蘇った格闘王
1994年1月22日。
93年度トーナメントの決勝戦が日本武道館で開催された。
リングス2年目にして、初めて決勝の舞台に立った前田日明。
王座を争うのは、グルジアのビターゼ・タリエル。立ち技では、タリエルの破壊力に敵わないが、寝技に関しては相手は無知だ。いかにグラウンドに持ち込むかが戦いの焦点であった。
タリエルの打撃がどれだけすごいのか。
例えるならボクシングで言えば、顔面を一切殴らず、ボディだけを殴ってダウンを奪うというところだ。
特に、二回戦のフライを貫いた正拳は、がっちり固めたガードの、僅かな隙間を打ち抜いた。破壊力はもちろんのこと、その精度も高く、いかに前田であろうと、もろにくらえばダウンは必至である。
だがグラウンドに持ち込んだからといって、前田の絶対有利とも言い切れない。ロープエスケープという「非常口」のあるリングスルールにおいて、タリエルの体格は逃げることにおいても有効だ。身長2メーター丁度。リング中央であっても、体を動かせれば、少し転がればロープに届く。
攻めも守りも、前田にとっては厄介な相手といえた。
だが試合は、前田のペースで進む。膝が万全なことに加え、関節技で膝を攻められる心配がないため、積極的に技を仕掛け、とんとん拍子にポイントを奪っていく。
だがタリエルもさるもの、反撃をみせる。右のパンチで前田のレバーを、左でボディを貫き、ダウンを奪い返す。苦悶の表情を浮かべ膝をついた。
武道館を埋め尽くす前田コールの大合唱。
立ち上がった前田が会心のレッグロックで勝利した。
両コーナーに登って雄叫びを挙げる前田。ここに、格闘王・前田日明が蘇った。
明けて94年度の新シーズンがスタート。前田が王者として歩んだこの年は、メインイベントのランキング戦を戦い続ける。
だが、前田はやすやすと勝ち進む。3月の横浜でアンドレィ・コピィロフ、4月の広島でピーター・ウラと中堅クラスを一蹴。5月の仙台ではバルセロナ五輪、男子柔道の金メダリスト、ハハレイシビリ・ダビッドをも倒した。
6月の有明では、今やライバルと言っていい、ヴォルク・ハンとの決戦にも勝利。
復活の前田に敵はいなかった。
そんな中、大阪で事件が起こった。