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涸れ川に、流れる花  作者: 碧檎
本編
14/39

(2)

 ヴェネディクトの「おやつですよ」という言葉に釣られ、午後の休憩を取ろうと小屋から一歩出たシェリアは、直後、自分で開いた扉をすぐに閉め直し、小屋の中に引き蘢った。

 中庭にはいつの間にか茶会の用意がしてあって、いつものテーブルに綺麗にクロスがかけられ花まで生けてあった。そして逃げ出したのは茶会からではない。茶会の面子からだ。


(ど、どうして)


 四脚用意された椅子の一つに、夢にまで出てきた赤い髪の美女が腰掛けていたのだ。他に二人ほど男がいたような気がしたが、シェリアは中央にいた女しか目に入らなかった。

 胸がものすごい勢いで音を立て始め、立っていられずに扉に寄りかかった。

 背で扉が叩かれ、聞き慣れた声が扉越しに掛けられる。


「皆待ってるよ。今日はとっておきのお菓子があるんだ。出ておいで」

「こ、子供じゃないんだから、食べ物で釣られたりしないわよっ」

「ふうん。じゃあ、無くなっても構わないのかな? パティアとルピルニ、って言ってたかなぁ。初めて見たけれど美味しそうだったな」

火餅パティア!? 黄砂糖団子ルピルニ!? 嘘!」


 それは餡を包んだ餅を炙ったものと、大豆の粉をまぶした団子。どちらもジョイアの菓子だ。シェリアの大好物。でも米のない土地にあるわけが――――

 はっと気が付いた時には、してやったりとでも言うようなヨルゴスの笑顔が目の前にあった。シェリアはまんまと扉を開けて表に出てしまっていた。


(あああ、私ったら――)


「だ、だましたの!?」


 叫んで、あたふたと小屋に戻ろうとしたら、ヨルゴスが体を張って小屋への退避を拒んだ。


「ちょっと、退いて!」

「嫌だよ。なんでこんなところで往生際が悪いんだ。逃げるなんて君らしくない。いつもは止めても自分から飛び込んで行くくせに」

「今回はいつもと話が全然違うのよっ! 退きなさい!」


 シェリアが吠えるとヨルゴスがやれやれと肩をすくめた。


「どうして君、そんなに偉そうなの。僕は君の主人で恩人なんだけど」

「今はただの障壁よ!」


 と、後ろで吹き出す音がする。恐る恐る振り向くと、メイサがくすくすと笑っていた。


「おい。お前がそんなだと、示しがつかないだろう。お前は、婚約者を寝取られかけた女なんだぞ? もっと怒れ。せめて笑うなよ。軽んじられた俺が間抜けに見える」


 王太子が隣で不機嫌そうに諭している。「可笑しいから拗ねないで」と余計に笑いが加速したメイサはとうとうテーブルを軽く叩いて笑っている。


「拗ねているのは誰のせいだ」

「ごめんなさい、でも、だって」


 しばしメイサの笑顔に見入っていたシェリアは、呆然と彼女に問いかける。


「怒ってないの……?」


 メイサは目尻に堪った涙を拭きながら、シェリアに向き直った。


「確かに最初はびっくりしたけれど。怒るって言うよりは悲しかっただけ。あとは申し訳なかったわ」

「申し訳ない?」


 わけがわからずにシェリアはただ繰り返す。


「あのときね、私『やっぱり』って思っちゃったの。私、もしかしたらあなたがルティを諦めていないかもって、どこかで疑ってたの。……あなたを信じ切れてなかったって事よね。だから、おあいこかなって」

「……馬鹿よ、あなた」


 シェリアは自分の声が上ずるのを感じて、言葉に詰まる。


(そんなのいくら秤にかけてもおあいこになんかならない)


「人を疑う事なんて、当たり前の事じゃない」


 頬を何か熱いものが伝うけれど、拭う事もせずに訴えた。メイサは逆らわずに頷く。


「そうね。だけど、疑い続けたら疲れちゃうじゃない? 信じる方がずっと楽だし、幸せだわ」

「騙されて泣くのはあなたなのに?」

「騙した方がきっとよっぽど苦しいわ。だって自分にも嘘を吐き続けるのだもの。――ほら、私は泣いてないけれど、あなたは泣いてるじゃない?」


 メイサは一歩シェリアに近づくと、手を取った。そして小さな爪の間に土が紛れ込んでいるのを目ざとく見つけて微笑んだ。


「庭の手入れ、してくれていたのでしょう。ありがとう」

「ひ、暇だったからよ。枯れたら可哀相でしょ。元もとれなくなっちゃうし!」


 シェリアはとうとう真っ赤になって裏返った声で叫んだ。本当は違う。花まで枯れてしまったら、メイサがここにもう来なくなってしまうから、来る理由が全く無くなってしまうから――だからどうしても枯らせなかったのだ。

