10年分キレる
リングスの歴史において、今なおその日は語り継がれている。
1994年7月14日。
場所は大阪府立体育会館。
前田にとっては、地元への凱旋興業であるが、この大阪は縁起がいいとは言い難い。
思い出されるのは、91年のリングス旗揚げ第二戦。前田はこの地でディック・フライにKO負けを喫している。
何の因果か。今回の相手もフライである。しかもフライは6月の有明大会でビターゼ・タリエルからランキング3位を奪い取り、ナンバー1の地位を狙わんとしている。この時点で、何かしら爆発の予感はあった。
しかし今回の大阪大会は、オランダ勢か空気を掻き乱した。
まず、オランダキック界の実力者、レネ・ローゼが、グルジアの若きボクサー、ゲオルギー・カンダラッキーと立ち技限定の試合をしたが、反則連発のけだるい展開で出足をくじく。
そのあとは、成瀬とロシアのベキシェフとのダウン合戦、長井の久々の勝利し、コピィロフと山本の師弟対決で盛り返すが、セミで行われたハンとナイマンのランキング戦で再び空気が変わる。
この年から頭角を表したナイマンの猛攻に、想像以上の苦戦を強いられたハン。
だか、途中、つま先蹴りでボディを貫かれたハンが場外に蹴り飛ばした。特に処置は下されなかったが、再び空気が変わる。
そして問題のメインイベント。前田対フライを迎える。
この日のフライはいつも以上に積極果敢に攻めてくる。
…が、フライが放つ掌底は、全て指が立っており、前田の目つぶしを狙っていた。
これに対し、前田は威嚇の為に、滅多に見せない掌底のラッシュでダウンを奪う。このとき既に前田の額と首筋には血管が浮き上がっていた。
だがフライは目つぶし狙いは終わらない。
そしてついに前田はキレた。リング中央に引きずって、万全のレッグロック。ここまではいい。しかし、その後にフライを一喝したあと、うつぶせのフライの背中を踏んづけた。
これに両者のセコンドがリングに上がり乱闘に発展。ナイマンが前田にボディブローをぶち込み、前田がリングにを去った後にフライがレフェリーに八つ当たり、大暴れするなど騒然となった。
試合後、前田は「10年分キレた」と言ったが、フライを踏み潰す行為を猛省。
総合格闘技がようやく認知されつつあるなかでの事件だった。