駄エルフさんと読書
静かだ。
誰も一言も話さない。
時々聴こえてくるのは紙の擦れる音……ページをめくる音だ。
ここはアントリア大陸中央にある大国フロントガーデン。
その外れの新興住宅地の、そのまた外れの一軒家。
昼食を食べ終え、夕食の準備はまだはやい。
掃除も済ませ、買い物は特に必要がない。
行くにしても時間がそれほどあるわけでもない。
そんなぽっかりと空いた時間。
所謂昼下がりと言われる時間帯。
駄エルフと少年は今、読書中だ。
駄エルフはオードリーの上で、少年は備え付けのソファー。
どら子は風呂だ。
入浴中ではなく、体を動かすため。
鍛練は一時も欠かせない。
今使える中である程度のスペースと音を立てても喧しくないのは風呂だからだ。
それに、裸になっても怒られないのも、どら子的にはポイントが高い。
やはり竜人は裸族なのである。
もちろん、鍛練が終われば直ぐに湯船に浸かるつもりだ。
◻◼◻
実はこの家には元々冒険者だった駄エルフ達用の鍛練所もある。
ただし、長年使っていないので何が起こるか分からない。
その説明に、
「何かが起こる可能性があるのですか、この家の修練所は?」と、少年。
そもそも少年はそんな部屋の存在自体を知らない。
「地下にあるんだよ。結構広くて丈夫だから魔法の練習とかに使ってたのね。でも私、今こんな感じだから必要ないかなーって。あそこは色々とあったはずだから、どら子喜ぶかもね」
「色々とあった……ですか」
駄エルフの言葉に不安を覚える。
特に『色々』って部分。
最近はこう言うちょっとした言葉に胃が痛んでくる気がしないでもない。
たぶん、気のせいだ。
キリッと来てもたぶん、幻痛ってやつだろう。
忘れられた古代秘宝とか、忘れられた魔物がちょっといるぐらいさ。
自分にそう言い聞かせる。
「とりあえずは何があっても大丈夫な様に、準備をしてからだね」
住んでいる家の一部屋を確認するために必要な準備とはんだろうか?
だが、謎の地下以外でも確認出来ていない部屋は多々ある。
特に、駄エルフと共に旅をしたという仲間達の私部屋。
2000年前の冒険者であり、ちょっと昔話を聞くだけでも規格外だと分かる人たち。
調べることが出来れば色々な研究に影響を与えるんじゃないかと思う。
もし日記でもあれば2000年前に何があったか少しでも分かるのではないだろうか。
そう思って駄エルフに許可を得ようと思ったが断られた。
何が起こるか分からないそうだ。
駄エルフ曰く、彼ら彼女らは色々と闇を抱えていたと。
もしその闇が他人に見られることかれば自爆さえも辞さないと言う。
『あなたを殺して、わたしも死ぬ』
ある秘密を知ってしまった時だった。
何かの魔法の練習の様だったが、熱心だと誉めようとしたらそう言われたそうだ。
目が本気だったので、内容は生涯秘匿とし墓まで持っていくと約束した。
「魔法や魔術の研究は他人に漏らさないのは良くあることですし、その結果殺人に発展したこともあると聞きます。ですが、自分自身さえ殺すと言う研究とはいったい……」
「だよね。何時でも白衣を着ていたり、怪我もしていないのに腕に包帯を巻いていたり。今でも分からないことだらけなんだよ」
どら子もオードリーもいる。
攻撃力の面でも、駄エルフの機動力の面でも二人だった頃とはちがう。
多少の危機なら乗り越えれるだろう。
今なら探索出来るかもしれない。
「いや、部屋の確認に攻撃力や機動力っておかしくないですか?」
「甘いよ、少年。この家の未確認地域は大規模迷宮と同レベルだと思う」
「何ですか、それは」
「私部屋はともかく、地下の鍛練所の一部は本当に迷宮だからね」
「馬鹿ですか。駄エルフさんのお仲間は馬鹿なんですか?」
「馬鹿違うもんっ。少なくとも私はっ。そ、それに、それぐらいの練習も必要だったの」
