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09 陽の都

 初夏の荒野を駆ける二つの影。先行する青年に少し遅れて小柄な少女が続く。二人は泰寛村から東へ、一路陽の都を目指して駆けていた。

 途中、椿佳の出身地である桃花村に立ち寄り、今は亡き椿佳の父、義鷹の墓前にて近況を報告し、引き続き師の弟弟子を訪ねる旅を再開した。


「兄さーん、待ってー、休憩、ちょっと休憩しよう!」

「だめだ。忘れたのか?これも修練なんだぞ。もう休憩は無しだ」


 遅れる椿佳の泣きごとには一顧だにせず駆け続ける俊雷だったが、ここまでの道のり全てを厳しい態度で臨んでいた訳ではない。どころか初めて参加する椿佳を慮り、いつもより多めに休憩を取っていた程だ。しかしその事で少し到着予定を越えてしまっていた。


「だって……、甕が重いよぅ」

「もうちょっとだから、頑張れ!」


 長距離の移動では、例え藁の一本であろうとも荷物の有無は疲労度に多分に影響する。そう大きくないとはいえ、二人の背負った甕は馬並みの速度で走り続ける椿佳の体力を奪っていたが、これ以上休んでいる暇は無い。加えて陽は間近、あとひと踏ん張りだ。

 陽のさらに東側には対岸が霞んで見えなくなるほどの大河が流れており、周辺の湿度を高くしている。荒野を走る俊雷の頬に当たる風が、陽が近い事を知らせていたのだ。


「見えてきた。椿佳、あれが都だ」

「うぅ、やっと見えてきた」


 そうこうしているうちに、陽の都が二人の視界に入った。湿度のせいでその姿は霞んでいるが、大きな街だ。近づくにつれその全容を現した陽の都は、椿佳がこの世界では見た事も無いような規模だった。

 南北に約八.五キロ、東西に九キロの威容を誇る陽の都は十メートルほどの城壁で囲まれた城塞都市だ。今なお成長を突ける都市は城壁の外側にまで民家が立ち並び、城壁の内外を合わせて大凡八十万人の人々の、日々の営みを抱えているのだ。


「うわー、おっきい!」


 都の威容に興奮し、疲れも忘れて駆ける椿佳だった。

 やがて城壁外の町に到着した二人は走るのを止め、往来を行く人々に歩調を合わせる。暫くは興奮して疲れを忘れていた椿佳も、代わり映えのしない街並みに飽きて落ち着きを取り戻した。その様子に俊雷は、そろそろかな、と視線を巡らす。


「兄さん、もう駄目、歩けないよ。ちょっとお茶飲んでこうよ」

「しょうがない奴だなぁ」

「あそこ!あの店に入ろう」


 俊雷よりも先に、目ざとく茶房を見つけた椿佳は、言葉に反して嬉々とした表情で俊雷の腕をつかんで茶房に引っ張っていく。俊雷も城壁を目前にしてこれなら大丈夫だろうと、苦笑いを浮かべつつも今度は休憩を許した。


「いらっしゃい!何にする?兄さんたち今日は泊ってくのかい?」

「お茶!お茶ください!」

「宿はいい、俺も茶を一杯もらうよ」


 席に着くなり額から卓に突っ伏した椿佳だが、給仕に顔だけを上げて茶を注文した。だらけきった椿佳に呆れつつ、俊雷も茶を注文する。


「あいよ。お茶受けに菓子はどうだい? おいしい月餅が有るよ」

「すぐに剛山老師の下へ行くんだ。止めときなさい」

「はーい」


 月餅と聞いて一瞬表情を輝かせる椿佳だが、俊雷に窘められ今度は顎から卓に突っ伏した。


「なんだ、剛山さんの所へ行くのかい?」

「ああ、たった今都に着いたばかりで、ちょっと一休みさ」


 城壁内に居住しているはずの剛山の名を聞いて若干驚く椿佳に反して俊雷が事もなげに応えた。剛山の顔の広さには慣れっこなのだろう。暫くして茶を乗せた盆を持って給仕が帰ってくると、茶とごゆっくりという言葉を残して引き揚げた。


