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スポイカ!  作者: 迎ラミン
第二話 トレセンレギュラー
13/31

6

「あたしのアシスタント」という言葉がまさか本当というわけではないだろうが、こうして始まった松のスポイカ活動は、儚那についてトレーニング指導の補助をするというポジションで自然と決定してしまった。

 たしかにテーピングも栄養指導も、ましてやマッサージなどできる身でもないので、自身も特段不満はない。女子サッカー部の指導日に自己紹介をした瞬間から、「門野さんは、彼女いるんですかあ?」だの、「桜木さんとのご関係は?」だのと中学生のような質問が飛んできて、


「こらこら、あんまりイジってやるなよ。カドマツはドーエン――」

「は、儚那さん! ウォームアップ早く始めましょう! そうしましょう!」


 などという会話が繰り広げられたのは、もはやお約束としか言いようがなかったが。


ともあれ一週間ほどが経過し、足もすっかり良くなった頃。


 この日は部活指導がないため、松は体育館のトレーニングルーム、通称「トレ室」のカウンターに立っていた。なんだかフィットネスクラブのアルバイトみたいだが、最大の違いは運動部の練習が終わるまで、利用者がほとんど現われない点だ。本来は全学生・職員が利用可能なものの、最初に安全面やマシンの使い方に関する講習(これもスポイカの担当だそうだ)を受けなければならないし、加えて「運動部の施設」というイメージが定着してしまっているらしい。


「変な誤解せず、もっと来て欲しいんだけどな。当たり前だけどアスリートだろうがオタクだろうが、どっちが偉いなんて全然ないんだよ。トレーニングはみんなに平等だ。たとえ総理大臣が来たってエクササイズは普通に教えるし、ここを安全に使うためのルールは守ってもらうさ」


 と儚那はさらりと言っていた。いろいろと問題ありの人物だが、こういう潔さだけは素直に尊敬できる。ちなみに松自身は、古いとはいえ同様の施設が高校にあったお陰で、マシンの扱いなどは最初から問題なかった。儚那からも「お、話が早くて助かる。さすがあたしのアシスタント」と、なんとも彼女らしいお褒めの言葉をいただくことができたほどである。


 その儚那は先ほど、「ちょっとカンザブローんとこ行ってくる。どうせ部活終わりまでほとんど人は来ねえだろうけど、一時間だけ頼む」と、あのペパーミントグリーンのクロスバイクにまたがって出かけてしまった。


 誰もいないなか、ぼーっと立っているだけというのも落ち着かないので、松は雑巾を手にトレ室の奥へと向かった。壁一面が鏡になった奥のエリアは、プラットフォームというウエイトリフティング専用の床があり、銀色に輝くバーベルシャフトと様々な重さのプレートも揃っている。

「クイックリフト」とも呼ばれるウエイトリフティング種目は、ジャンプ力や下半身のパワーを向上させるのに最適なエクササイズであり、フィジカルコーチの必修科目なのだと、初めてここに来た日、儚那に説明された。楽しそうな顔で、「今度、教えてやるよ」とも。


 ウエイトリフティングの得意なミス・キャンパス、だもんなあ。


 思い返して苦笑しながら、プラットフォームを磨いていく。


「失礼します!」


 元気のいい挨拶が聞こえたのは、プラットフォームに続いてバーベルシャフトも磨き終えたときだった。


「あ、磯川さん」


 現れたのはアメフト部のイソッチだった。練習の際、なぜか儚那がわざとらしく逃げたあの人だ。

 訊きそびれたまま今日まで来てしまったのもあるが、儚那が彼を避けた理由が、松にはいまだにわからない。そもそもイソッチは、初日で緊張していた松に気さくに話しかけてくれるようなナイスガイだし、練習に関してもチーム一と言っていいほど、真面目に取り組む選手だった。


「ああ、カドマツ君。お疲れ様です」

「お疲れ様です。今日は自主トレですか?」


 松も笑顔で挨拶を返した。この時間に一人で来るということは、チームの練習は休みなのだろう。


「うん。昨日、試合だったしね。といっても、俺はあんまり出番なかったけど。はは」


 つまりイソッチは、控え選手という立場らしい。


「でもオフ日にトレーニングなんて、さすがですね。この前も僕、磯川さんの練習への取り組みは、お世辞抜きに凄いなって思いました」

「ありがとう。俺みたいな下手くそは、地道にやるしかないからさ。あ、イソッチでいいよ。学年は俺の方が一つ上だけど、全然気にしないで。桜木さんも俺たちのこと、みんなあだ名で呼んでくれるし」


