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涸れ川に、流れる花  作者: 碧檎
後日談
28/39

(2)

 ヨルゴスはまず遠慮がちに差し出された皇太子のグラスに葡萄酒を注ぎ、次にルティリクスのグラスに火酒を注ぐ。最後に自分のグラスにも同じものを注いだ。

 琥珀色の液体の中で氷が泳ぐのを見つめながら、はぁ、と嘆息すると、他二人のため息と重なった。

 男三人が黙って酒を飲むむさ苦しい部屋には、時折高い声が届く。

 隣室の女同士の話は盛り上がりを見せ、なかなか終わりが見えない。さすがにあれ以上の盗み聞きは気が咎めて、三人は壁から離れた。そして合流を諦め、男だけで酒を囲むこととなったのだ。

 この部屋は側近用の狭く暗い部屋だ。現在ルティリクスの側近は北部に出張中で空室となっている。粗末な丸い敷物の上に用意させたツマミを直に置き、揃って酒をあおる。皇太子、王太子、王子の面子だと言うのに随分惨めな会合だ。


「……手料理を食い逸ぐれた」


 ルティリクスが呟く。新婚なのも手伝ったのか、ルティリクスの顔は険しく、既に深酒気味だ。隣の皇太子もなんだか不満そうな顔をしている。手料理についてもだろうが、なにより妻が自分といるときよりも楽しそうなのが気に入らない――そんな顔をしている。やはり二人とも思考が似ている。


「こんなはずじゃなかったんだけど……。彼女たち夜中話すつもりだよね? 帰ったら子供たちにまた取られるっていうのに……一回も出来なかった」


 皇太子がまず愚痴をいい、


「いちゃつくのは自分の国でやれ。だいたい、結婚して何年さかってるつもりだ」


 とルティリクスが文句を言う。


「だって僕はろくに新婚生活を味わってないから――主に“誰かさん”のせいで」


 酔ったのか皇太子が喧嘩を売り、ルティリクスは馬鹿にした目を向けた。


「自分のせいだろ。すぐに子供が出来るような真似をするのが悪いんだ。避妊しろよ」

「心だけでなく身体も相性が良いんだよ、僕たちは」

「は――言ってろ」


 誇らしげに皇太子が胸を張り、ルティリクスが反撃を開始しそうな好戦的な表情を浮かべた。ヨルゴスは聞いてられないと遮る。


「とりあえず、惚気話はやめてくれるかな。羨ましくて死にそうだから」

「羨ましい? それなら、カルダーノの帰りがけにヤってれば良かったんだ。せっかく気を利かせてやったのに」

「彼女には結婚まで手を出さないつもりだし」

「なにをやせ我慢してるんだか。別に拒みはしないだろ、人の前であっさり服を脱ぐような女なんだからな」

「…………は?」


 ヨルゴスは耳を疑った。


「何て言った? 今」

「…………? ああ、なんでもない」


 ルティリクスは何かを察したのか、すっと表情を引き締め平然と嘘を吐いた。


(服を脱いだ? ルティリクスの前で?)


 思い当たるのはあの夜だ。メイサの不在時を狙って彼女がルティリクスの部屋に突撃した夜。

 ゆっくりと思い出す。風呂に居るはずの彼女が見当たらず、不穏な物を感じて彼がルティリクスの部屋に駆けつけた時には、彼女はちゃんと服を着ていた。だから、完全なる未遂だったと思っていたが――


「見たのか?」


 声が強ばった。思ったより冷えた声が出たらしい。皇太子がぎょっとした顔でヨルゴスを見る。


「………………」


 ルティリクスは聞こえない振りをして火酒を飲み干す。


「無視? なんならメイサに言いつけるよ?」


 鋭く追求すると、


「あいつは知ってるし……妬きもしなかったし……だいたい見たと言っても、あの長い髪で隠れてたからほんの僅かで。好きでもない女に勝手に脱がれた身になってみろ。お前もそういう経験あるだろ、……ほら母親に送り込まれた女相手とか」