「ふぃー、生き返るぅー」

「まぁ、良く頑張ったよ。何とか予定通り二日で来られたしな」

「でしょ?でしょ? 頑張ったご褒美に茶菓子頼んじゃ駄目?」

「だーめ。それに本当ならもう少し早く到着するつもりだったんだ。急がないと夕食中にお邪魔することになるぞ」


 調子に乗った椿佳にしっかりと釘を刺す俊雷。流石にこれ以上遅れるわけにはいかず、一服してすぐにも出発するつもりであった。


「だって、昨日も今日も甕を背負って一日中走ったんだよ?もう体がガタガタだよ」

「そうだな、今までこんなに連続で走り続けた事は無かったからな」

「そうだよ。凄い頑張ったよ」

「でも駄目。それに剛山老師の所に行けば何か出してくれるだろう」

「ホント?」


 いつになく食い下がる椿佳に飴をちらつかせると、途端に椿佳の表情が明るくなった。昔からの飴と鞭育成法は今でも健在だ。


「ああ、あの人は椿佳に甘いからな」

「ははは、私は甘々大好きだけどね」

「二週間滞在するけど、食べ過ぎて太ったら帰りが大変だぞ?」

「うぅ、気をつけます……」


 くるくると表情を変える椿佳に癒されつつ、決してそれを外面には出さずに本日何本目になるのか分からない釘を刺して茶を含むと、俊雷は茶房の奥、俊雷の背後側から緊張を孕んだ空気を感じ取った。椿佳も椅子に凭れかかったまま両手で茶碗を持ち、ちらと奥の様子に目をやる。


「ちょっと兄さん、顔貸してくれるかい?」

「なんだあんた達は」

「へへっ、仲間がアンタに世話になったってね。ちょっとお礼に来たんだよ。なぁに、すぐに用は済むさ」


 恋人同士と思しき二人連れに、少々、いや、かなり変った風体の三人組が絡んでいた。俊雷と同じ年格好の青年と、青年の子分らしき少年が二人。


「兄さん、あれ」

「ああ、気にするな」


 うろたえる椿佳に俊雷は振り返る事も無く切り捨てる。椿佳が気にかかったのは青年の風体である。明らかに、周囲の人々とはかけ離れた人相風体。

 が、そうも言っていられなくなって来た。絡まれていた青年が立ち上がり、正に一触即発といった雰囲気である。


「でも、兄さん、あの変な格好の人…」

「ちょっと変わった格好で目立とうとしている、ただのチンピラだよ」


 茶房の奥からは人が倒れ食卓にぶつかる音と、周囲の客の悲鳴が聞こえる。


「いや、そうじゃなくてね、あの人、放っておいたら大変だよ」

「関わるとメンドクサイ。どうせ大した事も出来ないだろうから、放って置けばいいよ」

「だから、そのチンピラさんが大変なの」

「ん?」


 漸く俊雷が振り返ると、異様な風体の青年が倒れ、キザな青年が見降ろす格好で着衣の乱れを正しつつも、倒れた男に蹴りを入れていた。蹴り続けるキザな青年の左腕には恋人と思しき少女がすがりつく。


「放っておいたら殺されそうだよ、あのチンピラさん」


 椿佳は指差し、のんびりと告げる。俊雷は青年の風体に何だあいつはと漏らしながら漸く席を立ち、椿佳も俊雷に続く。椿佳は男の風体に非常に興味をそそられ、いつ、どこから来たのか、……帰る宛ては有るのか聞きたくてしょうがなかった。


