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スポイカ!  作者: 迎ラミン
第二話 トレセンレギュラー
10/31

3

 心肺蘇生法の練習を一時間弱で終えると、儚那は松をトレーニングウェアに着替えさせ、すぐ近くの球技場へと連れ出した。ミッチーも言っていたが、この日はアメフト部の指導日だという。


 フィジカルコーチの儚那が現在依頼を受けているのは、アメフト部の他に男女サッカー部の計三チームで、曜日を決めて週に一回ずつトレーニング指導を行うそうだ。それ以外の日は体育館内のトレーニングルームに常駐して、訪れる人にマシンの使い方を教えたり安全監視をするのが主な活動らしい。


 練習開始時間となり全員で円陣を組んだところで、儚那が松を紹介してくれた。


「というわけでこっちが、今日からあたしのアシスタントを務めるカドマツだ。カドマツ、ほれ、なんか喋れ」

「ええっと、演劇部から移籍して()()()()()アシスタント・トレーナーになった、文学部一年の門野松です。よろしくお願いします」


 スポイカの、という部分をあえて強調すると、部員たちから一斉に笑いが起こった。良かった。つかみはOKというところか。


「あたしのアシスタント、って言い切っちゃうのが桜木さんらしいっすよねえ」

「ほんとほんと。カドマツ君、パワハラ受けたらすぐに訴えた方がいいぞ」


 すでに受けまくってるんですが、とはさすがに口に出せず松は隣を盗み見た。自分と同じく着替えた儚那は、長袖とロングスパッツのアンダーウェアに、鮮やかな赤色をしたTシャツとショートパンツをそれぞれ重ねた格好になっている。引き締まったプロポーションと背筋の伸びた姿勢がばっちり決まっており、手元のバインダーとホイッスル、ストップウォッチも合わせて、誰がどう見ても「運動指導者」という姿だ。


「よし。カドマツも、できるトレーニングは全部一緒にやってみな。上半身のエクササイズとかは問題ないだろ。ダンサーらしく綺麗に動くんだぞ」

「あ、はい」

「へえ。カドマツ君、ダンサーだったんだ?」

「ええ。芝居が下手だったっていうのもありますけど」


 反対隣から熊みたいに大きな選手が興味深そうに尋ねてきたので、松は笑って答えた。運動部らしく、さっそくニックネームで呼んでくれたのが嬉しかったこともある。


「イソッチよりは、少なくとも身体は柔らかいだろうな。もちろんスクワットは百キロも担げない虚弱男子だけど」

「百キロ!?」


 やはりというかなんというか、いかにもアメフト部という数字である。


「大丈夫だよ、カドマツ君。百キロ担げても、桜木さんのトレーニングがきついのは変わらないから」

「でもイソッチ、サッカー部のやつらは自分たちが一番エグいって言ってたぜ」

「あれ? 俺は女子サッカー部から、あたしたちが一番いじめられてる、って聞いたけど」

「カドマツ君は初日だし、無理しちゃ駄目だよ。〝桜木墓場〟がいつ発動するかわかんないし」


 フルネームを聞き間違えたのかと思ったが、そうではなかった。


「桜木墓場?」

「うん、墓場」

「追い込むトレーニングのときは、ぶっ倒れるやつも続出するんだ。だからマジで墓場」


 不穏な単語を連呼され顔が引きつったところで、儚那本人の声が響いた。


「お前ら、あたしのアシスタントに変なこと吹き込んでんじゃねえ! 今日のトレーニング、全部シャトランに変更するぞ、こら!」

「す、すいません!」

「準備できたら、いつも通り体幹からアップするぞー! 各自、広がって!」

「はいっ!」

「よし、いこう!」


 ピーッというホイッスルとともに、緑色の人工芝に部員たちが散開していく。なんだかんだ言いながらも指示には素早く従い、統率も取れているのはさすが運動部である。


「カドマツ、始めるぞ。見様見真似でいいから、やってみろ」

「あ、はい!」


 促しつつ儚那自身もバインダーを傍らに置いて、さっさと腕立ての姿勢を取っている。みずからお手本を示しながら、指導していくのだろう。


「まずはプローンから! 左手と右足、アップ! 三十秒、スタート!」


 ふたたびホイッスルが響き、儚那と部員たちは奇妙な姿勢で静止した。うつぶせになり、腕立ての姿勢で左手と右足をまっすぐ宙に伸ばしている。残った右手と左足、対角のたった二点で身体を支える格好だ。

