駄エルフさんと魔力切れ
「本当に大丈夫なのですか?」
「ふみゅぅぅぅん」
ここはアントリア大陸中央にある大国フロントガーデン。
その外れの新興住宅地の、そのまた外れの一軒家。
今日の駄エルフは、愛用のクッションの上ではなかった。
寝室で寝ていた。
そう、寝室がきちんとあったのだ。
それどころかこの一軒家に、足りない部屋などない。
規模にしても貴族の屋敷と比べて遜色もない。
て言うか、ちょっとした城だ。
普段駄エルフの生活は、居間の愛用のクッション上と、ちゃぶ台の前、後はトイレや風呂といった生活に必須な所ぐらい。
それだけで生活が完結しているのだ。
非常にもったいないが、最小限以外は使う気がないのは駄エルフらしい。
「魔力切れですか。あれはかなり辛いのでゆっくり休んでください」
普段から駄エルフはゆっくり休んでいるが、それはそれだ。
魔力を使い果たすと、足りない分を体力を削る事で賄われるのだ。
体力がただでさえ無い駄エルフには、今回の魔力切れは致命的だった。
「ああ、少年が優しい……あ、そうか。私死ぬんだね?」
「……何、バカなことを」
少年の目付きが変わった。
それを見て、駄エルフは布団に潜る。
怖いっ。
駄エルフは本気でビビったのだ。
今までにも駄エルフが軽口を言い、少年が怒るパターンはあった。
だが、その時の少年の怒りはじゃれあいの一環だ。
今回の様に本気で怒るのは初めてだ。
その様子を見て、しまったと少年は溜息。
思わず反応してしまったのだ。
死ぬと言う言葉に。
軽はずみにそんな言葉を使った駄エルフには、まだ怒りがある。
だが、駄エルフが本質的に臆病なのも知っている。
本気で怒られ、拒絶される事に恐怖しているのだ。
だから駄エルフさんは駄エルフなんです。
もう一度溜息。
心を落ち着かせる。
「リンゴを擦ったのを持ってきますね」
言葉が柔らかい、怒ってない?
駄エルフは潜った布団からちょっとだけ覗く。
「甘いの?」
「ええ。私の家では甘いリンゴに、さらに蜂蜜をかけるんですよ」
「何ソレ最強?」
◻◼◻
駄エルフが魔力を使い果たしたのは、異界の穴を開けたことによる。
本来、異空間収納の魔法を使うのに魔力はさほどいらない。
収納のたびに多くの魔力を使う様では、使い勝手が悪すぎる。
ただし、最初に異界の穴と収納用スペースを創るのには、大量の魔力が必要となる。
その魔力の量で、収納スペースの大きさが決まるのだ。
ではなぜ魔力切れとなったのか。
それは通常の異空間収納の魔法ではなく、新たな異界の穴を創ったことにある。
この駄エルフ、わざわざ横穴を掘って収納スペースに繋いだのだ。
結果、制御不能となった異界の穴は、収納スペースの中の物を撒き散らした。
原因が分かると、次に何故そんな事をしたかが疑問となる。
普通に異空間収納の魔法を使っていれば、魔力切れなんかにならなかったのだ。
その答えは単純だった。
ただ少年にいいところ見せたかったのだ。
ただし、駄エルフには誤算が。
いや、駄エルフは普段から誤算だらけだが。
誤算のなかなんとか生きている様なものだけど。
今回の誤算は、怠惰の呪いの影響だ。
今までも説明してきたが、睡眠量が多いのも、体力が少ないのもその影響だ。
そしてその影響は魔力にもある。
その影響の量を見誤ったのだ。
◼◻◼
「どうぞ」
擦ったリンゴの蜂蜜がけを、少年は匙ですくい食べさせる。
「!?」
あーんだ、これっ。
駄エルフの憧れの一つが今ここに。
いや、これはただの看病。
少年に他意はない。
お母さんがしてくれたのと一緒。
あー、かんびょーだー。
かんびょーだからしかたがないなー。
だから躊躇なくいただいてしまっていいのだ。
憧れを、夢をここで叶えてしまっていいのだ。
下手なことを言って『じゃあ、自分で食べてください』と言われるのは勘弁だ。
そんなぐらいなら妥協をしよう。
この際少年感情よりも目先の『あーん』だ。
一方、少年。
『あーん』に対して駄エルフの様な感情はなかった。
微塵もなかった。
