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02 キエフの街にて

 翌朝の夜明け前。フューシャは町はずれにある乗合馬車の待合所で、毛布に包まり仮眠していた。エンリケが去った後、室内にいろいろ広げて旅支度を始めた結果、買い忘れていたものを思い出して生鮮市場(マーケット)へトンボ返りし、旅行用のカバンひとつに荷物を整えきった頃には夜になっていたので、そのまま戸締まりを確かめて家を出たのである。

 待合所には仮眠用のスペースが備えられていて、フューシャのように早朝発の馬車に乗る予定の客が他にも何人か眠っている。日中は暖かく過ごしやすい時期だが、夜は露が降りる程度には冷えるため木造小屋の室内は肌寒い。それでも自宅ではなく待合所での仮眠を選んだのは、生き物の気配があるからだった。

 エンリケとの会話では否定していたが、フューシャは人の気配に敏い。ある過去から、意識がある時はほとんど無意識に気配を読む癖がついていた。仮眠程度であれば、起きているのとほとんど変わらない精度で生き物の気配を読む。だから、乗る予定の馬車が待合所の建物前に停車した時には起き上がって毛布を畳み、支度を全て終わらせていた。

 馬を替え、メンテナンスを終わらせた馬車が南への街道に出た頃にはすっかり朝になっていた。箱馬車のクッションの薄い座席に座っている客は5人。フューシャを除くと、商売人風の男が2人と、工房勤めと思しき旅装の女性とその護衛に雇われたらしい冒険家の男だ。この馬車の最大乗員は8人だから、車内には少し余裕があった。

 護衛以外はまだ眠いのか、窓から景色を見ることもなく、ゆらゆらと揺れる馬車の中でうとうとしている。沈黙が満ちた車内で、フューシャは防寒目的でカバンから出しておいた鑑定人の身分証を縫い付けてあるストーングレイのマントに包まり、カバンを抱え、近くの窓から景色を眺めていた。

 その服装は普段と同じウグイス色の執事服に朱赤のリボンタイと白手袋。違いがあるとすれば胸元を覆う茶色の革鎧と、両腕の肘から下を覆う革のガントレット、そして街歩きの時は履かない、膝下丈の革ブーツだ。鎧には右脇腹から左腰に向けて革ベルトが通されていて、その先のホルダーに短剣が1本収まっている。商売人にも冒険家にも見えない胡散臭い格好、それもとてつもなく軽装の部類ではあるが、フューシャにとってはこれが最善の防具と武器であった。カバンの中には日保ちする糧食や執事服を含めた何日分かの着替え、薬類の他、冒険家の登録証(ライセンス)などが入っている。

「あんたさぁ」

 不意に声をかけられ、石畳を進む車輪の音を聞いていたフューシャは、声の主である同年代の冒険家に目を向けた。そして目配せで続きを促す。

「その身分証、鑑定人だろ? 街から出なくても、オレたち冒険家が持ち込む仕事だけで食えるじゃん。南行ってどうすんの?」

「少し用事があるのよ」

 それ以上は明かさない、と態度で示すため、フューシャは再び窓の外に目をやる。いつの間にか、石畳は車輪や人の足で踏み固められた土の道になっており、窓から見える景色は畑になっていた。しばらく街道を走り続けた馬車は、南へ行くひとつ目の中継地点であるキエフの街の待合所に入る。石の街から南西に進んだ場所にあるこの街は、綺麗な川という水源に恵まれ、農耕に適した土壌でもあったので、川魚や農作物を素材とした料理が有名だ。

 馬車が止まる衝撃と振動で他の客達が目を覚まし、3時間ほどの移動で固まった体をほぐすべく順番に降りていく。護衛とフューシャもその後に続いた。

 待合所の管理人らしき中年の男が、降りてきた面々に木製のカップを渡す。中身はこの地で取れる薬草(ハーブ)を使った温かいお茶だ。男の心遣いに嬉しくなり、フューシャは思わず笑みを浮かべた。空にしたカップを彼に返して、次の街への出発時間を確認する。