 言い訳がましくルティリクスは言った。開き直った態度にヨルゴスの嗜虐心が疼く。


「それとこれは話が別だ」


 どう反撃しようかと思ったそのとき、


「――じゃあ、ぼくがメイサに言うよ? キミがボクにスピカのホクロの位置を教えてくれたこと」


 一瞬先に目の据わった皇太子がろれつの回らない口調でルティリクスに反撃をした。その過激な内容に目を剥くと、ルティリクスが珍しく怯んだ。


「……やめろ、俺が変態だと思われる」

「実際見るどころか触ったくせに――このどうしようもない怒りをいつかキミにも味わわせてやりたいんだけど、僕は誰かさんと違って好きな子スピカ以外に手を出すつもりは全くないし、メイサへの告げ口で我慢しようかな」


 あー、僕の過去は探られても痛くも痒くもないし、本当によかったな。と皇太子は美しい顔に歪な笑みを浮かべる。この子死にたいのか? ――そう思って目を見張ると、顔を険しくしたルティリクスが予想通りの言葉を口に出した。


「――殺す」


 同時に立ち上がるルティリクスと皇太子。しかしどちらも飲み過ぎで足がふらついている。


(あーあ。やらせとくか)


 きっと長年の鬱憤が溜まっていたのだろう。幸い医者が一人ここに居る。頃合いを見て止めればいい。

 ヨルゴスはため息をついて、ひとまず辺りにあったナイフなどの武器になりそうなものをクッションの下に隠しつつ、後ろに下がって戦う場所を提供する。

 頭上ではルティリクスの腕が動き、馬鹿馬鹿しい拳闘が始まる。皇太子が先に一発殴られる。口の中を切ったらしく、腫れた唇から血が流れる。女のような顔をしているので妙に痛々しく、


(よくあの顔を殴れるなよなぁ)


 とヨルゴスは顔をしかめた。

 そのまま一方的な展開かと思ったが、ルティリクスは強い酒が祟って拳に力が無い。それどころか数発殴られている。

 善戦する皇太子を応援しつつ、ぼんやりと観戦していると次第に頭が冷えて来た。

 今、目の前で行われているやり取りのように、仕返しはいつか自分にも返ってくるだろう。ルティリクスは確実に復讐を遂げる。暴力だけで済めばまだいいが(といってもやられっぱなしになるつもりも無いが)、万が一ヨルゴスの過去の話がシェリアの耳に入ったら――。


(少しは焼きもちを焼いてくれるかなぁ)


 一瞬淡い期待が浮かんで来るものの、


(いや……不潔、とか言われかねないよな……)


 後から湧いてきた現実的な予測に上書きされる。

 まだ始まったばかりの恋。予測がつかないことだらけだ。出来得る限り慎重に進めるべきだと、ヨルゴスは胸の鍵を固くかけ直した。


(とりあえず復讐は別の方法で)


 皇太子の拳がルティリクスの顎にめり込むのを見て僅かに胸が空いたところで、ヨルゴスは部屋を出て侍従に兄弟喧嘩・・・・を止めるよう命令した。



 *



 王太子夫妻のベッドの隅を借りて、幼い皇子がすやすやと眠っている。母を恋しがって泣き止まない子に、音を上げた侍女が連れて来たのだ。慣れない土地で寂しかったのだろう。少しの間抱いて揺らしてやると、すぐに眠りについた。

 スピカが赤い髪を愛おしそうに撫で、メイサがその様子を微笑みながら見つめている。

 小さな皇子の涙に濡れた赤い頬は、ふっくらとしていて愛らしい。

 色こそ王太子によく似ているが、顔立ちは皇太子によく似ていると思った。

 皇太子の顔だけは認めているシェリアである。この幼子の将来には少し期待してしまう。


(大人になったら、周りが騒ぎそうよね)


 ただでさえジョイアと繋がりたい国は多い。縁談は山ほどあるだろう。その上に、この美貌ならば――あと十年ほどしたら、この皇子とやはり皇太子に似ていると聞く双子の妹姫たちを巡って、周辺諸国が騒ぎ出すに決まっている。


