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涸れ川に、流れる花  作者: 碧檎
後日談
30/39

(4)

 ジョイアへの旅路には大きく分けて二種類ある。

 一つはアウストラリス北部のムフリッドを経由してジョイアのオリオーヌ州へと入る経路。そして、もう一つは南部のカルダーノを経由して、オルバースから船に乗る経路。シェリアがアウストラリスにやって来たときは北回りの経路を通ったため、今回の南回りは初めてで新鮮だった。

 残念だったのはヨルゴスがカルダーノで旅の仕度を整えるためと、先に出発していたことだ。合流を果たせたのは国境。王都エラセドを出発して一日後のことだった。


 湖からの風が丘を駆け上り、シェリアの髪を舞い上げる。水分を含む冷たい風を久々に感じて故郷への懐かしさに胸が高鳴った。

 そうして国境の関所の前、頑丈な鉄製の門の前に鋼色の髪の毛を見つけ、シェリアは馬車を飛び降りる。望郷の念よりも、大きな歓喜で頬を染めながら駆け寄った。


「殿下!」

「…………シェリア!?」


 ヨルゴスは振り返るなり目を見開いた。

 知らせていなかったので彼が驚くことは予想していた。きっと喜んでくれると期待していたシェリアだったが、それは見事に裏切られる。


「どうして来たんだ」


 ヨルゴスの顔には喜色は一切現れていない。むしろ困惑した顔だった。


(どうして来たですって? それが恋人に対する言葉?)


 むっとして彼の顔を睨んだシェリアは、彼の瞳の中に明らかな陰りを見つけて、思い出した。


(あ)


 そういえば最後に彼の顔を見たのはいつだったか。思い当たったシェリアは真っ赤になった。

 胸に触れられて、突き飛ばした。その後、彼は捨て台詞を吐いてシェリアの前から姿を消し――つまりは仲直りをしていない状態だった。


(え。っていうか、もしかして、まだ怒ってるの?)


 ヨルゴスとの喧嘩など日常茶飯事すぎて、仲直りをしようなどということは頭の隅にも無かった。だが、これまでの喧嘩には自分が攻撃しているという意識があった。今回はそこまで怒らせるようなことはしていないはず……なのに、どうしてだろう。ヨルゴスが自分に対して壁を作っているのが目に見える気がした。


(私、謝るべき?)


 かといってどうやって謝ればいいか分からない。まずシェリアは自分の何がまずかったのかが分かっていなかった。

 それにもし謝った場合、それは触れても良いという許可にならないか。そう考えたとたん頭が噴火しそうになる。


(それは、だめ。無理!)


 ヨルゴスは黙り込んだシェリアが怒っているとでも勘違いしたのか、やれやれといった調子でため息をついた。


「わざわざ謝罪でも聞きに来た? じゃあ、謝るから。だから、大人しくエラセドで待っていてくれないか?」


 冷たく突き放されて、シェリアは驚く。ヨルゴスは、シェリアが付いて来ることを全く望んでいない。


「……なんで? 私、邪魔なの?」


 落胆で声が震える。


「違う。そういうことじゃない」


 ヨルゴスが冷静な分だけ頭に血が上る。


(――勝手に舞い上がってこんなところまで来て。私、馬鹿みたいじゃない)


「まだ怒ってるの?」

「怒るって、何を?」

「さ、触らせなかったから!」


 気が昂って思わず口から溢れた言葉に、少し離れた場所に居たスピカと皇太子がぎょっと振り返る。それを見て、シェリアは羞恥で頭が真っ白になった。


「怒ってないよ。とにかくここでする話じゃない。場所を移そう」


 ヨルゴスは真面目な顔でシェリアを馬車の影へと促す。そして彼女の腰に彼の手が触れたとたん、シェリアは雷に打たれたように飛び跳ねる。その場所は、あの夜、ヨルゴスが直に触れた場所だった。


(あ――――!)


 ぱしりという音と手ひらの熱に我に返る。思わず彼の手を振り払ってしまっていた。一気に顔を曇らせるヨルゴスにシェリアは動揺する。


(またやっちゃった……!)