 幸い足の痛みもないので、慌てて松も真似してみた。だが。


「うわっ!?」


 これが異様に難しかった。そもそも二点で身体を支えるだけでもきついのに、バランスが不安定なため余計に力を使ってしまう。腕というよりも、お腹や背中を中心とした身体全体がつらい。まだウォーミングアップのはずだが……。


「こらカドマツ、揺れてんじゃねえ! トレーナーが見本にならなくてどーすんだ」

「い、いや、だって……」

「そんなんだから、お前はドーエンソーなんだ。トレーニングが上手くないと、今年のミス・テト大だって口説けねえぞ」


 すると部員たちから、「さ、桜木さん、笑わせないでください!」、「ち、力が抜ける……」と、笑い混じりの悲鳴が聞こえてきた。当の儚那だけは、涼しい顔で微動だにしていない。

 セクハラ発言に松がつっこむ余裕もないうちに、ふたたびホイッスルが響く。


「よし、三十秒終わり! 反対いくぞー。カドマツ、これぐらいなら足、痛くねえだろ?」

「は、はい」


 案の定、反対側もやるようだ。足首の状態もしっかりばれている。


「モトヒロ、手ぇ伸ばせ! タツヤ、身体真っ直ぐ!」


 自身は完璧なフォームを保ったまま、儚那は頭だけを動かして選手をこまめにチェックしていく。これだけでも彼女の運動能力の高さと、優れたコーチだということがわかる。


「体幹って知ってるか?」


 まるでそういう形のオブジェのように美しい姿勢を崩さず、儚那が訊いてきた。


「か、身体の、胴体の、部分、でしたっけ」

「お、さすが元ダンサー。そう。身体から手足を除いたここの部分、つまり動きの土台になるところだ」


 言いながら彼女は、上げていた手で自分の肩から股関節のあたりを、四角くなぞってみせる。


「身体の中心で、しかも腕と脚の付け根でもある場所だから、体幹が安定してないとスムーズでパワフルな動作ができないんだよ」

「はあ」

「鞭、あるだろ?」

「鞭?」

「女王様が持ってるやつ」

「…………」


 SM同好会じゃなくてスポイカだったはずですが、とまたもやつっこみたくなる。しかし今回の儚那は、あくまでも真面目だった。なんとか体勢をキープして顔を上げると、あのきらきらした瞳がこちらを向いていた。


「鞭とか縄跳びだって持ち手の部分、根っこのところがしっかりしてるからこそ、ピュッて勢いよく綺麗に動くじゃん? あれとおんなじだよ」

「な、なるほど」


 プルプルと身体を揺らしながらも松は小さく頷いた。それにしても、相変わらずわかりやすい解説だ。


「あれ? でも、ダンサーも同じような言い方しなかったか? 胃を締めるとか、なんとか」

「あ! あります! お腹を引き上げる、とかってよく言います」

「だろ? 英語だとコアとかパワーハウスなんて呼び方もするんだけどさ、つまりそれぐらい、動作の核になる重要な部分なんだよ。だからアップで最初に体幹を刺激して――」

「さ、桜木さん!」

「三十秒っすよね!?」


 部員たちから悲鳴が上がった。だが儚那は、「おお、もうそんなか。ごめんごめん」と、微動だにしないまま、ピーッとホイッスルを慣らす。


「わりい! 不肖のアシスタントに教えてたら、ついオーバーしちまった。ま、みんななら問題ないだろ。おもしれーから、そのうちこれで三十分耐久レースでもやろうか」

「嫌です!」


 部員と一緒に松まで反応してしまった。解説が面白いので忘れそうになったが、まさに体幹全体がかなり疲れている。


「なんだよ、だらしねえアスリートたちだなあ」

「でも桜木さん、カドマツ君がいて楽しそうっすね」

「そうだよな。いつもはアップの時点で〝桜木墓場〟が全開だけど」

「やっぱツンデレ――」

「マサキ、なんか言ったか? 次はお前だけ九十秒!」

「ええっ!?」


 どっと笑いが漏れるなか、アメフト部員たちは彼女の指示するきついエクササイズを、引き続き前向きにこなしていった。

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