プロポーズ・その二
「嘘? どうして?」
口から勝手にそんな言葉が出た。
こうちゃんからの突然のプロポーズ。内心は今までに無いほどに狂喜乱舞している。
そうか、約束、ちゃんと覚えてくれてたんだ。
そうだよね。そうじゃなきゃ、こんな女の事、忘れるもんね。
うれしいな。
指輪もよく見たら、昔こうちゃんがくれた綺麗な青い石がついてる。
にくいね、こうちゃんのくせに。
でもね、こうちゃん、今の私にはそれを受け取る資格はないんだよ。
私はもう、あなたの知ってるような綺麗な女の子じゃないんだよ。
生きるために、目的のために何でもしてきた汚い女なんだよ。
本当はもっと早くに、再開した時に言うつもりだった。
けど、言えなかった。
久しぶりに会った貴方の、嬉しそうに泣いた顔が忘れられなくて。
久しぶりに会った貴方の、その優しさに溺れたくて。
貴方の、その温もりが愛おしすぎて。
ダメだな、私は。
こうちゃんに迷惑をかけて、甘えてばっかりだ。今も昔も変わらない。
ずるずると先延ばしにしてたけど、いい機会だ。
今日で全部、終わりにしよう。
「ごめんね、こうくん。私はもう、貴方のお嫁さんにはなれないよ」
「え? な、なにを……」
こうちゃんはまるで、この世の終わりみたいな顔をしていた。
やだな。こうちゃんのそんな顔、本当は見たくないのに。
でも、これからずーと一緒にいて、いざ私が“人殺し”だとこうちゃんに知られた時。
その時の方がもっと怖い。
今、正直に言ってしまって別れた方が、こうちゃんにとってもきっといい筈だ。
「私はね、もうこうくんが知っているような、遥花・スーじゃないんだよ。
向こうでいろんなことをしたんだよ。人前で言えないようなことも沢山してきた。
私のこの手は、もう真っ黒なんだよ」
淡々と、無感情にそう言った。
そっちのほうが説得力があると思ったし、こうちゃんも納得してくれるだろう。
「今まで黙っててごめんね。こうくんの顔を見てたら言えなかったの。だってこうくんに言ったら、『関係ないって』言って私を受け入れてくれるし、私もそれに甘えると思ったから」
「だったら、それでいいじゃないか!」
今まで聞いたことも無い大きな声でこうくんは怒鳴ってきた。
「だめだよ。それじゃあ、こうくんを幸せに出来ない! 仮に幸せだったとしても、私が耐え切れない!」
私って本当にずるいや。そんな事言ったら何も言い返されないってわかってたのに。
「ごめんね、こうくん。ずっと待たせてたのに。私のことは忘れて、他のいい子を探してね。大丈夫、こうくんならすぐにいい人が見つかるよ」
そう言って私はこうくんに忘却の魔法をかけて、その場から逃げるように走り去った。
本当、自分勝手だな、私って。
ずっと一緒にいたいって思ってたのに、こうやって強引に別れたんだから。そのくせ、悲しくて涙が止まらない。
本当に私って、嫌な女だな。
―――――
俺の嫁さんがすごい勢いで走っていった。
俺は何が起こったのかわからないまま、呆然と立ち尽くすだけだった。
ふられた?
なんで、今まであんなに笑顔だったじゃないか。
あれはすべて、嘘だったのか。
いや、違うか。全て俺が悪い。
俺が遥花の暗い感情に目を向けず、ただただ、自分の願望を押し付けていた事が全ての原因だ。
あの時の遥花の笑顔は嘘偽りの無い笑顔だった。
とても幸せそうだった。
それと同時に、遥花は心に闇を抱えていたんだ。
「『耐えきれない』か」
どんなに辛いことだったのだろう。
幸せな時に自分の後ろ暗い所が思い返される。
それは、心を締め付け壊していくものだ。
「俺はいつの間にか遥花を傷つけていたんだな」
まったくもって情けない。
こんな男の何処に惚れるというのだろうか。
なにが嫁さんになってくれだ。勘違いもはなはだしい。
じゃあ、諦めるのか。
何年も待ってきた彼女の事を。再開した時のあの涙を。一緒に居たときのあの笑顔を。
あの約束を、その続きを。
それは、いやだ。
大体俺が一体何年待ったと思ってんだよ。
12年だよ、12年!!
桃栗三年柿八年だけど、全部収穫出来ちゃうよ。桃と栗に関してはもう山盛りだよ!
それに俺は、あいつのあの日の涙を見たときに決めたんだ。
遥花、お前を幸せにしようって。
なあ、遥花。知ってるか。
俺の将来のビジョンには、俺の横にはいつもお前が居て、二人でいろんな所に行って、たまには家でごろごろして、子供が生まれたらまた一緒にいろんな所に行って。
近所からはおしどり夫婦なんて言われて、それがお爺ちゃんお婆ちゃんになっても続いて。
俺の将来にはいつもお前が、俺の隣りに居て欲しんだ。他の人じゃだめなんだ。
だから、諦めるものか。
何度断られたって諦めない。俺はあいつの事が大好きだから。
そうと決まれば嫁さんを追い掛けるとしよう。
嫁さんは今何処に……居た。
てか、嫁さん足はえーなー。
どうする。俺の脚力ではまず間違いなく追い付けない。
ヤバイぞ、どうしよう。
なんかないか、なんかないか、タケ○プター!!
じゃ、ねーよ!!
なんだよ。それただのタケトンボだよ。
夢のポッケなんて現実にはないんだよ!
なんでタケトンボがあるかだって? 子供が遊んでたからだよ。
ちなみに俺が今居るところはショッピングモールの三階の広場で、嫁さんは駐輪所の辺りに、……いいのが、あるじゃないか。
この時の俺は最高に悪い顔をしていたと思う。
周囲の子供が怖がって泣いていたから。
―――
俺はダァッシュ、で駐輪所まで走ると、“いいもの”から降りようとする、前時代の化石みたいな頭をして、特攻服を着ている兄ちゃんに向かって、ドォロォップキィックをかませてふっ飛ばし、その“いいもの”に跨がった。
“いいもの”とはそう、バイクだ。
ロケットカウルにオニハン、背もたれ付きのシート、爆音が唸るアップマフラー、オイルタンクには日章カラーといった、なかなかに趣あるホンダのCB400superforだ。
……正直あまり乗りたくはない。
「すまない。このバイク、ちょっと借りるぞ」
って、あれ? 動かない。あっ、しまった!
「ッてーなぁ、なにしやが……」
「うるせー! 嫁が俺にプロポーズされるのを待ってんだよ! ごちゃごちゃ言ってねーで鍵出せ!」
うーん、我ながら理不尽プラス100点満点。
「……ホラよ。さっさと行け。行ってお前の想いを伝えて来い!……こけんじゃねーぞ」
特攻服の兄ちゃん、わかってくれたのか。悪かったな、ドロップキックをかませたりして。
「ありがとう。必ず伝えてくる」
そう言って俺はキーを回し、エンジンを着け、アクセルを全快で回し、ギアを入れてクラッチを切った。
前輪が大きく浮かび、エンジンが獣のように唸りをあげる。スピードメーターは既に降りきり、それでも俺は加速を辞めない。バイクはそのままスピードの世界に入っていく。
これなら、追い付ける。
今度こそ、あの手を掴む。もう二度と離すものか。
俺は嫁さんの事となると諦めが悪いんだぜ。
プロポーズ編はもうちっとだけ続くんじゃ。
特攻服の男に関してはプロポーズ編が終わり次第、詳しく話します。