 メイサは傍に植えていたルベルを愛しげに撫でると、いたずらっ子みたいに笑う。そしてシェリアの荒れた手を自分の手で包み込む。メイサの手はシェリアより少しだけ大きくて、とても温かかった。


「そうよね、勿体ないわ。せっかく育ったんだもの。途中で枯らしてしまうのは勿体ない。――だから、仲直りしましょう」


 シェリアは思わず手を引っ込める。そして大げさなくらいに頭を強く振った。


(だめよ、そんなに簡単に許しては)


 シェリアは強烈な誘惑に必死で逆らった。これではメイサのためにはならない。この女はもっと世間を知るべきだ。世の中にはシェリアみたいな人間の方が多いという事を教えてあげなければ、また騙されて――そして今度こそ泣くだろう。


「……私、また王太子殿下を狙うかもしれないわよ?」


 真剣に聞こえるようと声を出すと、まるで呪いのように響く。

 ちらりと目を流すと、メイサの後ろの男二人がぎょっとした顔をしている。メイサはおやおやと目を丸くするが、肩をすくめて微笑んだ。


「今度は気をつけるから大丈夫。私、あなたに負けないように努力しないとね」


 そこで王太子が不気味そうに顔をしかめる。


「おい――変な努力はするなよ。お前が張り切ると碌な事がない」


 メイサは頬を膨らませると、後ろを振り向いて文句を言った。


「失礼ね。変な努力って何よ」

「今までの事を胸に手を当ててよく考えろ。馬鹿」

「馬鹿って言わないで。教えないでおいて何よ」


 延々と続きそうになった二人のじゃれ合いをヨルゴスが遮る。


「はいはい、痴話げんかはそこまでにして。どうやら仲直りもすんだ事だし――そろそろ僕の話も聞いてくれる?」

「話? 今ので終わりじゃないのか」


 王太子が怪訝そうな顔をする。メイサとシェリアも同じように目をしばたたかせた。ヨルゴスはふんわりとした笑顔を浮かべた。


「本題はこれからだ。――メイサ、君に話があったんだ」

「殿下が私に?」


 ヨルゴスはそこでシェリアをちらりと見つめたあと、ふっと息を吐いて、メイサに向き直った。背筋を伸ばし、胸を張り、そしていつもの穏やかさに僅かな熱を込めて、メイサに向かって囁いた。緊張していたのか、声はひどく掠れていた。


「前に結婚して欲しいって言ったよね。返事を、ちゃんと聞かせてくれないかな?」



 *



 突然の問いかけに、メイサは言葉を失ったままヨルゴスをじっと見つめていた。後ろではルティリクスが静かな目をしてヨルゴスの様子を見守っている。驚きの色は見えたが、怒りや焦りの色は見えなかった。それだけ二人の絆は強まったのだろうか。

 少し前であれば殴られていたかもしれないな。そんなことを考えながらヨルゴスはメイサの答えを待つ。

 だがヨルゴスの目は確かにメイサを見つめているはずなのに、視界の端に映る銀色の髪の持ち主の動向が気になって仕方がない。


(シェリアは……少しは妬いてくれるだろうか)


 だったらどれだけ嬉しいか。だけど、全く動じない姿の方が想像しやすいため、ヨルゴスはシェリアの表情を確認できないでいた。

 メイサはそんな彼の様子を暫く観察していたが、やがてくすりと笑った。


「ありがとうございます。私、殿下のお言葉をとても嬉しく思っています。本当に殿下は素晴らしい方ですし、私みたいな女には勿体ないお話だと思うのです」


 最初に反応したのは赤髪の男だった。今までの落ち着きぶりが嘘のようにぎょっと目を見開いてメイサの肩をつかむ。


「おい、お前、何言って――」


(あ、無理して恰好つけていたのか)


