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「だからなんでお前は、いちいち台詞がかぶるんだ。そんなにあたしに憧れてんのか? あ、このヘンタイめ、まさかあたしをオカズにして――」
「たまたまですよ! しかもそれ、またセクハラじゃないですか!」
美希に失笑されながら二人がまだやり合っていると、今度こそ実習室に繋がるドアが開いた。
「ミキティさん、アーユーOK?」
「あ、GBさん。ごめんなさい、いろいろご迷惑をおかけしちゃって」
「ノープロブレムですよ。それにミキティさんのマフィンもティラミスも、ほぼシタゴシラエは終わってましたので。出来上がりはこちらになります」
GBは美希が作りかけていたマフィンとティラミスを、わざわざ仕上げて持ってきてくれた。しかもちょうど人数分あり、トレイにはティーポットとカップまで乗っている。
「わあ! 美味しそう!」
マフィンには抹茶プロテインを使ったのだろう。うっすらと焼き色のついたよもぎ色が、ふっくらとカップから盛り上がっている。ティラミスの方も見事な出来栄えで、焦げ茶色のスポンジとクリームチーズの上に、プロテインをまぶしたココアパウダーがまんべんなく振りかけられ、お洒落にミントの葉まで添えてあった。
「おお、美味そうだな」
「カフェとかで、普通に出てきそうですね」
じゃれ合っていた(?)儚那も松も、すぐにそちらへと意識が引っ張られる。
「ミキティさんのシタゴシラエがパーフェクトだったので、マフィンは焼くだけ、ティラミスもココアプロテインをかけるだけでした。さ、イタダキマスしましょう」
「GB、講義はいいのか?」
「今はシショクタイムですから、自由にゴカンダンいただいてます。ノープロブレム」
そうして皆で食べたプロテイン・マフィンとプロテイン・ティラミスは、
「うわ! これどっちも、下手なケーキ屋さんとかより美味しいです!」
と、松が素直に感心してしまうほどの味だった。
「だな。よし、次のバレンタインはみんなにこのマフィンを作ってやろう」
「そういえば儚那ちゃん、お菓子作りもできるのよね?」
「トレーナーの嗜みってやつです。……って、おいカドマツ、なんだその顔は」
「いえ、なんでもありません」
美希の言葉から察するに、儚那は菓子作りまでこなせるようだ。ただしこの人がエプロンをつけて台所に立つ姿などは、どうにも想像しづらかった。営業用の格好をしていればまた別だろうが。
複雑な顔をするしかない松を見て、GBがおかしそうに微笑んだ。
「私もオカシヅクリやジスイはしますよ。ムスリムでポークが食べられないので、ガイショクはどうしても気を遣いますし。もちろんアルコールもダメです」
「ムスリム、ってイスラム教徒のことですよね?」
「そっか。GBさん、講義でUAE出身て仰ってましたね」
ああ、という顔で頷き合う松と美希とは対照的に、当然ながらすでに知っているらしい儚那だけは、のんびりとティラミスを口に運び続けている。
「それほど厳しいシューハではないですし、私自身、ワガシやボディビルが好きなフリョーガイジンなので、ポーク意外は好きなものを食べてますけどね。日本は食べ物がチョー美味しくて、ヨリドリミドリです」
和菓子とボディビル好きなのが、どうして「不良外人」なのかは意味不明だが、なんにせよGBの日本の食文化への馴染みっぷりは松もよく知っている。
「私の母国、アラブ首長国連邦は――」
GBの口調が変わった。例の固くて真面目な日本語が紡ぎ出されていく。
「石油で豊かになるまでは、遊牧や真珠の採集が収入源の質素な国でした。祖父も、もともと遊牧民です。今のドバイのように世界中の人が集まって、世界中のものが食べられるような経済状態へと成長したのはここ五十年ほど、つまり日本の戦後よりも短い期間です」
学業においてはこの国の文化史が専門だからかもしれないが、GBは日本史自体についてもかなり詳しい。時代劇や歴史小説が好きな松とは、しばしばその手の話で盛り上がったりもする。
「祖父は経済発展後のドバイに引っ越すまで、触れたことすらない食品が沢山あったそうです。オレンジやグレープフルーツといった柑橘類、大きくて新鮮なトマトやキュウリ、もちろんマフィンやティラミスのような美味しいお菓子もです」
「砂漠の国だもんな」
ティラミスのカップを持ったまま、儚那も真面目な顔で頷いた。