「南へ向かう次の馬車かい? 悪いけど夕方までないよ」

「ありがとう」

 どうやら散策する時間はありそうだ、とフューシャは街の中心部を目指して歩き出す。



 午前中の大通りは商店の呼び込みで活気づいている。加工食品の製造と販売をやっている店が多いのか、香ばしい匂いがフューシャの鼻をくすぐった。馬車が余裕ですれ違える幅のその通りを歩く人々の髪色は金髪や藁色、明るい茶色が多く、やはり赤紫の髪は浮いてしまうようで、店先に立つ人間の多くがフューシャの方を凝視し、眼が合ったとみるや自分の店に連れ込もうとする。

(フード下ろしたほうが目立たなかったかしら……?)

 やや強引に店へ引き込む店員に気取られぬようフューシャは小さく溜息をつく。しかし今さらだった。気づけば建ち並ぶ商店のほぼ全ての呼び込み人が「次は自分だ」とばかりに、当人を差し置いた睨み合いを始めている。

(積極的に相手をしたくないけど時間は潰さなきゃいけないし、そろそろなにか食べないと)

 南の国境に着く前に、うっかり空腹状態で戦闘する羽目になったら動けなくなる。カバンの糧食は元々山で野宿するための備えで、宿や酒場、食事処で食べられるならそれに越したことはない。フューシャはカバンの中に押し込めた財布の中身を思い出す。

(……もともと多めに持ち出してきたし、足りなくなってもどっかで出張鑑定(しごと)すれば稼げるかな?)

 国外はともかく、国内なら鑑定人の身分証はとてつもない効力を発揮する。しかも目的地には冒険家ギルドがあり、白蛇絡みで冒険家が集まっているのだ。仕事をすれば高確率で喜ばれるだろう。

 土産物屋や長期保存用に加工された肉・魚類を扱う店などへ引き込まれ続けること数回。フューシャは自分を連行していこうとする次の相手にだけ聞こえるよう、声量に気をつけて呟いた。

「……お腹空いた」

 それを聞いた相手である10代半ばの少女ははた、と立ち止まり、フューシャを振り返る。

「……ご飯食べられる処、ない?」

 問いかけに対し、フューシャの左手を捕まえて自分の働く店に連れて行こうとしていた彼女は、手を引いたままくるりともと来た方へ向きを変え、通りの向かい側の並びを歩き出した。途中の曲がり角で左に折れ、表の半分程度の幅の裏通りに進路を変えた少女は、自分とフューシャを囲むように少し距離を取ってついてくる人たちを空いている左手でかき分けながら進む。

「ここ。わたしのおすすめの食堂」

 少女が立ち止まったのは、こぢんまりした青い板屋根の建物の前だった。軒下に、食事処を示すスプーンとフォークがクロスした意匠が彫り込まれた銅板が申し訳程度に掛けられている。フューシャは手を離した少女に礼を言い、左手でレバー式の取っ手を押し下げ、内開きのドアを開けて店内へ踏み込んだ。

 店内は焼き物や炒め物の匂いが満ち、カウンターの中では人の良さそうな60代くらいの夫婦が働いていた。

「いらっしゃい。……あら、見慣れないお客様。旅の方?」

 婦人の方がドアの音に気づいてフューシャに声をかける。フューシャは頷いて、入り口のすぐ傍のテーブル席に腰を下ろした。少しして、婦人がガラス製のコップと金属製の水差しを運んでくる。

「はい、どうぞ」

 水を注いだコップを受け取り一口含んだフューシャに、婦人はテキパキとメニューを説明する。

「昼は日替わりが2つあるの。魚と鶏肉、どちらがいいかしら? どちらも金貨5枚よ」

「おすすめは?」

「今日は魚。イリシアを香草焼きにしたの」

 白身魚の香草焼き。それは美味しそうだ。

「ではそれを」

「わかりました。お待ちくださいね」

 婦人は微笑み、水差しを抱えてカウンターの中へ戻っていった。フューシャは喉を潤しながら店内を観察する。フューシャのいるテーブルを含めて8席ある4人がけのテーブルのうち、奥側の3つで男女合わせて8人が食事をしていた。カーテンやクッションはオレンジ系で統一され、暖かな雰囲気に包まれている。

