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涸れ川に、流れる花  作者: 碧檎
後日談
32/39

(6)

 ジョイア皇帝――シド帝との謁見は、皇太子の勧めもあり晩餐の場で行われることとなった。

 ヨルゴスがジョイアを訪問したのは、表向きはルティリクスとシリウス皇太子とが行う今後の政治について、国内を視察しつつ細かい取り決めを行うため。王太子に委任されているということになっているのだ。

 シェリアとの婚約についてはまだジョイア側には伏せてあり、それは今回の議題の要となるはずだった。


 晩餐の場を借りた会談は和やかに進む。

 猪肉などの山の幸をふんだんに使った豪勢な食卓の席にはシド帝、シリウス皇太子、ヨルゴスの三人。

 シド帝は口ひげを蓄えた唇を緩ませている。


「ルティリクス殿には、頼りになる従兄がいて羨ましいことだ。シリウスにも信頼出来る家族がいればどれだけ良かっただろうか」

「ルティリクスは義兄としてシリウス殿下とジョイアを支え合うつもりです。もちろん私も両国の発展に全力を尽くしたいと思っております」


 ヨルゴスの言葉に皇帝は満足そうに頷く。人格者だとは聞いているが、それを表すように褐色の瞳の色は柔らかだった。


「ときに、ヨルゴス殿は未だ妃を娶られていないとか」


 こちらから持ちかけようとしていた話を先に出され、ヨルゴスは僅かに動揺する。

 皇太子も突然の話題転換に戸惑いを隠せない顔をしている。


(先手を打たれたか?)


 表面上穏やかさを保ちながらも警戒するヨルゴスに、シド帝は続けて尋ねた。


「女性が苦手というわけでは――」

「いえ、そういうわけではなく、今まで運命の女性に出会えずにいただけです」


 少々慌てて否定する。そして出会ったのですと続ける前に、人を食ったような朗らかな笑顔に遮られる。


「誠実なお人柄はジョイアまで伝わって来ていますよ」


 くつくつと笑うシド帝に、ヨルゴスと皇太子は顔を見合わせた。彼の思惑も、話がどこへ向かうのかも見当がつかなかったのだ。

 そんな二人を、シド帝はいたずらっぽい光をたたえた目で交互に見つめた。


「ジョイアとアウストラリスを結ぶ架け橋は、シリウスとスピカ妃の他にもう一つくらいあってもいいのではないかと思ってね。殿下のお人柄を知るうちにその想いがふいに強くなったのだ」


 どういうことだろう? ヨルゴスが再び皇太子に目をやると、彼は頬を引きつらせていた。


「いや、あの、陛下――しかし、あの子はまだ十五で、ヨルゴス殿下は二十六で」

「もう十五なのだ。皇族王族の結婚では十の歳の差はさほど大きくない。さすがにルティリクス殿の妃となると、いろいろと不都合もあったが。ヨルゴス殿ならば、家柄などを含めてもさほど不釣り合いでもなく、それほど周囲に刺激を与えることもあるまい」

「しかし、何より両者の気持ちの問題がありますし。少し前までルティが良いって言ってたし!」


 皇太子は皇太子の顔をやめてただの息子に成り下がる。その様子を楽しそうに見つめて、


「ミルザは恋に恋する年頃だからね。ルティリクス殿への恋も、失恋とも言えないものだったろう。それにお二人は血の繋がりもあって、顔立ちがよく似ている」


 ふっふとシド帝は笑うが、ヨルゴスは貼付けた笑顔が剥がれないようにするのが精一杯だった。


(今ミルザと聞こえた気がしたけれど)