「――ご、ごめんなさい!」


 またヨルゴスにこんな顔をさせてしまった。情けなさに思わず声が潤み、シェリアが俯くと、ヨルゴスは「いいんだ」と髪を撫でた。

 優しい仕草に促されてシェリアが顔を上げると、ヨルゴスは困ったように微笑んでいた。


「君の準備ができるまでは触れないから」

「準備って?」


 もしかして胸が育つのを待ってくれるのだろうか。その可能性はほとんど無いのだけれど。シェリアが絶望感に顔を翳らせると、ヨルゴスは補足した。


「心の準備だよ」

「あの、……それ・・って省略することって出来ないの?」


 シェリアはよく分からないままに、半ば本気で懇願するが、


「悪いけど、それは出来ないと思う」


 ヨルゴスは真面目な顔で首を横に振り、逆にシェリアに懇願した。


「とにかく、ジョイアにはまた落ち着いてから連れて来てあげるから。故郷が懐かしいのも、ご両親に会いたいのはも分かるけれど、今回はここで折り返すんだ」


 シェリアはなぜここまで同行を拒絶されるのかが、どうしても納得出来ない。


「でも……」

「何?」

「ジョイアから帰って来るのって十日は先よね? そんなに長く、は……離れたくないもの」


 決死の覚悟でそう呟くと、ヨルゴスは参った、と天を仰いだ。

 そして彼女の頬に軽く口付けると、


「いい子だから、あんまり僕を困らせないでくれる?」


 と言った。その顔が泣き顔にも見えて、シェリアは目を見開く。そこに遠慮がちな高い声が割り込んだ。


「あの……お邪魔して申し訳ありません」


 顔を少し赤くしたスピカが馬車の向こうからちょこんと顔を出している。

 そこに後ろから顔を出した皇太子が口を挟んだ。


「もしよろしければ、お二方、基本的に別行動……っていうのはいかがでしょうか? 元々僕たちがシェリアに提案したことですし、妻もシェリアとお話ししたいことがあると言っていますし」


 彼はなんだか気の毒そうにヨルゴスを見ている。


「息子も喜びますし、シェリアには私たちの馬車に同乗していただけると嬉しいです」


 スピカも何か気遣うような顔で申し出た。その視線から、二人ともシェリアにではなく、ヨルゴスに気を使っているのがありありと分かった。


「しかし、それでは狭いでしょう」


 ヨルゴスは迷っている。皇太子はもう一押しとばかりに提案した。


「それならば、僕が殿下とご一緒しましょう。今後のことで、お話ししたいことは山ほどあります」


 しばし考え込んだヨルゴスは、やがてほっとため息をつくと「お気遣いありがとうございます。――どうか道中よろしくお願いいたします」と皇太子夫妻に頭を下げた。




 国境を越えると一行はジョイア側で用意された二頭立ての四輪馬車二台に分乗した。広めの作りの一台にはシェリアやスピカ妃、ルキア皇子と侍女が乗り込み、もう一台にはヨルゴスと皇太子が乗り込んだ。

 皇太子の側近の男は「私のことはお気になさらずに」と同乗を遠慮し、他の侍従と一緒に後続の幌馬車に乗り込んだ。

 二列に並んだ椅子のそれぞれに腰掛けるが、幅があるためか、男が二人座ってもそれほど窮屈には感じない。

 しばらく今後のことについて話す。皇都に行き、皇太子と共に皇帝にまみえ、彼の説得を計る手順だ。ジョイアの法を読み込みながら、判例を取り出し、議論を繰り返す。

 そうしているうちに、湊が近いと馭者に告げられて、一度話し合いは途切れた。続きは船の上でということになったのだ。

 皇太子は用意されていた菓子と茶をヨルゴスへと差し出しながら、ヨルゴスに問いかけた。


「実は参っていらっしゃいますね、相当」


 柔らかい背もたれに体を預けた皇太子がにこりと笑う。頬には痣が残っているため、笑顔も浅いが、気遣うような雰囲気を感じる。


(やれやれ、弟が一人増えたような気分だ)


 ザウラクの末の王子であるヨルゴスには弟は居ないはずなのだが、一人既に面倒な、だが可愛い弟みたいなものがいる。彼と同じような表情に、苦笑いしながら頷いた。


「お分かりになりますか」


 皇太子は頷くと窓にかかったカーテンを全開にした。ジョイアの馬車にはガラスの窓は使われないことが多いのだが、この馬車の窓には嵌められていた。目前に大きく広がるミアー湖の銀色のさざ波を眩しそうに眺めると、皇太子は横顔に憂いを浮かべた。