 ルティリクスがあからさまに慌てているのがわかって吹き出しそうになったが、せっかくの場の雰囲気を壊すことが必至なので、ヨルゴスは腹に力を入れて我慢をした。真面目にやらないと、きっとまたシェリアに詰られるに決まっているのだ。


「――ちょっと。大事な話をしているの。だから邪魔をしないで、待っていてね」


 メイサはルティリクスに母親みたいな口調で言い聞かせると、再びヨルゴスの目をじっと見つめた。


「でも、私は……」


 メイサはそこで口ごもると、後ろをちらりと見て、じわりと頬を染める。そして辿々しく言葉を漏らした。


「どうしてもこの人を放っておけないですし」


 ヨルゴスは少々の苛立ちと共に息を漏らす。ここはすっぱりと振ってもらわなければならない。いつもなら穏やかに流すところだけれど、今回妥協はできなかった。


「はっきり言うべきだと思うよ、そこは。僕のためにもね」


 メイサは耳まで真っ赤になって躊躇っていたが、やがて口を開いた。


「私は、ルティを、あ、愛しているのです。ですから、殿下のお気持ちにはお応えできません」


 直後、メイサの背後に立っていた赤髪の男は、口を手で覆ってそっぽを向いた。手のひらの下では口元が緩んでいるのかもしれない。瞬く間に髪と同じ色に染まる耳を見つめると、ヨルゴスはやれやれと嘆息した。


(これ、シェリアのことがなかったら、本当に馬鹿馬鹿しくてやってられないよなぁ)


 最初から結果は目に見えていたし、予想通りの展開だった。だが、実際に見れば、何かが一つ終わったと感じられた。胸の中で燻っていた炎が穏やかに消えていき、やがて別の場所で新しい炎が音を立てて生まれる。


(ああ、自分で終わらせるから、すぐに始められるのか)


 けじめを付けるという初めての行為は、予想外に爽快だった。

 こんな気持ちになるのならば、たとえ結果が負けだったとしても悪くないかもしれない。ヨルゴスが新鮮な気分を味わっていると「でも――」とはにかんだままのメイサが、ヨルゴスが先ほどからずっと気にしている女の方をちらりと見る。釣られて視線をやると、彼女は両手を胸の前で強く握りしめ、ヨルゴスをじっと見つめていた。

 灰色の瞳が溢れそうに大きく見開かれ、ぎゅっと唇を結んだ表情は、まるで何かを祈っているようにも見えた。


(なんだ?)


 その顔の意味が理解できず、思わず彼は彼女をじっと見つめた。

 メイサがそんな二人にくすりと笑いかける。


「私、殿下には私よりももっと相応しい娘がいると思うのです。ほら、案外近くに」


 メイサが嬉しそうに発した言葉に、そして視線の先にシェリアがいることに驚いた。まるで既にヨルゴスの心を知っているかのようだ。


(まさか顔に出てる? それとも、ルティリクスが何か吹き込んだか?)


 締まりのない顔をしていないかが妙に気になった。意識して表情を引き締めると、ヨルゴスはルティリクスの様子を窺った。だが彼は顔に感情を出さないまま。何も読み取れない。

 メイサがシェリアをちらちらと見て、何か確認するように目配せをするが、シェリアはぎょっと目を剥いて細かく首を横に振って全力で何かを拒んでいる。

 メイサはどこか拍子抜けした様子で肩をすくめ「いい機会なのに。昔言っていたじゃない。『あのこと』言わなくていいの?」とシェリアに問いかけた。


「余計なことは言わなくていいから! お願いだから放っておいて!」


 慌てふためくシェリアにメイサは何を思ったかポンと手を打つ。


「あぁ、なるほど。そうね、二人きりの時に言った方がいいわよね」

「だ、だからそうじゃなくって! ねぇ、私、一応失恋したばっかりなのよ? あ、もしかして許すとか言ったくせに、この間の仕返しなの!?」


 シェリアが激すると、メイサは目を丸くする。


「まさか、そんな。本気であなたのためだと思ってるのだけれど」


 相変わらず噛み合っていないらしい会話に、とうとうシェリアが頭を抱えると、メイサはそわそわと身支度を始める。


「じゃあ、私たちそろそろ退散させて頂くわ。お邪魔しちゃまずいものね。ルティ、帰りましょう?」

「……お前は人のことになると、とたんに鋭くなるな」


 ルティリクスはひどくうんざりと言ったが、散会すること自体には全く文句はないようだ。早く自室に戻りたいという意志も隠そうともせず、メイサの腰に手を回すと自ら退出を促した。

