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「まさかスポイカやってて、龍翔さんに再会するとは思わなかったけどな」
ストローをくわえたまま、儚那は眉間にしわを寄せた。頬をふくらませるときもそうだが、喜怒哀楽がわかりやすいので、どんな表情も自然とこちらの目を惹きつける。
「で、つい動揺してずる休みしちまったんだ。けど、そしたら――」
「カドマツ君が昨日、愛のキズナを送ってくれたのね」
「カドマツさん、リアリー、グッジョブです」
「ち、違いますよ! 俺はただ心配で」
面白そうに話をまとめる先輩たちの言葉を、松はあたふたと否定した。だが。
「愛の告白どころか、なあ?」
儚那はなぜか、眉間にしわを寄せたままだ。
「泣いて寂しがってるって聞いたそばから、あの文面だもんなあ。まったく」
「な、なんですか。だから単なるお見舞いのメッセージですよ!」
「ほほう、そうか。単なるお見舞いか」
頬が引きつるのを松は感じた。嫌な予感がする。
「あら、興味あるわ。どんなラブレターだったの? 女として非常に聞きたいわね」
ここぞとばかりに、チャーミーさんが身を乗り出している。生物学的にはそっちじゃないでしょう、とつっこむのも忘れて松は焦り続けていた。
「そうですね。サシツカエなければ、私も知りたいです。ジャパニーズ・ラブレターはゲンブツを見たことがありませんから」
「僕も。アシスタント・トレーナーとしてのコメントなら、参考がてら聞いておきたいし」
GBとミッチーまで意味のわからない賛同を示している。まずい。非常にまずい。
「まず、あたしがいない間の近況報告。まあでも、これはアシスタントとして当然だ」
「うん。さすがだね」
と、ミッチー。
「カンザブローからあたしの過去を聞いたと、素直に白状もしてくれた」
「グッドですね。カクシゴトなしなのも、カドマツさんらしいです」
こちらはGB。
「あとは、演劇部からIDを支給されたから部室に置いてあるって連絡と、本番に是非来て欲しいということ」
「大切な儚那ちゃんが、いつでも戻ってこれるようにね。優しいのね」
チャーミーさん。
そして。
「ここまではいい。正直、カドマツの気持ちもわかる。心配してくれて感謝もしている。けど――」
「ちょ……儚那さん、まさか――」
儚那がすっと右手に何かを掲げた。スマホだった。
「なんだ、この歯が浮くような台詞は! お前、二昔前の韓流ドラマか!」
「うわあああ! やめてください!」
カフェの店内ということも忘れて、松は悲鳴を上げる羽目になった。
「カドマツは時代劇が好きなんじゃなかったのか!? なんだこりゃ? 韓流ドラマじゃなけりゃ、前前前世がどうとか、あたしの膵臓を食べたいとか言い出すつもりか!? こっぱずかしい!」
なぜか逆ギレ気味の儚那が、まさに時代劇の印籠よろしくスマホを突きつけてくる。
画面には、松が本番前日に送ったキズナのメッセージが表示されていた。
《儚那さんへ こんばんは。いよいよ明日は、演劇部の本番です。お陰様でコンディショニング指導は無事終わって、大きな怪我人もなくキャスティング通りのメンバーで公演に臨めそうです。部長も何度もお礼を言ってくれました。でも、俺は儚那さんにこそお礼が言いたいんです。
覚えてますか? 半年前のあの夜、一号館の前で俺にかけてくれた言葉。俺がスポイカに入るって、返事をしたときに伝えてくれた言葉。儚那さんはいつも、ここ一番で俺の目を見て、「ありがとう」って言ってくれました。大きくてきらきらしてる儚那さんの目、俺、好きなんです。大事なところではストレートに気持ちを伝えてくれるところも。俺をカドマツって呼んでくれて、いつもそばにいてくれて、いろんなこと教えてくれて、本当にありがとうございます。うまく言えないけど、儚那さんのお陰で俺は今スポイカにいて、充実した毎日を過ごせてると思うんです。だから、まだまだそばにいてください。もっともっと沢山のこと、教えてください。
