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トラ トラ トラ!  作者: 悠鬼由宇
3/6

なんと高嶺の花子さんが俺の運命の糸と繋がっちゃてるっぽいのが判明したらしい話

茅野のヤロー。ぜってー許さねえ。

麻布のグランドに着いたら、

「すんません、腹痛くなって…」

って言って、一人で帰りやがった。

日が沈みかけた慶王大学麻布グランドでは、百人近い選手が練習に励んでいる。その人数にまず圧倒されたのだが、しばらく見ているとその練習の質の高さに、トラは口が顎から外れるほど驚くのであった。

指導者は何人いるのだろう、少なくみても五人はいる。それぞれがグループに分かれ、そのレベルに応じた練習を効率よくこなしている。

選手たちもキビキビした動作で練習をこなし、それは蒲田南中のそれとは全く別のスポーツを見ているかの様である。

先程からずっとグランドではなくスマホを眺めていたあかねが、

「メチャ上手い子が三人いるのだって。F WとM FとD Fに一人ずつ。それぞれ、新田、鴨下、横溝って言う人なのだって。」

「ほお」

「ねえ、何このF Wって?」

「フォワード。攻撃的なポジションのこと」

「ふーん。じゃあM Fって?」

「ミッドフィールダー、中盤のポジション。攻撃も守備もこなす。D Fってのは守備。」

「成る程―。なんかラグビーに似てるわ」

「そうなん」

「あ。試合が始まるみたいよ」

照明が点灯し、グランド上では紅白戦が始まる。トラはスマホで動画撮影を始める。


「どう? 偵察しておいて良かったんじゃない?」

全くその通りだった。もし何も知らずに、初見でこの相手と試合をしていたら、それこそラグビーのスコアとなっていたかも知れない。この相手に九人で挑むことを考えると、吐き気がしてくる。

「勝てそうなの?」

「分からん。とにかくこの動画をオッさんに見せなきゃ」

と言って、トラは約二十分の動画を共有ファイルに落とす。そこにあかねから得た情報を付け足し、大きな溜息をつきながらスマホをポケットにしまう。

「お腹空いたわ。ねえ、何か食べてかない? この辺は美味しいお店がいっぱいあるのよ」

「は? オレ金ねーし」

「いいわ。貸してあげる。安心しなさい、法定利息以下でいいわよ。」

「ハア? 女から金なんか借りれるかバーカ」

「はあ? 何その論理。」

「オメーと違ってオレはビンボー人なの。こんな洒落オツなとこで飯食う金なんて持ってねーっつーの」

「そんなことでは彼女出来てもすぐ振られるわよ。男子たるもの常に心と懐に余裕を持って過ごさなければならないのよ」

「…てか、こんなトコで飯食いたがる女とは付き合わねーよ」

「…ふーん」


はー。やっぱチゲーわ、コイツとは生きる世界が。コーヒー一杯八百円の街で飯なんて食えるかっつーの。

やっぱオレにはこんなオンナよりアイツらの方が合ってんだろーな。


「じゃあ、蒲田で食べましょう」

「へ?」

「この辺じゃダメなんでしょ? 地元ならいいんでしょ?」

「ま、まあな」

「じゃ、行こ」

「お、おお」

「言っておくけど」

「な、何?」

「私、別にこの辺で食事したいなんて思ってないから。」

「はい。」

「トラくんと一緒なら何処でもいいから。何なら無人島であなたの取ってきた魚を炭火焼にしたものでも構わないわ」

「…は…い…」

「わかった? その辺のチャラ女と一緒にしないでくださる?」

「承知…」


な、何だこの女…

相変わらず意味不な事ばかり口にして…

オレと一緒ならどこでも?

ざけんなクソビッチ

誰にでもそんなこと言ってんだろが


「それと。もう一つ言っておくけど」

「何だよ。ウゼーな」

「は? 何それ。いい、私誰とでも気軽に食事したりする女じゃないから」

「はあ? オレと飯食おーとしてんじゃん」

「トラくんとだからじゃない。何か不都合でもあるかしら?」

は…へ…?

こ、コイツ何言ってんの…

「あの時。私を助けてくれたわよね?」

「お、おう」

「それでこのあいだ偶然会えたよね?」

「あ、ああ…」

「これってどう考えても運命じゃない? あなたと私は結ばれるべく編まれた運命の糸なのよ、分かるかしら?」

うわ… でたープリンス何ちゃら島の厨二病だわ…

「だから。あなたは私を大切にしなければならないのよ。だって私を救ってくれたのだから。その代わりに私もあなたに尽くすわ。命の限りに尽くすわ。何ならあなたが死ねと言えば死ぬわ。いい?」

なんか論理が破綻してるよーな気がすんだけど…

でも…

「んだよ、それって、オレと付き合うってことか?」

「そんなチャラチャラした軽いものじゃないのよ。私とあなたは運命の糸で結ばれた魂と魂の結びつきなの。彼氏? 彼女? 冗談じゃないわ。もっとずっと神聖なものなの。だから軽々しく言わないで!」

「うんわかった。で、結局何なの俺たち?」

「魂の友。タマ友って感じかしら。」

タマ友って… 猫かよ俺たち…

「よーするに、彼氏彼女の上位互換って感じでいーのな?」

「簡単に言えばそうなるわね。」

「じゃあさ、試合勝ったら、ヤらせてよ!」

「は… 何を?」

「オレ、実はドーテーなんだわー。だからヤらせてよ!」

「ば、ば、馬鹿じゃない? そういうことは式の後にするに決まっているじゃない。ホント常識知らずにも程があるわ。」

「…すんません、式って、何すか?」

「結婚式、に決まっているじゃない!」

「ちょっと、待ていっーーーーー」


やっぱこの女、重度の厨二病だわ…

この年で結婚?

結婚するまでセックスしない?

あかん。凄すぎて、付いていけねえ…

………

チラリと隣のあかねを見る。

トラが今まで見たことのない、清楚さに包まれた美少女がトラを見上げている。その瞳に迷いは微塵もなく、直向きな視線がトラの心を撃ち抜いている。

このブレの無さはお袋に似ている。真っ正直なとこもソックリだ。一つ違うのは、気のある男に真っ直ぐ想いを告げるとこかな。お袋バレバレだっつーの、あのオッさんに惚れてんの。

生まれも育ちも全く違う、階級も全然違うコイツとお袋、意外に気が合うんだよなあ。コイツならあのお袋と上手くやってけそーだなあ。

それより何より。

そこらのアイドルより可憐で、東大王より賢いこの女とオレが。

マジで?


