懐かしき声
小説家になろうには投稿自体が初めてですので、不備があるかもしれませんがよろしくお願いします。
一日の始まりにはいつも隣に女がいる。
熟れた女の時も、まだ瑞々しい肌をした女の時もある。総じて当てはまるのは、どの女も穏やかな寝息を立てて眠っている事だろう。
まだ朧げな意識に、室内に漂う匂いが何があったのかを教えてくれ、現状を認識させる。酒に酔って過ちを犯したわけではなく、これがいつも通りだ。
目覚めてしまえば寝起きは良い方なので、すぐにベッドから抜け出し、身体のコリをほぐす。多少の気怠さも余韻に浸れるアクセントでしかない。
まだ女が眠っているのを確認して、浴室の方へ進んでいく。これから学校に行かないといけないので、身体に残っている匂いを落とす為に、軽いシャワーではなく、しっかりと身体を洗っていく。
それでも三十分程度で粗方洗い終わり、浴室から出て身体の水滴を拭き取り、ドライヤーで髪の水分を飛ばしていく。
すると、流石にドライヤーの音で目が覚めたのか、女が身じろぎし始めた。
「ん……相変わらず早いのね」
横になりながら、顔だけこちらに向けて、寝ぼけ眼で女が話しかけてくる。早いというのは起床の話で、あっちの話ではないと思いたい。
「ああ、これでも学生だ。学生の本分は学校に行って勉学に励むことだろ」
「どの口が言うのかしらね」
今回の女は、切れ長の目をした女。
キツい印象を受けるその顔立ちは、女の性格を表していると、何度も接してきて理解している。
そんな女もくだらない会話で笑うようになるまでの関係になった。ロマンもプラトニックさもない関係だが、お互いそれで良いと満足しているし、そもそも俺自体は相手の食事や買い物に付き合い、相手によっては身体を重ねるこの行為は趣味でしかない。金銭が発生するのは、相手が対価なき行為を信用できないからだ。
「そういえば……お金の方はいつも通り?」
「そうしてくれ。そっちが相応だと思える値段でいい。なんなら払わなくてもいいさ、そういう女も中にはいる」
「金勘定は大事よ。あなたが私に付き合ってくれた事に対する対価がお金なんだから、そこはキッチリしないとモヤモヤする」
「あんたはそうだろうな。まあ金を払わない女はどの道一回きりの関係で終わる事も多いし、気にしちゃいない」
「あなたも苦労しているってことかしら」
他愛ない会話をしながら、外に出るための準備を終える。この女に関しては朝のちょっとした触れ合いも必要ないと分かっているので、片手間で会話しながらスムーズに準備が出来た。
こういう冷めた女は楽でいい。気負わず、割り切っていて、こちらの意図を多少は汲んでくれる。
「じゃあいつも通りに振り込んでおくわ。値段の方は――」
「別に言わなくていいって……そろそろ出るわ、ここからだと少し遠くて時間が掛かる。構ってやれなくて悪いけどな」
「そういうタイプじゃないって知ってるでしょ。気にしてないし、そもそも呼んだのは私だもの」
言葉通り女に気にした様子はなかった。
確かに向こうが呼んだのは事実だが、それを受け入れたのは俺だ。こういうところを気にする奴は多いので、断りは入れるようにしている。
「また気が向いたら連絡してくれ。金がなくても付き合うよ」
「そんなに言うって事は、私に惚れたのかしら?」
「お互いそんな気もないのが分かってるのによく言う。ただのセールストークだ、あんたとも長い付き合いになってきたし、一回タダで付き合わされたって文句は言わないよ」
「ふふっ、そうね……近々、連絡するかもしれないわ。その時はまた、よろしくね?」
そう言ってウインクすると、私はもう少し寝るわと言って毛布を被った。
近々と言うことは、大きな仕事でも任されているのか、ストレスを感じる出来事が今後あるということだろう。こちらとしても自分を満たせるなら大いに結構だ。
しかし、この女はもっと毅然としていたが、随分とこの関係にも慣れ切ったのだろう。
最初の頃にあった嫌悪感が感じられなかった。
結局、どんな奴でも自分を苛む物の解消法を見つければそれを拒めない。
自分の矜持や考えを捨ててでも、自分の身を守るのは人間の防衛本能だろうか。
くだらない事を考えながら、流し目で部屋を見渡して忘れ物が無いことを確認しつつ、部屋を出ていく。
