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以来、美希はほぼ毎日のようにトレ室を訪れてくれている。
そんなにやせる必要、ないように見えるんだけどな。
トレッドミル、世間ではランニングマシンと呼ばれる機械の上で黙々とジョギングを続ける姿を見ながら、だが松は少し気になっていた。
真剣な取り組みの甲斐あって、美希のダイエットは順調らしく、
「お陰様でもう二キロも減っちゃった。ありがとう、カドマツ君」
と、今日も嬉しそうに報告された。半月ちょっとでそれくらいの減量というのは、たしかに順調なのだろう。アドバイスさせてもらった水分補給に関しても、こまめにボトルを口にする姿が見て取れる。ただ。
前の野々村さんの方が、なんか可愛かった……かも。
という風に感じてしまうのだ。単なる個人的な印象だろうし、大体たった半月で外見がそこまで変化するわけでもない。もちろん美希自身の親しみやすいキャラクターも一切変わっていない。むしろいつも顔を合わせるので距離が縮まり、ほぼ敬語なしで話してくれるようにもなった。先日、学食で見かけた際には向こうから手を振ってくれたりもして、周囲の男子から敵意に満ちた視線を浴びせられたほどである。
でもなんていうか、儚那さんみたいな感じじゃないんだよなあ。
なぜそこで儚那を基準にしたのか自分でもよくわからないが、いずれにせよ違和感を感じるのもたしかなのだった。
「傍若無人さが足りない? って、そんなわけないか」
思わずつぶやいて苦笑してしまう。やはり気のせいかもしれない。
ちなみにその儚那は、近くの高校からトレーニング講習会のお願いをされたとかで、今日は不在である。スポイカの評判が口コミで広まってきたのか、今月は同様の依頼が重なって忙しそうだ。「お前も連れてってやりたいとこだけど、ドーエンソーは女子高生見るだけで鼻血出しそうだから却下だ」などとのたまっていたが、トレ室の留守番役が計算できるというのは、なんだかんだ言って便利ではあるらしい。
「誰かがいるだけで、なんかあったときに全然違うしな。実際、お前のお陰で助かってるよ。サンキュ」
いつだったかの朝トレのとき、あらぬ方向を見ながら不器用にお礼も言ってくれた。もっとも、「あ、ツンデレ顔」とつい漏らしてしまった次の瞬間、
「なんだとこら!? スナッチ、もう五セット追加!」
と怒声が飛んできたが。
そんなことを考えるうちに、美希のトレーニングは終わったようだった。使用したトレッドミルを、備え付けの雑巾でしっかり拭いてくれている。
「いいですよ、野々村さん。僕がやりますから」
「ありがとう。でも悪いわ、汗かいちゃったし」
「いえ、それが僕たちの仕事ですから。大体、汗とか埃とか気にしてたら、トレーナーなんてできませんよ」
師匠を勝手に自称する人などは、二度目に会った時点で、「なんならあたしの足も嗅いでみるか?」などと言ってきたくらいなのだ。衛生面にはもちろん留意するが、いちいち汗だの埃だのを嫌がっていたら、特にフィジカルコーチなどは務まらない。
「ありがとう。さすが、儚那ちゃんのお弟子さんね」
必死に否定してきたつもりなのに、不本意な師弟関係が既定事実化している。ともあれ。
「野々村さん、コンディションはどうですか?」
気を取り直した松は、美味しそうにボトルを傾けている彼女に問いかけてみた。特に深い意図があったわけではない。他に利用者もいないし、黙ってトレッドミルを拭くのも間がもたないと思っただけだ。
「うん、大丈夫。身体が軽くなって、むしろ調子いいぐらいかな。あはは」
「そうですか。良かった」
「どうして? 体調、悪そうに見える?」
「いえ。ただ、ずっと頑張ってらっしゃるんで。チア部の活動もあるでしょうし、一号館で居残り練習するぐらいなのも知ってますから」
「あら、私のこと忘れてたくせに」
「そ、それは、その……。すいません」
「ふふ、優しいのね、カドマツ君。儚那ちゃんが甘えるの、ちょっとわかるな」
「え!?」
完全に想定外の言葉が飛んできた。
「チア部だって運動部だから、儚那ちゃんの本当のキャラについては私も噂程度には聞いてたの。けど、ほとんどの人にとって彼女は、〝ミス・テト大のハカナ様〟でしょう?」
「ああ、はい」
「それが縁もゆかりもない演劇部のカドマツ君をスポイカに迎え入れて、あんな風に素の自分をさらけ出してるのよ? よっぽどあなたのことを信頼してるか、さもなくば――」
「さもなくば?」
「人畜無害だと思われてるか、かな」
「……間違いなくそっちでしょうね」
やれやれ、と松は息を吐いた。
なんにせよ、美希のコンディションは悪くないようだった。
翌朝。
「ハカナさん。トゥモロー、カドマツさんをレンド・ミー・プリーズです」
「ん? ああ、いいぜ。その代わり今度、プロテイン・ハンバーグのレシピ教えてくれ」
「オヤスイゴヨーでサービスマンテンです。ディス・イブニングに、キズナしますね」
「サンキュー。というわけでカドマツ、明日はGBを手伝ってこい」
「はい」
もはや驚かないし特に不満もないが、自分の意向などは無視して予定を決められてしまった松は、苦笑とともにGBへと視線を移した。
「GBさん、よろしくお願いします」
「サンクスです、カドマツさん。カセイガクブさんのゼミでニュートリション&プロテインスウィーツ・セミナーをするので、アシスタントをプリーズです」
「あ、前にキズナで言ってたやつですか?」
「イエス、イエス」
朝トレ後、珍しく全員が揃った部室で彼が語ったところによると、二ヶ月ほど前、スポイカ顧問のカンザブロー先生とも親しい教授から、栄養セミナーと、合わせてプロテインを使ったスウィーツの調理実習を是非やって欲しい、とお願いされたのだという。管理栄養士のGBならではの依頼だ。
「クリスマスも近いですし、きっとビューティフルなジョシが、メニイメニイいらっしゃいますよ」
「そっか、家政学部ですもんね」
「おい、すでに鼻の下伸ばしてんじゃねえ。一応言っとくがエロ行為は厳禁だからな。小麦粉こねるふりしておっぱいこねたりした日にゃ、二百キロでスクワットさせてやる」
「なんですか、それ」
口をつっこんでくる儚那に、松は呆れた顔を向けてみせた。最近はこうして受け流すことも覚えたが、つまりはパワハラ&セクハラ発言への対応に慣れてしまっているわけで、そんな自分が少々悲しい。
「大丈夫だよ、カドマツ君は。いつも儚那ちゃんやチャーミーさんを見慣れてるしね」
「ありがと、ミッチーちゃん。ていうかカドマツ君は、おっぱいよりちっぱいが好きだから、我慢できるわよね」
「ザッツ・ライト。ではカドマツさん、チッパイなしでモウシワケありませんが、よろしくお願いしますです」
もはや意味不明なフォローの数々にも動じることなく、「はい。なんにせよ、頑張ります」と松は苦笑とともに頷いたのだった。