ちょっと震えながら、トラはそっと左手を差し出してみる。

あかねは満足そうに、その震える手を握り締める。

その小さく温かい手から、信じられない程の愛おしさ、優しさが伝わってくる。

この手を、ずっといつまでも…

握っていたい。

試合に勝ってコイツの笑顔を

飽きるまで見ていたい

そのためには、

コイツの大嫌いな暴力、ケンカ

封印だな。永遠に。


そう胸に誓い、あかねを引き摺りながら駅のホームに進んでいくトラだった。


     *     *     *     *     *     *


結局、お金を使うのが勿体ない、というトラの意見を汲み入れ、二人は「スナック あゆみ」で夕食を取ることにする。

二人が店に入ると、練習日でもないのに健太がカウンターでビールを舐めている。

「あれ、オッさん。そー言えば保護者会、どーだったよ?」

「どーもこーもねーよ。フツーにコーチやる事になったわ」

「そっか。良かったなオッさん」

「良かったのはあなたたちでしょう。ホントあなたは自分の立場が分かっていないのね、ちゃんとお願いしなさいよ。それから慶王の動画見て頂かないとでしょ?」

「おお、そーだった。オッさんさ、あのガッコスゲかったわー、ちょっと見てくれよコレ」

頭を振りながら大きく溜息をつくあかね、そしていそいそとカウンターの健太の横に座るトラ。この二人をミキ、健太、そして亜弓の三人が口をポカンと開けながら見ている。

「なーに、トラちゃんとあかねちゃん! あんた達、付き合ってんのお?」

体をビクリと震わせるトラ。満面の笑みを浮かべるあかね。

「ほお。そいつは、そいつは。」

「はは… ははは… ウソでしょ… トラ…」

「きゃあーーー アオハル、アオハルー!」

全身真っ赤になり額から汗を流しながらトラは、

「オッさん、コレ観てくれ。ミキさんうるせーよ。お袋、腹減った!」

「おばさま。私も手伝います。お料理は一通り出来ますので」

「…お母さん、と呼べ…」

「は? では、お母さま。何かお手伝いしましょうか?」

「…たま… たま…」

「はあ?」

「玉葱を… 刻んで… うっうっうっ…」

堪えきれず亜弓が顔を両手で覆う。今度はトラ、あかね、健太、そしてミキが呆然と亜弓を見つめる。

そしてミキがポツリと、

「こんな日がさ、こんなに早く来るなんてー良かったじゃない、ママ」

何だかよく分からないが、悲しみの涙では無さそうだ、トラは少しホッとするのであった。


「これは凄いな… 慶王ってこんなに強かったのか?」

「だな」

「特別凄いヤツはいないけど… チームとして良く纏まってる。これは手強い…」

「だよな。で。勝てそーか?」

「九人じゃムリだ。」

「そっか。じゃあ新入生を使うか?」

「ムリだろ。登録間に合わないんじゃないか?」

「聞いてみる」

トラはスマホを弄り、通話ボタンをタップする。

「もしもし。オレオレ。あのさ、聞きてえ事があんだけどさ」

一体誰に電話しているのだろう。

「オッさんがさ、三試合目の慶王中の試合、九人じゃぜってー勝てないって。だから新入生を使いてーんだけど。登録とかってさ、間に合うのかね? ……うん。……うん、分かった。待ってるわ。じゃ」

スマホを置いて、

「BBAが調べてくれるってさ」

「ババア言うな!」

と言って亜弓が包丁の背でトラの頭を叩く。硬直する健太にトラが頭を抑えながら、

「んで、掛け直すって。いってーな、んだよお袋、BBAの事嫌ってただろーが」

「いーや。アイツは根性入ってる。お前らのこと真剣に考えてる。今時、大したヤツよ」

「…そ、そっか。」

「そーよ。だからババアなんて言ったら殺すぞトラ」

「へいへい。」

「そうよトラくん。永野さんのこともオッさんは駄目でしょ。ちゃんと永野さんとかコーチって呼ばなきゃ。永野さんもこんな中学生にオッさん呼ばわりされたら注意しなければ。大人がちゃんと子供を導かねば日本の将来はどうなりますか?」

ミキがパチパチと拍手しながら、

「ママー、いい子が来たねえ。こんな子がトラちゃんの彼女なんて… てか、トラちゃん、あんた大変ね、こんなしっかりした子が彼女なんて… きゃはは」

一人ウケるミキを無視してトラは、

「っかったよ、ウッセーな。そんじゃー、ケンタ。これでいいだろ」

「ケンタ、さん。目上の人には「さん」を付けなければダメでしょ」

「目上っつってもなあ。酔っ払いのゲロ塗― いってー」

亜弓が再度包丁の背でトラの頭を叩く。

健太は堪らず吹き出す。

「いいんだよ、あかねちゃん。俺はそんな大した人間じゃないし。」

「でも…」

トラのスマホが鳴動する。


「ほーん。そーなん。あ、確かユーキの弟が入ってくるわ。ユージっつーんだけど、街クラブでやってて結構ツエーって。ユーキに言っとくわー。サンキューな。は? 今? ウチだけど。え? そーそー。家の下のスナック。ハア? 今から? マジで? え、ちょ、ちょっ…」

顔を蒼ざめながら電話を切るトラに、

「登録、大丈夫なんだな?」

「だってさ。それより、B…オバはんが今からここ来るって…」

亜弓の顔がパッと明るくなる。

「あら、さっそくねえ」

「は?」

「保護者会の時にね。試合の日にはさ、おにぎる作るからここに取りに来てって言ったのさ。」

「今日、試合じゃねーし」

「いーじゃんか。あの人お酒飲むのかしら」

明様に嫌そうな顔をするトラに健太は

「だよな。先生が家に来るって、結構辛いわな」

「だべ? 上あがろっかなあ」

「ま、いーじゃないか。それよりトラ、小谷の弟、ポジションは?」

「前かな。ちっちぇーけどちょこまかして足はえーんだわ」

「前、な。あと一人。使える子入らないかなあ」

「ユーキに聞いとくわ。」

と言って直ぐにラインで連絡を取る。


健太がトイレに行っている時。あかねが亜弓に、

「お母さま。いいのですか?」

「へ? 何が?」

「上田先生ですよ。ここにいらして。」

「いーじゃん。別に。」

「でも… 永野さん、いますよ…」

「べ、別にいー、カンケーねーし…」

「「「いやいやいや」」」

トラ、ミキ、あかねが首を振る。

「な、何よ、べ、別にアタシ…」

「「「いやいやいや」」」

「はー? チゲーって。何言ってんだよ、永野サン、アタシとは釣り合わねーって。ほれ、上田先生ならお似合いじゃね、ははは…は…」

下を向く亜弓を悲しげな表情で見守る三人。でも確かに彼女の言っていることは強ち間違ってはいないのだ、そこが悲しい。実に悲しい。

無精髭を剃り髪を整えスーツ姿の健太はどう見ても一流企業の人間だ。それに比べ、茶髪で安っぽい服におざなりの化粧のあゆみ。生きてきた世界が、そして生きている世界が違う。

トラは下唇をギュッと噛む。オレと須坂も同じだ。住む世界が違いすぎるんだ。

チラッと隣のあかねを見る。彼女はどう考えているのだろう。日本有数の名門校に通う自分と社会の下層にしがみついているオレ。

あかねがトラと視線を合わせる。そしてキッパリと頷く。

彼女の目が言っているー

関係ないから。そんなことは。

トラは自然に顔が綻ぶのを感じる。

ああ、出逢えて良かった。コイツと巡り合えてホントに良かった。

失いたくない。離したくない。

それにはどうすればいいのか。

いつか、ケンタに聞こう。そうトラが思った時。


「お邪魔しまーす、松本さん」

一美が店に入るとカウンターにトラと健太が、さながら親子のように座っているのが目に入った。そして厨房には亜弓とあかねが母娘のように調理しているのも目に入る。

「せんせ、いらっしゃい。ビールでいいかしら」

ここが松本寅が育った所。ゆっくりと店内を見廻し、一美はトラの横に腰掛ける。

トラは嫌そうな顔で少しスペースを空ける。一美は

「それで。小谷くんは何て?」

「あー、ユージはメチャ喜んでるって、入学早々大会に出れるからな。そんで何人かサッカー部に誘うって。街クラブでやってたヤツ周辺に声かけるってさ。」

「そう。なるべく早く、その子達の名前、住所、電話番号を調べて。できればメールアドレスも。」

「お、おお。承知…」

トラが意外そうな顔を一美に向ける。あれー、このババア、こんなにやる気あったっけ?