「一番の后がね・・・は――やっぱりメイサの生む姫になるでしょうね。王子が生まれたら、双子のどちらかを娶るのが良いでしょうし」


 ぼそっと呟いた言葉に、スピカとメイサがはっと顔を上げた。


「そんな気の早い話」


 顔を赤くして慌てるメイサに、シェリアはきっぱり言う。


「気が早くなんか無いわよ? ……そういう話は出るでしょう、間違いなく。誕生と同時に婚約なんて話が出てもおかしくないくらい」

「そんなことを言うなら、あなたの娘だって」


 話をすり替えようとするメイサを、シェリアはぴしゃりと遮った。


「まだ結婚もしてないのに子供のことは気が早いわ」

「そうだったわね……今から大急ぎで準備しても半年後だもの」

「半年?」


 シェリアは目を見開いた。メイサは何かを思い出したのか憂鬱そうに頷くと、元の席に戻るように促した。ルキア皇子を起こさないようにとの配慮だろう。


 空になったグラスにメイサが水を注ぐ。続けてスピカが檸檬を絞ると、爽やかな香りが辺りに立ちこめた。


「アウストラリスではまず、男性側から女性の家に対する申し込みがあるの。それからうらで、吉日を選ぶのだけれど、日取りは大体半年後に定められる。王族の結婚だから、特に伝統に則って堅苦しいの。私の家の事情は特殊だったのだけれど、一応そんな感じで進めたわ。本当に長くてね。実のところ、結構待ち遠しかった」


 メイサが説明する。確かに結婚の儀の当日もジョイアには無い儀式がたくさんあったとシェリアは思い出す。


「ジョイアより長いのかしら。シリウスの場合も成人の儀からお披露目まで三月だったし、庶民なんか思い立って結婚する人達も居るものね」


 スピカの言葉に、シェリアはジョイアの皇族の結婚にも思いを馳せる。

 ジョイアの皇子は成人する歳の新年に最初の妻を娶り、正式なお披露目を三月後に行う。婚前交渉が堂々と認められるのはジョイアではまれな例だが、子孫を残せるかどうかというのは皇位継承の重大な要素なのだから仕方が無いのだそうだ。


「そういえば……アウストラリスでは婚前交渉は認められているわけ?」


 ふと思いついてシェリアが問うと、スピカとメイサは気まずそうに顔を見合わせた。


「あの……シェリア。あなたのさっぱりしているところは美点だと思うけれど、そういう言葉を堂々と使うのはどうかと思うのよ」


 メイサが諭す。


「一般論を聞いて、何が悪いの」


 物語などではよく出てくるではないか。シェリアはさほど読書家ではないけれど、好きあった男女が一夜を共にするというのは恋愛における山場として描かれていた。愛をささやきあい、くちづけをして、抱き合って眠るのだ。憧れで自然頬がゆるみかけるが、シェリアは頬を膨らましてごまかした。

 メイサは仕方なさそうに俯く。


「ええと、これは貴族に限っての話だけれど――少し前まではあまり推奨されていなかったし、古くからある良家では、だらしないことだと今も認めないところもある。その辺はジョイアと同じよ。だけど、先代――ザウラク王兄ね――のことがあったものだから、それから随分緩くなってしまったの」

「ああ……殿下のお父様……ね」


 王族が前例を作ってしまったということか。そういうことならば納得だ。


「だからこそ、ヨルゴス殿下は、手順を踏むことにこだわっていらっしゃるのかもしれないわね。そういうところが本当に素敵だと思う」


 メイサがしんみりと口にする。そうかもしれない。


 ――僕は父とは違うんだよ――


 ヨルゴスが誠意を見せてくれようとしているのがわかって、シェリアは未来の夫の誠実さへの誇らしさから思わず微笑んだ――そのときだった。どこかでガツンと大きな音がした。


「な、なに!?」


 不穏な音にメイサがすぐさま立ち上がり、厳しい顔で扉に駆け寄る。そして外に居た衛兵に「どうなってるの」と状況の報告を求めた。

 その間も何かがぶつかり合うような音は鳴り止まない。


「どうやら隣みたいだけど……」とスピカが耳をそばだてた。

「隣? 隣って何があるの?」


 シェリアが尋ねると、メイサがはっとして慌てて部屋を出て行く。小さな悲鳴が上がる。


「スピカ! すぐに来て!」


 と呼ぶ声が聞こえ、スピカが血相を変えて飛び出して行く。シェリアも彼女に続き、そして隣の部屋の扉の向こうに見た。――皇太子と王太子が、顔を腫らし、口から血を流して床に倒れている姿を。

 