学校の最寄り駅に着き、電車を降りれば、夏らしい暑苦しさに苛立ちを感じ、ホームを抜ければ無駄に光り輝く太陽に肌を焼かれる。
手で日差しを遮って、空を見上げ、溜息をついて視線を下げると、自分と同じ制服を着た学生がチラホラと見える。誰もが同じ制服、同じ指定のシャツを着て、群衆になると機械的に見えるのは俺だけでは無いはずだ。
学校という枠組み自体、教養を身につけ、ルーチンに慣れさせ、そして学びという行為を通して人間性を成長させる為の社会の歯車を作る場所。
それ自体は悪い事とは言わないが、俺にとってはそれが酷く退屈だ。
同じ場所に行き、同じ顔を見て、同じ行為を繰り返すそれは、俺を殺してしまう毒。
それに抗いたいからか、はたまた別の理由があってなのか、趣味を止める事はできない。
一瞬だけその人混みに見た後、目を逸らすように、いつもと変わらない通学路の景色を見ながら歩き始めた。
「あ! タカくん!」
見飽きた景色に退屈さを感じながら歩いていると、背後から妙に甘ったるい声が掛けられる。
媚びているというか、わざとらしい声。
「おっはよー! タカくんも今登校? 奇遇だねっ」
「おはよう」
「相変わらずテンション低いなー」
「朝はこんなもんだよ」
声を掛けてきたのは、上手く染めた金髪を、派手なシュシュで横にまとめた女。俗にいうサイドテール。
顔立ちは少し憎たらしくも、愛嬌があり、薄いメイクは自分の顔立ちに対する、自信の表れだろう。二重で丸い目立ちは、髪の色もあってか日本人離れを感じさせる。
名前は『楠有栖』。ちょっとした出来事から、こうして絡まれるようになった。
「せっかくだし、一緒にいこっ」
「どうせ同じクラスなんだし、自然と一緒になるだろ?」
「そういうのじゃないんだよなぁ、もう。タカくん分かってて、分からないフリしてない?」
そんな言葉を聞こえてないとばかりに無視して歩き出すと、楠は待ってよーと後を追いかけ、横に立ち並んで聞いてもいない話を喋り始める。
何故、楠に気に入られたのか理由は分からないし、どうでもいいと思っている。
それよりもこいつの言動で俺や周囲に及ぼす影響の方が気がかりだ。
楠はいい意味でも悪い意味でも、学内では有名だ。そんな奴と一緒に登校すればあらぬ噂や、妙な勘繰りをされるのは火を見るよりも明らか。
実際、同じように登校している学生から視線を感じているし、仲良く横に並んで学校へ行けば更にその視線は増えるだろう。
しかし、遠回しに何度拒んでも、そんな毎日がもう半年近く経ち、半ば諦めの感情が芽生え始めている。そして楠も、視線を向ける他の連中もよく飽きないものだと呆れてもいる。
人の噂は七十五日でもなく、最近の若者は飽き性ではない事が、この半年で実証された。
「タカくん聞いてる?」
「ああ、聞いてない」
「なにそれどっち? こっちが一生懸命話題考えて、話振ってあげてるのにさぁ……ふふっ」
楠の話を聞いていない事がバレたようだが、興味のない話にわざわざ耳を傾ける必要性が感じられない。
趣味の最中であれば、興味がなくとも耳を傾け、相槌を打ち、適度に会話のキャッチボールをするが、今はそうではないし、そもそも近しい人間は、趣味の相手にならない。
あいつとそいつが付き合っている、なんてくだらない噂程度なら許容できるが、売りがどうの、身体だけの関係だの、なんて噂が流れれば面倒な事になる。
まあ一人だけ例外がいるが、あいつの口からその事実が出ることは――必ずしもとは言い切れないが――無いし、お互い周囲に悟られないように気を配っている。
それにしても、楠は咎めるような口ぶりとは裏腹にニコニコと笑みを浮かべている。
何がそんなに楽しいのか、見当もつかない――訳でもなく、単に俺とこうして並んで登校する事自体に、楽しさを見出していると理解している。
つまるところ、楠は俺に好意があるのだろう。自惚れでもなんでもなく、半年も共に登校を望み、昼休みには共に食事をとろうとし、挙句に学外でも遊びに誘うのだ。
気まぐれや、単なる学友だけに向ける感情以上のものを持っているのは明らかだろう。
なんて他人事のように言うのは、俺がその好意を受け取る気が無いからだ。
そもそも俺は楠に好意を抱いていない。悪い奴……、かは相手によって変わるが、俺にとっては悪い奴ではないが、それとこれとは話が別になる。