「だから言ったろトラ。このせんせは本物だって。アタシらみたいなのにも、ちゃんと人間扱いしてくれる人だって。」

「松本さん、何を言って…」

「まーまーまー。ハイ、よーく冷えてるよお」

ビールジョッキを受け取りながら一美は思いがけずの居心地の良さを感じてしまう。

トラの隣で微笑みを浮かべている健太と目が合い、頬が赤くなるのを感じる。

やっぱり今日の永野さんは素敵だ… どう見ても大企業の役員クラスにしか見えない。日焼けした精悍な顔がダークスーツによく似合っている。無精髭がないと若々しく見える。

うっとりと健太に見惚れる一美を、亜弓は寂しそうな笑顔で見つめている。

そんな亜弓に背を向けてミキは開店の準備に本腰を入れ始める。あかねは見て観ぬふりをしながら調理に没頭する。

トラは母親の恋敵の出現に苦笑いしながら、スマホに没頭する事にする。

そして。そんな周囲の状況に戸惑いつつ、健太は一人ビールのジョッキを傾けることしかできなかった。


     *     *     *     *     *     *


四月に入り、急に気温が上がった気がする。健太は学校へ向かいながら既に汗をかいている。今日から小谷の弟を含めた四人の新一年生が練習に参加するのだ。

リーグ戦の初戦と二回戦は入学式直後の為、彼らを使うことは出来ない。だが三回戦の慶王戦には十分間に合う。

問題は、つい先月まで四号球で八人制サッカーをしていた彼らがどこまで通用するか、に尽きる。今日の練習を見て、あまりに上級生と格差があるならば、諦めるしかない。

だがそうなれば、到底三戦目の慶王中に勝つことなど不可能だろう。

初戦と二戦目の相手の大井三中と番町中は生徒達が撮ってきた動画を見る限り、何とか九人でも互角の試合が出来そうである。だが慶王中相手には九人では相手にならないであろうー

学校に着きグランドに入ると、四人のちっちゃな生徒が二年、三年生に混じって健太を待っていた… ああ… やはり、小さい… これじゃ…

体格差で彼らはまともなプレーが出来ないだろう、何より体の大きな上級生に対し、ビビってしまうであろう。

どうしたものか。そう頭を悩ませ始めた健太の表情が、始まった練習を見ているうちに徐々に変わっていく。

これは…

先ず小谷の弟のユージ。小さい。細い。だが。抜群のテクニックを持っている。止める、蹴るが非常に正確なのだ! そして、素早い! 何というアジリティ…

「お前の弟、やるじゃないか。確か街クラブでやってたって聞いたけど」

「そっす。四年の時、Jクラブの最終まで行ったんすけど、やっぱあの体格で落とされて。メチャ悔しがって、テクニックだけはぜってー奴らに負けたくねーって、毎日アホみたいに練習してるんですよ。今でも」

「それなら部活じゃなく街クラブで続けりゃ良かったのに…」

小谷が微笑みながら、

「だよねー。でも、ユージのヤツ、アイツと一緒にサッカーしてみたかったんですって。だからウチの部活に入ったって」

と言いながら、ユージとロンドを楽しそうにしているトラを指差す。ロンドとは三〜四人が外で中に一人、外がボールを回し中の鬼がボールを取ったら交代、の練習だ。

ユージは健太が見ている間にボールを取られたことは一度もなく、見事なテクニックで上級生を翻弄している。

「アジリティも凄いな…」

「そーなんっすよ。だからホントは中盤やらせたいんっすけど。でも今のウチならー」

「一番前、だな」

「ですかね」

ボールが集まり人が密集する中盤ではやはり体格差がモノを言うので、あまり人が密集しないF Wの方が今のユージの特性を活かせるだろう。


想定外、が起きている、今目の前で…

三年のD Fコータが、新一年生との一対一でチンチンにされているのだ!

言い換えれば、平谷と言う新一年生がコータとの一対一の練習で、コータを子供扱いしているのだ!

最初コータは笑いながら相手していたのだが、全くボールを奪えず途中から顔色を変えてボールを取りにいくのだが、それでも平谷のボールに触れることもできず、最後には強引に体を捻じ入れてファールすれすれでようやくボール奪取することが出来た。

健太はコータを呼び、

「どうだ、あの一年?」

「いや… マジ、スゲーっす。誰アイツ?」

と逆に聞かれてしまう始末。

健太は平谷を呼び、

「いいね。何処でやってたの?」

「えーと、主に人工芝ですかね」

「…何処でって… 何処のチームでやってたの?」

「ああ、そっち? S C東京ですけど」

東京が誇るJクラブである。まさか…

「去年、試合の時三回寝坊して遅刻して… クビになりました。テヘっ」

天然モノだ。天然の超大物だ。

「よし。試合の日にはオレん家に泊めてやる。それなら遅刻はないよな」

「うあわー、コーチ天才っすね。その発想はクラブには無いわー。」

と満面の笑みを見せたものだ。


残りの二人は経験者ながらもやはり中学サッカーについて行くには体格、体力が足りず、試合に使えるのはユージと平谷だけであった。

これで十一人。何とか慶王戦の前半は善戦出来るだろう。だが後半には疲労が溜まり厳しい戦いとなるであろう。

よしんばこのリーグ戦を勝ち抜いても、直ぐに次のリーグ戦が待っている。そのレベルになるととても十一人では戦えないだろう。あと三人は試合で使える選手が必要なのだ。

だが。今は目の前の一戦を見据えるのみ。初戦で負ければそのままなし崩し的に敗退して行くであろう。

幸い、モチベーションは悪くない。特にトラの張り切り方には目を見張るものがある。

信頼できる仲間との最後の戦い。街一番のワルとして恐れられながらも、サッカーを通じて対等に仲間として扱ってくれた仲間への想い。

そして初めての恋。住む世界が違い過ぎると諦めかけたのだが、それはただの逃げであると気付いた。いや、気付かされた。

練習日には何とか都合をつけて練習を観に来るようになり、それが本人も周囲も全く違和感なく溶け込んでいるあかねをチラリと眺め、トラは更にやる気を昂めていく様子だ。

そんなトラを健太は暖かく見守りつつも、ほんの少しの羨ましさがあるのだった。あの人は試合を観に来てくれるだろうかーそう、トラの母親は、試合を…

「永野さん、そろそろ時間です…」

済まなそうな顔で一美が健太に近づいてくる。

「先生、新一年生の登録の件、すぐに対応してくれてありがとう。」

「そんな… それが仕事ですから。それに、何と言っても、あの松本君たってのお願いでしたからね。実はちょっと…、いやかなーり嬉しかったんですよ」

一美は本当に嬉しそうな顔で呟く。健太はその表情に何故か胸が熱くなる。

「だって… あの松本君が、私を頼ってくれた。教師の言うことなど全く聞かないあの子が、この私を… あまりに嬉し過ぎてこないだ顔を見に行っちゃった程です。」

そう言えばこの先生の笑顔を最近よく見るようになったな、健太はふと思った。初対面の頃はムスッとして感じ悪かったのだが、この頃はこの笑顔に時折ドキッとしてしまうー

亜弓のモデルばりの妖艶な美しさに対し、一美は汗が良く似合う爽やかな美しさだ。メガネの似合う知的美人とも言えよう。そう言えば何人かの生徒は、近頃この教師に女性への憧れの視線で眺めている。今日も足のラインが美しいピッチリのジャージ姿に、茅野や木崎は目が釘付けだ。