 二人の怪我人には、ヨルゴスによる処置が行われた。派手な出血の割には、傷は深くないらしいが、ヨルゴスは「今夜は運動は控えて」と二人に“絶対安静”を告げた。


「何のために喧嘩したのかわからないじゃないか」

「殴られ損になるだろう」


 と各々理解不能な文句を言う怪我人だったが、ヨルゴスは頑として譲らない。

 心配そうな二人の妻たちにも監視を頼み、メイサとスピカはそのまま夫に付き添うこととなった。

 晩餐は当然のように散会となった。シェリアは自室に戻る途中、「お茶でもどうかな?」とヨルゴスに誘われて彼の部屋にやって来ていた。

 彼はシェリアを部屋にいれて、続けて自分も部屋に入る。そして室内を素通りしてそのまま中庭へ出た。

 久々に訪れる中庭には秋の気配が漂っていた。吹き込む風はもう昼間の熱を含まない。置きっぱなしにされたテーブルの上に黄色の葉が数枚落ちている。見上げると、濃紺の夜空が丸く庭の形に切り取られていた。

 ヴェネディクトがテーブルの上を片付けてお茶を運び込む。彼はシェリアとヨルゴスを二人置いて、すぐに室内に戻った。

 恋人同士の時間に対する配慮なのだとすぐにわかって、シェリアは僅かに頬を染める。ヨルゴスとの仲は周囲にもう伝わっているのだ。

 ヨルゴスに椅子を勧められて腰掛ける。彼も続けて座る。だがシェリアをじっと見つめるだけで何も言わない。見つめ返すと、ヨルゴスは眼差しを緩め、唇を綻ばせて微笑んだ。心拍数が急激に上がり、シェリアは目を伏せる。


(ああ、間が持たない)


 世の中の恋人たちは、こういう時に一体何を話しているのだろうか。

 シェリアは必死で話題を探し、丁度いいネタを思いつく。


「そ、そういえば、なんであの二人は喧嘩になってしまったの?」

「ああ。皇太子殿下が妻との時間を欲しかったみたいで、ルティリクスもそれに乗っかった……ってところかな」

「なあに、それ。馬鹿みたい」

「ほんとだね。――でも、僕も乗っかったんだけどね」

「え?」


 シェリアがきょとんとすると、ヨルゴスはくすりと笑う。


「僕も君との時間が欲しかったから」


 立ち上がった彼はそのままシェリアの後ろに回り込んで、椅子の背もたれごと彼女を抱き込んだ。


「で、殿下!?」

「だから――何度言えばいいのかな? 僕の名はなんだった?」


 甘い声で諭され、シェリアは照れも手伝って思わず怒鳴った。


「ヨルゴス! ヴェネディクトから見える」

「あいつは心得てる。もう自室に下がっているよ」

「じゃ、じゃあ――ほら、上――上の窓、メイサたちから見える」

「ルティリクスは絶対安静を無視してるに決まってる」


 軽い嫌がらせのつもりだったんだけどお見通しだろうし――皇太子殿下も、きっとそうだろうな、とヨルゴスは少し不満そうにそう呟く。

 青みを帯びた銀髪が頬に触れる。暖かい息と共に首筋に柔らかい物が落ちてきて、シェリアは飛び上がりそうになった。

 拒みたいわけではない。シェリアだって多分この先を望んでいる。だけど――ここは、外だ。


「せめて部屋に戻って。誰も見ていないところで――見られないところで」

「それじゃあ僕の理性が持たないから」

「何を言ってるの、今だって持ってな――……!」


 それ以上の言葉は被せられた唇に奪われた。すぐに舌をねじ込まれて息が詰まる。大きく喘ぐと、彼は椅子から彼女を引きはがすようにして腕の中に囲う。触れた部分から直に伝わるのではないか――そう思えるほど激しく胸が音を立てている。髪をかき分けた大きな手が背を這っていく。ドレスの腰紐が一部解かれて、そこから忍び込んだ温かな指が直接彼女の脇腹に触れた。


(な、にしてるの?)


