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「すみません、レッサーさん。やっぱり俺、指導はできません。ミッチーさんや儚那さんはきっと、レッサーさんに自立して欲しいんだと思います」
チャーミーさんに呼び出された日の午後、女バスの練習前に体育館へ足を運んだ松は、レッサーをつかまえて正直にそう告げた。
「自立、ですか?」
「はい。俺たちはもちろんチームのスタッフですけど、レッサーさん個人のパーソナルトレーナーじゃありません。それに、プレイするのはレッサーさん自身ですから」
「あ……はい」
しっかりと目を見て諭すように伝えると、レッサーは頬を赤く染めながらうつむいた。面と向かって言われ、自分でも思い当たる節があるのだろう。
「もちろん何もしないわけじゃありません。ミッチーさんがトレーニングプログラムを渡したように、こうすればいいよ、こういうところにまずは気をつけよう、っていう風に道を示すことはできます。ていうか、俺たちの仕事はそこだと思うんです」
目を逸らさずに松は言葉を重ねる。
「恥ずかしながら俺も知らなかったんですけど、トレーナーの語源であるtrainていう単語には、引っ張る、長く続ける、っていう意味があるそうです。手取り足取り面倒を見るんじゃなくて、レッサーさんたちアスリートが行くべき方向をガイドして、そちらの向きへ引っ張る。正しい努力を続けられるように粘り強く見守る。だから、俺たちトレーナーが道を示したら、あとはレッサーさんに自分の足で進んでいって欲しいんです」
チャーミーさんがくれたヒントのお陰で、松は気づけた。自分で考える、と伝えた際に彼女(彼?)は、「もうわかってるじゃない」とも言ってくれた。
ミッチーがピューマばかり身につけること。儚那たちがレッサーを突き放すこと。そんな選手がいる部に松を連れてきたこと。
そう。アスリートは本来、自立していなければならない。トレーナーという存在は、その自立も含めて彼ら・彼女らに目標を示し、ガイドする専門家なのだ。逆に一から十まで面倒を見て甘やかすような行為は、トレーナーとしての仕事を放棄しているとも言える。
「レッサーさんの身体や心に触れられるのは、俺じゃなくてレッサーさん自身ですから」
「は、はいです!」
真っ赤な顔で返事をされた松は、はっと我に返った。
「あ、すいません! つい説教するみたいになっちゃって……って、え? ええっ!?」
パチパチパチ、となぜか拍手が降り注いできた。「やるう!」、「カドマツ君、素敵!」、「レッサー、そのまま告っちゃいなよ!」などと、からかうような声まで飛んでくる。
いつの間にか、松とレッサーの周りを女バス全員がぐるりと取り囲んでいた。ミッチーの姿もある。さらには――。
「なんで儚那さんまでいるんですか!?」
「なんだよ、いちゃ悪いのかよ。不肖の弟子が女バスに迷惑かけてないか、チェックしに来てやったんだろうが」
「いや、だって」
するとミッチーが笑いながら、ぽんと肩を叩いてきた。
「ありがとう、カドマツ君。僕が言いたいこと、全部伝えてくれて」
「あ、いえ、すいません」
「大正解だよ。まだ一年生だからかもしれないけど、レッサーは周囲に甘えちゃう傾向があって、チームのみんなもそこがもったいないって気にかけてたんだ。プレイヤーとして、せっかくいいものを持ってるのに」
キャプテンのユッコがあとを引き取る。
「セルフ・コンディショニング、つまり自分のコンディションは極力自分で整えるっていう意識があたしたちは身についてるけど、この子はまだまだ甘えん坊でね。どうしても周りに頼りがちになっちゃってたの。スポイカの皆さんもすぐに気づいて、ちょっとレッサーを突き放すけど見守っていて欲しい、ってわざわざあたしたちに断ってもくれたんだ」
「そうだったんですね」
たしかに二年や三年の先輩部員たちは、テーピング程度なら自分の手でさっさと済ませていた。むしろあれこそが、アスリートとしてのあるべき姿だったのだ。
「そろそろ自覚し始める頃かとも思ってたけどね。なんにせよカドマツ君の言ったこと、わかってくれたよね? レッサー」
「はい! あの、すみませんでした! 皆さんにご心配ご迷惑ご不便ご心労を、おかけしてしまいましまして……」
「相変わらず、テンパると日本語がおかしくなるやつだな。ま、あたしの弟子にゃ、そもそもガイドできるだけの力はねえけど、それでも自分なりにお前のことを考えてくれたってわけだ」
近づいた儚那がレッサーの頭をくしゃっと撫でる。なんだか姉妹のようだ。
「だからしっかり自立して頑張っていこう、レッサー」
「はい! ありがとうございます! 頑張ります!」
ミッチーもようやく優しい声をかけてくれたので、レッサーは嬉しそうに頷きまくっている。その仕草を微笑ましく見つめていた松だが、「それにしても」と自分も話を振られた。
「さっきのカドマツ君、儚那ちゃんにそっくりだったね」
「え?」
「トレーナーの話になるとこう、夢中で語り始めてさ。目力まで強くなるところもよく似てたよ」
「ええ!?」
喜んでいいのか悪いのか。いや、それ以前にちょっと恥ずかしい。
「あ! あたしも思いました、それ! ね?」
だがユッコまで同じことを言い出し、周囲もふたたびかしましい声を上げ始めた。
「うん。うわ、桜木さんみたい! って」
「背中が真っ直ぐ伸びてるとこなんかも、そっくりだよね」
「お二人って、そういう関係なんですか? 似た者夫婦?」
「カドマツ君もイケメンだし、お似合いですね!」
ちょっと待ってください、と切り出す暇もない。アスリート集団とはいえ、こういうところは女の園ならではである。
なんとかしなければ、と儚那を盗み見ると、あからさまに不機嫌そうな視線とぶつかってしまった。
喜怒哀楽をはっきり出してくれた方がこの人らしくていい、と思ったのはたしかだ。けれどもできるならば、「怒」の感情は避けたいのだが……。
「おいこら、カドマツ」
「……はい」
「なんだこの、三流ゴシップ誌みたいなコメントの数々は」
「し、知りませんよ! 俺はなんにも言ってません!」
「そもそもなんでお前、あたしの真似なんてしてやがるんだ。使用料払え」
「なんでですか! 大体真似なんて、したいとも思いませんから!」
「なんだと!? それは何か、あたしの存在を全否定してるってことか? ああん?」
「いや、そういう意味じゃなくて――」
毎度ながら、このジャイアン的思考はどうにかして欲しい。
「あれ? 夫婦喧嘩ですか?」
「でもやっぱ、テンポがいいですよね。ボケとつっこみっていうか」
「うん。夫婦っていうより相方って感じ?」
またしても聞こえてきた黄色い声に、二人の台詞が重なる。
「違う!」「違います!」
お互いに、しまった、という顔でふたたび目が合ったところで、ミッチーの笑い声が響いた。
「ね、やっぱり似た者同士でしょ? 何はともあれ、今後ともスポイカをよろしく」