「なんというか……懐かしいなあと思い出してしまいます」

「そんなご経験がお有りなのですか」

「僕らも婚約期間は長い方でした。プロポーズを受けてもらってから五ヶ月はほとんど二人きりで過ごせませんでしたし」

「そうなのですか。初耳です」


 ヨルゴスはその話に親近感を抱く。今の自分と似たような状況だった。


「彼女の父親がこれがまた恐ろしい男で。娘を無碍に扱おうものならば、死を覚悟で僕を斬りつけるくらいなのです。その彼にずっと見張られていたので」


 ヨルゴスは驚く。妃の父親は随分と過激な男らしい。あの華奢で可憐な少女からは想像付かない。

 そう言うと、皇太子は眉を上げて「とても良く似た親子なんですよ」とさらに驚くようなことを言う。

 皇太子は物憂げにため息をつくと、話を先に進めた。


「やっと結婚できたかと思うと、すぐに子供が出来てしまって……お預けで。その後も、色々あって」

「…………」


 ルキア皇子出産後の“色々”というのは、ルティリクスがスピカ妃を誘拐し、エラセドに幽閉したという話だろう。箝口令も敷かれているからヨルゴスは知らないふりをしているが、さすがに城に居れば大体の事情は耳に入って来る。

 思わず黙り込むと、皇太子は疲れた顔で笑う。


「やっと取り戻したと思ったら二人目と三人目が一度に出来ていたので。僕は、この頃になってやっと彼女と本当に結婚できたような気がするのですよ」


 皇太子の笑顔が達成感に輝く。彼が乗り越えてきたものをなんとなく察したヨルゴスは、自分のことを嘆くのが申し訳なくなった。そしてこの皇太子が未だ妃にべったりな理由も良く理解出来る。つまり、今がやっとやって来た新婚生活なのだ。

 そこで話は終わったかと思ったのに、皇太子はまだ続けた。むしろ、今までは前置きで、これからが本題とでも言うような顔で。


「シェリアもスピカと同じかもしれませんね」

「え?」

「盗み聞きしてしまったみたいで申し訳ないのですが……先ほどの話です」


 触る触らせないのあの話か。ヨルゴスは気まずく思いながら俯いた。

 シェリアはキスの先をほとんど理解していない。子供だって、同じ寝床で大人しく寝ていれば出来るとでも思っている節がある。


(それでルティリクスを落とそうとしていたのだから、可笑しいよなあ……)


 その件について、離れているうちに落ち着いて対策を考えるつもりだったのに、なぜか付いて来てしまった。無理にエラセドに帰せば臍を曲げるに決まっているし、かといって旅の間中ずっと傍に居るようなことになればヨルゴスが持たない。無理強いしてしまう可能性だってあった。そうなれば、シェリアはきっと泣くだろう。皇太子夫妻の申し出が無かったら喧嘩別れもあったかもしれない。ヨルゴスは感謝の念を込めて皇太子を見つめる。


「ええ。――彼女、ああ見えて何も知らなくて。……スピカ様もそうだったのですか?」


 話に乗ったヨルゴスに、皇太子は微笑んだ。


「いっそ何も知らなかったら良かったんですけど、初夜直前に友人に入れ知恵されて、怖じ気づいてしまって」

「新婚初夜に? 拒まれたのですか?」


 ヨルゴスが密かに危惧している状況だ。思わず身を乗り出すと、皇太子は苦笑いをする。


「いいえ。なんとか無事に…………、ううん、無事って言うのかなあ、あれ。いえ、ええと、正直に言うと、余計なことをして、と当時は思いましたけれど、よくよく考えると、いざという時に張り手を食らったり泣かれたりするよりは良かったかもなあとか」


 シュルマには感謝しておいた方がいいんだろうな――と、皇太子はぼんやり呟く。


「…………」


 過去に頬に走った痺れを思い出しながらそっと撫でると、皇太子が同情するような眼差しでヨルゴスを見た後、くすりと口元を緩めた。


「……あの。もしよろしければ、お貸ししましょうか」

「何をです?」

「スピカに入れ知恵をした友人――シュルマと言う名なのですが――は、今彼女の侍女なのです。少々あけすけですけど、その分誤解の無いようにしっかりと教えてくれますよ」

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