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03 夜の中で

 夕方に待合所を出た乗合馬車は、一旦東へ進路を取り、次の中継点であるオルカの街を目指した。

 キエフに近づいた時点では土を踏み固めた道と広がる畑という景観だった街道は、小石混じりの荒い道と荒野と呼んで差し支えない風景になり、しかも日が落ちてきて、中継地点に辿り着く前に野営地を探さなければならない感じになっていた。

 今回の馬車の乗客はフューシャを除いて2人。どちらも男だが、片方は壮年で高位僧の紋を縫い取った紅いローブを、もう片方はフューシャと近い年代で僧兵の紋を縫い取った薄い茶色のマントをまとっている。民間人と異なり、ドルイドの旅装に使われるローブやマントはその人物が得意とする属性を表し、それぞれに称号がある。その色から判断するに、高位僧は火属性に適性を持つフレマ、僧兵はフューシャと同じく地属性に適性を持つラドだろう。

 僧兵の傍らには、椅子の背にロープで固定する形で幅広の剣が立て掛けてあり、夕闇の中でその鞘の状態から相手の技量を読み取ったフューシャは内心安堵していた。

 というのも、荒野での夜営には魔物出現がつきものだからだ。夜行性の魔物でも、普通の獣のようにヒトが使う火を恐れるものは、夜営の際に火を絶やさなければ寄ってくることはまずない。しかし一部の火を恐れないタイプは、火を見つけるとそれに興味を示して近づいてくる。そうなると戦える者が即席のパーティを組んででも撃退せねば、こちらの命が危うくなるのだ。

(キエフの街で保存食買っておいて正解だったわね。山での非常食のつもりで持ちだした保存食(やつ)が、今夜の夜食になりそうだもの)

 フューシャを旅人と見たキエフの人たちは何軒もの店に彼女を連れ込んだが、そのうちの幾つかは街の名産でもある長期保存が可能な加工食品を扱っていた。衆人環視である事を差し引けば悪くない状況であると判断したフューシャは、馬車の時間の都合で街道沿いの野営地で夜を過ごす予定になったことを思い出し、街の人たちの思惑を理解した上で、土産としてではなく実用品としてそれらを買い揃えておいたのである。

 夜が完全に帳を下ろす前に馬車のランタンに火が入り、街道の脇に降りて停まった。

「今夜の移動はここまでだ。お客さんがた、準備を頼むぜ」

 御者の声に促され、3人はそれぞれの荷物を手に馬車を降りる。ランタンの明かりでぼんやりと明るい周囲を見回せば、10人は横になれそうな円い窪地が正面に広がっている。

「ここは次の街へ向かう経路のちょうど真ん中で、このルートを通る馬車が必ず使う野営地でね。今夜はここで夜明かしだ。いやぁ、間に合わないかと思ったぜ」

 安堵した声で御者は言う。その最中も窪地の中に薪を組んで火を熾す手は止めない。慣れた手つきで組み上げた薪の中心に薄紙をくしゃくしゃにしたものを入れ、マッチを点けて放り込む。薄紙に移った火は周囲の細い薪を巻き込んで燃え上がり、数分後には穏やかな焚き火が出来上がっていた。

 自分の荷物を馬車から下ろして思い思いの位置で焚き火を囲む3人と、備えられた杭に繋いだ馬に飲ませるため、馬車の後部に積んである水瓶から木桶に水を汲む御者。しばらくは穏やかに過ごせそうだと全員が思っていた。しかし、ふと馬の方を見たフューシャが、焚き火にぼんやりと照らされた馬が怯えていることに気づく。今夜は曇っていて周囲が見えづらい。闇に強いモノが出る可能性は高い夜だ。

(これは嫌な予感……)

 フューシャは自宅から持ち出してきた保存食の包みをいくつかカバンから取り出し、その中身を革袋に詰まった水で飲み下すようにして手早く夕食にする。少し離れて座っていたドルイドたちがその警戒した様子に気づいて、やはり保存食と革袋の水で簡単な食事を始めた。

 そして彼らも食べ終えた頃、ソレは静かな地揺れとともにやってきた。フューシャは辺りを見回し、警戒を強める。そして窪地の西側に目を向けた時、モノクル越しに淡くオレンジ色の光を放つ彼女の右眼がその姿を捉えた。

(ちょっと、こいつトロルじゃない……!)

 トロルは身の丈も体重も一般的な街の男の3倍はありそうな、カーキ色の皮膚と汚れた腰巻きだけの姿が特徴のヒト型の魔物だ。常に何体かの群れで行動し、夜出歩く習性がないはずのソレは、今は何故か単体だった。

(なんでこんな時間に、しかも単体なのよ)

 フューシャは魔物に気づかれないよう足音を極力殺して、ドルイドたちと合流する。

「フレマ様、西からトロルが単体で来ます」

 フューシャの報告に高位僧は目を丸くしたものの、彼女の右眼に気づき頷いた。

「……なるほど、千里眼をお持ちでしたか。で、どうします?」

 高位僧の問いに、()らざるを得ないでしょう。と冷静に答えた彼女は問い返した。

「私は地属性の攻撃魔術の心得があります。ラド様は武器から前衛とお見受けしましたが、そちらは何を得意とされておいでですか?」

「おや、魔術師でいらっしゃいますか。私の方はローブをご覧の通り、火属性魔術を得意としております」

 回復系呪文による補助はどうやら見込めそうにない。そう結論づけた2人は手早く作戦を練り、僧兵にそれを伝えると3人で窪地から駆け出した。急がなければ敵が窪地にたどり着いてしまう。その前に叩いてしまわなければならなかった。



