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└苦しいのに


「ちょっと待て。すまないが後輩君、少しここで待っていてくれないか」

さあ歩き出そうとした瞬間、先輩に待ったを掛けられる。僕は訝しげに先輩を見た。

「何ですか…あ、いえ。どうぞ」

けれども先輩の視線がトイレの方を示していた為、僕は何となく気恥ずかしくなりつつ促した。

「なるべく急ぐ」

「いえ別に、そんな急がなくて大丈夫で……?」

ごそごそと鞄を漁る先輩。何だかその動きが不自然に感じて、僕は自然と言葉を切っていた。

…そういえばいつもより鞄が大きい。今日は体育があったのだろうか?


何かお目当ての物を見つけたように、鞄に突っ込んでいた先輩の手が止まる。

そして先輩はうんと頷くと、その鞄を持ったままトイレに歩いて行ってしまった。

僕は声を掛けるタイミングを逃し、そのまま見送る結果に。


…鞄くらい、僕が預かれば良かったかも。ちょっと後悔する。

何を確認してたのかは解らないけど、重そうに見えたし。


結局、僕は手持ち無沙汰のまま。壁に寄りかかって、人の邪魔にならない場所で先輩を待った。




――僕は空が好きだ。


広大な空。真っ青で広大で、けれど色々な表情を見せてくれる空が、僕は小さい頃から好きだった。

それこそ、絵を描くのと同じぐらいに。


けれど、空の絵はそこまで多くはない。

僕の画力が追いついていないから納得出来る空を描けないという理由もあるけれども、なんだろう。

広い空を、狭いスケッチブックの中に押し込めるのが何となく憚られたんだ。

それでも、夕焼け空や朝日が昇る空とかを描く事はある。中には他の人が見たら首を傾げるような、雲が不思議な形をしてるでも特別空の色が変わっているでもない、何の変哲もない空もあるけれど。


僕はおもむろに携帯を取り出し、カメラモードにして空に掲げた。

空を携帯のレンズ越しに見る行為は、何となく気に入った空のかたちにキャンバスに収めるのと似ているかもしれない。

…やっぱり、狭い世界に空を閉じ込めるのは好きじゃないな。


「…奇行か?」


と、その時聴こえた声。今となっては割と聞き慣れている声の主は、先輩と常に共にいる人ならざるもの。

先輩が『玄武』と呼んでいるものだ。


姿は見えない。曰く、人間から見えるか見えないかは自由自在のようで(ただ見えなくても、その場にいるのは確かなので触れるみたいだ)、今は声だけを僕に投げかけて来た。


「…ただ空を見ているだけじゃないか」

僕の行為が理解し難いといった声色の玄武に、小さな声で返す。

普通の声で話そうとすればそれこそ周りの人達に奇行扱いを受けるだろう。


僕は携帯を閉じて、向こうの声がする方を一瞥しながら。


「それより、どうして此処に?」


この玄武は、いつだって先輩の傍にいる。いつ何が起きてもすぐさま対処出来るようにとの事だけど。


玄武は僕の問いに、暫し押し黙る。

それによって、問いかけに答えるかどうか迷っているような間が生まれた。



…何かおかしな事を聞いただろうか?

「『覗くな、出て行け』と」

「…ああ、先輩に追い出されたのか」


玄武は言葉少なに理由を伝えてくる。まあ確かに先輩だって女性だし、男(と思われる人物)にトイレの個室まで同行されるのは嫌だろう。例え相手の姿が見えなくとも。

いや寧ろ見えないけれど『いる』と解る方が嫌かもしれないな。


「もしかして、普段からそう?」

「……」

僕の問いかけに玄武は再び押し黙る。今度は無言の肯定と取れた。



会話が自然と途切れ、僕は自然と空を見上げる。

元々、僕らは自分から会話する方じゃないし取り立てて仲が良い訳でもない。

先輩が間に立って初めて関係が成立する。僕らはそういう関係だった。



「待たせたな」

「あ、いえ……?」

それから間もなく、先輩が帰ってきた。けれど、声のする方に顔を向けた僕は暫く思考が止まってしまう。


まず見えたのは黒縁の眼鏡。先輩は目が悪い方じゃない。伊達?

さらに視線を下に向けていくと、解るのは先輩が『私服』に着替えているんだという事。


全体を見る。長い黒髪をポニーテールにして私服に着替えた先輩の姿は、何というか、黙っていれば深窓の令嬢という言葉が似合いそうだった。


「驚いたか?」

「え、ええ…」


普段以上に浮いている先輩の口調。

ようやく理解したのは、あの鞄が何となく重そうに見えたのは着替えが入っていたからだという事だ。

頷くしか出来ない僕に、先輩はふふんと自慢げに笑って。


「初のデートイベントだからな。私服になるべきだと思ったのだよ。まあ本来なら君にもそうして貰いたかったのだが、今回は私が突然申し出てしまったから仕方ない」

「はあ…」

「ま、眼鏡は変装用だが。同じ高校の人間に会わないとも限らないからな。念には念を入れて、だ」

用意周到なのかそうでないのか。

デートイベントという言葉には敢えて突っ込まず、僕はただ流した。というか、それしか出来なかった。


僕の頭の中には、『これから何処へ連れて行かれるんだろう』という思考しかない。


デートなどと言っているからには、それ相応? いやいや、昨日のやり取りからして(ついでに先輩の趣味嗜好からして)それはナイ。


…そもそも、デートなんて言葉は本来恋人同士が使うものだと思う。

最近ではどうやらそうでもなく、アプローチする側が異性を誘って食事なり行く事も『デート』と呼ぶらしいけれど。僕には全く理解出来ない。

一方通行な想い。相互理解の無い関係であるっていうのに、誘って相手が承諾すればデート成立? なんかおかしいと思う。


「後輩君、何ふてくされてるんだ。ただでさえ君はいつも無愛想な顔をしているんだ。たまには笑顔、スマイルすべきだぞ。君はいつも可愛いが、笑えばもっと可愛いと私は思う。というか私が個人的に見たい」

「…。さっさと行きましょう、先輩」


僕は先輩に背を向け歩き出す。ん、と返して先輩も続いて来た。


駅中の雑踏。サラリーマンやOL。中には他校の生徒も視界に映る。

ざわざわとした人々の声や、それに掻き消されそうになっている先輩の足音。そんな音達を聞きながら、僕は密かに思った。


(なんであんなに腹を立てていたんだろう)


勿論それはついさっき、デート云々について考えていた時の事だ。


あの時僕は――…先輩に話し掛けられて我に返った。

それ程までに、深く考えていたんだ。

…なんでだろう。デートという単語の使い方なんて大した問題じゃない。別に他人は他人、自分は自分でいいのに。



『――…これって、デート…だよね?』


(…ッ!)

「後輩君?」

思わず立ち止まりかけた足を無理やり動かす。その姿は後ろからは不審な動きに見えたのだろう。訝しげな先輩に、僕は「…何でもありません。転びかけただけですから、気にしないで下さい」と告げた。

「…そうか」

先輩は何か言いたそうにしていたが、追究はして来なかった。



――…どうして。どうして、こんなに。こんなに苦しいのに、些細なきっかけで『彼女』を思い出してしまうんだろう?


その答えは分かり切っていた。けど、考えたくなかった。


だから僕は、自分で自分の心を閉ざそうと努める。心の中の『彼女』を、奥底に封じ込める。



何度も。何度も。なんどでも。




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