2
びっくりした松が振り返ると、部室の入り口に自分よりもさらに大きな人が立っていた。しかも褐色の肌に鮮やかな黄色のTシャツ、頭はスキンヘッドという、インパクト抜群の外国人マッチョマンである。
「Oh! Are you Kadomatsu-san ? Yesterday Hakana-san told me about you at Kizuna. I'm Gray Boyle Jr. , Nutrition specialist. Please call me GB. Nice to meet you !」
「ええっと……な、ナイス・トゥー・ミーチュー?」
なんとか返事をしたが、聞き取れたのは「カドマツさん」に「ハカナさん」、「キズナ」、それに最後のナイス・トゥー・ミート・ユーだけだった。
「Hi, GB. Yes, He is Kadomatsu. New comer from drama club. Now we're talking about let's practice AED & CPR. Would you?」
「え」
なんと儚那が、流暢な英語で返している。
「Of course me too. You know, It's important practice for us. Not only for athletic trainer.」
「ええ!?」
そしてミッチーまでも。まさかスポイカは英会話必修なのだろうか。ミッチーはキャラ的にわかる気もするが、なんで儚那までこんなにペラペラなのだ。
「Hahaha! そーですね、ボクも練習しておくにヤブサカではありません。カドマツさんもトゥギャザーしましょう!」
あ、日本語できるんだ。
良かった、と松はかなりほっとした。微妙なちゃんぽん具合は、明らかに面白外国人めいているが。
「ハカナさん、マイ・プロテインはウェアですか?」
「ここにあるぞ。GB、最近ブレンド変えたか? この白いの、アミノ酸だろ」
「イグザクトリー、そのとーりです。ホワイトで白いの、グルタミン入れてみました。ここのところちょっとオッサンになってきたから、ヒロウコンパイなのです」
「んなわけねーだろ。なんだったら、チャーミーさんに鍼打ってもらうぞ」
「オー!? チャ、チャーミーさんは遠慮してノーサンクスさせていただきます、はい」
安心こそした松だが、面白外国人と儚那のやり取りをぽかんと見つめるしかない。
と、急に話を振られた。
「カドマツさんもマイ・プロテイン、ウッヂューライク?」
「あ、いえ。遠慮してノーサンクスです、はい」
思わず喋り方が移ってしまった。だが面白外国人は、「まーまーそうおっしゃらずに、ダマされてハメられたと思って」などと、やはり微妙におかしな日本語で答えながら、壁際の冷蔵庫から牛乳を取り出し始めている。すかさず儚那も「GB、あたしにもオレンジジュース取ってくれ」と便乗するので、どうやら二人して本当にプロテインを作るつもりのようだ。
「GBさん、ってたしか……」
ようやく松がその名を思い出すと、ミッチーがすぐに教えてくれた。
「うん。グレイ・ボイル・ジュニア。うちの管理栄養士。持ってるのはUAEの資格だけどね」
「UAE?」
「アラブ首長国連邦です、カドマツさん。私はドバイからのスケットガイコクジンなのです」
「つまり留学生ってわけだ。史学科の三年で専攻は、ええっと、なんだっけ?」
「江戸時代、特に元禄期の大衆芸能の変遷を勉強しております。具体的には歌舞伎や猿楽が、世界的な大都市であった江戸でいかに発展したかを、文化人類学的側面からも――」
GBの日本語が突然お堅いものに変わり、しかも研究発表でもするかのような勢いで語り出したので、松はまたもやびっくりさせられた。学業の専門分野について話す際には、何かのスイッチが入るらしい。
「まあ要するに、江戸時代好きの変なアラブ人てわけだ。で、見ての通りボディビルが趣味で、オイルマネーで日本のプロテイン買い漁って飲み比べたりもしてる」
「ノーノー、ハカナさん。私が好きなのはプロテインだけではありませんよ」
「ああ、そうだった。こんないかつい見た目だけど、GBは和菓子が好物なんだよ。下宿先も和菓子屋の二階だったよな」
