└初めて見たもの
「僕から言えば空気読めない発言してるのはあなたの方ですよ!」
無理やり引き剥がそうとする僕を意に介さず、
「んん? 何だ、君は私にもっと純な愛の語らいをして欲しいのか?」
「違います!」
半ば叫び声を上げて、僕は先輩を拒絶する。
やがて先輩はふう、と当てつけるような溜め息を吐いてから僕を解放した。
「無理矢理系は嫌いではないがね。やはりツンデレを攻略するならまずデレさせてから美味しく頂くのが王道だな」
「………」
僕はもはや突っ込む気力も消え失せ、がっくりと肩を落とす。
そんな僕にムカつく程爽やかな笑みを向けて、先輩は高らかに宣言。
「ところで後輩君、明日の放課後は君を新天地に連れて行きたいと思う」
「は?」
「電車で移動になるが、安心したまえ。交通費は私が持つ」
「ちょ…どこへ連れて行くつもりなんですか」
勝手に話を進めていく先輩について行くのは本当に苦労する。
僕の当然の疑問に、しかし先輩はにやりと笑って「それは着いてからのお楽しみだ」と一言。
…とても嫌な予感がする。
まず新天地なんて言い方。これはきっと先輩の大好きなあれやこれやに関する何かに違いない…。
「先輩、それは」
「これはもう確定ルートだからな。君に拒否権は無いぞ」
「……」
出た、先輩の『君に拒否権はない』発言。
曰く、『私が攻略する立場…つまりプレイヤーだからな』だそうで。
先輩の中で攻略される立場にある僕には拒否権は無いという、意味不明な理論だ。
…ここまで言う時はどうやったって先輩は考えを曲げない。
最初にこんな事を言われたのは、まだ出会って間もない頃のメルアド交換の時だったかな…。
とにかく、そんなわけで。
僕は明日の放課後、先輩に何処かへ連行される事になってしまった――…。
翌日。
最後の授業を終えた僕は、重苦しい気分でのろのろと鞄に教科書やらを詰める。
…はぁ。先輩、僕を何処へ連れて行くつもりなんだか。
とりあえず僕にとっていい場所ではないに違いなかった。
「あ、土浦君」
ちょうど廊下に出た頃に出くわしたのは桂木先生だ。
先生は「昨日はありがとう」と笑みをつくり、
「遠山さんに伝えてくれたんだね。昨日あの後すぐに彼女がやって来たよ」
「あ…いえ」
本当にありがとう、と目尻を下げる桂木先生に僕は頭を下げた。
何となく先生に褒められるというか、感謝されるのが居心地が悪いっていうのだろうか。
とにかくそんな微妙な気分になったんだ。
「…遠山先輩については、何か処分が?」
「うん、注意と反省文を少しね」
どうやらそれも昨日呼び出して終わらせたそうなので、これ以降また何か問題を起こさない限り先輩が酷い罰を受ける事はないそう。
「…そうですか」
…先輩も好きで教室を抜けた訳じゃないから、また今回みたいな事が起こったら少し可哀想かもしれない。
と、思ったら。
「君は知っているかもしれないけれど、彼女は一年生の時から教室を抜ける事があったんだ。本当に極々たまに、だけどね」
…今までもあった。
先生曰く先輩が反省文を書かされる理由は、時々とはいえ、そんな風に授業を抜けるのが恒例化したら困るからだそう。
だけどその点以外は模範的な生徒だから、それだけで済んでいると。
――…先輩、校内で模範的かつ目立たない生徒を演じているのが功を奏したみたいだ。
先輩が学校で目立たないようにしている理由は勿論、オタク趣味ではないもうひとつの秘密がバレない為にだ。
生徒という団体の中で目立てば目立つだけ教師に目をつけられるし、また生徒同士でも妙に絡まれるのは困るから。そう先輩は言っていた。
オタク趣味を隠すのもその為…うん。
どう考えても、先輩が素を出してしまったら、少なくとも生徒間では目立つだろう。その判断は正解だと思う…。
僕は桂木先生と別れ、再び歩き出す。
二年生の教室が並ぶ二階から離れ、階段を降りていく。
いつも先輩と会っている教室は三階にあるけれど、今日はこのまま最寄り駅で合流する事になっていた。
(…ん?)
一階に降りた所で、僕は妙な光景を目にする。
珍しい…というか、初めて見た。
先輩が、誰かと話している。しかも、笑顔で、男子生徒と。
…あれ、男子生徒の後ろ姿は見た事あるような気がする。男子生徒の近くで居心地悪そうに先輩を見ている女生徒も。
多分あの二人は、僕と同じ二年生だ。
「――は元気? 宜しく言っておいてね」
幾分か普段より高めの、先輩の声がする。まだ放課後になって間もない時間。
他の生徒が行き交う廊下でその声は全く響かない。
けれど、断片的に聞こえる声は随分と猫を被っていた。
「――はい。――は変わりなく…ええ…――」
対する男子生徒の声は、先輩のそれよりも聞き取り辛い。低い声でぼそぼそと呟くような喋り方だ。
男子生徒は何事か先輩に告げた後、傍らの女生徒を見る。彼の視線を受けた女生徒は、何故か顔を真っ赤にして俯いてしまった。
と、その時。先輩が男子生徒達にバレないよう、ちらりと僕に視線を送って来た。
先に行っていてくれって事だろう。
僕は他人を装って、先輩達の近くを横切った。
先輩が駅の改札前にやって来たのは、それから五分後の事。
「いや、悪かったな。待たせてしまった」
「いいえ。…知り合いですか?」
僕は首を振り、ずっと気になっていた問いを掛けてみる。
それに対し、先輩は笑顔で頷く。さっきみたいな猫被りではない、本当の先輩の笑顔だ。
「ああ。彼は、私の数少ない友人の弟君なんだよ」
その声には何だろう、優しさとか誇らしさとか、色々な感情が混在しているような気がした。
本当に、その友達の事を大切にしているんだろう。その友達の弟の事も気にしているんだろうと、思わせるような。
「君、同じ学年だろう。彼の事を知らないのか?」
「…さあ。何となく見た事あるかなってくらいです」
きっと体育の合同授業とかそんな所だろうと思う。
全く印象に残っていない訳ではない、けれど名前は覚えていないこの感じは。
「活海逆人君だ。まぁ、いずれ話す事もあるかもしれないし覚えておくといい」
活海逆人。…ううん、聞いた事はあるような、そうでもないような…。
先輩からすれば友達の弟であり、知り合いだ。
けれども、僕としては彼と関わる未来は全く見えない。
クラスも違うし、僕は部活を抜け委員会にも入ってないから、会うとしたらそれこそ合同授業くらいだろうし。
先輩の言葉に対し、「はあ」と曖昧に返した僕は「そろそろ行きませんか」と進言。
目的地を目指し、先輩の示す改札を抜ける。
…筈だったのだけど。