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~八月十四日~ 蝙蝠の群れ

   蝙蝠(こうもり)の群れ


 太陽にフラれた空はさめざめと、山に消えた後も泣き止まなかった。小気味よく打つ雨音の余韻に大は感じ入っていたが、やがて座椅子をパソコンの前に引っ張り出した。

 座り慣れた座椅子の柔らかな感触は吸い付くように包み込んで、その一体感に大は安らぎの極致へと沈む。ゲームを起動させると、画面いっぱいに広がる色彩豊かな楽園が目に迫って、気づけばモニターの(ふち)はなく、大はもう画面の中であった。


―――そして、楽園の扉は開かれる…


 リルはいつも日曜日に来るから、今日は来ないなと、タークスは思いながら、絆の石碑から親交の深い友を探した。リルはやはりいないが、その下のサトルが白く輝いている。サトルはリルの弟で、リルと出会って一か月くらい経った頃、待ち合わせの場所にサトルの姿で現れて、弟は人見知りで友達を作るのが苦手だから一緒に遊んであげてほしいと、頼まれた。サトルはいつも水曜日にやってきて、タークスは頼まれた通り、積極的に声をかけてはどこかへ狩りにいった。

 いつか高校生と聞いたが、その若さだけあって、すくすくと育ち、あっという間に姉を追い越して、たまに水曜日以外にも現れては、こっそり一人で狩りをして、気づけば立派に独り立ちを果たしているのであった。

 そして今日もサトルはすでに遠くへ出かけていて、その鋭い狙撃で魔物を射抜いていた。彼の職業は狩人であった。

「こんばんは」

 と、タークスが遠くの彼へ伝言を送ると、

「こんばんは」

 程なく、おうむ返しが来た。

「今、何してる?」

「ブレードタイガー狩ってる」

 ブレードタイガーは剣のように鋭く長い牙を持つ凶悪な魔物である。足は速いが、噛みつく事しかできないので、遠くから狙撃する狩人と相性が良い。

 自身の能力が有利に働く相手を選べる彼に、タークスは感心した。

「何かする?」

「そうだねぇ」

「それとも、ダラダラする?」

「いや、狩りがいいな」

 サトルの返事は、いつも簡潔で素早い。

「狩りか…」

 と、タークスが物憂(ものう)い気分に浸る間もなく、

「ブラックエンシェントドラゴン、一緒に行こう。一度戦ってみたい」

 サトルは提案も素早かった。ブラックエンシェントドラゴンはこの楽園で最も強力なモンスターで、熟練者が数人がかりでやっと倒せる相手を、熟練者にも満たないサトルと二人で挑むのはまず不可能であったが、しかし屈指の剣士であるタークスには、一人で倒せる力があった。サトルはかなり強くなったとは言え、まだ熟練者には程遠い。今から頑張っても熟練者までにはなれないから、一度体験をしてみたいというわけであった。

「いいよ」

 と、タークスは二つ返事に引き受けた。サトルが戦力にならないのは明白であったが、頼られる事がうれしかったし、サトルを守りながら倒してみせるという新たな挑戦に燃えた。

 ブレードタイガーの生息する竹林まで迎えにいって、それから二人で禍々しい暗黒の岩肌が突き出た山道(さんどう)を登り、朱色に眩しい赤熱(せきねつ)漂う火口の洞穴(どうけつ)へ、慎重に忍び込んだ。

 サトルは狩人の特技である夜目をいかして、漆黒の中の鍾乳石の影に身を潜めた。タークスも今回はサトルに任せて、ついていった。

「いるね」

「うん」

 洞穴の闇が開け、水色の空が明るい吹き抜けの下、暗黒の竜は二人が命を狙っているとも知れず、くつろいでいた。

「ここから狙えるけど、どうしたらいい?弱点の顔に撃つ?」

 と、サトルは前もって調べた知識で聞いたが、

「いや、翼だ」

 と、タークスは経験者らしく言った。

 そうッ!ダメージがよく入るからと言って、顔や心臓を狙ってはいけないッ!それは素人の狩人に犯しがちな大きな勘違いであるッ!ドラゴンが持つ最も恐ろしい武器は何か?灼熱の吐息?獰猛な顎?鋭い牙?

 ノンノンッ!大空を駆け巡る翼であるッ!一度飛ばれてしまえば、こちらの攻撃はなかなか届かず、ほとんど一方的に強力なブレスや、鋭い爪に晒される事になるッ!よしんば、大きな手傷を負わせられたとしても、簡単に大空へと飛び去ってしまえるのだッ!

 ドラゴンとの戦いに最重要なのは位置関係であるッ!まずは翼を破壊し、上を取らせない事、そして退路を断つ事なのだッ!

「徹甲矢で右の翼の付け根を狙って。俺も斬るから。翼を破壊したら、狙いにくいかも知れないけど胸を狙って。頭はブレスが来てやばいから」

 手短かに段取りを告げると、背から大きな鋼の顎を刃に持つ剣を下ろし、がちりと脇に構えた。その剣は異様な大きさと形を持ち奇抜でありながらも、刃は黒く清冽で動物を解体する大ナタのような、冷えた黒光りをしていた。ドラグバイト、古の黒竜から採れる極めて貴重なソードである。