ナノもピコもなかった。
少年の差し出す匙。
それは駄エルフが届きそうでなかなか届かない、微妙な位置だった。
届かないのなら届く位置にくるまで待った。
しかし頑張れば届きそうな位置ならば。
甘い物に目がない駄エルフなら、必ずしてくれると信じて。
駄エルフは駄エルフで、はやく『あーん』を経験したくて頑張った。
微妙に届かないが、舌を伸ばせばあるいは。
これを待っていた。
懸命に舌を伸ばして欲しがる駄エルフ。
チロチロっと舐めるために必死に舌を動かす駄エルフ。
届かず悔しそうに『あ……』『ああ……』と声を漏らす駄エルフ。
ごちそうさまっ。
駄エルフの食後の儀式を、少年は今、理解した。
少年に『あーん』に対して駄エルフの様な感情はない。
あるのはこの表情を、このエロスを求める心だ。
ご褒美だ。
匙を駄エルフの口に。
その瞬間、駄エルフの夢が叶う。
甘い。
初めての『あーん』に心が甘い。
だがこの口のなかの甘さっ。
爆発だ。
甘さの爆発だ。
リンゴの甘さ、蜂蜜の甘さ。
同じ甘いなのに別々の甘さだ。
さらに混ざりあった甘さが舌を蕩かす。
リンゴの微かな酸味が、さらに甘味を増幅する。
ああ、甘さは幸せだ……。
駄エルフの表情が蕩ける。
ヤバイっ。
少年の肉体的やら精神的やらのナニかが勃つ。
立つじゃなく勃つ。
少年は匙にいっぱいのせて駄エルフの口元に。
今度は口を開ければすぐ届く距離。
「あーん」
「!?」
マジか。
今度のは『あーん』させようとしての『あーん』じゃないか。
駄エルフ憧れの理想像に、さっきよりも一歩近付いた。
「あーーん」
駄エルフは大きく口を開ける。
匙に載っている量にはこれぐらい必要だ。
匙が口の中に。
擦りリンゴが若干零れる。
駄エルフは、口内の大量の甘さの幸せに。
少年は、涙目+蕩ける表情+口から零れた擦りリンゴのエロさに。
それぞれの感情が高まっていく。
まあ、ある意味Win―Winなんじゃないだろうか。
◻◼◻
擦りリンゴを食べ終わり、駄エルフの表情は弛みきっていた。
一方少年は何か悟った様な表情だ。
何処かに到ったのかもしれない。
「それではゆっくり休んで、寝てください。明日には元気になるでしょうから。それと今日は私、停まっていきますので、何かあれば呼んでください」
「うん。また、明日ね。おやすみ」
目を閉じる。
寝るのは簡単だ。
起きていようと思わなければいい。
今はそう言う体だ。
少年は出来るだけ音を立てずに部屋を出る。
多少の音どころか、すぐ隣で爆発があっても駄エルフは起きない。
少年もソレを知っているが、気遣いはソレとは別の事。
「おやすみなさい、駄エルフさん」
◼◻◼
駄エルフが眠るベッド。
素人目でも、『あ、これ高い奴だ』と分かるベッドだ。
天蓋付きで『どこのお姫さま用?』な感じだし。
さらに布団も、乱獲されて絶滅した水鳥の羽毛が使われている逸品だ。
市場に出せばこの布団だけで、一財産どころか二、三代分の財産になる物だ。
ベッド、布団と高い物となってくると、他も気になって来るだろう。
当然枕もシーツも、その辺にある様な物ではない。
どちらも汚れず綻びず。
枕にいたっては、安眠をもたらす魔法道具であった。
だが、このベッドの凄いところは、それぞれの質による物ではないところだ。
このベッド、全てセットで一つの古代秘宝なのだ。
効果は一晩寝るだけで、体力、魔力、常態異常の回復である。
流石に欠損部分の回復などの、特殊な常態異常回復までは出来ない。
だが、簡単な怪我や病気は、寝るだけで次の日には元気だ。
何かのゲームの宿屋みたいな効果だと、誰かは言った。
これは今回の駄エルフにも有効だ。
その効果は少年も以前体験済みだ。
非常に便利な古代秘宝だ。
だが特殊な常態異常には効果はない。
例えば四肢欠損の様な大きな怪我。
例えば永続的な盲目、失明。
例えばそれだけで死に至る病。
例えば魔王にかけられた呪い。
やっぱり間に合わなかったよ。
擦りリンゴの辺りが予想外に長くなってるし。