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涸れ川に、流れる花  作者: 碧檎
後日談
27/39

番外編 窈窕(ようちょう)たる妻の心得(1)


昔書いた番外編を手直しして掲載いたします。

 王太子とメイサの結婚の儀が滞り無く終わってから二日が経つ。各国からの賓客が帰路につく中、ジョイアからの賓客は未だ滞在していた。

 たとえ親族と言えど、ジョイアに嫁いでしまえばそう簡単に行き来出来るものではない。義妹となったスピカへ、メイサが義姉として配慮したのだろう。



 その日、シェリアは明日帰路につくという皇太子夫妻の為に開かれた晩餐に招待されていた。

 晩餐と言っても王太子の私室で行われるこじんまりとしたものだった。大皿に盛られた料理が楕円形のテーブルの上でひしめき合っているが、食事を用意する侍従などもすでに下がらせてある。

 王太子、皇太子、ヨルゴスは窓際でなにか相談をしている。今後のことを話し合うといっていたが、あの三者で話し合うのならば内容はきっと悪巧みだろう。

 メイサはせっせと料理を皿に盛ったり、酒をついだりと給仕に急がしそうだ。女官時代が長かったせいで、手慣れたものだった。

 シェリアはテーブルを凝視する。アウストラリスの料理に混じってジョイアの料理もある。ケーンで祝いの時に食べる豆と栗を混ぜ込んだ握り飯に喉を鳴らしつつも、不可思議で堪らない。

 これはまるで家庭料理だ――そう思っていると、隣にやってきたスピカに「はい」と皿を渡された。


「この食事方法、ジョイアでは珍しいけれど、こちらでは普通なのよね」


 そう独り言のように言いながら大皿から料理を取って行く。

 確かに、最初は戸惑った。故郷では個別に皿に盛りつけているのが当たり前だったのだ。

 スピカが取り分けているのは皇太子のものだろうか。握り飯を一つ、それからアウストラリス風のチマキを一つ。香辛料で赤い色をした揚げ鳥に小魚の煮付け。青菜のおひたし、芋のサラダに、豆のスープ。ジョイアとアウストラリスの料理、それどころか大陸中の料理がごちゃ混ぜのようにも思えた。

 一通り盛りつけ終わると、スピカはシェリアに声をかけた。


「取りましょうか?」


 にこりと微笑まれ、シェリアは怯んだ。


「自分で出来るわ」


 思わず言い返すと、彼女は肩をすくめて「そう?」と引き下がる。

 噂の悪女が目の前にいる――はずなのに、実際のスピカは(確かにとんでもなく美しくはあるが)普通の少女だ。宮で流れていた噂のように皇子を色香で誑かした女には見えなかった。


(じゃあ、やっぱり閨で態度が変わるってことなのかしら?)


 玄人に手練手管に長けた者がいると聞いた事はあるが、行為の詳細を知らないシェリアには実際の行為はいまいち想像出来ない。

 服を脱いで、寝台で相手に体をゆだねる。彼女が知っているのはそこまでだ。

 ヨルゴスの前でそうしている自分を想像しかけて、シェリアは慌てて首を振った。ちらりと窓際で談笑する彼が目に入ると余計に頭に血が上る。


「顔が赤いけれど、大丈夫?」


 スピカが問う。


「な、なんでもないわよ」


 こんな女によこしまな妄想を見抜かれたくない。頑に目を逸らしていると、後ろからメイサが口を挟んだ。


「ジョイアのものはスピカが作ったのよ」


 シェリアははっと顔を上げる。


「作った? あなたが?」


 スピカは少々気まずそうにええと頷く。


「昔は良く作ってたの。田舎の家庭料理で申し訳ないんだけど、メイサとシリウスがそっちの方がいいって言うから。あぁ、アウストラリスの料理はメイサが作ったのよ?」


「得意ではないんだけれど『お前は作らないのか? 俺も手料理を食べてみたい』って甘える人がいるから」


 思わず窓際を見ると「そんなこと言ったの? 君が?」と皇太子が王太子を見上げ、ヨルゴスが隣で肩を震わせていた。直後「そんなことは言ってない」と王太子が耳を真っ赤にして否定する。


「あら? 酔っぱらって散々泣きついてたわよ、覚えてないの? ――ああ、ちなみに、私の作ったのはムフリッドあたりの郷土料理なのよ。せっかくだから久々に食べさせたあげたくて。スピカはオリオーヌあたりのだから、北部のケーンと味付けは似てるかもしれないわよね?」


