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涸れ川に、流れる花  作者: 碧檎
本編
4/39

負け犬が聞いて呆れる(1)

 王太子ルティリクスと傍付き女官であるメイサがアウストラリスの王都エラセドに帰還したのは、彼らがジョイアへと旅立って半月後の事だった。


 馬車の扉が開く。王太子の大きな体が窮屈そうに馬車の狭い戸をくぐるとすぐに、彼は後ろから出て来る女――メイサに手を貸した。

 彼女の容貌はたちまち周囲を魅了する。赤い髪と茶の瞳は王太子を鏡に映したかのよう。女の方が色素は薄いが、並んだ光景は彼のために女を誂えて来たようで、ひどく迫力がある。豊かな胸、くびれた腰が強調された衣装をまとったメイサは、女のシェリアが見てもどぎまぎするくらいだった。

 馬車から降りようとしたメイサは突如体勢を崩す。足首まである服の裾を僅かに踏んだらしい。王太子が彼女の体を支え、二人の目が合う。王太子は吸い寄せられるようにメイサに顔を寄せ、彼女が慌てたように顔を逸らして赤くなる。

 あまりに仲睦まじく、目の毒なほどの光景に周囲は固まった。王太子の元に駆けつけようとしたシェリアも思わず怯んだ。まるで新婚夫婦のような雰囲気は足止めには十分だった。


(ねえ、今の、わざと? わざとよね!?)


 目立つようにとわざわざ城門前に陣取っていたのだ。シェリアの姿は目に入っていたはず。それなのに、見せつけるのは計算か。無駄だと諦めさせようとしているのか。

 シェリアが王太子の顔を窺うと、彼はこちらを見る事も無く口元を僅かに綻ばせていた。はなから相手にしないという意志を知らせようとしているのがすぐにわかる。


(いいわよ、それならそれで!)


 多少傷つくが、すぐに切り替える。悔しさの矛先を王太子の視線を独占している女に向ける。完全無視という王太子の失敬な出方はわかった。ならば、狙いを他に定めるまで。

 シェリアは余裕の表情を浮かべ、止まっていた足を進めた。そして、僅かに警戒して体を固める王太子の横を通り過ぎて女の前に立つ。猫なで声を作ってシェリアは言った。


「おかえりなさい。ずっとお待ちしておりましたの」

「わ、わたし?」


 メイサは瞳が溢れるのではないかというくらいに、目を見開いていた。

 シェリアは彼女から目を逸らさないままに、最大限柔らかい表情で笑った。


「少しご相談に乗って頂けるかしら?」


 直後、周囲の空気がすうっと冷える。


「こいつに何の相談だ。他の人間で間に合うだろう?」


 王太子の冷たい牽制にもシェリアは笑顔で返した。そのくらいは計算のうちだった。そっちがその気なら、もっともらしい断れないであろう理由をつけるのは簡単だ。


「彼女にしかできませんわ。――仕事の引継ぎをお願いしたいのですから」




 急遽小さな茶会が開かれようとしていた。

 揉めに揉めたあと指定されたのはヨルゴスの庭。シェリアはメイサと二人きりで話がしたいと言い張り、メイサは「少しなら」と戸惑いつつも頷いた。しかし、警戒するルティリクスが許さなかった。結局、間を取って小さな中庭が茶会の場所として指定された。話を聞かれたくないシェリアと、逐一見張りたいルティリクスが、双方妥協できるギリギリの場所だった。

 新旧の助手で、勝手を知っている二人が、小屋から庭へとテーブルを出したり、椅子を出したりと忙しそうにしていた。女に重いものを持たせるつもり!? とシェリアに尻を叩かれたヴェネディクトが彼女達を手伝っている。

 邪魔だからとあっさり束ねた赤い髪が差し込む日差しに揺れている。汚れるからと、服の上から古い前掛けを身に着け、くるくると忙しそうに動く。テーブルには庭に咲いていた釣鐘状の白い花が飾られる。気になったのか、ついでに荒れた畑から雑草を数本抜いているところが、なんともメイサらしい。――もうあれは彼女の仕事ではないのに。


「相変わらず、よく働く人だなぁ」


 ヨルゴスの目が自然に想い人を追う。もう諦めろと自らを叱咤しても、どうしても惹き付けられてしようがなかった。


「どういうつもりだ」


 低く艶のある声がヨルゴスの注意を無理矢理に引き戻した。彼は目をしばたたかせると目線をメイサから逸らし、シェリアに移す。


「シェリアの事? ……さぁ。女の子の気持ちはよくわからないよね」


 軽く茶を濁すと、誤摩化されないと頑になる従弟から苛立った声が戻って来る。


「そうじゃない、お前のことだ」


 ヨルゴスは仕方なく体の向きを変える。机の上には分厚い学術書があり、机の向こう側には赤い髪の大きな男が腕を組んで立っている。端正な顔は不機嫌さにも造作を崩さず、却って迫力が増している。燃えるような赤い髪の下では、大地の色の目がヨルゴスを睨んでいた。