健太も気が付くと彼女の胸元から目が離せなくなることがある。この豊かな丘に顔を埋めたら… まあ、そんなことを考えている時に限って、

「おいコーチ。次の練習どーするよ!」

とキレ気味のトラの怒鳴り声がするのだが。


練習後、健太は一美から中体連の登録用紙に名前や住所などを記入する為、少し残って欲しいと言われる。トラ達には先に「スナック あゆみ」に行けと伝え、小さな会議室に言われるがままに入って行く。

そう言えば中学校の校舎に入るなんて何年ぶりだろう、克哉の学校以来かな、などと考えていると一美が数枚の紙を持ち入ってくる。

「えっと、ここと、ここに記入をお願いします、それからー」

健太の隣に座り、登録用紙を健太の前に差し出す。

「あ、ボールペン! これ使ってください」

と持っていたボールペンを健太に渡す。その時に一美と健太の指が触れる。ピンク色の電流が指先から脳に流れ、健太と一美は大きくビクッと体を退け反らせる。

「す、すみません…」

「こ、こちらこそ…」

そんな二人を中二の女子三人組が呆れながらドアの外から覗いている。

「何アレ… ガキかよ…」

「うーん、とても大人とは思えない…」

「ちょっとエッチな展開を期待してたウチらが間違ってたわ。」

「それなー、絶対なんかあると思ったけどー」

「んー、でも、あれれれ…」

外の三人には全く気づいていない中の二人は、お互いに既に心拍数MAXであり、健太は何とか早くここを出たい、そう考えていた。だが一美は、

『やっと、二人きりになれた… 今こそ、この想いを告げなければ!』

そう、一美は健太に自分の想いを告げようとしていたのだ。初めて会った時は冴えない中年男と思っていたが、先日の保護者会での健太の勇姿にすっかり参ってしまったのだ。

なんて男らしい… 流石バブル世代、やるときは派手にやる。あの行動力にあの日から完全に心を奪われてしまった。そうなると行動が早いのはアラフォー独女の特権だ。一刻も早く想いを告げて、大会が終わったら正式に付き合ってもらおう!

因みに、この年にしてはあまりに恋愛経験が少なく、健太と亜弓の関係は全く目に入っていなかった。

「永野さん、お話があります!」

(キター、マジマジ?)

(えええ、言っちゃう? 行っちゃう?)

(これガチじゃん! どーが、動画、はよ!)

外から動画撮影されていることにも気づかず一美は突き進む。

「え、何?」

健太は登録申請書を書き終えて一美に向き直る。近い。顔が、近い。一瞬にして健太の顔は紅潮し、一〇センチほど身を逸らす。

(うおおおおー、かずみん積極的やん!)

(こ、これはまさか、行くとこまで行くのではー)

(ハアハア、行く、のか、ハアハア…)

「永野さん、」

一美が健太の両手を握る。健太は完全硬直する。死後硬直ならぬ、生前硬直とも呼ばれる。

「私、」

(よ、よし、行けー)

(行けー、かずみん、今だけおーえんするっ、行けー)

(この動画、100万回視聴間違いなしっ!)

「永野さんの事、」

ゴクリと健太は唾を飲み込む。

(キターーーー!)

(ちょ、押すなし!)

(うわ、うわ、押すなって、あああああ)

ガッターン!

会議室のドアが大きく開かれ、三人娘のもえ、キョン、りんりんが会議室に雪崩れ込む。

「痛ってー」

「マジー、痛いー」

「うわ、スマホ、スマホやば、落としたー」


「あなた達! 何をしているの!」


「「「「すいません!」」」」

何故か健太も謝ってしまう。


     *     *     *     *     *     *


「スナック あゆみ」からの帰り道。電車に乗って自宅のある新丸子の駅を降りる。駅前のコンビニで明日の朝食を買込む。そう言えばこの数週間、厳密に言えばトラと出会ってからこの方、ここで酒を買ってないな。

自宅のマンションのエントランスを入り、郵便受けを探るが特に大切な知らせは入っていない。エレベーターに乗り、四階で降りる。部屋の鍵をバックから取り出し、鍵を開ける。

そう言えば最近は部屋が酒臭くなくなったな。

バックから指導時に来ていたジャージを取り出し洗濯機に放り込む。ベランダに干しておいた洗濯物を取り込み、リビングのソファーの上に放り投げ、T Vをつけて何となく眺めながら洗濯物を畳む。

そして。ふと思いを馳せる。

こんな風にキチンとした生活をしているのは、離婚してから初めてなのではないだろうか。部屋を見渡す。こないだまで散らかし放題だったのだが、今はそこそこ清潔感溢れる居住空間となっている。

親子三人で過ごした約二十年間を振り返る。仕事に忙しく克哉に構ってやったことは数えるほどしか無い。河原でボールを一緒に蹴ったことも、数回しかないだろう。そんな親を彼はどう思っているのだろうか。

そしてそんな親が縁もゆかりもない中学生のコーチをすると知ったら、何と言うだろう。

克哉の連絡先は、知らない。渡していたスマホは良子が解約した。良子に連絡すれば教えてくれるかも知れない…いや。絶対それは無いな。

それに。克哉とは離婚までの数年間、殆ど口をきいていなかった。サッカーの試合も中学生以降一度も観に行かなかった。

ましてや家族旅行なんて… 旅行どころか、三人で食事に行ったのは克哉が小学生の頃なのでは…

そんな克哉と話がしたくなった。虫のいい話なのだが、あの頃のことを謝りたかった。そして今後は大学のサッカー部の試合を観に行っても良いか、尋ねたかった。

…何故今更こんな思いに囚われてしまうのだろう。それはトラの存在が影響しているのは間違いない。トラを見ていると、何故俺はあの時克哉の話をきいてやらなかったのだろう、何故克哉の試合を見に行こうとしなかったのだろう、どうして一緒に飯ぐらい食べなかったのだろう… そう自分を苛んでしまうのだ。

