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涸れ川に、流れる花  作者: 碧檎
本編
16/39

(4)

 王城の闇が深くなった頃、目深にフードを被った男が女官部屋のある塔から現れた。

 衛兵は小金を受け取ると大人しく道をあけた。男は溜息をつきつつ中庭の木陰に身を隠す。しばらくして木陰から現れた鋼色の髪は月の光に照らされて冴え冴えと光り、高貴な身分を周囲に知らしめていた。

 メイサに頼まれて、薬を作り、自ら運んだ。ヴェネディクトに届けさせれば良かったけれど、やはり心配だったのだ。目立たぬように変装までしたのは、彼女に余計な噂がつきまとわないようにとの配慮だった。王子自らが部屋に通うとなれば深い関係だと取られても仕方がないからだ。

 そんな風に外堀を埋めてしまう手もあったけれど、強引な手段に出るとシェリアが臍を曲げるのは、例のキスで経験済みだったので避けた。


(何も進展がなかったな。いや、それどころか――)


 意を決して見舞ったというのに、結局は医師の顔をして額に触れるのが精一杯だった。

 標的に定めたならばあれほど積極的になるシェリアだというのに、ヨルゴスが少しでも距離を詰めるとその分だけ後ろに下がってしまう。

 メイサと同じ。そしておそらくは"理由"までも同じなのだ。

 ヨルゴスの来訪にシェリアが驚くとは思っていた。だが、あんな風に驚かされるとは思いもしなかった。まさか、間違えられるほどに彼女の心の中にルティリクスが巣食っているとは思わなかったのだ。

 でも当然なのかもしれない。ヨルゴスは随分長い間メイサへの失恋を引きずった。上辺だけで吹っ切れたように見せても無理をしていた。彼とよく似ている、意地っ張りな彼女ならば同じように引きずっていてもまったくおかしくない。

 メイサ相手の時にも感じたが、人と本気で関わった経験が少ないヨルゴスは、相変わらずこういう時にどうすれば良いのかわからなかった。

 駆け引きの方法など知らない。相手の出すしるしなどわかるわけがない。強引にして傷つけたくないし、怖がらせたくはないのに、もう一人の自分は焦躁を隠せないでいる。自分を、自分だけを見てくれと騒ぐ。二つの感情に挟まれてヨルゴスは途方に暮れた。


「……僕はルティリクスには敵わないのか? あいつと、僕で何が違う?」


 気が付けばそんな言葉が漏れていた。声になっていた事に気が付くとヨルゴスは慌てて周囲を見回す。護衛として連れて来たヴェネディクトは数歩後ろを歩いていた。こちらを見ていないが、彼の事だ。聞こえていないふりをしているのだ。


「女性は強引な男にも惹かれるみたいですけれど」


 ぼそと後ろで声が聞こえ、ヨルゴスは舌打ちする。まるで見て来たかのような台詞。やはり確実に聞こえていたらしい。


「優しいのは美点ですが、最後は押さないと駄目だと思うんですけれどね」

「何が言いたいんだ?」


 ヨルゴスは助言する許可を出したが、ヴェネディクトは今日は乗って来なかった。


「いえ、独り言です。お気になさらず」


 ヴェネディクトはすっきりとした顔で微笑んだ。つまりは言いたい事は言ってしまったらしい。ヨルゴスはもう一度舌打ちすると近従を置いて一人部屋へと急いだ。




 部屋に戻ったヨルゴスは、勝手に入り込んでいた来客に目を見張った。


「なんであんたがここにいる」


 視界に入った母親の姿に、ただでさえ下降気味だった気分が地まで落ちてしまった。うんざりと髪をかきあげると、筆記机に据えられた椅子に腰掛ける。

 ヨルゴス愛用の肘掛け椅子は巨体に占領されている。そしてテーブルに目をやると、菓子が食べ散らかされている。置いておいた書類は食べ残しの粉に塗れ、台無しになっていた。

 睨み据えても全く意に介さない様子でレサトはヨルゴスを見上げた。


「随分遅かったじゃない。今日は会議じゃないって聞いて来たのに、どこに行ってたの」

「何の用なんだ?」


 質問を無視して逆に問うと、レサトは早速目を吊り上げた。説教をする時の顔だった。


「あなた、あの田舎娘にまだ手を出してはいないのよね?」

「田舎娘?」


 今さらメイサの事だろうかとヨルゴスは首を傾げた。


「騙されているの? それともしらばっくれようとしているの?」

「何の事?」


 本気でわからずにヨルゴスが尋ねると、レサトは憤慨した様子で吠えた。


「シェリアとかいう小娘の事に決まっているじゃない」

「は?」


 態度の豹変に呆れて物が言えなくなる。この間猫をかぶっていたのはどこの誰だったか。


「彼女を妃にすればと言っていたのは誰だった?」


 しばし心を落ち着かせた後に尋ねると、レサトは気が触れたのかと思うほど激しく首を振って自らの発言を撤回した。


「あの小娘――大人しそうな顔をして私を騙したのよ! ケーンのパイオン卿の娘ですって? どれだけの名家かと調べてみれば両親が最近捕縛されてるそうじゃない。その上多額の借金があるって――とんだ疫病神だわ! 妃なんてとんでもない!」


 どうやらレサトは事前調査に励んだらしい。


(皮算用でもする気だったのか?)