 肌の上を指がするすると滑ると、体の奥底から熱が沸き上がった。くすぐったいような、でも、心地よいような。


「……は、ぁっ」


 惚けた声が漏れると同時に、シェリアの体が跳ねる。


「だ――、だめ!」


 晒した醜態への驚きと羞恥に頭が煮える。シェリアが彼の胸を叩くと、ヨルゴスはシェリアから顔を引き剥がした。

 月明かりに照らされたヨルゴスの顔は酷く苦しそうだった。


「ご、ごめん、なさい。嫌だったわけじゃなくて――そんなのじゃなくて、えっと」


 シェリアは怯える。この切なそうな顔を何度見たことだろう。いつか嫌われやしないか――そんな不安さえ感じてしまう。

 しかし、彼は深く息を吐くと、「いいんだ」とシェリアを安心させるようにいつもの笑顔を作った。


「……君さ、もしかすると、キスも僕が初めてだった?」


 正直に頷くと、彼は心底嬉しそうに微笑む。


「触れられるのも?」


 酷く頬が熱い。真っ赤なのではないかと思いつつ、シェリアは素直に頷いた。


「じゃあ、君の初めては、全部僕のものになる」


 ヨルゴスが嬉しそうな理由がよくわからないままに三たび頷く。


「初めて?」


 ほぼ終点に来たような心地だったのに、これからのことを言われているように思えた。首を傾げるシェリアを見て、彼は仕方なさそうにため息をついた。


「大事にする。だから――怖がらないでくれ」

「もう、大事にされてるわ。それに、怖くなんかないもの」


 ヨルゴスは首を振って何かを否定した。そうしてシェリアを椅子から立ち上がらせると、部屋まで送るよ――と退出を促した。



 帰り道を二人、言葉も無く歩き続ける。


「――怒っているの?」


 沈黙に耐えきれずシェリアが不安をこぼすと、彼は「そんなことないよ」とシェリアの手をとって指に指をからめた。

 手の温かさにほっとする。冷たかった沈黙がそれだけで心地よいものとなる。体温というものは不思議だと、シェリアは思った。

 手をつないだまま歩く二人に、衛兵が一瞬目を見開いた後、遠慮がちに視線をそらしていく。この分では明日中に王宮内で二人のことが噂になるのではないか――そう思って「いいの?」と問うと、ヨルゴスは「虫除けだよ」と軽く笑った。

 やがてシェリアの部屋がある塔の前に辿り着く。衛兵の目が届かない木陰で一旦立ち止まると、ヨルゴスはシェリアの頬にそっと唇を寄せた。


「おやすみ」


 彼のくれる暖かさが心地よ過ぎた。繋いだ手を離すのが辛い。別れるのが名残惜しく、もっと一緒にいたいと願う。メイサやスピカが羨ましい。夫となれば、一晩中でも一緒にいられるのに。

 そう思ったとき、先ほどメイサに聞いた話が頭の中に蘇る。この国で、婚前交渉は禁止されていない。


「……戻らなきゃ……だめ?」


 シェリアは駄目で元々と訴えてみる。と、彼は困ったように眉を寄せ、ぽつりと呟いた。


「君は、僕が男だということをわかっていない」


 ヨルゴスはシェリアの頭をそっと撫でた。


「どういうこと? そんなことわかってる」


 子供扱いされているように感じて、ムッと睨みつつ反論すると、


「そうかなぁ」


 ヨルゴスはシェリアを抱き寄せ、今度は乱暴に口付けながら、突如――あろう事かシェリアの胸に触れたのだった。


「な、な、なにするのっ」


 たとえ女らしく膨らんでいないとしても――いや、膨らみが無いからこそ、よけいに羞恥を感じるのだ。

 動揺して頭が真っ白になったシェリアは、思わずヨルゴスを突き飛ばしていた。


(あ――またやっちゃった……!)


 怯えつつ倒れたヨルゴスに手を伸ばす。彼は怒ってはいなかった。いつもの笑顔を浮かべていた。しかし、わずかに寄った眉に悲壮感が滲み出ている。


「ほら、わかってないだろう? 男ってのは、好きな子の全てに触れたいんだ。全部、確かめたい。そして――自分のものにしてしまいたい。そういう生き物なんだ」


 ヨルゴスは苦しげに顔をしかめると身を翻す。

 残されたシェリアは、彼の言葉を胸の内で反芻する。


(触れる? 確かめる?)


 シェリアの頭の中で閨での男女の営みがぼんやりと形作られて行く。相手に体をゆだねるということは――もしかして。


(え? 一緒に寝るだけじゃないの?)


 ヨルゴスが、自分に触れる。しかも先ほど中庭でしたみたいにじかに?

 服の中に忍び込んだ指の温かさを思い出し、自分の貧相な体を思い浮かべて蒼白となる。


(…………無理。ど、どうしよう)


 世の中の男女は――メイサやスピカは恥ずかしげも無くそういうことをしているということか。


 混乱したシェリアには、ヨルゴスが最後に言った言葉について考える余裕など――既に無かった。

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