 そして中庭の端で彼は振り返ると「言い忘れた」とにやりと笑った。


狂犬の調教・・・・・、頑張れよ」


 自らも言っていたものの、嫌がらせに近い暴言を持ち出されて瞠目する。突然のプロポーズに肝を冷やされたお返しだろうか。それとも今まで可愛がってやった"礼"だろうか。

 去っていく二人を呆然と見つめていると「狂犬、調教……ねぇ」と後ろで低い声が響き、ヨルゴスはびくりと体を震わせた。

 そっと振り向くと、シェリアは半眼でヨルゴスを睨んでいる。


「男同士でそういう話をしていたってわけよね。なるほどね、それで『ワンコ』なのね」


 二人の間に、瞬く間に波風が立つ。穏やかな始まりになるはずだったのに、最初から障壁が立ち上がった。


(くっそ、ルティリクスのヤツ…………!)


 可愛い従弟の反撃に微かな殺意を抱きつつ、ヨルゴスはうまい言い訳を考える。


「ええと、それは結構前のことで、今は狂犬とかそんな風には思ってないし、むしろ」


 柄にもなくヨルゴスが焦っていると、シェリアがにやりと笑って遮った。


「『言い訳より先に言うことがあるんじゃないのかな?』って、昔誰かが言ってたような気がするけれど?」

「……ごめん」


 やり込められてヨルゴスが素直に謝ると、シェリアは満足そうに頷く。ほっとしたヨルゴスは追求を避けるためにも、話題を変える。


「そういえば、さっきメイサが何か言ってたけれど、僕に何か言わなければいけないことがあるのか? 『あのこと』って何?」


 気になっていたことを問うと、とたんに今度はシェリアが慌てだした。


「あれは……えっと、メイサがちょっと思い違いをしてて……」


 それっきり黙り込んだシェリアに焦れてヨルゴスは促す。


「君が言わないなら、メイサに聞くけれど。なんだか気になること言ってたし」

「ちょっと、やめてよ! あ、もし彼女が変なこと言っても気にしなくていいから」

「変なこと?」


 シェリアは暫く渋っていたが、観念して口を開く。いつもと違って滑舌の悪い口調だった。


「メイサは、恋敵の排除に丁度いいって思ったのかも……だから無理に私とあなたをくっつけたがってるんだと思う。で、でも私、そんな気ないから! 本気にしないでよ!?」


 真っ赤になったシェリアは、そわそわと落ち着かなく隣の塔を見上げた後、急に中庭を脱走した。だが、途中で何かを思い出したかのように舞い戻ると、無言でテーブルの上の大皿に残された火餅の内一つを小皿に取り分ける。そして彼女は大皿と共に再び中庭を去ろうとする。ヨルゴスは一瞬悩んだが、一応忠告しておくことにした。


「あぁ、もし隣に行くつもりだったら、今はきっとお邪魔だと思うよ。明日にしなよ」

「!」


 シェリアは固まったが振り向かずに駆けていく。

 ヨルゴスは椅子に腰掛けると天を仰いだ。日が暮れかけた西の空は焼けていた。白い塔は赤に染まる。今までの癖もあり、つい隣の塔に目をやると、まだ夕刻だというのにもう小窓の灯りが消えているのが目に入る。焦躁と悲哀の代わりに浮かび上がったのは羨望だった。愛する女を腕の中に抱くことのできる従弟が素直に羨ましかった。


「そんな気ないから、かぁ。さあて……これからどうやって攻略するかな……」


 ここまで脈が無ければ、いっそ清々しい。ヨルゴスはぽつんと一つだけ残された火餅と共に、本日二度目の失恋を噛み締める。


「甘……女の子ってどうしてこんなの好きかなぁ」


 シェリアは山と積まれた火餅と黄砂糖団子を持ち帰ったが、どうする気だろう。もしかしたらあれを一人で食べるのだろうか。多少太った方がいいとは思うが、腹を壊さないか心配になる。

 この『菓子で釣る』という提案はメイサがしてくれたのだが、かなり有効だと思った。


「うん。とりあえず、餌付けが確実そうだ」


 ルティリクスの言った調教に近いのではないか――そんな気もしたが、深く考えるのは止めることにした。


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