前田不在
年が開けて93年。リングスはこのシーズンを「格闘新次元」と銘打ってスタートした。
しかし、そこに前田はいなかった。左膝の手術のために長期欠場に入ったのである。
旗揚げ二戦目を前に、道場で当時練習生の山本とのスパーリング中に、左膝の十字靭帯を負傷。以後ニーブレスを着用しながらの満身創痍でリングに上がりつづけていた。いや、上がらざるを得なかった。旗揚げ当初、WOWOWとの契約で、放映料の支払いは前田出場が前提だったためだ。
その穴を埋めたのがハンだった。
トーナメント終了後、リングスはランキングを導入。一回戦敗退のハンは、それまでの実績から10位にランクされて、この93年をスタートさせた。
まず3月の尼崎で、ライバルのコピィロフにリベンジし、ランキング5位にジャンプアップ。
フライとの再戦には敗れたが、リングス2周年興行の有明で、「熊殺し」の異名をとる空手家、ウィリー・ウィリアムスに勝利。
そして横浜アリーナではトーナメント覇者であり、リングスマットで無敗を続けていたドールマンに、アームロックで土をつけた。
前田不在を霞ませる活躍で、93年のリングスを引っ張ったのである。
一方で日本人選手も、リングス・ジャパンの若手が光った。
まずナンバー2の長井が有力外国人との戦いで光った。特にハンとの試合で下馬評を覆す善戦を見せ、必死にジャパン勢を引っ張った。
さらに、この年は成瀬が頭角を表す。
入団テストの規定(身長180以上)に満たない177cm(後に173)という小柄ながら、その才能を認められた成瀬は、この年から始まった「後楽園実験リーグ」で活躍する。
そして10月、リングス二度めのトーナメント「バトル・ディミンション・トーナメント93」の開催が近づく。
このトーナメントの一回戦から前田が復帰したのである。
そしてこのトーナメントは、リングス史上最初の分岐点となる。