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スポイカ!  作者: 迎ラミン
第五話 カドマツ
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3

 その日以来、儚那は演劇部のサポートどころか、スポイカそのものに姿を見せなくなった。幸いアメフト部も男女サッカー部もちょうどシーズンオフなので、活動自体に大きな支障はない。

 それでもトレ室に松が一人きりだと、


「あれ? 桜木さんは?」

「カドマツ君、喧嘩でもしたの?」


 などと、自主トレに訪れる人たちが口々に声をかけてくる。彼女の存在がいかに周囲で根づいているのかを、松はあらためて実感させられた。


「すみません、ちょっと体調を崩してるみたいで」

「ああ、いえ、今日は近くの学校から呼ばれてて」


 無断欠席中ですとも言えず。訊かれる度にごまかしていたが、二週間も経つとさすがに苦しくなってきた。チア部の美希などは、いち早く異変に気づいたようで、


「儚那ちゃんにキズナしたけど、返事がないの。既読にはなるんだけど。大丈夫? 二人、本当に喧嘩とかしてない?」


 と、本気で心配してくれている。どうして皆、自分と何かあったと思うのか、と複雑な心境になりつつも心配なのは松も同じだった。何しろ、美希以上にキズナを送り続けているのだ。


《お疲れ様です、儚那さん。今日はアメフト部のイソッチさんが来てくれました。今度ウエイトリフティングのフォームを、あらためて見て欲しいそうです。俺も練習は続けてますから、是非チェックしてください。では、また》

《こんばんは、儚那さん。今日は女子サッカー部のみんなが、フィールドで自主トレしたいと言ってくれました。前に儚那さんから教えてもらったコーンやラダーを使ったドリルを紹介したら、全員一所懸命やっていました。儚那さんの指導も、久しぶりに受けたいとのことです。やっぱり、俺じゃまだまだですね》

《儚那さん、チア部の美希さんも心配してくれてます。指導を受けるアスリートとしてじゃなく、友人として何かできることがあったらいつでも言って欲しいそうです。もちろん俺も同じです。友人というか、後輩としてですけど。あ、もちろん美希さんを口説いたりセクハラまがいの真似は、これっぽっちもしてませんからご安心を! 笑》


 しかし、いずれも既読マークがつくばかりで返信はなかった。




「儚那さん……」


 今日も隣が寂しいトレ室のカウンターで、松は無意識のうちにつぶやいていた。もう半月になる。来週末はいよいよ、東京都芸術フェスティバルの本番だ。演劇部の方は昨日の時点で最後の指導も無事終えて、部長からは「本当に頼んで良かったよ。本番当日も是非、帯同してくれないか?」と、感謝の言葉とともにスタッフIDまで渡された。


 ……このまま来ないつもりかな。


 ミッチー、GB、チャーミーさんも連絡は取ろうとしているが、やはり応答はないらしい。一点だけ気になるのは、あの佐久間龍翔とかいう振付師に出会ったのが原因らしいと伝えると、「ああ……」と皆が揃って微妙な反応をしたことだ。

 さすがに松も、それを流すわけにはいかない。


「佐久間さんて人、儚那さんのなんなんですか? どういう関係なんですか?」


 と、珍しく先輩たちを強い口調で問い詰めたが、

「ごめんね、カドマツ君。ちょっとプライベートな話だし、僕らの口からは言えないんだ」

「ソーリーです、カドマツさん」

「でも、儚那ちゃんの元カレとかじゃないから。そこは安心して」


 といった感じで申し訳なさそうに断られてしまい、さらにはつっこめなかった。


 ……なんだよ、普段は〝あたしのアシスタント〟とか言い張ってるくせに。


 雲隠れを続ける儚那自身にも不満が募ってきて、彼女ではないが勝手に頬がふくらんだりもする。

 気持ちを落ち着かせようと、大きな溜め息を吐いたときだった。


「なるほど。カドマツ君は相当、桜木さんが気になるんですね?」

「え?」

「溜め息というのは呼吸に関わる筋肉をリラックスさせ、副交感神経優位の状況を意識的に作ろうとする身体のサインです。つまり、それだけストレスを抱えているという証拠です。この場合はもちろん、桜木さん絡みでしょう」


 いつの間にかトレ室の出入り口に、白衣を来た中年男性が立っていた。しかもよく見ると、足下はサンダル履きである。


「それに、ミラーリングもしていますしね」

「ミラーリング?」

「好意を抱いている相手の仕草や動作を真似る行いです。本人に伝われば逆に好感度アップにも繋がるので、ビジネスマンの営業テクニックとしても知られていますよ」

「はあ!? ……って、そんなことより!」


 どこからつっこめばいいのだろう。儚那に関する誤解もだが、それ以前にトレ室はサンダル禁止である。そもそも白衣を着て入室してくる時点で常識を外れている。


「すみません、ここはトレーニングする場所なので、運動する格好じゃないと――」

「ああ、申し訳ない。うん、でもきっちりしてるところも、ますます桜木さんによく似てますね。さすがパートナー。似た者夫婦。ナイスアベック」

「だから俺と儚那さんは、そういうのじゃありません!」


 思わず大きな声が出てしまった。ただでさえ、その儚那に対してちょっともやもやしているのだ。というか、アベックってなんだ。昭和の死語か。


「うんうん。表向きには否定する、見事な反動形成だ。本当の気持ちとはわざと反対の言動をとってしまう。ほら、アレだ。子どもが好きな子をいじめちゃう姿とか、『嫌よ嫌よも好きのうち』っていうことわざ、知ってるでしょう?」

