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5.

「これでよし、っと」

 今日の服装は地味目に纏めることにした。ベージュのワンピースに、黒のショートブーツ。髪は以前白いレースで作った髪ゴムを使って首元で1つにくくった。

 やはり今日も今日とて鏡に映る私は貴族の、それも高位貴族の令嬢には見えない。お忍びの服装としては完璧である。出来栄えに納得をして、お父様からもらったお小遣いの入ったお財布をポシェットへと入れる。

 今日の目的はポンチョ作りに足りなかったレース糸の補充と、私とミランダの髪留めになる材料の購入だ。

  この度の目的地である、使用人から教えてもらった手芸屋さんは、大通り沿いのクレープ屋さんと違って、少し奥まった場所に位置しているが、以前馬車を止めた場所からはほど近い。

 何よりあの男の、エリオット=ブラントンの所属する第2騎士団の巡回経路から外れている。

  あの顔を見るのが嫌で嫌で仕方がないけれども、城下町に遊びに行きたいと苦悩していた時のことだった。啓示のようにかつてユグラド王子から教えてもらったその経路を思い出したのである。彼にとっては愛するクシャーラ様と過ごす時間を少しでも多くとるための時間稼ぎでしかなかっただろうし、聞かされていたかつての私も今となって役に立つとは思ってもみなかった。情報は5年も前のもので、覚えていたのもたまたまだったが城下町で大きな事件が起きたとは耳にしない。つまり変わっていない可能性も十分ある。これは信じてみる価値はある。

  実際、馬車から降りてすれ違うのは団服の腕の部分に3本のラインを引いた第3騎士団の団員ばかりだ。騎士団それぞれの役割を考えれば当然とも言える。

 第1騎士団は近衛兵や門番を多く有する、いわば城勤めのエリート。

 第2騎士団はいずれ貴族のご令息が第1騎士団に入隊するための足がかり、または良家のご子息を守る役目を任された第3騎士団から選ばれた精鋭の騎士達。

 そして第3騎士団は他の2つとは違い、城下町密着型の、一般市民から騎士になった者が多く所属する。目の保養にはなる第2騎士団とは違い、城下町の見回りの多くは彼らが担当しているのだ。

 すれ違う騎士団員にペコリとお辞儀をしながら歩くとすぐに目的地へと辿り着く。そして屋敷から持ってきた、使用人からのメモを渡すと店主はすぐにポンチョに使用していたレース糸と同じものを用意してくれる。

「それを2つと、あとこれもいただけるかしら」

「あいよ」

 セール中だったこともあり、3玉でギリギリ2000リンス。今回はレース糸を買うのだと事前に知っていたらしいお父様はお財布に多めに5000リンスも入れてくれたが、使わないに越したことはない。

「ありがとう」

 袋詰めされたレース糸と引き換えに2000リンスを差し出すと、紙袋を胸に抱えて店を出た。

 馬車を出てから16分といったところだろうか。

 幼い頃からユグラド王子といる時はいつだって時間を計られていたからか、どうも時間の経過には鋭い。というよりもすぐに気になってしまうのだ。そのおかげで時計を身につけずに外出できるわけだが、それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。ミランダのようにおかし作りが趣味なら役立つこともあっただろうが、私の趣味である手芸や読書には役立ったことはないし、これからもその予定はない。

 幼少期から培われた私の体内時計を信じるならば残り時間は44分も残っているのだが、今回のお小遣いも使い切ったことだし馬車へと戻ることにした。


「いった……」

 時間には余裕があった私は焦っていた訳ではないのだが、前方不注意気味だったのか、前から走ってくる男にぶつかってしまった。

 前回のクレープ事件とは比べものにならないほどのその衝撃で、胸元に抱いていた袋から飛び出したレース糸は宙に舞い、私は尻餅をついた。

「すみません。お嬢さん、大丈夫ですか?」

 ぶつかった男はジリリと痛む腰の辺りを撫でていた私に手を差し伸べる。遠慮なくその手を掴んで立ち上がり、ドレスの裾についた砂埃を払う。

「どこか、怪我はしていませんか?」

 散らばったレース糸を拾い上げ、紙袋へと詰めると男は申し訳なさそうにおずおずとそれを差し出した。

「ええ、まぁ……」

 それを受け取り、ぶつけた箇所は多少痛むが怪我はないだろうと、心配するなと告げようと目の前の男の顔面を目に入れた瞬間――私の表情筋は動くことを止めた。

 1つも例外なく、通告すらないストライキである。だが私は毎日毎日立派に働いてくれている彼らを責めることはしない。 

 なぜなら目の前の男こそエリオット=ブラントンだったからだ。

 

「どこか痛みますか? よろしければ近くの病院にお連れいたしますが」

 ピタリと動作を止めた私を心配そうに覗き込むエリオット。それを是非ともクレープ事件の時に発揮して欲しかった。 

「いえ、結構です」

 すでにエリオットへの嫌悪感を抱いている私は、すぐさま口だけを軽やかに動かして彼の申し出を拒否する。

「ですが……」

「健康状態に支障はありませんので、失礼いたします」

 それでも引き下がらないエリオットに追い打ちをし、苛立ちを抑えて軽く会釈をする。そして逃げるようにその場を立ち去った。

 

 

「ただいま」

 馬車から降り、駆け足で玄関、廊下と過ぎ去ってやっと自室へとたどり着く。

 馬車に着くまでに何度も振り返り、エリオットが付いてきていないことなど承知済みである。ましてや屋敷になどついてくる訳がない。それでも自室のドアを背中に感じるまでは安心できなかったのだ。

「お姉様、どうかしたの?」

 そんな私の様子を変に思ったのか、無機質なドアに背中を預けているとドア越しに心配そうなミランダの声が響く。けれどそのドアを開けるわけにはいかない。

 

「大丈夫。何でもないわ」

 きっと私は今、ひどい顔をしていることだろう。自分でもなんて面倒くさい性格をしているんだろうって思ってしまう。

  いつものように適当に顔を繕って適当にやり過ごせば良いのに、気持ちが苛立ってしまって、『いつも通り』になろうとすることを阻むのだ。だからこそ、ミランダにこんな顔を見せることは出来やしない。

「そう? なら、いいけど……」

 あまり納得はしていないであろうミランダの足音が遠ざかり、聞こえなくなると私はドアから背を離す。

 胸に抱いたままであった袋からエリオットが拾い上げてくれた3つのレース糸を取り出して、さっさと包み紙を外して乱暴にゴミ箱へと放った。

 包み紙に罪はない。

 むしろそのおかげで汚れずに済んだのだから感謝すべきである。だがそれでも、見たくないのだから仕方がないだろう。

 作りかけのポンチョをカゴから取り出して、新しい白いレース糸をほぐす。


 完成まであと少し。

 今の私なら今日中にでも仕上げてしまえることだろう。


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