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その後も松は、アシスタントというよりは新入部員めいた態で必死についていきながら、何度も感心させられた。
儚那さん、凄いな……。
もちろん彼女の指導力に関してである。
つらい努力を明るく前向きに行わせるのがいかに難しいことかというのは、まがりなりにも集団で活動していた自分にもわかる。頭ごなしに指示するだけでは「やらされている」感が強くなってしまい、モチベーションも上がらないだろう。逆に楽しさばかりを優先すると、ともすればだらけた空気が生まれやすくなる。
そのあたりのさじ加減が、儚那は絶妙だった。例えば全力ダッシュを繰り返すようなトレーニングで、部員たちが膝に手をついて苦しそうにしていると、
「ほら、頑張って顔上げようぜ! 向こうで女子サッカー部が見てるぞ! クリスマスまでまだ二ヶ月あんだから、アピールしとけ、アピール! 今年こそリア充だ!」
などと意味不明の、だが思わず笑ってしまうような声をかけ、反対にちょっと雰囲気が緩んできたと感じるや「タクオ、集中! 怪我するぞ! 細かい動きこそ丁寧に!」と、一人一人をちゃんと見ているぞ、と指摘してみせる。部員たちの側もすかさず反応して、「はいっ!」とすぐに修正する様は、一緒にやっていて気持ちが良かった。
いいチームだな。
この雰囲気のお陰もあって松は一時間弱、選手たち、そして儚那とともにほぼすべてのトレーニングを一緒にやり切ることができた。
「よーし、トレーニングはここまで! シーズン中だし軽めにしといたから、ここからはしっかりフットボールの練習してくれ! じゃ、あとはお願いします」
「わかりました。いつもありがとう」
儚那の最後のひとことは、いつの間にかフィールドに現われていた、四十代くらいの男性に向けてのものだった。おそらくは監督さんだろう。
「こちらこそ」と頷き返した儚那が続ける。
「怪我人は今んとこ、イソッチぐらいです。それも軽い打撲ですから、プレーにほぼ支障はないかと」
「良かった。磯川にも期待してますから。これも桜木さんのトレーニングのお陰ですね」
「とんでもないです」
あ、あのツンデレ顔だ、と儚那の表情を観察していたらすぐに気づかれてしまった。
「なんだよカドマツ。ちょっとこっちこい」
「すみません!」
怒られるのかと思ったが儚那は何も言わず、まず監督に紹介してくれた。
「朝倉さん、昨日からうちに入ったアシスタントです。あたしが許可するんで、なんなりとこき使ってやってください」
「あ、門野松です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。アメフト部ヘッドコーチの朝倉です。他の競技で言うところの監督になりますね。桜木墓場のアシスタントができれば、きっとどこでもトレーナーが務まると思いますよ。頑張ってください」
「は、はい!」
朝倉ヘッドコーチは穏やかな紳士で、ジャージがスーツになっても似合いそうな人だった。そんな大人ですら「桜木墓場」と無意識に呼んでしまうトレーニングとは、一体どれほどのものなのだろう。軽めと言っていた今日の時点で、ついていくだけで精一杯だったのに。
複雑な表情になりかけたところで、話に出ていた「イソッチ」こと磯川が現れた。松にすぐ話しかけてくれた、あの優しい熊みたいな部員だ。
「桜木さん」
けれども呼ばれた儚那のリアクションは、予想外のものだった。
「あ~あ~、聞こえない聞こえな~い」
なんと耳を手で塞ぎながら、逃げるようにイソッチから離れていく。
「儚那さん!?」
意味不明な、しかも棒読みの台詞には、イソッチよりも先に松があ然としてしまった。
「あら門野君、どうしたの? 足、お大事にね」
「なんで急に営業用キャラになってんですか! ていうか、何逃げてるんですか!?」
「だって、なあ」
なぜか儚那は、不服そうに頬をふくらませている。
「磯川さん、困ってるじゃないですか」
「いいんだよ、あいつは放っときゃ」
「どうしてですか?」
「いいったらいいの。ですよね、朝倉さん?」
よく見ると、たしかに朝倉ヘッドコーチも苦笑して見守っているだけだ。選手から逃げるトレーナーなんて聞いたこともないが、テト大アメフト部ではこれでOKらしい。
「ええ。ほら磯川、フォーメーション確認するぞ。早くなかに入れ」
「あ、はい。すんません!」
言われたイソッチが、すぐに頭を下げてフィールド内へと戻っていく。よくわからないが、いずれにせよ大した相談ではなかったのだろうか。
ともあれアメフトの練習が始まると、儚那は部員たちの動きを引き続きチェックしつつ、水の入ったボトルを運んだり練習用のカラーコーンを一緒に並べたりと、精力的に雑用をこなしていった。もちろん松も同様に手伝う。
「そうだカドマツ、それでいい」
「え?」
「ぬぼーっとしてるけど、こういうとこはいいんだよなあ」
「え?」
「ま、スカウトした人の目が良かったんだな。うんうん、さすがあたし」
「え」
「お前、今の〝え〟だけ、なんか違うリアクションだったぞ」
「……すいません」
そんないつもながらの会話のなかで、儚那が教えてくれたのは次のような話だった。
「あたしたちスポーツ医科学スタッフは、たしかに専門職だ。世間で言うスペシャリストってやつだ。でもな」
こちらを見つめる黒い瞳が、きらきらと輝いている。
「ボトルを並べたりボール拾いするのを、トレーナーがやっちゃいけないなんてルールはどこにもない。あたしたちだって、チームの一員なんだ」
「はい」
「ましてやフィジカルコーチなんざ、世間様から見りゃ単なる〝筋トレ屋〟だかんな。偉そうにお高くとまるなんて、勘違いもはなはだしい。一流のスペシャリストほど、いい意味で専門家っぽくないもんさ」
「はい!」
その気になれば、前ミス・テト大として少なくともキャンパス内では「お高くとまる」こともできる人なので、さすがに説得力がある。何より儚那の考え方自体に、松も心から共感できた。
「まあ、うちのカンザブローまでいくと専門家っぽくないどころか、ただの怪しいおっさんだけど」
「顧問の先生ですよね? たしか、メンタルトレーナーの」
「ああ。一歩間違えば、インチキ占い師だけどな」
怪しいおっさんだのインチキ占い師だの、自分たちの顧問をひどい言いようである。
「それより残りのボトル、反対側のライン際に並べといてくれ」
「あ、はい」
カンザブロー先生についての話は途切れてしまったが、こうしてさらに三十分ほど手伝いをしているうちに、アメフト部の練習は無事終了した。
部員たちと朝倉に挨拶して、二人並んで球技場を出る。ただしスポイカの部室にすんなり戻るのではなかった。
「カドマツ、まだ時間あるか?」
「あ、はい。特に予定はないですけど」
「よし。んじゃ、一緒に行こう。まずシャワー浴びてこい。ちょっと気持ちいいことしてやる」
「え!?」
「ドーエンソーのお前には、他にもいろいろ教えなきゃならねえからな。ベッドのある部屋で」
「…………」
わざとこういう発言をしているのはわかったが、それでも松は、不覚にも頬を赤く染めてしまった。