。

 まあそれが狙いでここに千沙は来たのだろうが。


「年下が何言ってんだと思うかもしれないが、千沙は背負い込み過ぎだ。もう教師一人がどうにか出来る状況じゃなくなってる。考えることは大切だが、深みにはまれば視野が狭くなって、更に深みにはまる悪循環になるぞ」

「分かってはいる……だが、やはり教師として生徒達を守るのが最優先だ。率先して私が考え、動かないと……」


 クソ真面目かこの女は。


「こういう時は肩ひじ張らずに柔軟に考えろ。まずは自分の事だ。次に相手の事、更にその次に生徒だ」

「それでは生徒達が――」

「あんたが倒れたら、生徒はモロに危険に晒される。ここぞと言う時以外はまず自分の事だ。自分自身を守る事が、生徒を守る事に繋がるんだよ」

「な、なるほど。そういう事か」


 考えてはいるが、そこに自分の存在を考慮していない辺り、相当焦っているのだろう。

 俺に会いに来たのは正解だったな。千沙は適切に説明してその利点を話せば理解して、実行できるタイプの人間だ。こちらのアドバイスも素直に聞き入れてくれるだろう。

 今後はそれを念頭に置いて考えられるようになるはず。


「正直今は考えてもどうしようもない状況だ。まずは相手の出方を見て、それから考えろ。綿密にするんじゃなくて、ある程度の枠組みを作っておく。そこに、後から出る情報を当てはめていく。パズルのピースみたいなもんだ。初めからギッチリ詰めていると、合わないピースが来た時に全てが嚙み合わなくなって、一から考え直しになる」

「……うん、理解した。ありがとう、隆景」

「別に礼を言われることじゃない。とりあえず今は休んだ方がいい。疲れてたらいい考えも浮かばないからな」


 先ほどよりはマシになった顔つきで、礼を伝えてくるが、別に千沙だってこの程度の事は考えられると思っている。

 戦争に放り込まれる恐怖、生徒達を守らねばならない教師としての立場、慣れない環境が彼女の思考に靄を掛けているせいだ。


「ふぅ……やっぱり隆景と話していると、生徒――年下と話している気にならないな。本当に十七か?」


 疲れを吐き出すような溜息の後、調子が戻ってきたのか、ニヤつきながらそんな言葉言ってくる。


「ガキがこんな事考えてるなんて、気味悪いってか?」

「皮肉るな、そういう意味じゃない。貶すわけではないが、一般的な学生はその場その場で物事を考える。実際、生徒達は目先の事すら考えずに、今その時を楽しんでいるからな」


 仕方のないことだろう。十六、七のガキに今後の展望を考え、行動出来る事を期待するのは高望みだ。


「そういう奴だけじゃないだろ。うちのクラスにだって、頭の回転が速い奴はいる」

「自分の事についてはな……隆景みたいに、相手の立場になって考えて、物を語ったり行動する事は難しい」


 相手の立場になって考えているわけではないのだが、まあ勝手に勘違いしてくれるなら好都合か。


「他人との比較なんてどうでもいい。何も考えずに好き勝手やるのもいいだろうよ、その結果に文句を付けなければな」


 現状を理解せず、今を享受して後から後悔するのは己の怠慢だ。それを理解しているなら、それでいいが、生徒達はそんな事も考えずに後になって喚き散らすのだろう。どうしてあの時こうしなかった、言わなかったと。


