└目立ちたくない
「私は生徒指導担当なんて大仰でいかにもな肩書きが付いているけれどね。本当は私達の方が生徒に教えられ、考えさせられる事も多いんだよ。
だから私はあまり教師という立場で君達と接したくはないんだ」
先生はそう言ってはにかみ、「よく他の先生に『甘い』って言われるんだけどね」と頭を掻いた。
でも、そうか。校内放送で生徒を呼び出すのは、教師という権限を最大限利用している事になる。
それが悪い事だとは僕は思わないけれども、この先生は極力そういう事はしたくないみたいだ。
「なるべく君達とは対等な目線で話をしたいんだよ。校内放送で教師として呼び出すんじゃなくて、話がある私の方から直接その子に会いに行きたい」
だから、遠山さんの居場所を知っていたら教えて欲しい、と。先生はそう締めくくった。
…どうしよう。個人的感情としては、教えてもいいと思ったんだ。
目を細めている先生の笑顔からは、今の話を聞いた影響もあるんだろうけど何となく好感が持てたし。
今まで雰囲気とかで曖昧に記憶していたけれど、これからはちゃんとこの人の事を覚えていたいとも思う程だけれど。
「…遠山先輩の居場所は…」
僕がそう口にした時、先生は瞳を輝かせて期待の眼差しを向けてきて。少し躊躇った。
「…僕にもよく解りません。けど、もしこの後遠山先輩に会ったら伝えて置きます。先生の事。
…なので、先生の名前、教えて下さい」
僕の答えに、先生は目を瞬かせた。それはそうだと思う、僕の返答の仕方は答えをほぼ明確に示しているのだから。
つまり僕が先輩の居場所を知っていて、その上でそれを明かさないという事を。
先生もすぐに察して、「そうか」と少し残念そうに笑った。
「私には資格がないのかな?」
おどけたように言う先生に、「そうですね、今は」と僕は言葉を濁す。
と、先生は急に右手を差し出して来た。道行く生徒達が不思議そうに此方を見ながら通り過ぎて行くのが視界に映って、少しだけ僕は肩身が狭くなったけれど。
すぐに気持ちを切り替えて、その手に自分の右手を重ね、握手した。
「桂木広志だ。宜しく」
桂木広志。うん、覚えた。
「土浦櫂斗です」
向こうは僕の名前を覚えているけれど、そう返すのが礼儀な気がしたんだ。
「それじゃあ土浦君、遠山さんに会ったら宜しく頼むよ」
「はい」
それを最後に、桂木先生は僕に手を振って去って行った。
「面倒だ」
桂木先生が捜していた事を言うと、先輩は眉を顰めてあからさまに嫌そうに唸った。
「そもそも私は、教室から出る前に『お腹が痛いので保健室に行ってきます』と言った。
教師に呼ばれるいわれはない筈だが?」
「知りませんよ」
そんな挑発的に言われても僕は当事者じゃないし、その現場を見た訳でもないんだから。
というか、その保健室に行っていたという裏付けが何もないのが問題なんじゃないかなあ…。
大きな溜め息を吐いて、僕は先輩に仕方なく進言する。
「…桂木先生だってそうじゃないですか? 本来ならまずはその授業を担当していた先生が先輩を注意するべきでしょう。わざわざいきなり生徒指導担当が顔を出すもんですかね」
あの先生は生徒と接する事を面倒だとは思わないだろうけど、こう言わないと先輩は動いてくれなさそうだ。
「お互い面倒事は早く片付けて、穏便に解決すればいいじゃないですか」
「むう〜…」
「『目立ちたくない』んでしょう?」
なおも渋る先輩に、僕はとどめを刺した。
それが効いたのか、先輩は「…仕方がないな。行くか」と溜め息混じりに腰を上げる。
そしてそのまま出て行くかと思いきや、教室の扉に手をかけた所で足を止める。
「…後輩君」
「なんですか?」
先輩の行動の意図が読めない。何だろうと思って油断していた僕に、先輩は冷や水を容赦なく浴びせて来た。
「…君、やけに桂木教師を親しく呼ぶじゃないか」
「は?」
何故、何が、どうして、そうなったんだ?
先輩の思考回路が要所要所で意味不明なのは重々理解してたつもりだけど、今回はいつも以上に言っている事がまるで解らなかった。
僕が混乱している間も、先輩は堰を切ったように言葉を浴びせて来る。
「だってそうだろう! 君はかの教師の事を『桂木先生』と呼んだ! わざわざ名前を呼んだんだよ、君っ! 私が知る限り君が覚えている教師の名は担任と美術部顧問だけだった筈なのにも拘わらず、だ!!」
「…いや、それは」
「つまり、これは私の知らない間に君が桂木教師へのフラグを立ててしまったという事なのか!? 君が昨日私からのメールを切ったのもそういう事なのかッ! 私にはフラグどころか選択肢さえ無いと!?
まさか君はアッチの人なのか! 『僕、女性には興味無いんで』とかそんな意味で難易度が高いと常々言っていたのかぁっ!!?」
「違いますよッ! や…めっ、て、下さいっ!!」
最後には物凄い形相で走り寄り、僕の肩を揺さぶって来た先輩に渾身のストップを掛ける。
ていうか勝手に人をそっち系にしないでくれ!
とにかく、嫌すぎる誤解を解くために僕も必死になって止めた。けど結局先輩が落ち着いて僕の話を聞いてくれるまでに何分費やした事か…。
何とか有りもしない誤解を解いて先輩を送り出した頃には、僕はもう体力的にも精神的にもへとへとであった…。