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スポイカ!  作者: 迎ラミン
第三話 トレイン
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 友岡部路広の朝は早い。平日の午前八時にはチャーミーさんとともに、どちらかが必ず部室か治療室に滞在するようにしている。アスレティックトレーナーとして正式に依頼を受けているのは女子バスケ部と、同じく女子のテニス部だけだが、その他の部活でも万が一、朝錬の際に大きな怪我や事故があった場合に備えてだ。


 とはいえ、自分が必ず一番乗りというわけでもない。先に「朝の筋トレ」を終え、プロテインを飲みながらくつろぐ儚那に遭遇することも多い。


「おはよう、儚那ちゃん」

「おう、ミッチー。おはよう」

「グッドモーニングです、ミッチーさん」


 部室のドアを開けると、この日は儚那だけでなくGBの姿もあった。最近儚那にウエイトリフティングを教わっているらしいので、今朝も一緒に練習したのだろう。

 と、ドアの陰からもう一つの声も聞こえてきた。


「あ、おはようございます、ミッチーさん」

「あれ? カドマツ君もいたんだ? おはよう。早いね」

「ええ。儚那さんの命令――」

「あたしの可愛いアシスタントが、どうしてもクイックリフトを覚えたいって言ってな。ちょうどいいから、今日からGBと一緒に教えてやることにしたんだ」

「はいはい」


 苦笑を浮かべつつ「頑張ってね」というアイコンタクトを松に送ると、同じ表情で「はい」と答える視線が返ってきた。スポイカに移籍してまだ一ヶ月だが、すっかり部の雰囲気にも馴染んでくれて自分も嬉しい。


 それにしても、儚那がみずから声をかけて誰かとトレーニングするとは。

 ミッチーは内心で少々驚いた。「その方が集中できるし、手っ取り早いからな」と基本的に自身のトレーニングは一人で行う人だし、GBへの指導も、彼の側からリクエストされたからこそのはずだ。何か心境の変化があったのだろうか。ついでに言えば、男勝りのキャラクターは相変わらずながら、最近はなんというか、少し可愛げのようなものも出てきた気がする。もちろん直接は言えないが。


「そうだ。儚那ちゃん、これ」


 カドマツ君のこと相当気に入ってるね、とは口に出さず、代わりにデイパックから大きな袋を取り出す。

 途端に、黒い瞳が嬉しそうに輝いた。


「おお、飲みたかったんだよこれ! ありがとう!」


 隣のGBもにこにこ顔である。


「ドゥオーモ・プロテインのニューフレイバー、グリーンティーですね! サンクスです、ミッチーさん」


 案の定、プロテインマニアの二人は大喜びで、「サッソク、サッキューに、サッサとトライしてみましょう」というGBの言葉とともに、プロテインシェーカーを用意して作り始めた。


「ほら、カドマツも遠慮すんな。あたしのプロテインが飲めねえとか言うなよ」


 出来上がったプロテインドリンクを、飲み会でのパワハラ上司めいた台詞とともに儚那が松にも勧める。幸いなことに「いえ、いただきます」と受け取った松も笑顔になってくれた。


「へえ、美味しいですね。抹茶味ですか?」

「おう。ドゥオーモの新作だけど、どこの店も売り切れだったんだ。いや、でもほんと美味いなこれ」

「イエス。グッドテイストです。私も村井屋さんでハッチュウしてもらおうとしたのですが、おかみさんにソッコーでリジェクトされました。飲めてハッピーです」


 GBの下宿先『村井屋』は、このあたりでは有名な老舗和菓子屋さんである。まるで関係ないお願いに、「お前それ、抹茶味ってだけで思いついただろ」と儚那ですら呆れている。