 メイサは、少し肩をすくめただけでニコニコとこちらを見ている。

 新妻の仕打ちに王太子が頭に血を上らせて部屋を出て行く。

 ヨルゴスが耐えきれないというように吹き出す。


「ちょっとなだめて来るから、料理を食べて寛いでおいて」


 そしてくすくす笑いながら「さあ、あちらで男同士の話をしましょうか」と皇太子を引き連れて王太子を追いかけた。

 部屋にはメイサとスピカ、そしてシェリアと大量の料理が残された。



 気まずい沈黙の中、以前自分が菓子に釣られてメイサと仲直りをした事を思い出す。


(ま、また食べ物で釣る気なのかしら)


 邪魔な男たちが去ったことは作戦の一つと考えた方がいいかもしれない。シェリアは思わず握り飯に伸ばしかけていた手を引っ込める。


(そう何度も同じ手に引っかかるわけにはいかないんだから)


 しかし、久々に見るその料理の懐かしくも美味しそうなこと。しばらく食べていないし、今後はさらに口にする機会は無いだろう。

 誘惑に負けそうになるシェリアがじっと固まっていると、突如スピカが吹き出した。


「な、なに!?」

「だ、だって……あなた……毒なんか入ってないわよ?」


 スピカはくすくす笑いながら握り飯を手で掴んでぱくりと食べた。まるで下町の娘みたいな仕草にシェリアは一瞬ぽかんとする。


「――ん、美味しい。よかった、久しぶりだけど失敗しなかったわ」


 そのままスピカはぱくぱくと二つ目、三つ目の握り飯を平らげて行く。細い体のくせにいい食べっぷりだ。


「あんまり食べると……太るわよ」


 危機感がじわじわと沸き上がる。


「お腹が空いてるのだもの」


 スピカはニコニコと四つ目の握り飯に手を伸ばす。シェリアの我慢に限界が来た。


「なんなの! いくら自分が作ったからって……一人で全部食べないで!」


 大皿に残っていた最後の一つの握り飯を慌てて手で掴む。自分の取り皿に盛ると、渡すものですかと頬張った。

 口の中でご飯の固まりが解ける。独特の甘い味が口全体に広がり、鼻から栗のいい香りが抜ける。思わずシェリアは目を見開いた。


「…………美味しい」


 口から漏れる言葉に驚いて、慌てて手で口を覆うが時既に遅し。スピカがしてやったりという嬉しそうな表情でシェリアを見つめていた。


「でしょう? 自信作なの」

「料理……得意じゃないって言わなかった?」

「ずっとしてたの。母が居なかったし、父さんは仕事ばっかりで料理なんてからきし出来ないんだもの。自分でするしかなかったのよ」

「父さん?」


 そういえばスピカの母の噂を聞いた事はあったが、父の噂など聞いたことが無かった。存命しているとは思っていなかったのだが……


「近衛隊のレグルス隊長なのよ。可笑しいでしょ? あたし、母さん似で父さんには全然似てないの」

「近衛隊? じゃあ、……」


 もしかして、昔噂に聞いた『近衛隊の部屋に入り浸っている』というのは……父の部屋ということだろうか? だとすると、とんでもない誤解をしていることになる。


「好きなら早く食べてしまった方がいいわ。これ、シリウスも結構好きなの。田舎料理なんて宮では滅多に出ないものね」


 彼女はくすりと笑うと握り飯の盛られた皿をもう一つテーブルの上に置いた。最後の一つではなかったことに騙されたとムッとしつつもほっとした。


「じゃあ、余計に残しておくべきなんじゃないの?」

「大丈夫。また作ってあげればいいもの」


 僅かに湧いた好意のせいで、シェリアはスピカに対する接し方に戸惑い始めた。

 少なくともここは礼を言うべきだろう。


「……ありがとう、ございます。妃殿下」

「ここではスピカでいいわ。メイサのこともメイサって呼んでるのでしょう? あたし、妃殿下なんて柄じゃないのよ。――あ、でもシリウスを色仕掛けで落としたなんて言うのだけはもう止めてね? あたしたち、そういうのじゃないの。だいたい、あたしにそんなことできるわけ無いでしょう」


 ほらと両手を広げてスピカは体の線を見せる。


「メイサみたいなら話は別だろうけれどね」


 愚痴のような声に思わず頷きかける。スピカの体は美しいが、少女のようにほっそりしていて、色仕掛けにはほど遠い。

 ふと微笑まれて、シェリアは彼女の言い分を聞かされていたことに気が付く。今まで何を言われても決して受け付ける気は無かったけれど、食べ物にしっかり釣られて、頑に閉じていた殻が少し壊れていたらしい。


