表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/25

└敵わない人


「はぁ」


息を吐き、僕は机の上に腕と頭を預けた。

ぐったりしているのは絶対に先輩のせいだ…。

絵を描く気分にはなれず、僕は頭だけ動かして窓の外を眺めた。

横向きに見える空はいつもと違う趣があると思う。雲の流れ、そこに時折軌跡を描く飛行機雲などがそれだ。

視点を変えれば、普段見ている景色も別の顔を見せてくれる。

それは視点を変えようと試みた人間にだけ与えられた勲章のようで、僕は何処か沸き立った優越感を覚えた。


空模様は梅雨の時期には珍しく晴れ渡っていて、青のキャンバスの中にに縁取られた純白の雲は、穏やかな時間を証明するように流れて行く。


「…」

――こんな風にゆっくり空を眺められるのも久し振りに感じた。

でも、解ってるんだ。その認識はおかしいって事。


いつも騒がしい先輩。会話している時は勿論、傍でひとりゲームをやっている時だって、画面を見ながらにやにやしたり唸ったりである意味騒がしい。

そんな先輩と二カ月前から一緒にいるせいだろうか。空を眺める機会は幾つもあったのに、先輩がいない今この時が何だか懐かしい感じがする。


…先輩と会ったのは、二カ月前。桜が舞って、世界を桃色の雪が鮮やかに飾っていた頃。


それ以前の僕は――…。






『櫂斗くん』


…そう呼んで僕の手に自分の手を絡める彼女に、僕は情けない反応しか出来なかった。

誰もいない美術室。立て膝をついて絵を描いていた僕達。左手から伝わる柔らかな温もりに、逆手に持っていた絵筆がついに離れる。

転がり落ちた筆はあらぬ位置に色を付けるけれど、僕はそれに構っている余裕は無かった。


距離が近い。彼女のセミロングの茶髪が、窓から入る風に靡いて僕の頬を撫でるその感覚が何だかこそばゆくて、でもいつまでも感じていたかった。

そう、僕は彼女から伝わる匂いに酔っていたんだ。心臓が早鐘を打って、目には彼女しか映らなくて。


この時、僕の世界は彼女に染められていた。



『櫂斗くん、わたしのこと、好き?』

射し込む夕焼けの赤と、はにかむ彼女の頬の赤はどちらも美しかった。


その顔を、僕はもっと見たいと思った。


その顔を、僕だけに見せて欲しいと…心からそう、思ったんだ。



『僕は――…』




……。




……。



…。




「ん…うんん……」


…意識が浮上していき、彼女の幻影が消える。

どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。


「ん、起きたのか」

妙に残念そうな先輩の声が聞こえる。…何か…距離が近い気が。

僕は微妙に心をざわめかせつつ、ゆっくりと目を開けた。


そこで僕の目に映ったのは、息がかかる程に間近にある先輩の笑顔。

「うわっ!」

ある意味予測はしていたけれど、それでも驚いて。

僕は情けない悲鳴を上げて勢い良く飛び退いたのだった。

「おはよう後輩君。いい夕焼けだな」

にやにやと嫌な笑みを浮かべながらも、その声はこちらが苛立つ程に爽やかだ。

僕の反応を愉快げに見る先輩は、「君の寝顔はたっぷりと堪能させて貰ったよ」などと言ってくる。

「しかし本当はもう少し見ていたかったのだがな」

「…僕の寝顔を見ても何も楽しい事なんてないでしょう」

「いいや、ある。私は君の色んな表情を見たい」

……。

いつもは可愛い女の子がどうのこうのと言っている癖に、こっちが油断しているのを見計らったようにそんな事を言うんだ。

いつの間にか先輩の表情からはからかいの色は消えて、優しい…そう無意識に思える微笑みを湛えていた。

そんな顔で即答されたら、僕はもう何も返せない。返す言葉なんて咄嗟に思いつかない。


「君の笑った顔も喜んでいる顔も、もっと見たい。怒っていたら何かあったのかと思うし、もし悲しんでいたら傍に寄り添いたいと思う。


私が君に対してそう願うのは、もしかして許されない事なのかな?」


――ずるい、と思った。

そんな風に言われて、否定出来る訳ないじゃないか。


先輩は一年前僕に何が有ったのかは知らない。教えていないし、先輩から何かしら聞いて来たのは出会ったばかりの頃に一回だけ。以降は僕に過去を問い掛けて来る事は無かった。

でも、時々何かを察したように、今みたいな優しい笑みを向けて来る。優しい言葉を掛けてくる。

それは気遣いとかじゃなくて、あくまで先輩の意思で齎された行動で。


先輩は何も知らない筈なのに。知っているのは僕が一年前美術部に所属していた事だけなのに。

たやすく僕の心の中に入り込んで来るんだ。

それは辟易してしまうくらいに無遠慮で、でも申し訳なくなるくらいにあたたかくて。


…だから、先輩の事は苦手なんだ。

僕は改めてそう思った。


だって、絶対に勝てない、僕なんかには到底敵わない人だから。


「…先輩」

何も返せない僕の呟きに被さるように、先輩の一転した明るい声が響く。


「さて、フラグは立ったかな」

「は」ぐい、と僕の頬を手で包み込んで来た先輩の表情にはさっきまでの優しい笑みはない。

「後輩君、今私の目には君の惚けた可愛いらしい顔と、その下にふたつの選択肢が映っているよ。

ひとつ、君を思い切り抱擁してからキスする。

ひとつ、君にキスして流れで押し倒す。

さてどっちが」

「どっちも嫌に決まってるでしょう!

フラグなんて断じて、これっぽっちも立っていませんから止めて下さいッ!」


しかも両方キス入ってるし、後者に至っては流れで押し倒すってっ、先輩はホントにもう…どうしようもないっ!


僕の猛反発を受けた先輩は明らかに機嫌を悪くして「何だ、君。そんな事ばかり言っているといくら私でも君を空気読めないKY君と言わざるを得ないよ」などと減らず口を叩く。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