 ヨルゴスは鼻で笑う。


「彼女は別に騙してないよ。家の事情は僕に話してくれた」

「知っていてまだ傍に置いているの? まさか……あなた、彼女を援助したいなんて考えているのではないでしょうね?」


 相変わらずの金への妄執。ヨルゴスは吐き気を堪えるのに精一杯だった。


「何が悪い? 僕が稼いだ金で何をしようと勝手だろう」


 しかめ面のヨルゴスに、レサトは憐れみの目を向けた。


「ああ、もう、どうしてあなたはそうなの。私が選んできた上等な女は悉く気に入らない。それだけならまだしも、どうして妙な女ばかりに引っかかるの。あのメイサといい……情けないったら。この時間に寝室にいないってことは、まだ手を出していないのでしょう? それなら体を売られる前にさっさとクビにしてしまいなさい。他の王子のところにでも――それこそアステリオンのところにでも厄介払いすればいい。確かあの男、ああいう貧弱なのが好みだったでしょう? あの家、金だけは余ってるのだし、落ちぶれた家同士で丁度いいじゃない。あなたが言えないなら、私から言ってあげるから安心して」


 ヨルゴスはレサトの言葉の途中、目を見開く。まさかと思って寝室に目をやると、閉めているはずの扉が開いている。


(寝室まで覗いたのか、この女。どうかしてる)


 怒りが沸き上がる。椅子から立ち上がり、さっさと話を進めに行きそうなレサトをヨルゴスは冷たい声で制した。


「あなたには、僕に指図する権限なんてない。僕の決めた事だ。僕は――彼女を娶るよ」


 願望を口にしたとたん歪んだ母の顔に、ヨルゴスは清々した気分になる。


「何を生意気な事を言ってるの、まだまだ子供のくせに。――私はあなたをそんな子に育てた覚えはないわよ!?」

「育ててもらった覚えもないけれどね。あなたは僕より金が大事だろう? そんな人間が堂々と親の顔をするなよ」


 高圧的な態度に胸の底に燻っていた想いが口から飛び出した。


「なんですって」


 レサトはわなわなと唇を震わせたが、口を噤んで部屋を後にした。扉が力任せに閉められて絶叫を上げる。


「――言い過ぎた、か」


 余裕がない自分を知り、ヨルゴスは天井を仰ぐ。

 今までならば軽く無視できていたやり取りだった。何が気に入らなかったのか。幼い頃からずっと感じない振りをして来た寂しさ。甘えられなかった分、鬱積し醜く変成してしまった怒り。絡み合った複雑な想いを今日はどうしても抑えられなかった。


「馬鹿馬鹿しい」


 拗ねている子供のような自分を自嘲気味に笑うと、ヨルゴスは寝室へ向かう。

 服を脱ぐと寝台に潜り込む。初夏だというのに、手足を伸ばすと体が冷え、心まで凍る気がした。

 肌寒さにヨルゴスは体を小さく丸めた。人肌がひたすら恋しい。抱きしめて、温めて欲しい。そんな事を考えたのは久しぶりだった。




 置いて行かれたヴェネディクトは主人に一人の時間を贈るため、大きく遠回りして帰って来ていた。漆黒の夜に冷やされた塔の入り口に辿り着いたとき、ひと際大きな影が奥から現れてヴェネディクトは立ち止まった。本能が危険を訴え、脇にある木の陰に身を隠すと、影は彼に気が付かずに前を通り過ぎた。


「私は、あの子の幸せを願って言ってるだけなのに。どうしてわかってくれないの」


 どうやら主人と喧嘩したらしいが、影の主はなんと泣いているようだった。珍しい光景にヴェネディクトは毒気を抜かれる。しかしそれも一瞬だった。彼女はごしごしと涙を拭った直後、突然高笑いをしたのだ。


「……そうだわ、あれ・・を使えばいいじゃない。そうすれば、あの女・・・にも一泡吹かせてやれるし――一石二鳥じゃないの」


 不穏な笑い声が響き渡る。これでこそいつもの彼女だ――ほっとしながらも、ヴェネディクトはふと気になった。


(――あれとは、一体なんだろう?)


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