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翌日。
「で、どうだった?」
「え?」
「誰にしたんだよ?」
「はい?」
「やっぱレッサーか? それともモエか? いや、キャプテンのユッコさんもああ見えて、なかなかの貧乳だからな。うーん」
「……なんですか、その失礼な評価の仕方は」
ダンベルを磨きながら、松は隣の儚那を呆れ顔で見つめた。言うまでもなく、昨日から始まった女バスでの活動についてだろうが、訊き方が根本的に間違っている。
ちなみに彼女いわく、「新入生が入ったときとか、四年が引退して新チームになったタイミングとか」で、女バスにもスポット的にトレーニング指導をした経験があるのだという。仮にそうでなくとも、このトレ室の主みたいな存在なので、様々な運動部に顔見知りが多いらしい。
意味不明かつ失礼な質問はさておき、ミッチーに頼まれた松は昨日の午後からさっそく、女バスのサポート活動に助手として同行したのだった。じつは女子部ということで少々緊張もしていたが、アメフト部同様に明るく爽やかなスポーツウーマンばかりで、快く受け入れてもらえた。
「皆さん気持ちのいい人でしたけど、だからこそ、そんな目で見られるわけないじゃないですか」
「皆さん気持ちいい……って、まさかお前、初日から取っ替え引っ替えで――」
「違います!」
もはや慣れたタイミングで、松は被せ気味に否定した。同時にますます呆れてしまう。この人の相手をするのは、ある意味トレーニングよりも疲れるんじゃないだろうか。見た目はじゅうぶん魅力的なのに、中身はまるでセクハラ連発のおっさんである。
「あ、でも」
「うん?」
昨日の活動を思い出した松は、自分にとって意外だった点について尋ねてみた。
「ミッチーさんて、現場だとあんな感じなんですか?」
「あんな感じ?」
「気のせいかもしれないですけど、思ったより淡々としてるっていうか、素っ気ないっていうか」
「おお、そうか。そう見えるのか」
「え?」
だが儚那は、お得意のにっという笑顔とともに、満足そうに頷くばかりだった。
優しくて穏やかな、ザ・いい人。
ミッチーという先輩に対して、松はずっとそう思っていた。いや、もちろん今も基本的な印象は変わっていない。
けれども女バスでの彼は、いつもと少しだけ違った。決して冷たくはないのだが、儚那に語った通り、どちらかというと「職人」といった感じで、淡々とトレーナー活動をしていたのだ。そういえば昨日の朝、レッサーこと佐々木詩織が訪ねてきたときも似た雰囲気だった。だからというわけでもないだろうが、練習中に部員たちがミッチーのところへ来るのはまれで、上級生らしき人たちは、テーピングも自分でさっさと巻いていたほどだった。
「別に部員の皆さんと、仲が悪いとかじゃないんですよね?」
「当たり前だ。もちろんセクハラの心配もないぞ。貧乳好きのお前じゃあるまいし」
「そんな心配はしてませんけど」
またしてもの失礼なひとことはともかく、実際ミッチー本人も、「たまたま女子部を二つ担当させてもらってるけど、一度もそういう気になったことはないよ。いろんな意味で、女の子として見れなくなっちゃうし」といつだったか苦笑していた。
儚那とGBも、
「指導対象を男として意識する方法なんて、むしろ聞きたいっつーの。そもそも自分より動けない野郎なんぞ、キンタマついてないも同然だ」
「ショーヒンに手を出してはいけません。それに、どんなに美味しそうなドラヤキでも、いつも目の前にあると、食べたいという気持ちがナエてしまいます」
とのことで同様だという。チャーミーさんには直接訊いていないが、儚那によれば「あの人こそまったく心配いらねえのは、カドマツもわかるだろ。チャーミーさんにとっちゃ、自分のとこに来るやつは全員が鍼用のモルモットだ」とかで、いずれにせよトレーナーという人種は、自然とそういう感覚になってしまうらしい。
ではやはり気のせいだろうか。ミッチーも人間だし、たまたま機嫌が良くなかっただけかもしれない。いや、でも……。
ふたたび考えかけたところで、入り口から元気な声が聞こえてきた。
「失礼しますです!」
「お、レッサー」
「あ、レッサーさん。こんにちは」
昨日、部室にも現れた佐々木詩織、通称レッサーだ。
「こんにちは。あの、お忙しいところすみません。カドマツさんにお願いがあって来ましたです!」