「だからと言って、迷宮の技術を使うだけでなく、自分達の住む家を迷宮にしてどうするんですか」
そんなこんなでまだ未確認地域の探索の目処は立っていない。
◼◻◼
ページをめくる音が止まる。
そしてパタンと閉じる音。
「面白い話を考える人もいるね」
読んだ本はたった一つの事しか出来ない少年が主人公。
その一つの事で少女を助け巨悪と戦う物語。
最初は何でわざと不自由な設定にしているのか分からなかった。
魔法や魔術が使えれば直ぐに解決できるエピソードだらけ。
だが、読んでいて主人公の挫けない姿にはまっていく。
創意工夫で危機を乗り越えていく姿に興奮する。
通じあっていく主人公とヒロインの姿にドキドキする。
ラスト、これまでしてきたことと、主人公の出来るたった一つの事がまとまり、全てを解決する。
その物語の構成に心の底から感嘆した。
駄エルフの知る物語は吟遊詩人が吟うような物だ。
殆どが実際にあった出来事で多少の脚色がある程度。
劇などもあったがそっちには興味がなかった。
だから創作物と言うものにはほぼ関わったことがない。
空飛ぶ鉄の鳥とかのホラ噺なら仲間達がよく言っていたが。
誰があんなのに騙されるのか。
全く彼らは私を馬鹿にしすぎる。
それは兎も角として。
こう言う本がいまはたくさんあると言う。
感動したこの本も、ありふれた一冊でしかない。
これは自分のお気に入りですけどね、と少年は続けたが。
だいたい、本や紙は貴重だったのだ。
国の歴史や魔法の研究。
発明や発見。
後世に残したいものを記すための物だった。
それが物語のためだけに一冊が作られる。
しかも何百、何千、それ以上の複製がされる。
何をどうすればそれが出来るのか理解が出来ない。
でもそれが、今の時代の娯楽と呼ばれるもの一つらしい。
「駄エルフさん、それを読み終えたのなら、次はこれはどうですか?」
少年は一冊の本を手渡す。
可愛い表紙だった。
花びらに立つ小さな小さなお姫様。
タイトルは『妖精姫の冒険』。
中は絵と少しの文字。
「これ、絵本というのです。子供向けの本で、これは自分が小さい頃読んでました」
「絵で興味を持たせて、文字を覚えさせるんだね。本がたくさん出来るとこう言う物も出来るんだ」
駄エルフはパラパラとページをめくる。
文章量は少ないのでそれでも内容は頭に入る。
めくっていくと何かが引っかかる。
どうもおかしい。
さらにめくる。
駄エルフはこの絵本の内容を知っていた。
ページをめくる。
やはり想像した通りの展開だ。
でも、この絵本は読んだかとはない。
どんどんページをめくる。
妖精姫は悪魔と戦っていた。
五人の旅の途中で出会った仲間と共に。
駄エルフは絵本の閉じた。
この先はとっくの昔に知っている。
「妖精姫は勝ちました。しかし、呪いをかけられて寝てしまいました。そんな感じで終わるのかな?」
これはかなり簡単に書かれているが、自分の話だった。
2000年前の記録は殆ど無くなっていると聞いていた。
でも、殆どと言うことは少しは残っている事だ。
その一つがこれなのだろう。
殆ど輪郭が失っているからこそ、消されずに残った。
「いいえ、そんな終わりかたはしませんよ。物語は最後まで読まないと。勝手にラストを想像して読んだ気になるのは愚の骨頂とか言われますよ?」
少年は閉じた絵本の最後のページを開く。
そこには一人の少年と妖精姫の絵。
少年と妖精姫は笑っている。
そして『めでたしめでたし』の文字。
「物語はハッピーエンドじゃなきゃダメです」
「でも、何で妖精姫はこんなことになったのですかね?」
少年が指し示すのは物語の途中のページ。
妖精姫は民衆の前で大見得をはっていた。
何故か裸で。
「ああああああっ」
それはパラパラとめくっていって飛ばされたページだった。
『あなたを殺して、わたしも死ぬ』
あの時の彼女の気持ちを2000年経った今、駄エルフは理解した。