 それは皇太子の妹姫の名だ。シド帝が本気ならば、国力から考えておそらく断れない。ヨルゴスはとんでもない成り行きに青ざめて絶句する。

 噛み締めた唇はきっと紫色に変色しているだろう。血の味がする。

 ヨルゴスの顔をじっと見つめた後、皇帝はにっと人好きのする顔で笑った。


「と――それは冗談なのだがね」

「! ――……父上…………どうして」


 皇太子がへなへなと脱力し、テーブルに突っ伏す。


「お前が何か企んで動いているのは知っている」

「…………」


 皇太子が黙り込むのをみてふっと笑うと、シド帝は今度は唖然とするヨルゴスを見た。


「そして、未だに報告がないようだが――ヨルゴス殿がパイオン家の娘を妃に迎えようと思っていることも」

「…………」


 ヨルゴスも沈黙すると、シド帝はやれやれと肩をすくめた。


「つまりは、ダモン=パイオンの釈放を求めているのだろう?」


 はっきりした口調で追求され、二人は項垂れて同時に認めた。言い逃れは不可能だ。


「…………はい」

「残念ながら、それは認めるわけにはいかない。彼は私の愛する妻を冒涜した」


 予想どおりの言葉が耳に流れ込み、ヨルゴスは酷く無気力になる。完敗だ。どう建て直していいか即座に考えつかなかった。

 だが、心の中で小さく反発するものがあった。


(僕は、ここで諦めるのか?)


 牢でパイオン卿に会えば――シェリアはきっと自分を恥じるだろう。罪人の娘だと。彼女の山よりも高いプライドはずたずたになってしまう。

 それでもきっと泣き顔を見せず、「平気よ」と不敵に笑ってみせるのだ。小さな拳を震わせながら。


「……私の愛する女性は、酷く意地っ張りで、自分の本当の望みを決して口にはしません。だからこそ、私はその想いを汲んでやらなければならないと思っています。それが出来なければ、私は彼女の隣にいる資格はない」


(そうだ、準備はして来た。負けるからと途中で投げ出すのは、戦って負けるよりも情けない)


 独り言を言うように呟くと、ヨルゴスは胸元の右のポケットに密やかに入れていたものを取り出す。立ち上がり、シド帝の傍に寄る。

 彼は眉を寄せ、警戒を表した。


「これを」


 ヨルゴスの手のひらにはルティリクスがムフリッドの工房で造らせはじめた試作品のガラス玉があった。高熱で処理して、濁りが随分と減らされている。


「……見事なガラス細工だ。これほどの透明度のあるものは初めて見た」


 シド帝は目を細めて、ガラス玉に魅入る。


「この品を、ジョイアだけでなくケーンを通して外国に運びたいと思っています。そのための販路を得たい。それにはどうしてもパイオン家に力を保ってもらう必要があります。北部の活性化はアウストラリスのみならず、ジョイアでも大きな課題のはず。どうか、両国の発展のためにも釈放をお願いできませんか」


 皇太子もヨルゴスに加勢する。


「父上。パイオン卿の墓荒らし供そは未遂・・です。過去の例に倣っても、終身刑は重過ぎると判断します」


 声に力を取り戻した皇太子を見てシド帝は残念そうな顔をする。


「しかし――この場合、アウストラリスではどうか知らないが、ジョイアでは保釈金が必要だ」

「――こちらの品を造っている工房の使用権では、どうでしょう」


 ヨルゴスはもう一つのポケットからもう一つの切り札を取り出す。


「これは――金塊、かな? 随分と大きい」


 直径が小指ほど。一見金で出来た球に見える。だが、金にしては軽いのが分かるのだろう。シド帝は怪訝そうな表情だ。


「いいえ。銅なのです。表面に鍍金めっきを施しています」


 微笑んで、水銀を使った鍍金技術の仕組みを説明する。


「例えば玉座を全て金で造ることは難しくとも、この技術を使えば黄金の玉座を造ることは可能でしょう」

「まあ……そんな座り心地の悪そうなものは要らないが」


 不機嫌そうにシド帝は顔をしかめた。確かに、ヨルゴスもそんな趣味の悪いものは要らないと思う。だが、欲しいという人間はきっといるだろう。


「しかし、南方の王族は金を好みます」


 思い当たることがあったのか、シド帝はううむと考え込んだ。


「……工房の貸し出しは何年かな」

「保釈金に足るだけの利益が出るまで、ではいかがでしょう。おそらく一年もあれば十分だと思いますが」


 豊かなジョイアの帝の目にも、さすがに金は眩しいらしい。それだけこの大陸では金が希少である。


「私に妻を売れというのかな」


 それでも渋るシド帝に、痺れを切らしたかのように皇太子が訴えた。


「母上は、その程度のことで怒られる方ではないでしょう。どちらかというと、墓に秘されていた日記・・を読まれたことの方に腹を立てられるのでは? なにより、父上は、パイオン卿に本当は感謝したいくらいなのではないですか? あのことがなければ、父上は母上を誤解したままだった」