 照れくさそうに頭をかいたイソッチは、言いながら室内をぐるりと見渡した。


「桜木さんは?」

「顧問の先生に用があるとかで外出してます。一時間ぐらいで戻るそうですけど」

「ふーん。じゃあ、ちょうど良かった」

「え?」


 何がちょうど良いのだろう。


「カドマツ君」


 もう一度照れた笑顔を浮かべながら、イソッチは唇に人差し指を当てた。いつの間にか彼の方もあだ名で呼んでくれている。


「俺が今日ここで筋トレしてたってこと、桜木さんには内緒にしておいてくれるかな」

「え? はあ」

「ごめんね、ちゃちゃっと終わらせるから!」


 妙な頼みごとをしてきたイソッチは、ウォームアップを済ませると数十キロもあるバーベルでウエイトリフティングを行い、さらにはスクワットやベンチプレスにも熱心に取り組んで、


「ありがとう、助かったよ! スポイカ、頑張ってね」


 と、ほんの三十分ほどでそそくさと帰っていった。そんなに儚那と顔を合わせたくないのだろうか。

 彼が出ていって約五分後、入れ替わるように儚那が戻ってきた。


「異常なかったか? ま、誰も来なかっただろうけど」

「は、はい」


 一瞬だけ迷った松だが、本人の希望通りイソッチの訪問は黙っておくことに決めた。彼だって、陰でこっそり努力したいのかもしれない。

 しかし。


「ん?」


 すぐに気づかれてしまった。


「プラットフォーム、誰か使ったのか?」

「え? あ、ええっと……」

「アメフト部のイソッチか?」


 なんと答えようか、と悩む時間すらなかった。儚那の洞察力は本当に鋭い。


「……はい、すみません。イソッチさんが、トレーニングしたのは内緒でって仰ったので」

「だろうな」

「え?」


 なんと儚那は、それも予想済みだったらしい。


「あのな、カドマツ」

「はい」

「イソッチは真面目でいい選手だ。トレーニングへの取り組みも申し分ない」

「はい」

「だから」


 彼女の瞳が、あの強い光を発している。


()()()()()()()()

「筋トレは、させるな?」


 思わずおかしな声で訊き返してしまった。今、真面目でトレーニングへの取り組みも申し分ないと評したばかりではなかったか。


「あいつは今、筋トレ禁止中だ」

「どうしてですか? 怪我ですか?」

「いや。先週ちょっと打撲したぐらいで、むしろ全然元気」


 そうだろう。打撲に関しても、たしかプレーに支障はないと儚那自身が言っていたくらいだ。


「じゃあ、どうして?」

「元気だからこそ筋トレ禁止なんだよ」


 意味がわからない。そもそもフィジカルコーチなのに、「トレーニングするな」とは。理由は不明だが、フィールドでも彼から逃げたのはこのためだったのだろう。

 重ねてわけを尋ねようとするも、先に儚那が念を押してきた。


「いいか、次からはイソッチがこっそりやろうとしても止めろ。あたしから言われてるって伝えればいい。でもって、フィールドに追い返せ」

「そんな」


 あんなにナイスガイで、しかも熱心にトレーニングしてくれるのに?


「なんにせよイソッチは筋トレ禁止だ。もし指示を破ったら女子サッカー部全員に、お前がドーエンソーだということを――」

「わ、わかりましたよ!」


 理不尽すぎる要求だが、儚那にも何か考えがあるのかもしれない。というか、むしろ考えていなければ困る。でなければ単なるパワハラになってしまうではないか。


「ちなみに朝倉さんも同意見だから、心配しなくていいぞ」

「えっ!?」


ヘッドコーチ、つまり監督まで?