「メイサに手を出させるな」


 彼はヨルゴスの答えを待たずに言った。彼が自身の気持ちについては答えない――答えられない事を知っているからかもしれない。

 ヨルゴスは小首を傾げて幼い表情を作ると、わざと軽い調子で尋ねた。


「あれ? メイサを守るのは僕の役割だったのかな?」


 こう言えばルティリクスが嫌がるのはわかっていた。無意識にヨルゴスを頼っていた事を思い出させてやると、予想通り彼はさらに不機嫌になる。彼の顔は二十二歳の青年らしい顔になり、ヨルゴスより年下だと思い出させた。その年相応の顔がヨルゴスは大変好みなので、いつも彼を子供扱いするのだ。

 膨れるルティリクスの前に、ヴェネディクトが上等の茶を出した。ただしヨルゴスが朝に飲んだ出がらしだが。

 従弟のルティリクスは、幼少期を過ごした母親の実家が貧しいこともあって、食べられれば文句を言わないというある意味“味音痴”だ。アウストラリス南部の裕福な家を後ろ盾にするヨルゴスとは全く毛色が違い、そこは昔から面白いところだと思っていた。だが、勿体ないので、無駄に高い茶葉を消費するなと近従には言いつけている。

 特に今回のような闖入者には、茶を出してやるだけでもありがたいと思って欲しい。彼は当然のように部屋に居座っているが、はっきりと仕事の邪魔だった。

 ルティリクスは喉を潤せれば何でも同じとばかりに水のように茶を飲み干すと、むくれた顔のまま言う。


「嫌がらせのつもりか? このけちな茶と同じで、知らないとでも思っているのか?」

「あれ、知ってたの? なんだ。味がわかるのなら、文句の一つでも言えばいいのに」


 今まで何杯茶を出しただろうか、その度に腹の中で怒っていたのかとヨルゴスが茶に想いを馳せ始めると、ルティリクスはそんなことはどうでもいいとばかりに話題を戻す。


「茶のことは忘れろ。俺が訊きたいのはお前とあの女の関係だ」

「調教中の飼い犬とご主人様、かなぁ」


 少し考えて答えると、ルティリクスは複雑そうな顔をして黙り込む。ややして、躊躇ったように尋ねた。


「…………念のため尋ねるが、飼い犬はどっちだ」

「決まってるだろう」


 くすくす笑うと、ルティリクスは僅かにほっとした顔をした。


「じゃあ、どうしてご主人様・・・・は、犬を躾けない。狂犬・・はいっそその辺に縛り付けておけばいいだろう」


「お前はまだまだわかってないな。犬でも女の子でも、調教する時は飴と鞭を上手く使い分けないと駄目なんだ」


 特に鞭は効果的に使わなければ意味がない――付け加えると、純朴なルティリクスはあからさまに気味の悪そうな顔をするが、無視してヨルゴスは話題を変えた。


「ま、今回僕が邪魔しないのは、単に、あの二人が気が合うんじゃないかって思ったからだよ。メイサにも気軽に話せる友人は必要だろう?」

「ゆうじ――友人!? 冗談じゃない。メイサに合うわけがあるか」


 吐き捨てるように言うルティリクスに、ヨルゴスは微笑んだ。


「でも、シェリアはお前にそっくりだし、メイサなら簡単に飼いならすだろうなって」


 含みを持たせると、ルティリクスは不満そうに食いついた。


「どういう意味だ」


 ヨルゴスは口元の笑みを深くした。


「そのままの意味だけれど。言って欲しいなら言ってあげるよ。王太子は一介の女官にべた惚れで全く頭が上がりませんって。お前は既に調教された犬で、“餌”を貰うためには何でもしますって。まだ言って欲しい?」

「……………………言うな」


 反論しないという事は、心当たりはあるのだろうか。いつの間にかルティリクスの眉尻が下がり、顔に哀愁が漂っている。

 彼が飼い主に餌を忘れられてお預けを食らい続けている犬にも見えてしまい、ヨルゴスは我慢できずに吹き出した。自分が美味しそうな餌だと全く自覚しないメイサなら、その状況は十分有り得た。


(ああ、これだから、奪おうなんて思えないんだ)


 相変わらず手のひらの上で踊ってくれる可愛い従弟。恋敵が彼でなければ――何度願った事か。


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