勘三郎先生から、儚那さんもダンサーだった話や、トレーナーになったきっかけも聞きました。いろいろ想うところはあるかもしれませんけど、儚那さんが立ち直って、いつもみたいに「カドマツ!」って指示してくれるのを待ってます。だって俺は、儚那さんのアシスタントですから。儚那さんの弟子ですから。俺にとっては凹んでる元天才バレリーナじゃなくて、常に元気で男前で、黙ってれば美人のフィジカルコーチこそが、桜木儚那ですから。
劇場のスタッフID、部室に置いておきます。舞台裏で会いましょう》
画面をミッチーたちの方に向けているにも関わらず、儚那は読みやすいペースで器用に文章をスクロールさせていった。
「なーにが、大きくてきらきらした目が好きなんです、だ。まだまだそばにいてください、だ! これじゃ、あたしがお前の彼女みたいじゃねえか!」
「ななな、なんで思いっきり全文見せてるんですか!」
「やかましい! しかも結局褒めてるの、黙ってれば美人ってとこだけだろうが! なんだ、凹んでる元天才バレリーナって!? ベタな少女漫画か! どっかのラノベか!」
こちらを向いて説教しているのに、そらで文章が出てくるのはなんでだろう。だが余計なことを言うとさらに怒られそうなので、松は我慢した。というか、この人が大人しいバレエ少女だったなんて、やはり信じられない。
「まあまあ。でもそのキズナもあって、儚那ちゃんは少なくとも今日の本番に来る気になったんでしょう?」
「お前らまでさんざん連絡してくるからだよ。一緒に観に行こうって。あくまでもあたしは、一観客として来たかっただけだぞ」
なんとかミッチーが取りなしてくれたが、それでも儚那はぷくっと頬をふくらませている。観客として来たかっただけと言いながら、舞台裏に飛び込んできたとき首にしっかりとIDもかかっていたはずだが、とりあえずこちらも松は触れないでおいた。
「でもあたしたちが客席にいたことで、少しはお役に立てて良かったわね」
「イエスイエス。マクの向こうからドーンと聞こえてすぐ、ハカナさんがヒア・ウィー・ゴーと指示してくれましたから」
平台が崩れたあの轟音が響いた瞬間、儚那の「行くぞ!」という声とともに、スポイカの四人は立ち上がっていたそうだ。あとはIDを振りかざす彼女に続いて、ロビーでAEDを確保しつつ一目散に舞台裏を目指したらしい。
「でかい音だったし、何か事故があったのは確実だと思ったんだ。カドマツだけじゃ、手に負えないだろうとも」
「ありがとうございます。本当に助かりました」
機嫌を直した様子の儚那に、松は素直に頭を下げた。この人たちが来てくれたときの驚きと心強さは、きっと忘れないことだろう。
「まあ、でも」
にっという笑顔とともに、儚那の瞳が輝いた。相変わらず感情がわかりやすい。
「な、なんですか」
「よくやった、カドマツ」
「ありがとうございます」
「それに、よく言った」
「はい?」
真っ黒い瞳が、ますます上機嫌な光を発している。
「お前、AED使ってるときに公言したよな」
「え? ……あっ!」
しまった。
あれは勢いです。というか普段から言われてまくっているから、刷り込みみたいなものです。
とでもごまかしたかったが、儚那の心底嬉しそうな表情を見て、松もどうでもよくなってしまった。
にっという笑みが、こちらの顔をさらに覗き込んでくる。
「あたしのこと、俺の師匠です、って」
「…………」
認めるしかなかった。いや、今は素直に認められる。そんな自分を見て、ミッチーも、GBも、チャーミーさんも笑っている。
振り回されながらも、常に儚那と一緒に行動して。考えて。教わって。この人の隣にいることがもはや松にとっても当たり前だし、そうじゃない日々なんて逆に考えられない。
黙っていれば美人の前ミス・テト大。黒い瞳の傍若無人なフィジカルコーチ。
強い目力で、嬉しそうな光を投げかけながら彼女が告げる。
「ありがとう、カドマツ」
釣られて笑顔になった松の鼻腔を、柑橘系の香りがくすぐった。
Fin.




