~八月三日~ 虹紙
虹紙
そこは楽園であった。人間がこの世の最上位にして絶対の存在であり、不老不死の肉体を持ち、理不尽な疾病もなく、脅かしもしなければ脅かされもしない、平和にして安寧、輪廻の枠を超え、人間は神に近い存在であった。
そして、人間が絶対なれば、世界も永劫不滅にあるのは必然で、山紫水明無限に広がり、一つの傷も見られない。
―――創生不朽のエリュシオンッ!
男は楽園の住人であった。とは言え、輝くシルクをまとい、紫磨金の輪を冠しているわけではなく、その逆の、煤けたコートに、獣の顎を思わせる奇妙な形の剣を背負い、相貌は使い古した十円硬貨のように、傷跡が鈍く赤銅に乾き、とにかく泥臭く、強いて神に当てはめるならば、戦神とでも言うべきか、しかし、獣じみていながら、男の顔つきは穏やかにして微笑みすら浮かべ、人間らしく茶釜の前に正座している。名はタークスとある。少し前には町に出て、お菓子を漁り、茶葉を買い、床の間に飾る花までも選んで、見た目からは想像のつかぬほど、所帯じみた男であった。
整然とした和室の床の間は大理石のように光って、飾った花の濃いアメジストが怪しく澄み、 障子を開け放った縁側の外に、竹林がそよぎ、竹林の奥から空が罪のない色をのぞかせている。白雲は悠々として、日差しは庭の敷き石に淡い影を作っていた。
静かに庭の風景を眺めながら、タークスは微動だにせず待っていた。彼女は22時に帰ってくるから、もうすぐだろう。と思ったそこへ、裏木戸から、敷き石を伝って彼女が入ってきた。
「ただいま!」
白銀のショートヘアに端正な顔立ちの彼女は慎ましくお辞儀をして、定めし天使に違いなかった。彼女はリルとあった。
「おかえりなさい」
リルは縁側からそのまま座敷にあがって、向かいの座布団へ腰を下ろした。
「待った?」
「早かったね」
「うん。今日は早く終わったの」
「そうか」
「ター君は何してたの?」
「俺は何にも。ただ待っていたよ」
「あははッ★」
リルは口に手を当てて笑った。
「そうだ。今日は君のためにお茶を買ってきたよ」
タークスはお茶を渡した。
「おお!これ高かったでしょう?」
「う~ん、だったかなぁ?」
タークスはあいまいな返事をした。彼にしてはそれほど高額ではなかった。
「お茶立ててよ」
と、リルに催促した。お点前はリルの役目であった。
「まっかせなさ~い!」
と、胸を張って、さっさと茶を作った。
―――これはおいしいッ!このお茶はとても良いものだッ!!!
二人はなんとなく黙って、一息入れた。
サワサワと竹林の優しい葉擦れに、タークスが耳を澄ませていると、
「ちょっと飲み物とってくるね」
と、リルは飲み物を取りに行った。
「ただいま!」
「お口直しかい?」
「そんなとこ!」
と、リルは冗談ぽく受けて、
「まっすぐに帰ったから、喉が乾いちゃって」
「これからどっか行く?」
「ター君は行きたいところある?」
「特にないかな。だいたい見回っちゃったし」
「それなら、ここでいいわ」
「そう?」
タークスはとたんに心細くなった。こうして二人で向き合うと何を話していいかわからない。だがしかし、女の口というのはノンストップであるッ!彼の懸念なぞ無用とばかりに、あれよあれよと時間が過ぎた。
リルは喋るに喋って、
「あれッ!もうこんな時間ッ!!!そろそろ失礼するね」
「わかった」
リルは少し黙って、
「次もまたお話しよ?」
「いいよ。もっと高いお茶用意しとく」
「頼んだッ!あ~ッ!まだ話足りないわぁ~ッ!!!」
と、リルは伸びをした。
「どんだけ話したいの?」
「え?そりゃもういっぱいさね~ッ!」
「マジか」
「だって、もうすぐ世界は終わるんですもの」
タークスは思わず口をつぐんだ。
―――そう、この世界はもうすぐ終わる。
「だから、いっぱい話したいんだッ!」
「遺言?」
「そんなとこッ!じゃあ、ぐっない~★」
リルはさっさと眠りに就いた。
次回 8月10日投稿




