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「スポイカ……」
「登録上はまだ同好会なんだ。カンザブローが起ち上げてから二年半しか経ってねえし、部員も少ないからな。あ、カンザブローってのは顧問の先生。いずれ紹介してやるよ」
「はあ」
少しずつだが、状況が飲み込めてきた。つまりミス・テト大の桜木儚那は『スポーツ医科学サポート同好会』なる部活に所属しており、なぜか松の捻挫を気にかけてここに連れてきてくれた、というわけらしい。
しかし疑問はまだまだある。どうして彼女は、ミス・テト大に選ばれるほどの美女に変装しているのだろう。それに「スポイカ」なんて同好会、今まで聞いたことがない。具体的には何をする集団なのか。
すると目の前の残念美女は、またしても鋭い洞察力を発揮した。
「言っただろ、あたしのあれは営業用だって。外面よくしときゃ、部費や備品を確保したり、他の部との交渉もやりやすいだろうが。いくらカンザブローが熱心な顧問つっても、ぺーぺーの准教授にはそんなに権力もないし」
「な、なるほど」
「この部室だって、カンザブローの誘導尋問とあたしの色仕掛けで学長をたぶらかし――もとい、使用許可をもらって去年から確保できたんだ」
今、さらっととんでもない発言しなかったか。眉をひそめた松だが、嬉々として語る彼女の姿に、
野暮ったい見た目でも、やっぱりもとは綺麗なんだな。
などと、思わず関係ない考えを浮かべてしまった。黒々とした瞳で真っ直ぐに視線を合わせながら話すので、言葉もしっかり伝わってくる。「営業用」の格好からも感じたが、元気とか生命力とかいったものが内面からあふれ出ているような人だ。
「ええっと、それで桜木先輩」
スポイカはつまり、どんな活動をする同好会なんですか? と、確認しかけたとき。
「カドマツ、ううん、門野君」
いきなり両手を握られた。
「え?」
「門野君」
大きな黒目が輝いている。
「儚那でいいから」
「え!?」
「儚那、って名前で呼んで」
「ええっ!?」
硬直すると同時に、松の頬は途端に熱くなってきた。ウィッグとカラコンこそ外しているが、綺麗だと感じたばかりの顔立ちが、眼鏡の向こうからひたと見つめてくる。
「ね? 儚那って呼んで」
「はい。は、はか――」
次の瞬間、黒々とした瞳がにっと笑った。まるでスイッチが切り替わるように、いたずらっぽい笑顔が現われる。
「な? こうやって営業すんだよ」
「ええええ!?」
「相変わらず、え、しか言わないやつだな。ていうかまさかカドマツ、今の営業スマイルに本気になったんじゃねえだろうな。これだから童貞演劇青年は――」
「わ、悪かったですね、童貞で!」
沈黙が三秒ほど流れた。
「あははは! そーかそーか、カドマツ、童貞か! いいぞお前、やっぱ面白い! やっぱ合格だ! 部室で堂々と童貞宣言した男なんざ、お前だけだ! あははは!」
「…………」
美女は美女でもやっぱり残念美女だ。去年のミスコンでこの人に投票した人たちに、正体を暴露してやりたい。
むくれていると儚那は、「悪い悪い。すぐにミスコンでプレゼンターしなきゃなんねえからさ。営業用の喋り方をアップしときたかったんだ」と言いながら、無邪気な笑顔のまま壁際を手で示してきた。
背の高いソファーが置いてある、と思ったら、頭の位置に穴の開いたマッサージ用ベッドだった。
「というわけで、座んな」
「え」
しまった。また「え」と言ってしまった。思わず口を押さえたが、今度は何もつっこまれない。
「ほれ、座れって。どうせ適当に湿布して、適当に包帯巻いてるだけなんだろうが。足診てやるから、さっさと腰かけて靴脱げ」
ああ、そういうことかと理解する。どうやら儚那は、本当に松の足を「一緒に治す」手伝いをしてくれるつもりらしい。
そうだよな。『スポーツ医科学サポート同好会』だもんな。
少しほっとしながら、素直に腰掛けて靴も脱ぐ。指摘された通り、処方された湿布を貼った足は、適当に巻いた包帯のお陰でかなりの太さになってしまっていた。
「あ、でも」
「あー、足がくせえとかは気にすんな。そんなのしょっちゅうだから。なんならあたしの足も嗅いでみるか?」
「……遠慮しときます」
女子から足の匂いを嗅がないかと勧められたのは、生まれて初めてだ。今後もこの人以外に、言ってくる人はいないだろうけど。
呆れていると、彼女は宣言通りまるで気にしない様子で「んじゃ、力抜け」と右足に触れてきた。無造作だが優しい持ち方で、そっと膝を伸ばしてくれる。
「もうちょいケツ、後ろに」
「はい」
