駄エルフさんと魔物
「なんだい、少年。私は汗の臭いが気になるんだが」
駄エルフは背中からかけられた声に、顔だけ向いて答える。
「あ、いえ」
「あ、昼食かな。そうだね、体力を使ったから、ちよっとボリュームが欲しいかも」
「は、はい。それならサンドイッチを作りますよ。卵やハムも、野菜もありますし。ボリュームも自分で調整出来ますから」
「卵は焼いたのも欲しいなー。スクランブルじゃなくて、厚く焼いた奴……あと、昨日のも……」
「はい、厚く甘く焼いた卵と、擦りリンゴですね」
「う、うん。じゃ、お風呂に入ってくるよ」
駄エルフは浴室にに向かう。
愛用のクッションに運ばれて。
「だから、ちょっとまったー」
「? 今日の少年はやかましい」
「いえいえ、何で駄エルフさんが疑問に思わないのか、そっちが疑問ですよ」
駄エルフは首を傾げる。
少年が何を言いたいのか、全く分からない。
だが、少年の顔を見てきちんと話し合うべきコトと判断する。
だからきちんと少年の方へ向き合う。
その場で愛用のクッションが180度回って。
「何が言いたいのかは、はっきり言ってほしい。私には心を読むことはできないからね」
「心は読めなくても、空気は読んでくださいよっ。本当に気付いていないんですか? そのクッション、動いていますよっ」
「ははっ、何を言ってるんだい、少年。……あ……ちょっと待って……くしゃみが……くちゅんっ。あーあー、ティッシュー」
駄エルフに差し出されるティッシュの箱。
「ありがとー。冷えちゃったかな、早くお風呂に入らないと」
「だから、それっ。ほら、ティッシュ渡したの、そのクッションですからっ」
「え?」
そこでようやく駄エルフも気付く。
ティッシュの箱を片付け、使用済みティッシュはゴミ箱へ。
駄エルフは動いていない。
もちろん少年も。
「オードリーが動いてるっ」
駄エルフは愛用のクッションに名前をつけていた。
◻◼◻
ここはアントリア大陸中央にある大国フロントガーデン。
その外れの新興住宅地の、そのまた外れの一軒家。
今、駄エルフはお風呂に入っている。
覗いてみたいという欲望はある。
だが、それは男らしくないのでしない。
ただし、旅先であれば全力で覗きにいく。
旅先での覗きは男らしい。
それがお爺さんの教えだ。
少年は厚焼き玉子の制作中だ。
慣れたものでさほど意識しなくても、機械的に手が動いていた。
専用フライパンで、油を塗っては溶き卵を入れ、巻いては油を塗る。
なお、溶き卵には出汁は入れておらず、入っているのは砂糖と少量の塩だ。
「昨日までは動いていませんでしたよね、あれ」
もちろん、『あれ』とは駄エルフのクッションだ。
昨日何かがあって、動くようになったと考えるのが妥当だろう。
昨日あったこと。
居間の片隅を見る。
思い当たるのはあれだ。
昨日、駄エルフが開けた異界の穴。
そこからこぼれ落ちた色々な物。
ほとんどが金貨だったが、ソレ以外の物も色々とあった。
その中に、何らかの古代秘宝があったのではないか?
卵が焼き上がる。
レタスやキュウリの準備済み。
パンも耳は既に落としてある。
後は具材を挟むだけだ。
パンにはバターやマヨネーズなど具材に合わせて塗り替える。
ついでに苺やマーマレード等のジャムサンドも作る。
本当はフルーツサンドも作りたかった。
しかし、生クリームを用意する時間がなかったので諦めた。
挟み終わったり、おもしを乗せて具材とパンを馴染ませる。
後は駄エルフが風呂から出てきたら、食べやすいサイズに切り分けるだけだ。
◼◻◼
「うーん、いいお湯だった。ぽかぽかだよ」
駄エルフはクッションに乗って戻ってきた。
既にクッションが動くことを受け入れていた。
それどころか、便利な手足として活用していた。
歩くのも、食べるのもクッション任せだ。
人を駄目にすると呼ばれたクッションが、本当に1人駄目にしていた。
「行儀が悪いですよ、駄エルフさん。それでは堕落したエルフ、堕エルフさんじゃないですか」
音で聞く分には変わらない。
駄エルフはサンドイッチを咀嚼しながら、自分の行動を顧みる。
「確かに行儀が悪いね。オードリー、もういいよ。自分でするから」
オードリーと呼ばれたクッションは、ちゃぶ台前に駄エルフを下ろすといつもの定位置に戻る。
あそこがステイの場所なんだろう。
「駄エルフさん、あのクッション……」
「オードリーだよ」
「……あのクッ」
「オードリー」
「……オードリーは何かの古代秘宝ですか?」
「んー、違うよ」
「昨日の異空間収納から、落ちてきたんじゃないのですか?」
「あれは財布だからね。古代秘宝用は別にあるよ」
少年の勘は外れた。
しかし、古代秘宝用は別だって?
これは後で聞きただす必要があるか?
でも仕事が今以上に増えるだけのような……。
「では、オードリーはどうなってるのでしょうか?」
「魔物化かな」
魔物化。
地下迷宮等で時々起こる現象だ。
例えば宝箱に魔力が宿りミミックに。
例えば放置された鎧に魔力が宿りリビングアーマーに。
例えば死体に魔力が宿りゾンビに。
無限袋製作で、ときおり魔物となるものもあった。
今回の場合、駄エルフの魔力を四六時中浴び続けたのが原因だ。
普通ならそんな事は起こらない。
魔物化には一定量で同じ質の魔力を、一定期間浴びせる必要がある。
意識してするには色々と難しい。
魔力を一定量一定期間出すには、人では魔力総量が足りない。
かと言って複数人で行っても、同じ質を保つのは無理だ。
駄エルフの場合、怠惰の呪いの影響があった。
怠惰の呪いは体力を奪っていく。
では、体力はどうやって奪われるのか?
それは体力を魔力に変換して、放出しているのだ。
魔力切れの時に体力で肩代わりされるのを、呪いは利用していた。
この放出される魔力が、魔物化の条件を満たしていた。
「それは危険じゃないので?」
「私の魔力に反応して動いている以外は、シンプルな行動原理があるだけみたい。だから大丈夫じゃないかな」
「シンプルと言うと?」
「私の側にいたい」
厳密に言えば駄エルフの側にいて、魔力が欲しい、だ。
何時から魔物化していたかは分からない。
以前から魔物化していたが、動く必要がなかった。
何時も、駄エルフはオードリーと共にいたから。
昨夜、駄エルフの魔力切れで、何時ものように魔力を貰えなかった。
だから魔力を求め、駄エルフを夜中に乗せたのだ。
居間に戻ったのは単純に、そこがオードリーの定位置だったからだ。
「……」
少年はオードリーを見る。
どこからどう見ても、ただのクッションだ。
シンプルな行動原理。
それは少年も同じだった。
すなわち。
『駄エルフさんの側にいたい』