野に遺賢ありて‥
とにかく『熟女大全集』一押し致します。
何度かこのサイトでも申し上げたことだが、故、吉行淳之介氏と電話を介して、お話いただいたことがある。
話の順序は失念したが、「誤植」について面白い話をお聞きした。
僕のほうも、何か話を提供しないと片手おちになるし、ある本で「安宅処分」となるべきがが「安全処分」となっていて随分と悩んだことがあったことをお伝えした。
今でもEテレなどで、安宅が以前所蔵した美術品が映ることもあり、懐かしく思い出したりもする。
そして「誤植」の話は、次の様になっていった。
「ところで先日、吉行さんの本に『野に遺児あり』ってありましたけど、あれ、どんな意味だったんでしょうか?」
その質問をすること自体、実は僕の無知をさらけだしているようなものである。
その、若い日の僕は、「野に遺賢あり」という言葉を知らなかった。
そして今、辞書を引いて、またまた自分の無知さ加減に驚いている。
言葉としては、『野に遺賢なし(やにいけんなし)』が本来の言い方であり、意味は次の通り。
民間にうずもれている有能な人物なんてなかなかいない。官の中にこそ有能な人材はいるのだよ。
それをモジって吉行さんは、野に遺賢あり、と言っておられたのである。
どんな状況でおっしゃったかと言うと、次の様な説明になろうか。
扇情的な写真や映画に惹句が付くことが見受けられるが、そのような文章に飛んでもない名文がしばしばあり、吉行さんはそれを「野に遺賢あり」と称していた。
それこそ、二、三十年前の「SM写真集」には、喘ぐ女性の写真の肩に、こちらが喘いでしまうような名文が併記されていたことを思い出す。
僕らが日々お世話になってる、この「なろう」サイトにも、すごい遺賢がたくさんいらっしゃるはずであり、彼らを発掘する楽しみも僕らにはあるはずである。
であれば、彼らの見つけ方の、ひとつの方法として、「AV」とか「風俗」のキーワードで検索してみることを提案したい。
もちろん、まだ若い、未成年諸君には薦められないけど‥
まだ試してはないのだが、「エロ」「援助交際(最近は援交というらしい)」「ヘルス」
などの検索も有効ではなかろうか?
実は「AV」で検索し、素晴らしい作家を見いだすことができたので、少し報告する。
「シュール」さんの『熟女大全集』である。
題名で損してる気配もあるけれど、大変な傑作であり、題名も、読めば感慨深いものがある作品である。
黒岩重吾さんなり五木寛之さんがバリバリの現役時代に書きそうな小説であり、現代性もあり、僕は真面目に言うのだが「純文学」
ととらえた。
余りの感動で脱力感に襲われ、執筆する意欲もなくなり、昨日はシュールさんの作品を終日拝読したことを白状する。
いずれレビューしたくもあるのだが、レビューする腕に自信はないし、どなたか挙手いただければ是非お願いしたい。
ただ、シュールさんの作品を拝読しながら気がかりであったのは、彼はこの「なろう」サイトに、例え読者としてでもいい、アクセスしていらっしゃるのだろうかという点である。
たしか「羊」という作品で主人公は自身の保険の死亡保険金を上げたりもするのだが、そういうレベルの話ではなく、彼の作品を読むと、彼の危うさが伝わってくるのである。この「危うさ」を説明するのは難しい。まさにレビューしなくては伝えられない危うさであるかもしれない。
その危うさには、いくつかのポイントがあるのだが、ひとつだけ挙げておきたく思う。
作品中、四十歳少し前の主人公は転職を決意し、K(京都)大を出た「俺様」であると自負してるのだ。
その自負を持っているであろうシュールさんが、『熟女大全集』を書き上げると、当然に自作を自負するはずである。
もちろんシュールさんが誰かに認められ、まったく別の名前で文学界で活躍しておられるなら、それは僕にとっても嬉しいことであるが、ついつい、そうでなかった場合のことを考えてしまう。
可能性から言うと、彼は創作活動に「見切り」をつけたのではなかろうか‥
この言い方は、最高の、彼に対する褒め言葉でもある。
もしも彼と普通にこの「なろう」サイトで通信できたら、あんな表現でシュールさんのことを褒めておいたけど、気を悪くしたのなら謝ると、堂々と表明する積りである。
いま再び、彼の作品発表の頻度を見てみると一年半に一作品というスペースであることが判る。
であれば、今年、彼の作品を読むことができる可能性も高い。
この「なろう」サイトで見いだした『遺賢』のことで心が乱れてしまうことを如何ともし難いこととも思うし、同時にこれは、非常に嬉しいことでもある。
僕はこれからも毎日、シュールさんからの便り、もしくは彼の作品を待ち続けながらサイトを開けることになりそうだ。
彼とこのサイトを通じて通信できたら、たぶん感激すると思います。できる可能性、64%‥‥?