「あなた、見かけと随分印象が違うわよね」


 今までとは別の意味でそう言うと、スピカはムッと顔をしかめた。


「あなたには言われたくないわ」

「っていうか、皇太子殿下の前では猫をかぶってるわけ? 随分大人しいじゃない」


 スピカがさらに膨れ、とたん、メイサが吹き出した。


「違うわよ。あれは人前だから大人しくしてるだけ。二人きりの時は結構強かなの。皇子様、習性を知られてる幼馴染にはどうしても敵わないのよねぇ」

「め、メイサだって……ルティはあなたには絶対敵わないし、さっきだって……あれホントなの?」


 文句を言っていたスピカは途中で興味に勝てなくなったらしく、話を脱線させた。


「そうよ――王太子殿下ってあんなこと言う人なの?」


 シェリアも気になっていたので一緒になって尋ねる。


「酔っぱらうとね、本音が出るらしいの。可笑しいのよ」


 メイサはそのままクスクス笑い出し、スピカも「あのルティが?」と釣られたように笑う。二人に笑いかけられて、「あの顔で? あり得ない」とシェリアも我慢出来ずに吹き出した。そしてしばらく笑った後、いつものように鼻で笑うと、自分もきっぱりと言いたいことを言うことにした。


「でも、スピカ。あなた、人の夫のこと笑うより、自分の夫のことを何とかしなさいよね。あれじゃあいくら真実がどうあれ、馬鹿に見える」

「そう、そうよね。私もそう思うわ」


 メイサがすぐに同意を示す。


「え、何で?」

あなたの言いなりになっているようにしか見えないじゃない。だいたい、見ていて痒いのよ」

「本当にそうよね。人前では抑えてくれないと」

「メイサだって人の事言えないわよ! さっきのだって惚気でしょ」

「いいのよ、私たちはまだ新婚だから。今惚気ないでいつ惚気るの」


 軽くあしらわれてスピカはシェリアに反撃の狙いを変えた。


「それに、シェリア、あなただってこの間ヨルゴス殿下と……」


 シェリアはカッと赤くなる。


「見てたの!?」


 何となくそんな気はしていたが、あれは決して見せつけたわけじゃない。……あの後なかなか離してくれなかったヨルゴスにどういう気があったかは知らないが。


「あたしたちは、あんなことしないもの」

「そうだったかしらねぇ」


 メイサが訳知り顔で突っ込むと、スピカはハッとして瞬く間に真っ赤になる。


「皇子様が迎えに来た時に、大勢の前で押し倒されそうになってたのは誰だったかしら」

「あ、あれはシリウスが一方的に!」

「それから、私が隣の部屋に居るのに、とっても仲良くしてたのは一体誰たちだったかしらねぇ」

「仲良く?」


 いつも気持ち悪いくらいに仲が良いじゃない? シェリアが問うと、スピカがとうとう悲鳴を上げる。


「ちょっ、メイサ! ――――やめて! あれは――――



 *



「皆……仲良くしてるみたいだね」

「……やっぱり食べ物に釣られたのか……」

「分かりやすいな、あの女」


 男が三人、隣室との壁に、黒、銀、赤、各々の髪をべっとりと付けてじっと佇んでいる。


「この面子では実はメイサが一番策士なんじゃないかな? 本人が素質を分かってないのが勿体ないけれど」


 おもむろに皇太子が呟き、ヨルゴスは壁から耳を離して頷いた。

 この小さな晩餐会をどうしてもと提案したのはメイサだったからだ。シェリアとスピカ妃の仲直り計画はこうだ。――例のごとくジョイアの食べ物で釣って頑になっている心を開き、会話の糸口を掴む。そうして本音で話させる。

 相変わらずシェリアの性格をよく理解した計画だったが、一度使った手だ。二度目が上手くいくかと心配していたが杞憂だったようだ。


(今度相談してみるかな……色々と)


 このままじゃ新婚初夜もままならない気がするし、この際経験者の話を聞いてもらったらいいかも――とぼんやり考えるヨルゴスの前で、ルティリクスが突如皇太子を見てうんざりとした顔をした。壁から聞こえる会話のせいだろう。


「お前ら、メイサの前でヤったのか。随分いい趣味だな」

「いや、メイサは隣の部屋に居ただけで、目の前でって訳じゃ」


 皇太子が壁から離れて言い訳するが、ルティリクスはあからさまな嫌悪に顔をしかめたまま、隣室の物音に耳を傾ける。


「――……暖炉から丸聞こえだったとか言ってるが」

「そ、そうだったらしいけど、……ええと不可抗力で……大体あれは全部君が悪いんだろ!?」


 逆切れ気味の皇太子を無視し、ルティリクスは神妙な顔で壁に耳を当てている。


「スピカが早かったって言ってる」

「え――!?」


 皇太子が慌てたように耳を壁につけて「そんなこと言って無いじゃないか!!」と顔を険しくすると、「は――馬鹿が」とルティリクスがにやりと笑う。まるで十代前半の悪ガキがじゃれているような様子だ。とりあえず、ルティリクスは精神年齢が皇太子の年齢にまで落ちていると思う。


「すごく仲が良いんだね、君たち」


 思わず呆れ気味にヨルゴスが口を挟むと、二人が同時に「どこが!?」と噛み付いた。


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