その好意を受け取る事も、強く拒む事もしないのは、単にその好意という感情に、利用価値が生まれるかもしれない、と考えてるからだ。今のところは周りの反応が鬱陶しいという特典しかなく、無駄な不和を生む可能性も最近出てきたので、どうしようかと絶賛思案中である。
「あっ、そう言えば、タカくんって夏休みはどうするの?」
唐突に思いついたかのように、楠が夏の予定を聞いてくる。
どうするもこうするも決まっているので、定型文で返す事にした。
「バイトに明け暮れるんじゃないかな」
「えー、なんか寂しい、灰色の青春って感じ。休みの日とか一緒に海行かない? ここら辺の近くで夏祭りもやるみたいだし、それも行こうよ。そっちの方がじゅーじつした夏休みになりそうじゃん」
「まあ、考えとくよ」
「それって行かないって言ってるのと同じじゃん……」
行く気が無いからな。夏休み中も殆ど趣味にあてるつもりだ。
楠には適当なお友達と、楽しい青春のひと夏を楽しんでいただきたい。
楠の興味のない話を聞きながら、のらりくらりと誘いの言葉を躱していると、
俺が通う『清心高等学校』が見えてきた。
金持ちの親の子供が多く、通わせるだけでもステータスになる高校として有名だが、その分、やはり学費が馬鹿にならない額だったと記憶している。
在学している生徒は、上は奇才、天才、秀才。下は猿に馬鹿に落ちこぼれの、バラエティに富んだ者達がよりどりみどりの楽しい学校だ。
一応、教育内容も多少のレベルはあるが、金さえ払えば進級できると噂に聞いたことがあり、確かにこんな馬鹿でも進級出来るのかと思う奴が、二年や三年にいる。そもそも入学出来たのが奇跡なのではという生徒もいたな。
「タカくん、今日のお昼どーする?」
校門を抜けて、昇降口に差し掛かった時、楠が今日の昼について聞いてくる。主語がはっきりしていない為、一瞬何の事かと思ったが、恐らくは昼飯についてだろう。
特には決めていないが、こいつはどうせ俺にくっついてくる気なので、生徒の視線が少ない学外が良いだろうか。楠のせいで一々、こんな事を考えながら食べる場所を決めないといけないのが面倒になりながらも、学外にするつもりだという事を伝えようとした時――、
「ようアリス! はよー!」
髪をくすんだ金に染め、横を刈り上げてワックスで逆立てた、いわゆるチャラい男子生徒が声を掛けて寄ってくる。
体格も高校生にしてはがっしりとしており、オシャレのつもりなのか、高いだけで品がないアクセサリーをいくつか身に着けている。
確か『西城敦』とか言う名前だったはず。
同じクラスだが関わりは無く、クラスの連中から好かれているのか、よく生徒の中心になっている印象。
「はよ、西城」
「テンション低いなアリス~、そんなんじゃ枯れちまうぞ」
「朝なんだからこんなもんでしょ……」
今朝の俺との会話の焼き回しか、と思える会話が繰り広げられているが、見て分かる通り楠はこの男、西城に苦手意識……いや嫌悪感があるようだ。
まあ見る奴が見れば、その目には下卑た光が宿っている事が分かる。それに、ちょっとしたスキンシップのつもりで身体を触ろうとしている。そこら辺を、楠は本能的に理解しているようだ。
顔立ちは女ウケするくらいには整っているが、楠はお気に召さないらしい。
さて、楠とこの男がくだらない会話をしている隙に、さっさと教室へ向かおうと、歩を進めようとすると突然、腕を組まれた。
「タカくんと話してたんだから、西城は関係ないでしょ」
「いいだろ別に。昼飯くらい一緒に食おうぜ。つか最近『三上』とベッタリ過ぎじゃね? そんな勉強しか能のない奴より、真堂達誘って一緒に飯食った方が楽しいだろ」
どうやら楠が、しつこい西城へのけん制に腕を組んできたようだ。昇降口で面倒な騒ぎを起こさないでくれ。するにしても俺を巻き込むな。
どうするべきか、腕を振り払えば、周りに人がいる状況だと悪評に繋がって目立つ事になりそうだ。かと言ってこのままだとおかしな噂は加速し、西城の俺を睨みつける目も強くなっていく。
本当に面倒だ。何故こんな奴らの為に、俺がここまで考えなければならないのか。
現状に苛立ちが募り始めたところで、楠と西城の口論も加速していく。
「人の勝手じゃない? あたしはこれが楽しいからやってるだけ」
「なんだ、じゃあ三上との噂は本当だって事か?」
「はぁ? なに噂って」