「だから違うって言ってるでしょう! 大体あなた、なんなんですか! トレ室は運動できる格好じゃないと、入れないルールなんです!」

「うん。わかってます」

「は?」

「だってそれをルール化したの、私ですから」

「え」

「いやあ、大変でしたよ。最初はチャーミーさんとGB君だけで。スポーツ医科学サポート同好会なのに、フィジカルコーチもアスレティックトレーナーもいないんだから。二人の腕がたしかなのは口コミですぐ広まったんだけど、やっぱり現場にトレーナーを派遣して欲しいとか、トレ室を管理して欲しいって声を沢山いただきましてね」

「…………」


 まさか、と思いながらも、すでに松の頭は確信していた。


「だから去年、桜木さんと友岡部君が入ってくれて本当に助かったんですよ。これで本格的に活動できる、学長に大見得切っちゃったけどなんとか形にできるって」


 この人が、おそらく。


「カドマツ君のことも聞いてますよ。桜木さんに憧れて演劇部から移籍した、有望なアシスタント。彼女のお気に入り」

「……入部の動機が思いっきり間違ってるんですけど」

「そう? まあいいでしょ、心理的には合ってるはずだし」

「合ってません!」

「ああ、ほらほら、落ち着いて。深呼吸して筋肉も緩めましょう。リラクゼーションも立派な心理的スキルなんだしね。はい、大きく息を吸ってから、フ~ッ」

「フ~~ッ……あ」


 つい釣られてしまった。しかも本当に落ち着いてきたのが、なんだか悔しい。

 あらためて松は、目の前の人物を見つめた。心理学の話をやたらと持ち出す白衣の男性。スポイカを創立し、先輩たちと育て上げてきたとみずから語る怪しいおじさん。


「ほら、心拍数も整ってきたでしょう。こう見えてもメンタルは専門ですから」


 自分はこの人を知っている。今日まで会ったことこそなかったが、さんざん名前を聞かされてきた。


 無精髭の生えた顔に笑いじわを浮かべて、男性がさらりと名乗る。


「あ、自己紹介がまだでしたね。スポイカ顧問のメンタルトレーナー、()(づま)(かん)(ざぶ)(ろう)です。やっと会えたねえ、カドマツ君」




「やっぱり、カンザブロー先生だったんですね」


 先輩たちと同じく下の名前で呼んでしまい、慌てて松は「すみません」と言い添えた。


「いえ、全然いいですよ。私もカドマツ君て呼んじゃってますし。ニックネームで呼ぶという行為は、親近感を示すのと同時に相手を覚えたい、知りたいという心理の表れです。つまり、君と私はおたがいに興味を抱き合っているというわけですね」


「はあ」


 放っておいたら延々と心理学の講義を聴かされそうなので、松は気持ちを切り替え、もっと大事なことを訊いてみようと思った。


「あの、カンザブロー先生」


 とぼけた印象だが、この人なら儚那の無断欠席の理由について、何か知っているかもしれない。これまでも「カンザブローに会ってくる」と、彼女はしばしばトレ室を留守にしていたし、それなりに親しいはずだ。


「儚那さんのこと、何かご存知ですか?」

「何か、とは?」


 微笑を浮かべたカンザブロー先生が、逆に尋ねてくる。


「最近ずっと、スポイカを休んでるんです。演劇部の稽古場で、昔の知り合いっぽい人に会ってから」

「みたいですね。一応顧問なので、他のメンバーからも伺ってますよ。ああ、ちなみにその〝昔の知り合い〟の方は、桜木さんの元恋人とかではないので安心してください」

「…………」


 どうしてこう、みんなして同じ注釈をつけるのだろう。それはさておき、やはりカンザブロー先生はいろいろと把握しているらしい。演劇部の振付師として現われた佐久間という男性について。そしてもちろん、儚那自身について。


「あの佐久間さんて人と儚那さん、どういう関係なんですか? 足は大丈夫かとか、トウシューズを脱いだとかみたいな話をしてましたけど、ひょっとして儚那さんもダンサーだったんですか? だったらなんで、スポイカでトレーナーをやってるんですか?」


 無意識のうちに質問が止まらなくなっていた。同時に、二週間前の光景がふたたび思い出される。初めて目撃した、まったくもって〝らしくない〟儚那の姿が。

 トレードーマークの強い光が消え失せた瞳。その場にいたたまれない様子で、弱々しく伏せられた顔。


 ――あんな儚那さん、二度と見たくない。


「気になりますか?」


 唇を噛んだ松に、カンザブロー先生は最初と同じ問いを投げてきた。先ほどと変わらない、余裕のある微笑で。

 真っ直ぐに視線を返して松も答える。


「気になります」


 今は隣にいない女性を思い浮かべながら。彼女のように瞳に力を込めながら。


「僕はスポイカの、儚那さんのアシスタントですから。あの人の弟子ですから」

「うん、いいミラーリングだ。桜木さんそっくりの目力ですね。君が知りたがったら遠慮せず教えてやって欲しいって、彼女が言うのもわかります」

「え」

「他のスポイカメンバーは、すでに承知している話ですが――」


 そうしてカンザブロー先生は、儚那に関するエピソードを話してくれた。

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