 サトルはタークスの持つ生々しい黒鉄(くろがね)のそれを見つめて、

「出るかな?」

「がんばろう」

 タークスはサトルの言い終わらぬうちに期待を濁した。この剣と竜とを前にすると誰もが期待を抱いて、手に入るような気になってくるのは、いつもの事であった。

 竜を倒して拾得できる確率は、0.0000000001%。まず諦めてかかるのが衛生上にもよろしい。竜がこの楽園に現れて、何千も仕留めている猛者(もさ)達のただ一人として、タークスは自分以外の所持者を知らない。情報の集まる攻略サイトにも、所持者の写真はなかった。かつてはタークスも他の猛者同様に日がな一日ここへ通い詰めて、何十、何百と、絶滅の心配という有り得ない冗談に一人笑っては気の狂っているのを自覚し、何百、何千と、感情が麻痺して機械的に動いてはいよいよ本当に狂って、諦めていながら、それでも竜を仕留め続けるというおかしな精神状態で、寝ても竜退治の夢にうなされ、ドラグバイトが目の前に降臨した時には、夢か誠か、一時間も半笑いのまま固まって、信じられないでいたものであった。

 ドラグバイトは楽園創造主がつきつけた越えられない壁で、しかし、タークスは見事に乗り越えた。それはまさに奇跡であり、伝説であった。

 引退したプロ選手のような気安い心持ちで、タークスは物陰から飛び出したッ!

 漆黒の竜がこちらの気配に、獰猛な顔を向け、翼がそれに連れて横へぶれるのを、サトルは先読みして、動いた先にどんぴしゃ徹甲矢が貫いたッ!

 出会いがしらの激痛に、竜は悲鳴をあげて、よろめいた。

「ナイス」

 サトルの精密な狙撃に、思わず感嘆の声をあげた。しかし謙虚に、第二、第三と、サトルは矢を射込み、仕事に徹している。負けじとタークスも怯んだ竜に飛び掛かり、身震いするような黒光(こっこう)一閃ッ!鋼のあぎとが、翼に食らいついたッ!伝説のソードはまるでカーテンでも裂くかのように、翼の袖を滑って、あっと言う間にみすぼらしい手羽だけになる。

 翼の破壊を見て、タークスは勢いそのまま、今度は鱗のいかつい顔面に噛みついたッ!鼻先に現れた侵略者に竜は怒号をあげて、目の前を執拗に狙うが、死神の鎌を思わせる爪も、黒光りする鋭利な顎も、タークスは一切、かすりもしなかった。

「おまえの動きも範囲もすべてお見通しなんだよ」

 と、紙一重に避けて、冷静な攻撃を続けた。苛立ちを覚えた竜は、ついにがぱりと口を開いて、体を小刻みに震わせた。開いた漆黒の奥底にちろちろと灯がゆらめいている。

「ブレスが来るよ」

 依然、攻撃を続けるタークスをサトルが心配した。ブレスに焼かれれば、如何なる猛者であれ、立ってはいられない。しかし、タークスはチャンスとばかりにむしろ、ペースを上げた。

 口腔の灯は大きく近づいて、もう間に合わない。今まさに吐きつけようとしたその瞬間、タークスは切っ先を喉へと突き立てたッ!

 阿鼻叫喚ッ!竜は悲鳴をあげてのけ反り、燦然たぎる炎を腹の中へとひっこめた。人間の攻撃ごときでブレスを止める事はできない。しかし、ダメージを蓄積させて苦しめると、竜は痛みにのたうち回って、火を吐くどころではなくなるのであった。タークスは竜が痛みに耐えかねる瞬間を、ブレスを吐くタイミングにうまく合わせて阻止したのであったッ!


―――上級者は欲張らず慎重な立ち回りで、反撃を食らわない。しかしプロは、むしろ欲張った大胆な立ち回りで、反撃の機会も許さないッ!


 タークスはすでにプロの領域に達していた。一度怯んだ竜は痛めつけられるがままで、かと言って、翼をやられて逃げ出す事もできず、見るも無残なほどに切り裂かれて、とうとう絶命した。

 ドラグバイトは出なかった。

「タークスさん、すごいね」

「何百匹と狩ってるからね」

 タークスは苦笑いして見せるも、まんざらでもなかった。

「つぎ行く?」

 と猛者らしく誘って、音をあげるまで続けて、意地悪したくなった。

「うん」

 サトルは一も二もなく賛成した。


―――…


「今日も歩いたの?」

 サトルが不意に雑談を振ったのは、それから七匹目の遺体を前にした時で、まるで関係のない話を切り出すのは、ギブアップを宣言したも同然と、タークスはほくそ笑んだ。

「今日は歩いてない。雨だった」

「田沢の人だっけ?」

「奥田沢知ってるの?」

「いや、ネットで見た。自然がいっぱいでいいね」

「ただの田舎だよ。なんもないし。あと俺が住んでるのは、千間坂ね」

「千間坂?」

「奥田沢の隣。知ってる?」

「ふむ」

 会話が途切れて、見渡した空は藍に暗く、遠くの町の打ち上げ花火がささやかであった。

「次、行く?」

「いや、そろそろ寝なきゃ」

「あ。そういえば」

「なに?」

「お姉さんとか、次どうするの?」

 サトルは意味を捉えかねてか、しばし黙っていたが、

「なにが?」

 と、素直に聞いた。

「ゲーム」

「あ~。やらないね」

「他のとかやらないの?」

「うん、もうやらないって言ってた。多分俺もやらない」

「そっか」

 サトルの返事はきっぱりとして、タークスはその率直にして確かな響きを前にすると、異見を差し挟もうにも、言葉が出なかった。

「おやすみ」

 サトルは背を向けて、返事も待たずに楽園から消えた。

 八月末でこの楽園は終わりを迎える。そう、もうすぐ世界は終わるのだ。


次回 8月17日

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