今俺がトラにしてやっていることの、ほんの一部でも、どうして克哉にしてやれなかったのだろう。

深い溜息を吐き出すが、重く苦しい後悔の念は胸中から吐き出される事は無かった。


風呂から上がると、スマホにメッセージの着信が有った。

時計を見ると十時過ぎ。誰からかと見てみると、トラからだった。

『新一年、使えそうだね』

シンプルながら、嬉しそうなトラのメッセージに健太の頬が緩む。

『十分使えるな。ただし、上のリーグ戦に勝ち上がったら十一人では厳しいぞ』

買っておいた麦茶をグラスに注ぎ、一気に飲み込む。

『それなー。どうしたもんだか。』

『二年生や三年生でサッカーやってる奴いないのか?』

グラスに麦茶を再度注ぎ込む。

『いるけど…街クラブでやってるから部活はダメじゃないかな』

メッセージだと普通の言葉遣いが出来るんだコイツ。声を立てて笑ってしまう。

『上田先生に確認してみるといいよ。それと部活の試合出てもいいか、本人にきいてみないと、な』

『それは大丈夫。いう事聞かなければ、脅す(絵文字)』

『それはちょっと(笑)』

『うそうそ。もうそういう事はしないって決めたし』

『ほう。それは殊勝な事で。何故?』

『須坂がそういうのキライだから。ケンカももうしない。』

健太は声を立てて驚く。そうか。コイツ…

『いいね。いいよ。それで、いい。流石トラだ。』

『流石ってなに? 意味不 草』

『草って何だよ? 意味不』

本当に『草』って何だろう。全く意味がわからない。

それにしても、中学生と深夜にメッセージ交換とは… 克哉とこんな事は一度も無かったな…

今更ながら、克哉との失った時間を健太は激しく後悔するのだった。

『それよりさあ、上田とケンタ、何かいい感じじゃね? お袋激怒しそーなくらいに(絵文字)』

胸の鼓動が早まる。え? どうして激怒するの?

『何で亜弓さんが激怒するんだよ?』

『それはー 内緒 草』

『だからー 何だよ 草 って?』

『笑える、って意味。』

『ほう。それが何故、草???』

『あんまお袋の前で上田とイチャつくなよ(絵文字)』

『ちょっと待て。何で亜弓さんが激怒するんだよ? 内緒って何だよ、ちゃんとおしえてくれよ、頼むよ』

『おやすみー(絵文字)』(スタンプ)


スマホを放り投げる。トラの言葉に頭が混乱してしまう。

今夜は眠れないかもしれない…


     *     *     *     *     *     *


入学式は明日だそうだ。試合は今週末の土曜に初戦の大井三中戦、そして日曜に番町中戦が控えている。

部活は明後日までない。今日明日は久しぶりに一人のんびりだ。

最近、完全に朝型の生活に戻っているーそう、営業部にいた頃のように。起きてすぐに洗濯機を回す。窓を開け、掃除機をかける。窓から見える多摩川の緩やかな流れが気持ちいい。

洗濯機から洗濯物を取り出し、テラスで干す。近所の学校に向かう生徒の群れを上から見下ろす。

今日は天気が良いから午後には全部乾くだろう。そう言えば最近のスポーツウエアはコットン素材でないからすぐ乾くのが良いな。

そうだ、あいつらユニフォームはちゃんと用意してるんだろうな。後でトラか上田先生に確認しなければ。

そう思いテラスからリビングに戻り、スマホを手に取ると、

亜弓からメッセージが来ていた。


『おはよー(絵文字)今日これから横浜に用事で行くんだけどー 暇なら一緒行かない(絵文字)』

顔がニヤけてしまう。これは朝から嬉しい話ではないか。

『おはよう。用事って何かな? 買い物とか?』

『亡くなった旦那の墓参り。トラが永野さんも誘おうって。どうかな(絵文字)』

ニヤけがそのまま引き吊った表情となる。

亡くなったご主人の墓参り。それを俺が一緒に…

一緒に行って良いものなんだろうか、考えを巡らせていると、

『ゴメン、無理かな?』

と弱気なメッセージが届く。

『逆に一緒に行って良いの?』

『全然。むしろ、嬉しいかも。三人で中華街でランチしよーよ(絵文字)』

『わかった、一緒に行こうか。何処で待ち合わせようか?』

『私が車出しますので、家まで来てください』

車持っているんだ。知らなかった。

健太は慌てて洗面所に向かい、顔を入念に洗い始める。


「おせーよケンタ、腹へったよオレ」

図体はデカいくせに小学生のような言いっぷりに吹き出しながら、

「悪い悪い。遅くなって」

「てか。何そのカッコ。はあ?」

「お前こそ何だその格好は、ちゃんとした格好に着替えてこい。墓参りなんだろ?」

「お、おお…」

と言っても、トラにはそれ以上の服などないのだが。

「あははー。さすが永野サン、元エリートサラリーマン。ちゃんとしてるよねえ」

店の鍵を閉めながら亜弓が笑う。

白のタートルネックに細身のジーンズ、カーキのパーカーとカジュアルな出立なのだが… 通りすがりの若者が口笛を鳴らす。その姿はファッション雑誌を切り取った姿そのものである。

健太が呆然と立ち尽くしていると、

「ちょ、そんなジロジロ見ないでしょ…」

「す、すまん… でも、まるでモデルみたいだ…」

「や、やめてよそんな…」

お互いに赤面しながら呟き合う。

「おーい、さっさと行くぞお。腹減ったー」

とトラが騒ぎ立てねばいつ迄続いていたのかー


亜弓の運転する黒のワンボックスカーは、軽快に第二京浜を進む。と言うよりは、豪快に先行車を追い抜かしていく…

オイオイ、これは一歩間違えれば再来年あたりに話題となる『煽り運転』に該当するのでは、などと思いながらアシストグリップを握る手は汗が滲んでいる。

恐怖心を逸らすために、気になっていた事を亜弓に尋ねる。

「旦那さんのお墓、横浜って事は出身が横浜だったの?」

「ううん。ウチらさあ、ハマに憧れっつーか何と言うか… 昔からハマが大好きなんだー。どっか遊び行くのも渋谷、新宿とかじゃなくって、ハマ。」

「へーー」

「それと。旦那が事故ったトコも、ハマだったんだ。」

「ああ、それで…」

「うん。お義父さんは元々いなくて、お義母さんは行方分からなくて。弟のシンはそん時関西で、あとは任せるわって。だから、ハマでお墓探して。そんで毎月こーして二人で墓参りしてんの。先月までコイツがネンショー入ってやがったからアタシ一人で行ってたんだけどさ」