「くっ、お前ら、俺に構わず逃げろ!」

「兄貴ぃ!」

「そんな、兄貴、オイラそんな事出来ないよ」


 倒れた青年に駆け寄り膝を付いて手を差し伸べる二人の少年。その間にも青年は蹴り続けられている。その状態で会話をするとは、有る意味とても頑丈な体だ。


「良いんだ。俺はお前たちの思い出の中で…。そうだ、レイラに済まないって伝えてくれ」

「兄貴ぃ……」

「レイラって誰だよぅ!」


 喜劇を演じる三人は放置して、椿佳は俊雷の背中に隠れるようにして顔だけを出からキザな青年に話しかける。


「まぁまぁお兄さん、そろそろ許してあげなよ。それ以上はその、死んじゃうから……」

「何だお前は。余計な口出すなよ!」


 激昂していた青年は、俊雷に掴みかかるが、ひょいっとかわされてしまい、目標を椿佳に変えて再び掴みかかる。

 椿佳もひらりと青年の腕をかわし続け、背後から俊雷が青年の腰を軽く押すように蹴ると、青年はバランスを崩してたたらを踏む。


「うぉ!? チッ、二度と偉そうな口きくんじゃないぞ」


 これだけ暴れて触れる事も出来ない二人を強敵と見て、捨て台詞を残して少女と共に去って行った。


「へへっ、良いパンチ持ってやがるぜ」


 よろり、と青年は折れた歯を吐き捨てつつ立ち上がった。膝が笑っているようで少年二人が両脇を支えている。


「ねぇねぇ、大丈夫?」

「おぅ、嬢ちゃん。心配いらねぇぜ。オイラはグラスジョー。この辺じゃちったぁ名の知れた(ワル)なんだぜ」

「グラスジョーって……」


 心配して青年に話しかける椿佳は、青年の名前に再び衝撃を受ける。何しろ英語だ。

 グラスジョーと名乗った彼の風体は、彩花が居た世界の前世紀の不良風。革ジャン、ジーパン、革ブーツに金髪のリーゼント。コーカソイドの顔立ちに青い目。どうして秋国に居るのか不思議だが、周囲があまり気に留めていない事がさらに不思議だ。それよりこの時代にどのようにして髪型をリーゼントに出来るのか。考え出して椿佳は絶句した。


「それで、何で喧嘩なんか吹っ掛けたんだ?その、弱いのに……」


 グラスジョーの特異さを俊雷までもが流してしまっている状況に、椿佳は目を丸くして俊雷を凝視するが、グラスジョーは構わず事情を話しだす。


「へへっ、情けねぇ話だが、仲間の姉ちゃんがあいつに入れ揚げちまってね、騙されて貢がされてんのさ。オイラぁ我慢できなくなってよ」

「あんまり無茶するなよ」


 思った程悪い奴ではないな、と俊雷は安堵した。思わずではあったが、本来ならば絡まれた青年に加勢することは有っても逆は無い。密かに俊雷は自分の行動が正しかったか疑問を持っていたのだ。


「へへっ、男には、引けない時ってのが有るもんさ……」

「いや、まぁ何だ、程々に頑張れ、な?」

「あんがとよ兄さん」


 俊雷とジョーが話している間、椿佳はまだ絶句していた。と、茶房に先ほどの青年が厳つい男を連れて戻ってきた。だらしなく着崩した衣服に太い金の首飾り、どう見てもその筋の人間である。