釈然としないまま、松はとりあえず従うことにするしかなかった。




「イソッチさん」


 翌日、サッカー部の指導アシスタントを終えた松がトレ室を覗くと、案の定イソッチがこっそり入っていくところだった。

 声をかけられた彼は、こちらが言葉を発する前に察したらしく、泣き笑いのような表情になっている。身体つきと相まって、大きな熊のぬいぐるみみたいだ。


「……カドマツ君。桜木さんから指示されたんだね」

「はい。あの、なんて言うか、すみません」

「いや、カドマツ君が謝ることじゃないよ。きっと何か理由があるんだろうし」


 幸いイソッチ自身も、わけあってのものだとは信じてくれているようだ。


「でも、なんでだろう」


 わかった、とばかりに頷きつつも、彼はストレッチマットにぺたんと座り込んだ。


「あ、ストレッチぐらいなら大丈夫だよね?」

「ええ、多分」


 さすがにそこまでは言及されていないし大丈夫だろう。松としても「気は優しくて力持ち」を地でいくこの人に、今以上に悩んで欲しくない。


「急に、筋トレ禁止って言われたんだよ」


 そうして本人が語るところによれば、イソッチは入部当初から筋トレにも熱心に取り組んでおり、儚那の方も「いいぞ。ガンガンやってガンガン強くなれ」という調子だったのだという。


「あの頃は俺、全然試合に出れない立場だったけどさ、桜木さんのアドバイスのお陰で身体もでかくなって、力がついていくのだけは実感できたんだ」

「へえ」

「で、朝倉さんもチャンスをくれるようになってね。初めて公式戦に出たときは緊張したけど、嬉しかったなあ」


 松はにっこりと頷いた。わかる気がする。ジャンルこそ違うが、中学、高校と自分も初めて舞台に立った瞬間は、同じような気持ちになったものだ。


「今年もこの調子でって思ってたら、夏の終り頃、いきなり筋トレ禁止令を出されちゃって」

「儚那さんからですか?」

「うん。大事な告白があるから、トレ室に来いって呼び出されて」

「…………」


 何が告白だ。いかにも儚那らしい、ふざけた伝え方である。


「まさか本当に告白されるわけじゃないとは思ってたけど、明日からここは立ち入り禁止な、ってあっさり宣告されちゃったんだ」

「すみません」


 うちの上司が失礼しました、と尻拭いするサラリーマンのような口調で思わず頭を下げる。


「いや、いいんだよ。でも本当になんでだろう。筋トレのお陰で強くなったって実感があるから、俺、やらないと不安なんだ」

「なるほど」


 これもよくわかる。ダンサー時代の自分も、しばらくレッスンをしないとなんだか気持ちが悪かった。


「プレイの調子自体は、どうなんですか?」


 なんとなく聞いてみた。もちろんアメフトのことは、ほとんどわからないが。


「う~ん、試合にはむしろ使ってもらえる回数が増えてる。まあアメフトは、出場選手が多いってのもあるけどね」

「それは良かったですね」

「ありがとう。でもやっぱり、なんだかなあって感じなんだよ」


 やはり筋トレをしないと気持ちが悪いのだろう。イソッチはふたたび困った熊(といっても、本物がどんなものかは知らないが)のようになっている。


「カドマツ君も、桜木さんから何も聞いてない?」

「すみません。イソッチさんは筋トレ禁止だからここに来たフィールドに戻らせろ、としか」

「そっか。でもまあ、カドマツ君の言う通り出番自体が増えてるのはいいことだし、もうちょっと我慢してみるよ。ありがとう、話せただけでもなんだか楽になったよ」

「いえ。本当にすみません、お役に立てなくて」

「ううん。そうだ、カドマツ君も時間があれば今度のリーグ戦、見に来てよ。次はうちの球技場でやるホームゲームだから。チア部の応援も見れて、目の保養にもなるよ。ああ、でも桜木さんを見慣れてるからそうでもないか。ははは」

「黙って営業用の格好してれば、ですけどね」


 笑い返した松は、誘われた通り観にいってみようと思った。何も役に立てない身だが、関わらせてもらっている選手たちの試合を実際に見ておくことはやはり大切だ。何よりもトレーナーとして担当している以上、彼らも「自分のチーム」なのだ。


 それにしても、どうして儚那は筋トレ禁止令など出したのだろう。

 少しだけ気が晴れたものの、結局疑問は解消されないまま週末となった。

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