 トロルが窪地の灯りに目を向けないよう窪地を背に立ち止まった3人は、手はず通りそれぞれ動き出した。

 魔法の射程圏内にトロルが来たのを見計らい、高位僧が火球(ファイアボール)をトロルの胸元目がけて撃つ。それとほぼ同時にそれぞれの間合いを目指してフューシャと僧兵が駆け出し、火球の着弾で気を逸らされて立ち止まったトロルとの距離を詰めた。とはいえ、僧兵がトロルに肉薄するまでにはまだ時間がかかる。その時間を稼ぐため、先に自分の間合いにたどり着いたフューシャが、抜き放った短剣をワンド代わりに使って石礫(ストーンブラスト)を撃ち、更なる足止めを試みる。

 僧兵がトロルに気取られぬままその足元へたどり着くまで、それぞれの間合いを維持しながら高位僧とフューシャは交互に魔法を撃つ。その一撃ごとの与ダメージはトロルの平均体力を考慮すれば微々たるものだろうが、時間稼ぎが目的である以上、火力よりも速射性を優先するのは戦略的に正しい。

 そしてフューシャの千里眼が、トロルの足元にたどり着き、背中に背負っていた剣を鞘走らせて脛に峰打ちを叩き込む僧兵の姿を捉えた。その合図にフューシャは左拳を天に突き上げ、彼女の背後数十メートルに位置取る高位僧に知らせる。高位僧はそれを受けてフューシャの声が届く位置まで居場所を移した。

「どうです?」

 端的な問いに、フューシャは軽く首を横に振った。

「流石は体力バカと名高いトロル。ラド様一人ではかなり危ないでしょう。私はもう少し距離を詰めます」

 そう言って三度駆け出したフューシャは、僧兵がトロルの拳や足を掻い潜り、回避に入ったタイミングで石礫(ストーンブラスト)を撃っていく。高位僧はその手際に感心しながら、夜の中にぼんやりと浮かび上がるトロルのシルエットに向けて火球(ファイアボール)を放つ。

 トロルの脛を中心に剣で斬りつけ、足で蹴りつけ、たまに降りてくる拳を飛び退って既のところでかわし、再び距離を詰めて斬りつける。そしてパラパラと降ってくる石礫にトロルが気を取られた隙に一旦安全圏まで退く、という行動を繰り返し、息が上がり始めていた僧兵の耳に、フューシャの声が届いた。

「一度下がって!」

 と、同時に先程までの石礫とは比べ物にならない大きさの石がトロルを頭上から襲う。これは牽制のレベルではないと判断した僧兵は、その攻撃範囲から急いで退避する。落石が収まると、トロルの足元の半径3メートル圏がうす赤い光を帯びた。

(これは、フレマ様の……!)

 高位僧が噴火(イラプション)を唱えたのだ。うす赤いエリアにマグマが吹き出し、トロルの足裏に火傷ダメージを与える。その隙に僧兵の傍までたどり着いたフューシャは、肩で息をする彼に手振りで下がるようもう一度伝え、熱さと痛みで暴れるトロルに当たって飛び散る墳石の範囲外まで下がらせると言った。

「少し休んでください」

「ですが……」

 魔術師は基本的に前線へ出ない。弓使いと同様、遠距離攻撃が彼らの持ち味であるからだ。伝達のために前線(ここ)まで来たのかと訝しむ僧兵に、フューシャは言った。

「ここは私が引き受けます」

(何を言ってるのでしょうか、このヒトは)

 さも当然のように言い切るその声音に、僧兵は目を丸くする。その様子を見て、フューシャはマントの下から右手で短剣を抜き、それに魔力を通してみせた。

 魔力を受けた短剣の刃がみるみるうちに長く変わっていく。それに合わせて柄も大きく太くなり、最終的に短剣は彼女の身長の3分の2程の刃渡りの大剣へ変貌した。

「その力は……?」

「詳しく説明している暇はありません。噴火(イラプション)は敵を拘束できる時間があまり長くはないはず。疲労回復用の薬はお持ちですか?」

 僧兵が浮かべた疑問符をバッサリと切り捨てたフューシャは、淡々と必要なことだけを訊いていく。

「それくらいなら」

「だったら早く下がってください。ここにいた結果トロルに踏まれても、私の責任じゃありませんので」

 トロルと向き合うため背を向けたフューシャの姿は、魔術によるマグマに照らされて赤みを帯びる。しかし熱情的な色とは逆の冷淡さすら感じられるその声に、僧兵はしぶしぶ安全圏まで後退すると、いつでも抜けるよう剣を地面に刺した。

 魔術の効果が消え、周囲を照らすものが曇り空から時折覗く星明かりだけになった瞬間、フューシャは駆け出した。

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