「仕方ねーだろ。てかさ、マジでいーのかよ、ケンタ連れてって。オヤジ、怒り狂うんじゃね?」

「は? お前が俺を是非にって…」

「わーわーわー そ、それよかさ、旦那の親って笑えるっしょ? 長男の名前がケンシロウ、次男がシンってー」

「あれ…それって。まさか、あの有名な…」

「大昔の漫画だろー、知らねーわオレ」

「でしょー、初めて聞いた時、爆笑したよお」

あゆみが何とか話題の切り替えに成功する。

それに気づかぬ健太は

「ところで、トラの名前はやっぱりあの…」

「そーなの。旦那があの映画大好きだったの」

「大昔の映画なー。アレいーよなー。柴又って行ってみてーわ」

「「行ってくれば良いじゃん、あの子と」」

「ば、バーカ、アイツがあんなトコ行きたがるわけねーだろ」

それ以後、到着まで大人しくするトラなのである。


お墓は樹木葬にしたと言う。その霊園から本牧の港が一望でき、春の日差しが三人を温かく包んでいる。

お骨を納めたソメイヨシノの樹に向かい、二人は手を合わせる。少し離れて健太もそっと手を合わせる。


はじめまして。永野健太と申します。

何の御縁かわかりませんが今

息子の寅君とサッカーをしています。

そして

奥様と仲良くさせていただいています。

寅君は親思い、仲間思いの素晴らしい少年だと感服しています。

奥様も子供思い、亡きご主人思いの素晴らしい女性だと思います。

こんな私ですが

暫くの間お二人と

一緒に居させていただきたいと思います。

どうか暖かく見守っていただけますよう、

よろしくお願いいたします。


「ケンタ、なげーよ。行くぞっ」

トラが馴れ馴れしく健太の後頭部を軽くはたき、そのまま健太の肩に手を乗せる。

肩に感じるトラの掌の温かさが、健太の心に染み入ってくる。

改めて納骨されたソメイヨシノを眺める。満開から数日過ぎて葉桜が垣間見れる。その樹の向こうに本牧の港が遠く眺められる。

正直、良子と克哉とで墓参りなぞしたことがない。そんな話すら持ち上がらなかった。

肩に手を乗せたままのトラを見る。葉桜をボーッと眺める亜弓を見る。

これが家族、なのだ。そして本来ここにいるのは…

不意に涙がこみ上げてくる。


ケンシロウさん。本当はあなたが

この掌の温もりに癒されるはずだった。

さぞや辛かったでしょう さぞや悔しかったでしょう

この温もりを感じることが出来なくなったことが

それにこのトラも

本来あなたが与える温もりを今まで…


気が付くと健太はトラを抱きしめていた。

自分より数センチ背が高く自分よりも筋肉質のトラをしっかりと抱き締めていた。

トラは体を硬直させ、何だよよせよウゼーよと呟くのだが、健太の抱擁に身を委ねたままである。

そんな二人をはじめは目を見開き見ていた亜弓も、知らず瞳から一雫の涙がこぼれ落ちる。二人に見られまいと空を見上げると、青い空にコントレールをたなびかせながら飛行機が高くゆっくりと流れて行く。


     *     *     *     *     *     *


「よし、ケンタ! 三人ゲット!」

春休みながら平日の中華街は観光客と修学旅行生でそこそこに混んでいる。亜弓の馴染みの店だという老舗の店に入り、注文を済ませる。

「早いな、それによく集めたな」

「まあな。このショーゴとキムがスマホ持ってねーから、ラインで連絡出来ねーのが面倒くせーんだけどな」

「そう言えばお前ら今時の中学生って、みんなスマホ持ってるのか?」

「いや。持ってんの半分だろ。ケータイ持ってねーのが二人いるし」

「…今時?」

「ケータイ代払えねえんだわ」

「……」

「何ならオレもスマホゲットしたの、先週だし。お袋が出所祝いで」

「亜弓ちゃん… ヤクザ映画見過ぎだろ」

「まーねー」

「それよりトラ。大会で使うユニフォーム、有るのか?」

トラが溜息をつきながら、

「それな。毎年それで揉めんだわ」

トラの話によると、毎年ホーム・アウェーの二着を揃えなければならない。それが無ければ六月の全国中学校大会の予選に出場出来ない。何年かに一度は経済的な理由でユニフォームを揃えることのできない家庭が多くて予選にエントリー出来ない年もあると言う。

「実は、今年もサワんとこと大町んとこがヤバいかも、なんだよ」

健太はゴクリと唾を飲み込み、

「親の失業とかか?」

「サワのとこは親父いなくて、お袋さんがこの数ヶ月病気で入院中。大町んとこは、そう、親父さんが先月リストラされて家でゴロゴロしてんだってよ」

かく言う健太も自宅謹慎中の身の上なのだが。

「ユニフォームってよ、パンツとストッキングも別に揃えるだろ。合わせりゃ二万以上かかるんだって。」

亜弓の顔が引き攣る。

「確かにな。それにサワなんてあのスパイク… 穴空いてるし、裏はツルツルになってるしな」

健太は生徒の何人かは試合に適さないスパイクで練習に臨んでいることを知っている。でもそれを健太がどうこう言うことが出来ない事情が彼等にはあるのだ。

「こう考えるとよ、やっぱサッカーって金持ちのスポーツって思うんだわ。オレらビンボー人は試合すら出させてくんねーって。」

亜弓が深く頷く。そして、

「でもなトラ。そんな中でも上田先生は何とかアンタらを応援しよーと頑張ってんだぞ。こないだの保護者会でな、部費を値下げしますってよ。それも、もし困難なら出世払いでいいってよ。今時こんなセンコーいるか? いねーだろ」

トラはビックリした顔で、

「マジで? そーなの? うそだろ… あのばb… オバはん…」

「だよな、今時珍しい真っ直ぐでいい先生だ。眼鏡外すと意外にかわいっー痛ってー」

トラが強めの突きを健太の脇腹に入れる。健太が咽せながら何事かと視線を向けると、

「あー腹へった、オッチャンまだかよおー」

と大声で厨房に声をかける。


「オマエ、ネンショー行ってたんだってなコラ。お袋さん心配させんじゃねーぞボケ」

厨房から直々に皿を持ち大将がテーブルにやって来る。

「仕方ねーだろ。リベンジ決めてるときにマッポが邪魔すんだからよ。」

「ああ、マッポ締めたのか、そんなら許す」

「でもねジャン、その相手が県警の、あのギョーザだったんだわ、ウケるっしょ?」

と亜弓が大笑いしながら言うと、

「えええ? あの餃子耳の… アイツを熨したのかトラ… アイツ、確か柔道五段でオリンピック強化選手だったろ…」

「そーそー。少年課でアタシらよく世話になった安曇ってオヤジ。それをトラが一撃で蹴り倒したんだってさ」

「そーか。そーかトラ。よくやった。アイツはオレらの天敵だったからなあ」

大将が言うほど憎しげな感じではなく、懐かしげに天井を見上げる。

「ギョーザの奴、アタシんこと覚えてたよ。マジビビったー」

「ははは、蒲田の『テポドンあゆみ』はハマでも恐れられてたからなあ」

「それやめろ… 恥ず過ぎる…」

亜弓はチラッと健太を見る。健太は大将の巨躯と豪快な話し声に圧倒されながら硬直している。

「タイショーもよ、ハマ最狂の『切り裂きジャン』って呼ばれてたんだろー ウケる」

トラが既に箸を突きながら突っ込む。

「…確かに恥ずかしいな、この年になると。あゆみ、もうよそう…」

「そ、そーしよう」

「さ、食ってけ。トラ、お替り幾らでもしてけや」

「あざーっす」

ジャン大将は去り際に健太の耳元で、そっと親指を立てながら

「で。アンタ、亜弓のコレか?」

「いえ…ただの友人…」

「ふーん。ま、ゆっくりしてってくださいよ」

プイっと背を向けて厨房に戻って行く姿を見届けて、健太は恐る恐る箸を持ち上げる。


「どう、中々美味しかったでしょ」

「うん、ちょっとビックリ。食べログとかに出てないのに、凄く美味かったよ」

「そ。大将そーゆーの大嫌いなんだって」

「はは、何となく分かる…」

帰りの国道一号線をノンビリと戻りながら健太は膨れた腹を摩っている。後部座席ではトラが気持ちよさそうに寝息を立てている。

亜弓がポツリと、

「コレが、したかったの」

と呟く。

「旦那とトラと三人でさ、ドライブして。そんでこーやって昔の仲間んトコ行って馬鹿話しながら美味いもんつついて。」

「そっか…」

「永野サントコは… 昔はこんな感じだったんじゃない?」

健太は俯きながら、

「いや。家族で出かけた事は、殆どない。こんな風に墓参りしたり外食したりなんて、克哉がほんの小さな頃に数回しか…」

「そっか。ま、色々だね」

亜弓の消え入りそうな呟きに溜息で返事をする。

「何なんだろうな、家族って。両親が健在でも旅行一つしない家族もあれば、君達みたいに親子二人でもこうして楽しくやっている家族もあるし。」

「でも… でもね、トラも… 私も…」

「……」

「やっぱ、寂しいんだよね… 父親が… 夫がいないってコト…」

「亜弓ちゃん…」

「だからね、今日はアタシら、メチャクチャ楽しかったんだ。初めてだから、三人で出掛けて、飯食って、昔の仲間とワイワイやって… そんで…」

「……」

「こーやって家に帰るってーのが…」

語尾が鼻を啜る音で聞き取れなかった。健太も今日ほど家族というものが暖かく癒されるものだとは知らなかった。

頬をピンク色に染めて嬉しそうにハンドルを握るあゆみを眺め、健太も最高に幸せな気持ちになると同時に、良子や克哉とこの思いを持てなかった自分の半生に激しく後悔と慚愧の念に駆られるのだった。