「…………」


 今度こそ、シド帝はむっつりと顔をしかめた。父親として威厳を保とうとしたところを、今度は息子にしてやられた、そういう顔をしている。一体どういう親子関係なのか悩んでしまう。


「分かった。ヨルゴス殿の手腕を信じて、パイオン卿の釈放を許す。――後のことは、シリウス、お前がしっかり責任を持て。北部のことは任せる」

「――はい。ありがとうございます!」


 輝くような笑顔で皇太子は頷くのを見て、ヨルゴスは肩の荷が降りるのを感じる。ようやく作り物でない笑顔を浮かべることができた。



 *



 ジョイア宮でシェリアが与えられたのは本宮の南側の一画で、ヨルゴスの部屋の隣室だった。

 ここには賓客しか滞在することはないと聞く。

 ヨルゴスの部屋よりは狭いが、石造りの部屋。固そうな壁の一部は大きくくりぬかれて、ジョイアではまだまだ珍しいガラスの窓がはめ込まれている。夜となった今はカーテンで遮られているが、昼間は日の光が差し込んで明るかった。調度品も諸外国の賓客向けに上質なものばかりが揃えられている。

 以前皇太子の妃候補としてやって来た時は外宮の一画しか与えられなかった。建物は木造で、部屋も小さく、調度品は大きなもの以外は全て自分で持ち込むことになっていた。今回はヨルゴスの付き添い――というか婚約者・・・ということで特別な客扱いということなのだろう。ジョイアでの身分は変わらないというのに不思議なものである。


 父ダモンが釈放されることになった――宮殿でしばし寛いでいたシェリアが知らせを聞いたのは、ジョイア宮に着いた夜のことだった。皇帝とヨルゴスの会談が始まってたった半日。あまりにあっさりと進んだ話に、信じられない気持ちで、伝えてくれたスピカの顔を見る。


「ぬか喜びさせて、その後『嘘でした』とか言って、落ち込ませようとしているんじゃないでしょうね?」


 そう言うと、スピカの顔からはにかんだ笑顔が剥がれ落ち、ぽかんとした間が空く。


「……まさか。あなたじゃあるまいし。どうしてそういう発想になるのよ」


 意外に短気な妃はむっと顔をしかめる。


「だって、私あなたにそれだけのことしたもの。仕返しされてもおかしくないじゃない?」


 シェリアがそう言うと、スピカはなにか諦めたようにやれやれとため息をついた。


「とにかく――会いたいそうだから、ここに通していいかしら?」


 スピカは気を取り直して、シェリアに問うた。

 シェリアが頷くと、スピカはすぐに侍女に指示を出す。

 そしてしばらくしてから、部屋に顔を見せたのは、久々に見た父。そしてヨルゴスだった。


(あ、あの女――)


 確認しなかったシェリアが悪いのだけれど、あの話の流れだと、ここに来るのは父ダモンだけだと思うだろう。

 シェリアがどれだけ彼を避けているかくらい知っているだろうに、とぼけているのか、それとも一種の嫌がらせか。

 父との再会の感動も一気に薄れる。ヨルゴスが父の釈放に力を尽くしてくれたことは言われずとも分かる。礼を言わなければいけないのは分かっているのに、顔さえ見れない。


「シェリア。どういうことなのか、説明してくれるね?」


 扉の傍で立ち尽くしたままの父ダモン。随分窶れていたが、牢から解放されたことで表情は比較的穏やかだ。だが、さすがに後ろにいる男の存在に困惑は隠せていない。

 なぜここに隣国の王子がいて、そして自分を釈放させてくれたのかまったく理解出来ていないようだ。


(せ、説明は、まだなのよね?)