「相変わらず冷たいというか、他人に関心がない奴だ……それに君だって好き勝手にやっているだろう」

「俺は好き勝手やる為に考えてるんだよ」


 必要なのは自信でも危惧でもなく、自分に何が出来て、何が出来ないかの自覚だ。

 過ぎたる自信は蛮勇になり、過剰な危惧はチャンスを逃す。何事も中間、程よいくらいが良いと俺は知っている。愚かな過去の自分から学んだ経験だがな。


「そういうところが学生らしくないんだ」

「うるせぇ」

「ふふっ」


 他愛ない会話で笑う千沙を見ながら、大分肩の力も抜けたと判断する。

 勇者の力に関して、千沙自身に何か違和感、変化があるかも聞きたかったが……あれだけ焦って自分の事に無頓着になっていたのだ、気付いていないかもしれない。

 どの道、明日ライアン王とまた話すことになるだろうし、今は休ませて明日に備えさせるのが良いだろう。


「そろそろ部屋に戻った方がいいんじゃないか? 千沙が部屋にいないと騒ぎになる可能性もある」

「その心配はない。メイドの方には生徒達を見て回ることは伝えてある」


 適当な理由で部屋に返そうとしたが、どうやらそこら辺はしっかりしていたらしい。


「ならいいが…………いつまで居座る気だ?」

「あ、うん……そうだな。戻った方がいいか、他の生徒がこの部屋に来るかもしれないしな」

「いや、そんな仲の奴はいないから、それは心配ないが」


 まあ楠はもしかしたら、と考えたが、そこまで頭も股も緩くはないだろう。

 それに別に千沙が部屋にいても、見回りをしていたで済む。問題はないが、俺としてはさっさと休んで欲しいから帰ってもらいたいのだが。


「その根暗っぽい見た目のせいで友達が出来ないんじゃないのか?」


 こちらの考えも知らずに、好き勝手な事を言う千沙に内心溜息をつく。

 それに根暗な見た目とはなんだ、目立たない立場を手に入れるために、少し癖のある髪を降ろして無難な髪形にし、伊達眼鏡を掛けているだけである。

 言葉遣いは、この見た目にあう、少し気弱でやわらかめの口調をイメージしているのだ。


「好きでやってるんだよ。目立たない立場ってのが気に入ってるんだ」

「でも最近、楠とよく一緒にいるところを見かけるが」


 なんでそんなところを見ているのだこの女。

 物言いたげな目つきで、こちらを見つめてくるが、俺も楠には辟易しているのだ。


「それに関しては俺も困ってんだよ。いくら拒んでも付きまとわれてる」

「どうだかな……まんざらでもないんじゃないか?」

「勝手に言ってろ、言い返すのも面倒だ……はぁ」


 溜息を付きながら、俯くと、床に影が差す。千沙が一歩近づいて来たのだろう。

 なんだと言おうと顔を上げると、千沙は腰を落として椅子に座っているこちらに目線を合わせてきた。

 そして、手を俺の太ももに置き、撫ではじめた。


「隆景は……やっぱり若い女性の方が好み……なのか?」

「お前……結局それ目的かよ」


 呆れ半分に言うと、千沙は一瞬声を荒げて、言い返してきた。


「だって! ……だって最近、構ってくれなかったじゃないか」


 いやいや……構うも何も、千沙はそういう客ではないし、恋人でもない。()()()()()はあるが。

 趣味の相手が連絡を入れてくればそれに応じる必要があるし、俺もそれを退屈しのぎに使っているのだから、千沙に割り振る時間は自然と少なくなってしまうのは必然だろう。


「客がいればそっちに時間使うのは当たり前だし、千沙を構う時間が少なくなるのは仕方ないだろ」

「それもおかしいだろう! いつまでその、女性との一夜の関係を続ける気なんだ! 私が最初に注意した時からちっとも変わらないじゃないか!」

「いやそもそも千沙に黙っててもらうために、愚痴に付き合ったり、一緒に行動してる内に、こういう関係になっただけだろ。俺のこれ止めたら本末転倒じゃねぇか」


 そう、趣味の相手とホテルから出てくるところを、偶然千沙に見られたのが一年半前、高校に入学したての頃で、それから千沙が色々とこちらに干渉するようになったのだ。

 俺の趣味を止めさせる為の説得の時間が、次第に彼女の愚痴を聞くだけになったり、デートのような物になっていき、まあ紆余曲折はあったのだが、身体を重ねる関係になっていた。

 ただそれだけの話である。


「わ、私は! 君が……隆景が、その……いつかそういう事をやめてくれるように、身体を張って君を引きとめているんだ!」


 詭弁にもほどがあるだろう。やはり素直に構ってくれ、甘えさせてくれとは言えないならしい。

 まあそれも愛嬌だろう。これでもかなり態度や口には出している方だ。以前の彼女からは考えられないくらいに。


「楠だって、いつ君の毒牙に掛かるのか心配なだけで……別に嫉妬とかそういうわけじゃ――」

「分かった分かった、ほら」

「んむっ!? ――――は……む……」


 いつまでもその分かりやすい嫉妬の言い訳を聞いているのも面白そうだが、流石にそうすると泣き出してしまいそうなので、行動で示すことにした。

 口を重ねれば、千沙特有の見た目とは違う、甘い匂いがした。


「ん…………っ、君は、ずるい」

「そんな事、前から知ってるだろ」

「……うん、もっとして」


 潤んだ瞳で、こちらを見つめる千沙は、普段の彼女とは別人だ。まるで主人にすり寄って、自分をアピールするペットのように見える。

 こうすれば千沙はブレーキ、いやアクセル全開でこちらに甘えてくるようになる。

 怜悧で真面目な生徒想いの教師は、年下に甘える可愛い女に早変わり。


「はむ……ちゅ……は、んっ……」

「それと、別に若い女が好みってわけじゃない。楠は本当にただ付きまとわれてるだけだよ」

「そう……なの?」

「ああ、それに千沙も十分若いし、可愛いよ」


 優しい手つきで頭を撫でながら、相手を心の底から安心させるような笑顔で、俺は千沙にそういった。


「嬉しい……もっと、言って……ん……すき、だいすき……」

「ああ、俺も好きだよ……」












 ――今だけは。

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