良子、すまん。克哉、許してくれ。

全てオレがいけなかった。仕事を理由にお前らを省みることが出来なかった。

健太はそっと目を閉じる。瞼に浮かぶ良子と克哉。どれだけ反省してももう二度とやり直せない。本当にすまなかった。健太は生まれて初めて、心から自省した。 


そして。ゆっくり目を開け、隣を見る。

心がかつてない程に軽く、そして暖かくなっていく。後ろを振り返り、口を開けて寝息を立てているトラを見る。この暖かさを注ぎ込みたくなる。

あの日、須坂が言った言葉、

『どうして自分を省みないんだ! 永野』

と言う叫び声が蘇る。

今やっと、須坂の思いが健太に届いた気がする。

そうなのだ、どうして自分は己を省みなかったのだろう。自分の仕事ぶりを反省しなかったのだろう。自分の家族に対する考えを改めようとしなかったのだろう。

須坂とは同期入社で同じ運動部。互いに引退するまで部の垣根を越え、認め合った仲であった。それぞれ出世を重ね、健太が営業部長、須坂が人事部長に収まった頃には新人部長同志、新橋あたりで良く杯を交わし会社の将来を語り合ったものだった。

だがー時世を省みず、ハラスメントの重要性を軽んじた健太はどん底に落ち、一方の須崎は次は執行役員の筆頭、と噂されている。

須坂からは何度もそれとなく注意されてきたーパワハラには気を付けろよ、と。

そしてー


半生を省みた健太は、生まれ変わったように心が軽くなっているのを感じる。

夕暮れが近づき、街の色が淡くなっていく。

丁度多摩川を渡る時、川面に映る夕陽が健太の目に入る。

やり直したい

もう一度、やり直したい、家族というものを

この隣の女性と

後ろの少年と

叶わぬ思いについ苦笑いをしてしまう。

「どーしたの永野サン。あ、夕ご飯食べてくよね?」

でも、叶わぬ夢を見るのは自由だ。叶わぬ夢を追うのも自由だ。

「ありがと。是非」

後ろを振り返るといつの間にか目覚めてスマホを弄っているトラと目が合う。戯けたように白目を向くトラに、優しく微笑みかけた時、車は家に到着した。


     *     *     *     *     *     *


大田区立蒲田南中学校の入学式が恙無く終わった、その昼過ぎ。健太のスマホが鳴動する。

『ユニフォームの件で相談があります。この後時間はあるでしょうか』

一美からのメッセージである。

健太は一美と何度かメッセージのやり取りをし、三時にJ R蒲田駅近くの喫茶店で待ち合わせをすることになる。

生憎の雨模様の中、傘をさして家を出て、東急多摩川線で蒲田駅に到着し、約束の喫茶店へ入ると既に一美は席についており、一心にスマホを眺めていた。

「ごめんね、遅くなって」

「いえ、私が早く来過ぎました」

最高の笑顔で健太に笑いかける。

健太は胸の鼓動が早くなり、赤面するのを感じる。

不思議なことに、上田先生は会うごとに綺麗になっていく。

学生時代、あまり学業に精を出さなかったせいもあるが、健太は学校の先生が元来苦手である。在学中も、卒業後も、そしてこうして社会人になってさえも。

なので初めて一美と会ったころは本当に彼女が苦手だった。だが一美がトラと打ち解けていくに従い、健太も少しずつ一美の魅力に気づき始め、今やこうして近くで対面するだけでドキマギしてしまう。


一美も保護者会以来、すっかり健太に夢中であり、今日も別に会って打ち合わせる用事ではないのだが、わざわざ健太を呼び出して、今日こそは想いを伝えよう、そう意気込んでいるのである。

偶々午前中に入学式があったので、スーツ姿である。また、健太がメガネを外した上田先生は中々良い、と言ったことを三人娘達から聞き出していたので、今日からメガネをやめてコンタクトにしたのだ。

その効果は抜群のようだ、健太は一美の顔から目が離せなくなっているー

「それで、ユニフォームの件だけど、どうなったのかな?」

と一応今日の用事に即した質問をするのだが実は上の空で、メガネを外すとよく見える潤んだ大きな瞳の虜となっている。

(おっしゃ、かずみん。出だし好調じゃね?)

(オッちゃん、ガン見してるわー、いーねー)

(今日こそ行くとこまで行っちゃえよお、かずみん)

二人から外れた席で今日も大人の恋に胸キュンなもえ、キョン、りんりん達である。


「ビックリしました、正副二着をフルセットで揃えるなんて…」

「それと。何人かは今履いているスパイクじゃ試合に出られないんだ」

「そ、そうなんですか…」

「うん。ユニフォーム二セットに新しいスパイク。全部で四〜五万円はかかるよね」

「…そうですね… 部費で補填できればいいのですが… 部費は大会参加費と試合球の購入で既にないんです」

「うーーん、なんかいい手はないかな。そうだ、ユニフォームは何処で作っているの?」

「ずっと前から納入してもらっている地元の業者なんです。そこに見積もり出してもらって…」

「そうかー。ちょっと待ってて。」

健太は立ち上がり、喫茶店の外に出て電話をかける。

カッコイイ! 今の一連の仕草なんて出来る男、って感じ!

一美は健太の後ろ姿に惚れ惚れとしてしまう。

(目がハートになってるし)

(ま、確かに今日のオッちゃん、ちょっとアリかも)

(それな。最近ちょっとオッちゃん臭くない、かもー)