 ちらりとヨルゴスを見ると、彼は父の肩の向こうでふわりと笑った。

 久々にまともに目が合って、シェリアは頬が染まるのを止められない。


(その笑顔はいいの。とても素敵なの。だけどね、だけど――)


 シュルマが語った内容が衝撃的過ぎる。彼女は『キスの延長よ』などとカラカラ笑っていたが、キスは上半身の話で、あれは下半身の話だった。別物である。

 あの穏やかで、柔らかい笑顔を浮かべる彼が、本当にあのような行為をシェリアにするのだろうか。


(だめよ、とても想像出来ない)


 というより、想像したくないが正しいのだが。

 さりげなく目を逸らし、俯く。

 だが、ともすれば淑女が目にいれるには相応しくない場所をうっかり凝視してしまいそうで、シェリアは意識して視線を上げる。だが、顔を上げれば再び目が合ってしまう。


(いったいどこを見ればいいの)


 視線をあちこちにさまよわせたシェリアは、結局父の顔を見ることにした。

 父はシェリアに問うような視線を向ける。酷く怪訝そうだ。おどおどしてらしくないとでも思っているのだろう。自分でも自分らしくないと思うくらいだから仕方ない。


「とにかく座って話をさせてもらっても?」


 そこで、ヨルゴスが父の背を押すようにして入室を促した。

 設えられた上質な肘掛け椅子に各々座る。ダモンはまずヨルゴスが腰掛けるのを待ったが、促されて先に一人掛けの椅子に座った。

 シェリアが二人掛けの椅子に腰掛けると、ヨルゴスは狙ったように隣に腰掛ける。

 ぎょっとして腰を浮かしかけるが、ヨルゴスが首を僅かに振り、鋭い眼差しで『逃げては駄目だよ』と訴えられて、腰が抜けたように椅子に座り込む。


「パイオン卿。これは決して恩を着せるつもりではないのですが、……これからあなたに大事なお願いがあります」


 一息ついた後、ヨルゴスは真剣に訴え、


(あ、あれを言うつもりなのね)


 とシェリアはごくりと喉を鳴らす。


「何でしょうか、ヨルゴス王子殿下。このたびは、どういう理由でお助けいただいたのかは存じませぬが、必ずご恩がえしをさせていただきたく存じます。何なりと申し付け下さいませ」


 何を引き換えに失うのだろうと硬い表情で畏まるダモンに、ヨルゴスはコホンと咳払いをすると、「僕は――」ちらりとシェリアを見て口を開いた。


「シェリア嬢と結婚したいと考えています」

「はあ、けっこん。そうでございますか…………は、えっ!? けっこん、って結婚でございますか!?」


 ダモンはヨルゴスの言葉をじっくりと噛み締めた後、急に唖然とした顔になった。


「許して貰えるかな?」

「え、いや、あの、許すというより…………」


 むしろこちらからお願いしたいくらいの良縁で――としどろもどろに言った後、目を白黒させた父は、


(どうやって騙したんだ)


 と、問うような目でシェリアを見つめてくる。

 昔、親娘でシリウス皇太子に罠を仕掛けて、皇太子妃の座を得ようとしたこともあるくらいだから、父の反応はある意味当然である。二人が恋愛感情で結婚するなどとは夢にも思っていないようだ。

 説明が面倒で――というよりは照れくさくて、つんとすますシェリアの隣で、ヨルゴスは心底ほっとした様子でため息をついた。


「それは良かった。アウストラリスの婚礼では、まず花嫁の両親に了承を得るところから始めなければならないのです。これでようやく次の段階を踏むことができます」


 にこやかに話すヨルゴスに、ダモンは作り笑いを浮かべている。まだ事態が飲み込めていないらしい。皇太子にふられ、王太子にもふられ、金貸しと結婚を待つばかりの嫁き遅れの娘なのだ。それが末とはいえ王子を釣り上げたのだから気持ちはよく分かる。


「今後の話はまたゆっくりとさせてもらうとして……せっかくの親子水入らずの時間を邪魔しては悪いね。そろそろ、僕は部屋に戻らせてもらう」

「え、いや、あの――むしろ邪魔者は私では――」


 シェリアをちらりと見て焦るダモンに、ヨルゴスはふんわりとした笑顔だけを残して、部屋を去った。


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