貨幣史
ここでは貨幣の歴史について触れて行こうと思います。
貨幣の始まりは古く、現在では金属貨幣や紙幣などが主流ですが、紀元前まで遡ると金属では無く、素材そのものに価値がある実物貨幣が一般的でした。
いわゆる、物々交換という奴です。
この実物貨幣は時代や地域、環境などによって種類が多岐にわたり、代表的な物品貨幣に貝貨(中国、オセアニア、インド、アフリカ)、石貨 (オセアニア)、穀物(バビロニア、日本)、果実 (メソアメリカ)、塩 (カンボジア)、布帛(日本、中国、朝鮮、ギニア海岸)、鼈甲(古代中国)、鯨歯(フィジー)、牛や山羊(東アフリカ)、羽毛などが存在しました。
ちなみに株式の由来は野菜の「カブ」ではなく、切り株を意味する株での方であり、株の「ずっと残っている」という言葉から世襲などによって継続的に保持される地位や身分を「株」というようになったそうです。
そこから共同の利権を確保するために結合した商工業者の同業組合を「株仲間」と呼ぶようになり、現在のように出資の持分割合に応じた権利が保持されることを「株式」と呼ぶようになったのが通説です。
現在知られている最古の金属貨幣は紀元前4300年頃の銀リングである【ハル】、最古の鋳造貨幣は紀元前7世紀にリュディアで作られた【エレクトロン貨】、最古の紙幣は北宋の政府紙幣として流通した【交子】とされています。
【金属貨幣】はその名の通り、金属を使用した貨幣。
【鋳造貨幣】は砂金を使用して秤量貨幣として使っていたが、計量する手間を省き、溶かした(鋳造)塊として重量を均一にした硬貨のことをいいます。
地金という金属を貯蔵しやすい形に固めた、いわゆるインゴットのようなものに似ており、よって重量=貨幣の価値が成立していました。
しかし、エレクトロン貨は現代のような薄い円盤状のコインではなく、江戸時代の日本の豆板銀のように、厚く平たい塊でした。
そのため、重さにばらつきが出るので計算が大変だったでしょうね。
一定の形状・品位・量目を持ち、表面にその価値を示す数字あるいは刻印が施され、それによって数字または刻印に示された貨幣価値を保証された貨幣のことを【計数貨幣】といいます。
紀元前6世紀の中頃、アリュアッテス2世の息子クロイソスは 金貨と銀貨から成る通貨制度を世界で初めて導入したとされており、その後、紀元前23年に、アウグストゥスがガイウス・マエケナスに命じ通貨制度改革に着手しました。
1アウレウス金貨=25デナリウス銀貨=100セステルティウス銅貨、という等価図式が完成し、これらはその後300年にわたり、ローマ帝国の基軸通貨となっていった。
硬貨のデザインは地域によって大きく異なっており、ヨーロッパの硬貨は権力者の肖像などの図像を入れているが、中国や日本では銭と呼ばれる中心に穴の空いた硬貨を作りました。
銭は円形方孔といって穴が四角く、これは古代の宇宙観である天円地方の思想にもとづいており、この穴は、鋳造後にバリを削るときの道具を通すために使ったほか、紐を通して大量の枚数をまとめるのにも活用され、小額面の貨幣を運ぶには便利でした。
一方、硬貨に穴がないヨーロッパでは運ぶための財布が発達したとも言われ、アテナイでは一般市民は財布を持たず、小額の硬貨は口に入れて運んだという記録もあります。
イスラーム世界の硬貨は、偶像崇拝を避けるために文字や図柄だけを刻印していました。
硬貨に肖像のデザインが現れるようになったのはヘレニズム時代(紀元前323~紀元前30年)です。
現代でも君主国の君主の肖像を刻むことがあり、共和国では過去の大統領や歴史的偉人の肖像などが用いられています。
【金貨、銀貨、銅貨】の三貨の交換比率は国と時代によって異なり、古代ローマのアウグストゥス帝治世下では、金貨:銀貨:銅貨の交換比率は1:25:400とされ、東ローマでは1:12:180、清朝では銀1両に対し銅銭1000文(1貫文)とされたが相場により日々変動していました。
日本初の鋳造貨幣といわれる和同開珎では銀貨1枚が銭貨25枚の価値を持つとされた。江戸時代には三貨制度で金1両=銀50匁=銭(銅銭)4貫文とされたがこれも相場による変動が激しかったようです。
◆引用文献◆
https://ja.wikipedia.org/wiki/貨幣史
https://ja.wikipedia.org/wiki/エレクトロン貨
https://ja.wikipedia.org/wiki/アウグストゥス
https://ja.wikipedia.org/wiki/硬貨
https://ja.wikipedia.org/wiki/銅貨
湯浅赳男 『文明の「血液」 - 貨幣から見た世界史(増補新版)』 新評論、1998年。
柿沼陽平 『中国古代の貨幣 - お金をめぐる人びとと暮らし』 吉川弘文館、2015年。
前沢伸行 『ポリス社会に生きる』 山川出版社〈世界史リブレット〉、1998年。