「イエス! 村井屋さんの上にイソーローしてます。カドマツさんも今度是非、うちのドラヤキをゴショーミください。裏ビデオのプロテイン入りGBスペシャルがおススメです」
「……裏メニュー、ですよね」
いろいろとつっこみどころ満載ではあるが、GBがどういう人なのかは大体わかった。その間に儚那とGB本人は、本当にプロテインを作り始めている。
「ミッチーは?」
「ああ、僕は昼に飲んだから」
儚那とミッチーのやり取りを聞いた松は、目を丸くした。
「ミッチーさんもプロテイン、飲むんですか?」
「うん。美味しいよ。僕も一応、自分のトレーニングはするし」
「ていうか、うちのプロテインは全部ミッチーが提供してくれてるんだけどな」
「家族割引があるからね」
「『ドゥオーモ』のプロテインは、チョー美味しいですね。UAEでも売って欲しいです」
「ありがとうGB。今度、営業の人に言っておくよ」
「あ、あの」
話がなんとなくしか見えない松の目の前に、プロテインシェーカーがトンと置かれた。
「ハカナ・ブレンドお待ちどお。これを飲んだら、お前の疑問に答えてやろう」
「ええ!?」
シェーカー内には表面がうっすらと泡立ったオレンジ色の液体が、容器の半分ほどまで入っている。
「いいね。バニラをオレンジジュースで?」
「おう。ちょっとだけバナナ味もプラスしてる」
「ハカナさんは、最近このブレンドがオキニイリですね」
ふたたび目を丸くする松とは対照的に、三人の先輩たちは平然と、まるでカフェにいるような雰囲気である。
「大丈夫だよ、カドマツ君。オレンジシェークみたいな感じだから」
「ほ、ほんとですか?」
今のところ唯一まともな先輩だと思われるミッチーに言われ、松はおそるおそるシェーカーに手を伸ばした。顔を近づけると、なるほどたしかにファーストフードのシェークっぽい、つまりは飲めそうな香りがする。
「い、いただきます」
意を決して口に含んでみると――。
「あれ?」
「でしょ?」
「美味しい……」
ミッチーの言った通り、オレンジシェーク風の味がする。これなら問題なく飲める。
「カドマツさんは、ハカナさんオシなのですね」
「なんだそりゃ。カドマツ、今度GBのブレンドも飲ませてもらいな」
「はい。俺、プロテインってもっとまずいものだと思ってました。すみません」
素直に頭を下げると儚那はお得意の、にっという笑顔を見せてくれた。
「まずかったのは昔の話だ。今のプロテインはホエイが主流だし、こんな感じで安くて美味いんだぞ」
GBもにこやかに続ける。
「イエス。ホエイというのは、ミルクからチーズをセイセイして残る部分です。かつてはハイキしていたのですが、タンパク質が豊富で栄養価が高いので、ギジュツカイハツが進んでプロテインのもととして使われるようになりました。ちなみにプロテインパウダーは、溶かして飲むだけじゃなくクッキングにも使えます。チョコレートプロテイン入りのクッキーとかは、バレンタインにおススメですよ。去年、ハカナさんもみんなに作ってきてくれました」
「へえ」
二重の意味で驚きだったが、本人から「なんか文句あんのか、こら」という視線を向けられたので、松は慌てて目をそらした。目力が強い分、本当に気持ちがわかりやすい人だ。
「では、お前の疑問に答えてやろう」
「あ、はい」
そうだった。プロテインを飲んだら、気になったことを教えてくれるんだった。
「なんとなく想像ついてるだろうが」
と、儚那はミッチーの方を見た。
「ミッチー、言ってもいいか?」
「うん。別に隠してるわけじゃないし」
「ありがとう」
そうして儚那が教えてくれたのは、予想通りの内容だった。
「カドマツ、『アンダーウェポン』て知ってるだろ? ていうか着てたよな。一号館前でも」
「え? ああ、はい。好きなメーカーです」
身体にぴったりフィットするコンプレッション・ウェアの、代名詞のようなブランドだ。ダンサーはもちろん数多くのスポーツ選手も愛用している。
「アンダーウェポンの日本総代理店が、株式会社ドゥオーモ。ドゥオーモのブランド名で扱ってるのはテーピングとかサプリメントだから、同じ会社ってのは意外と知られてないけどな」
「え、じゃあミッチーさんて」
「うん。ドゥオーモのCEO、僕の父なんだ」
「ええ!?」
予想通りとはいえ、やはり驚かずにはいられない。アンダーウェポンの販売会社の息子? それってつまり、結構なお金持ちでお坊ちゃまなのでは。