指示に従い身体を後ろにずらすと、ちょうど足首から先がベッドの端から飛び出す格好になった。すかさず、雑に巻いた包帯がするするとほどかれていく。
「ほんとに適当に巻いてるな、これ」
「……すみません」
「湿布薬はなんてやつだった? モーラスか?」
「わかるんですか!?」
驚いた。医者がくれた処方箋には、たしかに『モーラステープ』と書かれていた。
「スポイカ舐めんな。あたしは傷病対応が専門じゃねえけど、これぐらい知ってて当然だ」
「はあ」
傷病対応は専門じゃないと言いつつも、儚那はそのまま「これ、痛いか? こっちは?」と、またしても無造作ながら優しく、松の右足を色々と動かし始めた。
「大丈夫です。……あ、それはまだちょっと痛いかも」
「おう、悪い悪い」
この人のことだから、ぐりぐりと強引にやられて「いたたたた!」と悲鳴を上げてしまうような展開も予想していたのだが、決してそうはならなかった。
何より、彼女の目が真剣だった。
眼鏡越しの瞳が、くだらない話ばかりしていた今までとはまるで違う輝きを宿している。瞬きするのさえ惜しいかのように、松の足をじっと見つめて。
「桜木さん、トレーナーさんなんですか?」
今さらだが、あらためて聞いてみた。スポーツ医科学サポート同好会とはつまり、トレーナー活動をする同好会なのだろう。
「ああ。競技によってはコーチのカテゴリーに入ることもあるけどな。つーか、儚那でいいって言ったろ」
「あ、はい。コーチ?」
「そ。フィジカルコーチとか、ストレングス&コンディショニング・コーチとかって呼ばれたりもする。要するに、トレーニング指導が専門のトレーナーだよ」
「へえ」
そういえばスポーツニュースなどで、選手と同様に引き締まった身体をした体育教師のような指導者が、みずからエクササイズのお手本を見せたりストップウォッチでタイムを計ったりと、てきぱき動いているのを見たことがある。この人、あれなんだ。
理解すると、ぼさぼさのショートカットもがさつで男前な言動も、そして鋭い洞察力ややたらと素早い行動力も少しだけ納得がいった。
ミス・テト大はトレーナー、か。
つい顔がほころんだらしい。片方の眉を上げながら、じろりとにらまれてしまった。
「なんだよ、その何かを悟ったみたいなツラは」
「あ、いえ、なんでもありません。トレーナーさんって凄いなあと思って」
「本当か? お世辞抜かしてやがると、このままグキッとやるぞ、グキッと」
「やめてください!」
慌てて抗議すると、もちろん足首は捻られなかったが、代わりに湿布を指差して聞かれた。
「これ、取ってもいいか?」
「え?」
「多分、昨夜あたりから貼ったまんまだろ。ほぼ毎日取り替えながら」
「あ、はい」
そんなこともわかるのか。
「モーラスは副作用があるから、なんも考えずに貼りまくらない方がいいぞ」
「え? そうなんですか?」
「ああ。幸いでかい症状は出てないみたいだけど、それでも、ほれ」
すらりとした人差し指で示された部分は、よく見るとたしかに、少しだけ発疹らしきものが現われていた。
「モーラステープの有名な副作用に、光過敏症ってのがあるんだよ」
「光過敏症?」
「貼ってる場所、貼ってた場所に日光が当たるとかぶれちまうんだ。しかも結構ひどく。人によってだけど、貼ったのは数ヶ月前にも関わらず症状が出た例もある」
「ええ!?」
またもや「え」だが、そんなことを言っている状況ではない。
「まあカドマツの場合は足首だし、何日も貼り続けてこんなもんだから、大したことないっぽいけどな。だからってこの状態で、足を直射日光にさらさない方がいいぞ」
「は、はい」
それほどまでに怖い副作用があるなんて、まったく知らなかった。同時に、儚那に対して心から感謝したくなった。
「ありがとうございます、儚那さん」
「ん?」
「副作用のこととか、俺、全然知りませんでした」
「だろうな。本当は医者や処方箋を受ける薬局が説明すべきなんだけど、ま、しょうがねえ。世の中、名医ばかりじゃないし」
たしか捻った直後に駆け込んだのは、大学近くの古い町医者だった。いずれにせよ儚那に出会わなければ、松の右足は捻挫が治ったあとも、今度はかぶれて使い物にならなかったかもしれない。
「ありがとうございます、本当に」
もう一度素直に頭を下げたが、「おう。気にすんな」とわざとらしく視線を外されてしまう。例のにっとした笑顔ではなく、なんとも曖昧な表情が儚那の顔に浮かんでいる。強い目力で見つめてくるのが普通だっただけに、意外なリアクションだ。
「……じつはツンデレとか、ですか?」
しまった、と思ったときにはもう口に出ていた。