「え? 僕ですか?」
「レッサー、こいつはやめとけって言っただろ。ドーエンソーだぞ?」
「どおえんそお? あ! スポイカさんもコートネームがあるんですか?」
「違います! 断じて違います! 単なるジョークというか、むしろセクハラです!」
女子バスケやバレーでは、コートネームという競技中のあだ名で呼び合う習慣があるのだという。コートネームではないが「カドマツ」という言葉が覚えやすかったからか、女バスの部員たちは、さっそくそれをコートネーム代わりに呼んでくれるようになった。
「そんなことより、お願いってなんですか?」
「えっと……その……」
話を戻した松は、レッサーの視線が儚那の方へちらりと動いたのを見て優しく続けた。
「良かったら、外で聞きましょうか?」
「はい! ありがとうございます!」
どうやら正解だったようだ。だが。
「ちょっと外に出ていいですか?」
あらためて儚那にお伺いを立てると、返ってきたのは予想外の返答だった。
「ダメだ」
「え?」
しかもなんだか複雑な表情である。喜怒哀楽がはっきり出る彼女にしては珍しい。
「ちなみにレッサー、お願いってなんだ?」
「あの、えっと、あたし腰痛持ちなんで……」
「知ってる。ミッチーからそのためのトレーニングプログラムも、もらったんだよな?」
「は、はい」
「じゃあまずは、もらったプログラムを徹底的にやることだ。第一にカドマツはまだアシスタントだ。こいつに何か聞いても、ミッチー以上のアドバイスなんざ出てこねえぞ。帰れ帰れ」
「儚那さん!」
松の口から、思わず大きな声が出た。アシスタントなのはたしかだし、ミッチー以上のアドバイスなどできるはずもない。悔しいけどそれは事実だ。でも。
「何もそんな言い方しなくても」
見ると、レッサーはしゅんとなってしまっている。しかし儚那は、追い討ちをかけるように言い聞かせた。
「いいか。スポイカとして、お前がカドマツに指導を受けることは認められない。これはミッチーも同意見だ。わかったらほら、行った行った」
「はい……すみませんでした」
うなだれたように頭を下げたレッサーは、声をかけてきたときの元気など欠片もない足取りで、すごすごと去っていった。まるで昨日の朝のデジャヴだ。
「レッサーさん!」
「追いかけんな、カドマツ」
「でも!」
「いいんだよ。ほっとけ」
相変わらず複雑な表情のままだが、それでも儚那は冷静に言ってのける。
松の胸に、もやもやしたものが生まれた。
儚那さんまで、なんだかとっつきにくい。いつもと違う。いろいろと問題ありな性格だけど、あけっぴろげで面倒見がいいこの人っぽくない。しかもミッチーさんも同意見? なんだよ、これ? なんで頑張ってる子にこんな仕打ちするんだ?
もやもやが、急速にふくらんでいく。
「どうしてですか? 運動部をサポートするのがスポイカでしょう? それにレッサーさんは俺と同じ一年です。アメフトのイソッチさんみたいに、フィジカルはもうじゅうぶんてわけでもないでしょう? だから腰痛も抱えてるんじゃないですか?」
「ああ、そうだな」
「じゃあ、なんでですか? 昨日の朝もおんなじように追い返してたし。儚那さん、腰痛予防のエクササイズとかストレッチも、俺に教えてくれてるじゃないですか」
抗議しながら、ますます興奮してきたのが自分でもわかる。だが止まれなかった。
「あれはなんのためですか? 俺のこと、いいトレーナーになれるって言ってくれたじゃないですか。単なる気まぐれですか? 儚那さんもミッチーさんも、俺をいじってこき使って遊んでるだけですか?」
「言っただろ、レッサーに関してはあれでいいって。なんにせよ、あいつに指導するのは絶対にダメだ。今のカドマツなら尚更だ」
「だからどうして――」
「うるせえな、ちったあ自分で考えろ。お前だってスポイカの一員だろうが」
やはり儚那らしくない視線を逸らす仕草に、余計にもやもやが、そしてイライラが募る。
「儚那さん、自分が男前だから、ああいう子に嫉妬してるだけじゃないんですか!?」
しまった、と言ってしまったあとに後悔したが遅かった。
「カドマツ!」
怒ったというよりは、むしろ驚いたような反応から目を背けるように、松は身をひるがえした。
「すいません……。頭、冷やしてきます」
「断じて嫉妬なんかじゃねえぞ!」
追いかけるような声が背中に届いたが、聞こえないふりをするしかなかった。