暫くして一美の元に戻り、

「今、会社のサッカー関係者に聞いたんだけど。そいつの口利きで川崎の業者が殆ど儲けなしで見積もり出してくれるかもって」

凄い。コレぞ一流のオトコ…

一美がこれまで見てきた男達は、仕事に息詰まると

①諦める

②逃げる

③他人に振る

のどれかであった。本当にロクな男達に恵まれなかったものだ。

だが、この人は違う。今もどこか目が活き活きとして、何か困難を楽しんですらいる様子なのだ。一美の周りに今までこんな男は居なかった。

「それでさ、サンプルを見せてくれるって言うんだけど、これから時間あるk―」

「あります!」

「お、おお。じ、じゃあ行こうか」

店内に響き渡る声に圧倒されながら、健太は立ち上がる。

そしてゆっくりと三人娘の元に歩いて行き、

「聞いたよ。正式にマネージャーになったんだってな」

と優しく微笑みかける。

「うわ… あ、ハイ」

「マジか… え、ハイ」

「バレてた… まあ、ハイ」

「これから宜しくな。早速なんだけど、これからユニフォームのサンプルを見に行くんだ。一緒に付き合ってくれないかな」

「「「ハーイ!」」」


一美には三人娘の同伴がちょっと不満だった。だが仕方ない。今健太の目は出来る仕事人の目なのだから。

健太はJ R蒲田駅から電車に乗り、川崎駅で降りる。お洒落な駅ビルのエレベーターで上に上がり、あるオフィスの扉を開く。

「ちょ、ちょっと、ココって…」

「あれ、もえちゃん、知ってるの?」

「そ、そりゃアタシらサッカーファンだから… うわ…」

「ははは。そう言えば三人ともサッカー詳しいもんな」

「て、てかココって… あの…」

三人娘が驚愕で固まっている横で一美は一人ポカンとしながら室内を見廻し、

「へー、ここが川崎フロンティア、っていう納入業者さんなんですね、なんだか明るくてお洒落ですねー」

「「「納入… 業者あー?」」」

「ええ。だって、ほらそこにお洒落なユニフォームが飾ってあるじゃない。あとポスターもこんなにいっぱい。」

「「「ハアー?」」」

「それにしてもここのユニフォームはお洒落ねえ、バレーとは全然違うわ。」

「はは、はは… いや先生、ここは…」

その時、一人のジャージを上着がわりにした男が入ってくる。見るからに元サッカー選手だ。三人娘の一人、キョンが一眼見て悲鳴を上げる!

「飯田GM! きゃあーイケメン!」

飯田は彼女をチラッと見て微笑み、そして健太に向き直り、

「お久しぶりです、ケンタさん」

「拓也、元気そうだな」

「ちぃ、ちょっとオッちゃん、こ、これどゆこと? あの川崎フロンティアのレジェンド、そして今やJリーグ界きっての凄腕GMの飯田拓也と知り合いって!」

「ああ、コイツはまだJに上がる前のJFL玉川電機サッカー部時代の後輩なんだ。」

「マジすか… えええ? じゃあオッちゃんって、ホントに昔…」

飯田はキョンに、

「あれ、知らなかった? そうだ、こっちにおいで。ケンタさんも。懐かしいモン見せますよ」

オフィスの奥には応接間があり、そこの壁にちょっと古ぼけた集合写真が飾ってある。飯田はその写真の中央を指差して、

「これ。誰だかわかる?」

三人娘、そして一美が写真を覗き込む。嘗てJリーグで活躍した面々に混ざり、その中央でキャプテンマークを巻いているのがー

「「「お、オッちゃん!」」」

「永野さん!」

飯田は懐かしそうな目で、

「そう。僕らがJに上がる前年までキャプテンとしてチームを引っ張ってきて、そしてJ昇格を僕らにもたらした、偉大なる大先輩が、この永野健太なんだよ。」


「マジ、知りませんでしたー、オッちゃ… 永野サンがそんなスゲー人だったなんて…」

キョンが夢見る瞳で飯田に話す。

「だって、あの元日本代表の名ボランチ、ワールドカップ二回出場、コーチ、監督を経てGMとして就任早々に去年の天皇杯制覇の、あの飯田さんが… 永野サンの後輩…」

飯田はやや引きながら、

「よ、よく知ってる… そう、ケンタさんはね、怪我が多くって。代表合宿に呼ばれるんだけれど、全部怪我で参加できなくって。僕はその代わりに行っただけなんだよ。」

キョンはうっとりとした目で、

「うわ… なんて謙虚… マジ神…」

苦笑いをした後、飯田は健太に向き直る。

「それにしても、ケンタさんが中学の部活の指導をしているなんて。営業部の頃は忙しくてサッカーどころじゃねえって、僕らのコーチ就任の要請を全部断ってたくせにー」

キョンは目を剥いて、

「マジで? 永野サンが、フロンティアのコーチ…」

「うん。ケンタさんは教えるの上手いからねえ、それにサッカーをよく知ってる。僕もケンタさんにどれだけ教わったか。今でも感謝しきれないほどにね」

驚愕の表情のもえとりんりんが、

「マジすか… でも、確かに…」

「うん、ウチの奴ら、あっという間に上手くなったわ…」

「だよねだよね、そーだよね」

飯田の目がキラリと光り、

「やっぱり? どこの中学なの?」

「蒲田南中っす」

「蒲田って、ああ、大田区の。へー。今度試合観に行こうかな」

「ま、ま、マジすかっ? あの飯田GMが!」

「だって、ケンタさんが引き受けたってことは、面白い子がいるってことでしょ?」

「「「トラ、かあー」」」

三人娘の輪唱に、

「トラ?」

飯田が怪訝そうな顔をする。

「そーなんっす。ウチらの地元じゃ一番のワルなんっすけどー」

「先月までちょっとネンショーに入ってたんっすけどー」

飯田の顔が一瞬にして曇る。それを見たキョンが、

「でも、サッカーは本物っす。いわゆるサッカーI Qがメチャ高いっす。あと多分。俯瞰、してるっす、プレー中に」

「へえ… 俯瞰、ね…」

飯田の目が鋭く光り、健太の方を向く。健太は軽く頷く。

「それは、絶対観に行こうかな。」

「「「きゃーーー」」」


皆の話を殆ど理解できなくてキョトンとしていた一美に向かい、飯田が

「ああ、それとー、上田先生? ちょっとこちらに。」

一美は席を立ち、飯田の後を追ってオフィスの倉庫部屋に歩き出す。二人は部屋に入り、飯田が部屋の電気を点灯させると、部屋の中には幾つか段ボールが積まれている。そのうちの一つを飯田は指差しながら、

「丁度、うちのユースがユニフォーム新しくしたんですよ。それで前のユニフォームが一式余っていて。これ胸にチーム名入れれば十分使えませんか?」

と言いながらガムテープを丁寧に剥がし、その中の一枚を広げて見せる。一美はメガネの奥の目を大きく見開いて、

「ええ! 充分に使えます! はいっ!」

「よかった。ホームとアウェー、両方ありますから。どうぞ、持っていってください」

一美は目を伏せ、呟くように、

「そんな… あの、お幾らでしょう… お見積もりを…」

「ああ、差し上げます。勿論、タダで」

飯田はウインクしながらニッコリ笑う。一美はかけている眼鏡よりも大きく目を見開き、

「本当ですか! 実はとっても助かります! ウチの学校の子、スパイクやユニフォームを買うことのできない家庭の子もいるんです、なので、すっごく助かります!」

飯田は和美の耳元で、

「その代わり。いつでもいいので、二人で飲みに行きません?」

一美は一瞬ギョッとした顔となるも、ニッコリと微笑みながら、

「ええ。このユニフォームで都大会に出られました時には、是非。」

飯田は頭を掻きながら、

「はは… ははは… それはケンタさんに頑張ってもらわなきゃ…」


そんな飯田と一美の二人のやりとりも知らず、健太は考える。

そうだ。拓也に見てもらいたい。コイツなら正当にトラを評価するだろう。

あとはアイツがどこまで真剣にサッカーを…


どちらにせよ。トラの人生の歯車は今週末から大きく動き始める。そんな予感に胸を膨らませる健太であった。


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