「居た居た。こいつらだよ」

「おぅ、お前らか。ちょっと面貸しな」

「もう終わった話だ。それにそっちの男は怪我ひとつして無いんだから、もう良いだろ」

「そういう訳にはいかねぇよ。こっちは訳も分からず喧嘩吹っ掛けられたそうじゃないか、ちゃんと筋は通さないとな」


 男は俊雷達を見て凄んで見せ、俊雷の言葉に耳を貸す様子は無かった。やれやれ、しょうがないなと俊雷は密かに肩の関節を解していると、ヤクザ者を見たジョーが前に出る。


「お前は、豪衝一家の……」

「何だジョー。またお前かよ。冗談は名前と格好だけにしとけよ?冗談じゃ済まなくなるぜ」


 ジョーを見て顔をしかめるヤクザ者。どうやらこの二人は因縁浅からぬ関係のようだが、ジョーの存在に違和感を持つ者が初めて現れたことで椿佳は少し安心した。


「豪衝一家が絡んでるとなりゃ、意地でも引けねぇな」

「調子に乗るなガキが!」


 ジョーに向けて拳を振り上げる男の前に俊雷が立ちはだかり、拳をいなす。突然前に現れた俊雷に驚きながらも男は俊雷を威嚇する。


「何だ手前ぇは!」

「俺か?俺は劉俊雷。只の通りすがりだ」

「通りすがりが口出すんじゃねぇ!」

「そうはいかない。見るからにヤクザ者のアンタが出て来たんだ。見過ごせないな」

「痛い目見ないと分からないってか、あぁん?」


 どうやら引く気は無いらしいと俊雷は腹を決め、無駄に距離を詰めてくる男を一度突き放す。顔を近付ける男が鬱陶しかったのだ。


「兄さん、やっちゃえ!」

「だから関わるなって言ったんだ」

「大丈夫!もうバッチリ関わっちゃったよ。毒食らわば皿までだね!」


 復活した椿佳は俊雷に声援を送り、外野に徹する様子だ。俊雷はため息を漏らしつつも男に向き直ると、性懲りもなく無駄に距離を詰めてくるところだった。

 なぜこういう輩は間合いを無視して近づくのか俊雷には不思議でならなかったが、男に顔を近づけられて心地良いものでは無い。遠慮なく伸してやろうと両手を突き出し構える。


「俺はこっちのガキをやる。お前はそっちの跳ねっ返りを黙らせろ」

「はい、兄貴」


 キザ男の返事に椿佳は、真っ当な職に着く人間ではないのかと確認する。ヤクザ者を連れてきたとはいえ、一般人に拳を振るう訳にはいかないのだ。ともすれば彼らは守るべき者なのだから。


「なんだ、あなたもヤクザさん?じゃあ遠慮は要らないね」

「何だとこのガキ!」


 一歩助走を付けるように飛びかかるキザ男だが、椿佳は自身の軸を少しずらして男の腕を引き、バランスを崩させる。本日二度目のたたらを踏んだ男が椿佳に向き直った所を見計らって椿佳が踏み込んだ。


「えぃ」

「っ、うぅ……」


 椿佳はキザ男の肝臓に左手の掌を打ちこみ、続いて鳩尾に右の拳を打ちこむ。拳を打つ際左手は男の右手をとらえて引き込みつつ打ちこんでおく。引く力と衝く力の相乗効果で打撃力は倍加された打撃にキザ男はうめき声を発してうずくまる。暫く呼吸が出来ず苦しんだ後に気を失うだろう。


「ガキがっ、世間ってもん教えてやるぜ」

「それは楽しみだな。どうせ碌な世間じゃないんだろうけど」


 俊雷は相手が動くのを待つことなく一歩で間合いを詰め、鳩尾に右の掌を繰り出す。一瞬の出来事だった。


「ふんっ!」

「ふっ、う……」


 鳩尾への打撃で呼吸を封じられた男は膝から崩れ、床に両手をついて蹲ると数秒後には頭から床にくずおれた。実にたわいないものである。


「あんたら、凄ぇなぁ」

「大した事は無いよ」

「奴らは豪衝一家ってヤクザ者で、色々悪どい事を平気でやってやがる。オイラ仲間も奴らには稼ぎを絞り取られてる有り様さ」


 ふむ、と俊雷は一つ考える。ヤクザ者では無いにしてもジョーの身なりからは真っ当な民の暮らしを連想できなかったのだ。


「とはいえ、お前たちも真っ当な仕事はしていないんだろう?」

「冗談じゃねぇ、オイラの仲間たちゃあ孤児ばかりだけど、力ぁ合わせて生きてんだ。お天道様に顔向けできない事なんざぁ、何もしてねぇさ」


 兄貴分として豪衝一家の搾取から孤児たちを守っているというジョーに、何とかしてやれないものかとの思いに駆られる俊雷と椿佳だが、では豪衝一家の構成員を殴り倒して何とかなるかといえば、否であろう。そして陽に残って孤児たちを守り続ける訳にもいかない。


「兄さん、何とかならない?」

「この街の問題だ、俺たち余所者が口を挟む事じゃない」


 考えあぐねた椿佳は俊雷に意見を求めるが、にべも無い。俊雷とて気持ちは同じだが、どうしてやることもできなかった。


「へへっ、俊雷兄ぃの仰る通り、これはオイラたちの問題さ。嬢ちゃんが心配するこたぁ無ぇよ」

「変な呼び方をするな」


 二人は茶房の主人に詫びを言い、ジョーたちと別れた後に剛山の下に向かった。剛山に相談すれば何とかなるのではないか、椿佳の往来を行く足は知らず早まっていた。

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