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心肺蘇生法=CPR。心臓マッサージをメインに、可能であれば気道確保や人工呼吸も行う救急救命方法。さらには状況によってAED=自動式体外除細動器も用いる。
スポイカへの移籍以来、もう何度も練習してきた技術だ。スポーツ医科学サポートスタッフとして、一番最初に覚えたことでもある。だがまさか本当に使う日が、それもこんなに早く訪れるとは。また仮に講習を受けた経験があっても、実際の現場ではパニックに陥って適切な処置ができない人も多いと、たしかミッチーが言っていた。自分は大丈夫だろうか。
いずれにせよ、やるしかない。落ち着け。冷静に、かつ迅速に。
身に着けたウエストポーチから人工呼吸用マスクを取り出しつつ、松は頭のなかで手順をおさらいした。倒れている人を発見したら、二次災害の可能性がないかどうか周囲の状況をチェック。大丈夫そうならば、近寄って意識の有無を確認。意識を失っていたら一一九番通報とAEDの要請。この際、誰が頼まれたのかはっきりとわかるように、指差しや手振りも伴って相手を示す。続けて呼吸と脈拍の有無。こちらも無ければ心肺蘇生をすぐに開始。
よし。ここまではOK。
なんとかやれているはずだ、とふたたび自分に言い聞かせ、松は心肺蘇生に取りかかった。合わせて見守る人々への要請もしておく。
「心肺蘇生法を習ったことがある人は、僕と交代でお願いします!」
呼吸や明確な意識が戻らなければ、CPRは救急隊員が来るまでずっと続けなければならない。そのため救助者も疲労する心臓マッサージは、交代で行う方が望ましい。
誰か手を挙げた人はいないか、と視線を巡らせた刹那。
「AEDはもう持ってきた!」
ふわり、と柑橘系の香りが鼻腔に飛び込んできた。
「ここに置くから、CPRの交代指示を頼む!」
「怪我人は僕たちに任せて! カドマツ君は儚那ちゃんとCPRに専念!」
「You! バイテンかイムシツから氷をプリーズ!」
「一一九番もあたしが通報済みよ! 頑張りましょう!」
夢でも幻でもなかった。降臨した、とでも言いたくなるようなタイミングで現われたのは、誰よりも信頼できる四人の先輩たちだった。
そのなかに、彼女もいた。
「やるぞ、カドマツ!」
対面にしゃがみ込む、なぜか「営業用」の姿。茶色いロングヘアとシンプルなカットソー、キュロットパンツにスニーカー。半年前、やはり舞台という場所で自分の手を取ってきたのと同じ出で立ち。
しかし、格好以上に同じものがあった。自分の視線を真っ直ぐに捉えて、落ち着きと、勇気と、力をくれるもの。
いつもの目力。
こんな状況にもかかわらず、松は一瞬だけ口角が上がりそうになった。すぐそばでAEDを準備するてきぱきとした動きが、生命力に満ちたその瞳が、もう大丈夫だと思わせてくれる。眼前に倒れている人だけでなく、周囲の負傷者全員を絶対に助けられると確信させてくれる。
もう一度、彼女――儚那が繰り返す。「カドマツ!」と。
「あたしたちは、スポイカだ!」
「はい!」
大きく答えた松は、すぐに心臓マッサージを開始した。
「一、二、三、四――」
マッサージの回数を口に出して数える。まずは三十回。少し離れた場所からは、テープを引き出してカットする素早い音も聞こえてくる。言うまでもなくミッチーのテーピングだ。
「Tnanks! チャーミーさん、氷、Stand byです!」
「ありがと! そっち、押さえてて!」
もちろんGBとチャーミーさんも、大活躍してくれている。
「AED、準備完了!」
儚那が呼びかける。生気あふれる瞳が松を見る。
「お願いします!」
三十回の心臓マッサージを終えた松もしっかりと彼女を見つめ返し、そのままAEDの電極パッドを一枚受け取った。右胸上部と左胸下部、心臓を挟むような位置に二人してパッドを装着し、再度アイコンタクトを交わしたあとは儚那に委ねる。本人たちの自覚こそないが、息の合った完璧なコンビネーションだった。
儚那がAEDのボタンを押し、音声ガイダンスが流れる。
《心電図を解析中です。身体に触れないでください》
「心電図を解析しています! 皆さん、離れてください!」
両手を広げ周囲にも強調したところで、沢山の声が湧き起こった。
「頼む、門野!」
「お願い!」
「先輩を助けて!」
AEDは全自動なので、自分たちが直接何かをできるわけではない。だが松は、即座に頷いてみせた。
「大丈夫です! ここにいるのは、僕の師匠ですから!」
《ショックが必要です。充電中です。身体から離れてください》
ふたたびの自動音声。
「離れてください!」
もう一度叫んでから顔を戻したタイミングで、松は初めて気がついた。営業用のスタイルにもかかわらず、儚那がカラーコンタクトだけ着けていないことに。
真っ黒い瞳に自分が映っている。その輝きを、彼女を、心から信じる表情で。
《ショックを実行します。オレンジのボタンを押してください》
AEDが電気ショックの実施を促してくる。
「カドマツ!」
「儚那さん!」
力強く呼び合う声とほぼ同時に、儚那の指がボタンを押し込んだ。