あれ? でも。
「念のため言っとくけど、ファーザーの方の〝父〟だからな。ドーエンソーのお前が好きな、〝乳〟じゃねーぞ」
「わかってますよ! 当たり前でしょう!」
「なんだ、当たり前なのか。つまりカドマツは貧乳好き、と」
「そういう意味じゃありません!」
もう一つ素朴な疑問が出かかったところで、またしても儚那のくだらない茶々により機を逃してしまった。仕方がないので、またあらためてミッチー本人に聞いてみようと、松も気持ちを切り替える。
「ま、要するにミッチーのお陰で、うちはテーピングやプロテインを割安で手に入れられるってわけだ。感謝しろよ」
「はい、もちろんです。早速テーピングも巻いてもらったし」
「下手糞なバンデージで悪かったな。ならお詫びに、心拍数二百まで上げるスーパー・サーキット・トレーニングの実験台としてお前を――」
「なんにも言ってないじゃないですか! しかも全然お詫びになってないし!」
不本意ながら、反射的につっこんでしまった。儚那はと言えば、「なんだ、つまらねえな」と頬をふくらませている。例によって傍若無人な言動だが、子どもが拗ねたような表情は、これはこれでなかなかチャーミングでもある。もちろん外見だけの話だが。
「ほらほら、二人とも。GBも来たんだし、早くCPRの練習始めようよ。儚那ちゃんも、今日はアメフト部の日でしょう?」
「オー、イエス。レッツ・シンパイソセイです!」
ミッチーとGBの声で、ようやく儚那も思い出したようだ。「お、そうだった」と、練習用のAEDを開けて中身をチェックし始める。さっそく机や椅子を端に寄せた三人は、空いたスペースにストレッチ用のマットも敷いて、あっという間に練習用の空間が出来上がった。
「じゃあカドマツ君、最初は見学しててもらっていい? まず僕たちがやってみせるから」
「はい」
「んじゃ、いくぜ。カドマツ、しっかり見とくんだぞ」
かくして始まった心肺蘇生法の練習。その光景を、もはや何度目かわからない驚きとともに松は見つめることとなった
傷病者役がGB、第一発見者で心肺蘇生を施すのが儚那、一一九番通報をし、さらにAEDを確保して持ってくる補助救護者がミッチー、という組み合わせで行われた練習は、
「AED、持ってきました!」
「ありがとうございます。そこに置いてください。心肺蘇生はできますか?」
「はい!」
「じゃあ、次の人工呼吸から代わってください。あたしはAEDを準備します」
「わかりました。……代わります!」
「お願いします!」
と、二人のてきぱきした動きが、トレーナーどころか救急隊員を彷彿とさせる手際の良さだったのである。何より表情が真剣そのものだ。道端で倒れた人を、本当に発見したかのような臨場感が漂っている。
凄い……。
素直に胸の内でつぶやいた。演劇の世界でも、優れた役者たちは演出家の「スタート!」の合図とともに一気にスイッチが入るが、あれと似たものを感じる。
《胸骨圧迫と人工呼吸を続けてください》
「よし、続けます! ……っと、まあこんな感じだ。GB、ミッチー、サンキュー」
電気ショックを終えたAEDからアナウンスが流れ、儚那が動作を止めたところで、松は無意識のうちに拍手をしていた。
「ありがとう、カドマツ君。儚那ちゃんもお疲れ。自分で言うのもなんだけど、相変わらずいい緊張感でやれてたんじゃないかな」
「アイシンク・ソー・トゥー。私の心臓も本当にソセイするかと思いました」
「もともと止まってねえだろ」
すぐにいつもの調子に戻る三人だが、松はスポイカの部室に来て初めて、身が引き締まる思いだった。「救急救命処置はやり直しがきかない」と語っていたミッチーの言葉も蘇る。自分もこんな風にやらなければいけないのだ。スポイカの一員ということは医科学サポートができる、いや、できて当然なのだ。
「おし、じゃあカドマツ、順番に教えてくからやってみな。傷病者は……GB、そのままでいいか?」
「OK。ガンバリマス」
「それとカドマツ、欲求不満なのは知ってるけど、人工呼吸はほんとにマウストゥマウスしなくていいぞ。お前がどうしても、いかついアラブ人とチューしたいなら別だが」
「しませんよ!」
これまたいつもの調子で儚那にいじられつつ、松のスポイカ活動は心配蘇生法の練習から始まった。