「そうです。ちなみにミキティさんとカドマツさんは、UAEの人口の九割近くがじつは外国人だという事実を知っていますか?」
「え?」
「そうなんですか?」
「経済発展とともに出稼ぎにやってきたアジア、欧米の人々がほとんどなのです。私や家族のようにUAE国籍を持つ人間は、全体の二割にも届きません」
「へえ」
知らなかった。GBと日本の話で盛り上がるくせに、彼の国について詳しく質問した覚えがない自分に思い至った松は、なんだか恥ずかしい気持ちになった。
「だからなのか、UAEの伝統料理なども失われつつあるのです。エジプト料理やインド料理ぐらいなら聞いたことはあっても、アラブ料理なんてほとんど馴染みがないでしょう?」
「たしかに。あ! だからGBさんは、逆に和菓子がお好きなんですか?」
美希が顔を上げた。
「はい。タンジュンに甘党っていうのもありますけどね。オール・オーバー・ザ・ワールドのフードを食べられる経済大国にも関わらず、トラディショナルな食品、食材へのリスペクトも忘れない。そんな日本の食文化が、いずれにせよ私は大好きです」
熱が入って、本人が言うところの「キンチョー感」が薄れてきたようだ。
「だからこそ、ここでは自分がイートするものにもっとアテンションして、自分でシンキングして、チョイスしていかなければなりません。スポーツをする人ならナオサラです。食事だって、セルフ・コンディショニングの一つなんですから」
そういうことか……。
すっかり普段通りの、だが変わらずに心のこもった声を聞きながら、松はGBの想いを理解した。隣を見ると美希も、納得した表情で何度も頷いている。
「ミキティさん」
「はい」
「You are what you eat」
「〝あなたは、あなたが食べたものである〟?」
さらりと訳してみせる美希に、松は少し驚いた。儚那と同じく彼女も英語ができるのかもしれない。
「イエス! イッツ・トゥルーです。ミキティさんの身体をつくるのは、ミキティさんが口にしたものだけです。センエツながら、ハカナさんから伺いました。オーバーなショクジセイゲンで、アシドーシスも出ているかもしれないと」
「は、はい。ごめんなさい」
「ゴメンナサイすることではありませんよ。でも、きちんと食事を摂りながら、そのなかでファットやカロリーをコントロールする、コレクトなダイエットをしましょう」
「あ、はい!」
素直に返した美希が、松たち全員に向けてぺこりと頭を下げてきた。
「あの、今さらで申し訳ないんですけど、スポイカの皆さんにあらためて食事のアドバイスとかをいただいていいですか? トレ室でお会いできたときだけでも構わないので」
「オフコース。いつでもウェルカムですよ」
「けどGB、お前はそんなにトレ室にいねえだろ」
「オー、ソーリー。では、ハカナさんかカドマツさんですね」
「え? 俺ですか?」
自分に栄養指導などできるのだろうか、と松は目を丸くした。しかも相手は美しいチアリーダーだ。
「ノープロブレムです。私もヘルプしますし、ネクスト・マンスからはいつも通りハカナさんもイッショでしょう?」
「はあ」
「ごめんね、カドマツ君。お手数かけちゃうけど、お願いします」
上目遣いで美希に言われ、「とんでもないです!」と松は慌てて両手を振った。顔色とともに彼女らしい魅力も戻っているため、ついドキリとしてしまう。
「お礼に私も、バレンタインに何か作らせてね」
「えっ!?」
なぜそこで儚那の方を窺ったのかはわからないが、結果として激しく後悔する羽目になった。
「……カドマツ、貴様いい度胸だな。あたしの目の前でミキティさんをナンパか。バレンタインにイチャコラしやがるのか。貧乳マニアってのは世を忍ぶ仮の姿で、じつはおっぱい星人だったのか。このドーエンタイめ。裏切り者め」
黒い瞳が、いつもとは別の意味で光っている。
「い、いや、違いますって!」
「やかましい! まだまだお前には教育が必要だ! あとでトレ室集合! スナッチとクリーン&ジャーク、ついでにスクワットとチンニング、全部十セットずつ!」
「ちょ……なんですか、それ!? しかも十セットって、どう考えても科学的な根拠ないでしょう! ただの根性トレーニングじゃないですか!」
「うるさいっ! 巨乳じゃなくて悪かったな!」
「誰もそんなこと言ってないし!」
必死に抗議する横で、美希がいたずらっぽくつぶやいたようにも思ったが、松は聞こえないふりをしておいた。
「やっぱり儚那ちゃんには、敵わないかな」