「あはは、GBらしいね。サンプル用だし、また持ってくるから遠慮なくどうぞ」


 笑って返すと、松が何かを思い出したようにこちらを見た。


「そうだ、ミッチーさん」

「うん?」

「ミッチーさんて、なんでいつも――」


 けれども、彼が言い終える前に別の声が飛び込んできた。


「おはようございます! 失礼します! お邪魔します!」


 開け放したままの入り口に現われたのは、Tシャツに短パン姿の小柄な女子学生だった。


「女バス一年の()()()()(おり)です! ミッチーさ……じゃなかった、友岡部トレーナーはいらっしゃいますでございますでしょうかっ!」


 儚那よりもさらに短いショートカットの下で、くりっとした瞳が緊張した色をたたえている。小動物系というか、レッサーパンダのような可愛らしさのある女の子だ。


「お、レッサーじゃねえか。どうした? ミッチーに告白か?」

「ち、違います!」

「んじゃ、こっちのカドマツか? やめとけ、こいつはドーエン――」

「どうしたんですか?」


 余計なことを言い出す前に、とばかりに松が被せ気味に尋ねる。すでにこのあたりの呼吸がばっちりなのが、ミッチーからするととても微笑ましい。


「あ、えっと、その……」


 一方で「レッサー」と呼ばれた女子バスケ部員は、もじもじとこちらを見つめるばかりである。けれどもミッチーが冷静な表情のままだと見るや、慌てたように儚那へと視線を移した。


「そ、それよりあたしのコートネーム、ほんとにレッサーになっちゃったじゃないですか! 桜木さんのせいですよ!」

「いいじゃん。レッサーパンダ、あたしの次ぐらいに可愛いし。なあ?」

「え」


 毎度ながらの無茶ぶりに松が固まったところで、ミッチーは仕方なく声をかけた。


「レッサー、腰は大丈夫なんでしょう? だったらまずは、この前あげたプログラムに継続して取り組んで。個々のエクササイズフォームだって全然なんだから」

「は、はい!」

「それとね」


 あれ? という顔を松がしている。


 ああ、そうか。カドマツ君は彼女のこと、まだ知らないんだ。


 内心で苦笑を浮かべて、ミッチーはもう一度しっかりとレッサーを見つめる。視線にちょっぴり厳しさを込めて。


「誰か怪我したとか、事故が起こったとかみたいな緊急の用じゃなければ、わざわざここまで来なくていいから。そのぶん貴重な朝連の時間が減っちゃうでしょ」

「はい」

「わかったら練習に戻って」

「はい……すみませんでした。お邪魔しましたでした……」


 動揺すると敬語がおかしくなる姿も、ミッチーからすれば見慣れたものだ。いずれにせよ、やれやれと思う。単なる経験則だが、こういうときは男子相手の方がよっぽどやりやすいとも感じてしまう。


「いいんですか、ミッチーさん?」


 ぺこりと頭を下げ、まるで振られた女の子のように駆け去っていった彼女を見て、松が心配そうに尋ねてくる。


「うん? 何が?」

「佐々木さんでしたっけ、彼女、ミッチーさんに相談ごとがあったんじゃないですか?」


 どう説明したものか、と一瞬躊躇していたら即座に儚那が割って入ってくれた。


「いいんだよ。全然オッケーだ」

「え? でもあの様子だと……」

「構うなって。それともカドマツ、ああいうのがタイプなのか? レッサーもたしかにおっぱい小さいけどな。要するにアレか。お前、貧乳ならなんでもいいってことか。意外に節操ねえなあ」

「そういう話じゃないですよ!」


 思わず吹き出してしまった。レッサーの登場でちょっともやもやしていた気持ちが、ほぐれていく。


「ミートゥーです。ミス・レッサーは、あれでOKだと私も思いますよ」


 やはりわかっているGBも隣で頷いてくれたので、「ありがとう、儚那ちゃんもGBも」と、ミッチーはいつもの穏やかな表情を取り戻せた。

 同時に、ふと思いついたことを松に提案してみる。


「そうだ、カドマツ君。今月一杯、女バスも手伝ってくれない?」

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