 8人いた先客が3人減った頃、フューシャのテーブルに婦人がやってきた。その手には湯気が立つ料理のトレイがある。

「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」

 並べられたのは香草焼きと蒸した葉野菜にソテーした根菜が添えられた皿、食べやすい厚さにスライスされたパンの皿、そしてクリーム系のスープで満たされたカップの3つ。そしてスープ用スプーンとナイフにフォーク。

「うん、美味しそうね。いただきます」

 フューシャは、まず魚を一切れ切り出して口に運ぶ。まぶされた香草のスパイシーな香りが鼻に抜けた。添えてある野菜で口直ししてから、スープに手を伸ばす。

「芋のスープね。さっぱりしてて好みだわ」

 スライスされたパンは軽くトーストされていて、一口大に切り出した香草焼きを載せて食べると美味しかった。

 食べ終わり、水を飲もうとコップに手を伸ばしたフューシャに、婦人がカウンターから出てきて声をかけた。

「お口に合ったかしら?」

 笑顔での問いに、水を一口飲んだフューシャも笑顔で答える。

「ええ、とても」

 フューシャは隣の椅子に置いておいたカバンから財布を探り当てると、代金として金貨6枚を差し出す。

「あら、1枚多いですよ?」

「美味しい物を口に出来たのが嬉しかったので、お礼です」

 その言葉に婦人はあらあら、と両手を顎に当てて困り顔になる。

「代金以上のお金は頂けませんよ。……では、またキエフに来ることがあれば、ここに来て食事していってくださいな」

 差し出された金貨のうち5枚だけを手に取った婦人はカウンターに戻っていき、フューシャは手に残された金貨を財布に戻すと、カバンを手に立ち上がり、マントのフードを下ろして入り口のドアを開ける。

「ごちそうさまでした」

 外に出て、来た道を辿り大通りへ戻る。相変わらず混雑している大通りには、昼過ぎの日差しを遮るためマントやコートのフードを下ろしている通行人も何人かいて、フューシャの姿は先程よりは人目を引かない。

 馬車の待合所まで戻ったフューシャは、戸口でマントを脱ぎ、一振り二振りして埃を払う。そこへ管理人がやって来た。

「お嬢さん、なかなか目立ってたようだね」

 苦笑交じりに紡がれた言葉に、フューシャもうなじでまとめた髪を一房摘み、苦笑いで返す。

「拠点にしてる石の街から出るのが久しぶりで、うっかり髪色(これ)が目立つこと忘れてたのよ」

「石の街から来たのか。マントの身分証は鑑定人ねぇ……。どこまで行くつもりか知らねえが、それならマントは脱がない方が正解だぜ? マントの下がそんな半端な格好じゃ職業不詳もいいトコだ」

「忠告ありがとう、おじさん」

 フューシャは忠告通り、腕にかけて畳みかけたマントを再び着直す。

「迂闊に観光まがいのことするとまた人に囲まれるから、夕方の馬車までここで大人しくしてることにするわ」

 片隅に防寒用兼仮眠用の毛布がいくつか積まれた大部屋の、入口側の一角にカバンを置いて陣取ったフューシャは、念の為毛布を1枚取ってきてカバンの傍に置く。

「お嬢さんと一緒の馬車で来た連中は少し前に東に向かう馬車で行っちまったから、俺も今はすること無くてな。茶ぁ持ってきてやるから、世間話させてくれや」

「いいわよ。私もこのままだとぼーっと寝ちゃいそうだもの。馬車に乗れないのはマズイわ」

 そして目的の馬車が入ってくるまで、フューシャは管理人との世間話という情報収集に勤しんだのだった。

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