「アリスが三上を金づるにしてるって噂だよ。まあそんくらいしか考えられないよなぁ、こんな冴えない野郎と一緒とか――」
西城の最後の言葉で、明らかに楠の雰囲気が変わったのを感じて、仕方なく腕を組んだまま教室へと歩き始めた。
俺に引っ張られる形になった楠は、返す言葉のタイミングを見失ったので、次第に怒気を治めいった。あのまま楠が怒りを発露させていれば、売り言葉に買い言葉で収拾がつかなくなる。
やはりこの関係には対策が必要だろう。
一番はさっさと楠が俺から離れてくれる事なのだが、残念な事にそんな様子は欠片も見られない。
手っ取り早く、楠を拒否するのが安定か。それもそれで面倒な事になりそうだが、今後を考えればそれが一番労力を払わず、被害も少なさそうだ。面倒な奴らは教師にでも報告すれば、一旦は収束する。
気づかれない程度に後ろを見れば、西城もついてきているようだが、不満気な目つきで俺を睨んでいるのは相変わらずだった。自分が俺よりも優れていると思っているから、楠がまるで自分を相手にせず、俺に構うのを腹立たしく思うのは理解出来るが、醜い嫉妬だな。
まるで中学生の様な、あからさまな感情に内心で嘲笑を浮かべながら歩いていると、耳元で声が聞こえてきた。
「ごめんね、タカくん」
楠が申し訳なさそうに、小声で謝ってくる。一応反省の意思があるようだ。
何に対しての謝罪かは知らないが、悪いと思う気持ちを表現するのは大切なのかもしれない。
「別に、気にしてないよ」
「うん……なら良いんだ」
まあ、この場は楠に免じて、さっさと教室へ向かうとするか。
幸い、昇降口から教室へは近いので、この面倒な現場はそれほど大人数に見られず、教室へと着くことが出来た。
教室内には既に何人かの生徒がおり、それぞれがおもいおもいの話題に勤しんでいたが、楠と西城が入ってくると、二人と仲がいい生徒達が近寄ってくる。
ひとまず腕組みを解いてくれた楠から離れ、自分の席へと座り、バッグから必要な物を取り出していく。
楠や西城は朝の挨拶もまばらに、仲の良い面子と会話に花を咲かせていた。
「おはよう、アリス。今日も三上くんと一緒? 飽きないのね」
「レイちゃんおはよー。まあねぇ」
「おっはー。アリスちゃんって本当に三上が好きだよね。それで付き合ってないんでしょ?」
「もう、おはよナッちゃん。別にいいでしょー……まあ、まだ付き合ってはないけど……」
「よお敦、相変わらずチャラいな」
「てめぇ毎回それだな亮。おめぇも十分チャラいだろうが」
「ウケる、楠に相手されないからって不機嫌なんだけどコイツ」
「うっせーぞ守!」
誰も彼もが、仲のいい奴らと話す中、俺は誰に話しかけるでも話しかけられるでもなく、ただ黙々とスマートフォンを弄る。
今日は中野、明日は榊原、明後日は休みで――と趣味の予定の確認だ。
デートコースやそれぞれの女に合わせた話題を予定表に打ち込んでいく。
そうしている内に、朝のSHRが始まった。
ああ、そういえば楠に昼の予定を伝えてないな、なんてどうでもいい相手の事を考えてしまったのは、あいつに少し毒されたからだろうか。
四限の終わりが近づき、生徒達が空かした腹をどう満たすか考え始めた頃、俺もその例に漏れず、近場の飯屋を思い浮かべて何処にするか悩んでいると。
「な、なんだこれ……?」
「うわっ、なに!?」
周囲がざわつき始めた。その声で強制的に意識を引っ張られ、声が出た方を見ると、教室の中心に細い光の柱のような物が出ていた。
ただの光る棒にも見えるそれは、大きさが教室の床から天井まであり、不思議な現象だった。
しかし、光源が確保されている筈の教室の中でも、あの光の柱は一際輝いており、その光量はどれほどなんだろうか、と考えていると、光の柱は突然広がり始めた。
「ちょ――」
「なんなの――」
「ヤバいって――」
広がる速度は、人が反応できるものではなく、近場の生徒を次々と飲み込んでいく。
もしかしたら、何か爆弾の爆発前兆だったのか、だとしても何故学校なんだろうか、なんて暢気な事を考えながら、俺も光に飲み込まれた。
『またぞろ、くだらぬ事を始めたか。懲りぬ奴らよ』
懐かしい、聞き覚えのある声が、俺の耳に届いた。
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