表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/15

戦場の狼、来たる

91年12月。


今日の総合格闘技の歴史において、その繁栄を約束する男が、崩壊寸前のソ連から来日した。


その男、名をガムザトキノフ・マゴメットハン…


またの名を「ヴォルク・ハン」


千変万化、否、億変兆化の関節技でリングを色鮮やかに染め上げた、コマンドサンボのエキスパート。


彼の来日により、従来のプロレスと大差のないサブミッションのバリエーションが桁違いに増えた。


クロスヒールホールドをはじめ、次々と新しい関節技を持ち込むハンは、瞬くまにリングスを席巻した。



ハンの来日には、世界アマチュアサンボ連盟会長(後にリングス審議委員長)の堀米奉文ほりまい・ともゆき氏らの尽力があった。


当時のロシアは、ソ連の崩壊間もない頃で混乱期にあったために、なかなかビザの発給に至らなかった。

やっとこさ発給したら、今度は日本が「旧ソ連の元軍人」ということでなかなか入国を認めなかった。


仮にハンの来日が実現しなかったらどうなっていたか……考えるだけで堀米氏の東奔西走ぶりには頭が上がらない。




明くる92年。リングス・ロシア、リングス・グルジア、リングス・ブルガリアと着実にネットワークを拡大。それに対し新たな強豪達が日本にやってきた。


その筆頭が、ロシアのアンドレィ・コピィロフである。


当時旋風を巻き起こしていたハンに対し、旧ソ連サンボ大会での直接対決は3勝1敗と勝ち越し、残した戦績はハンを凌ぐといわれた。

その前評判通り、リングスでの地位を築きつつあったハンを撃破。前田とも死闘を繰り広げたのである。



一方、ハンも92年あたりから本領を発揮しはじめる。


まず5月の広島大会で前田を破り、8月の横浜アリーナでは、人気絶頂のフライと激闘の末逆転勝ち。その試合はメインの前田対コピィロフを上回り盛り上がりだった。


またリングス・ジャパンにおいても明るい話題が。


6月、有明コロシアムで開催された興行で、成瀬昌由なるせまさゆき山本宣久やまもとよしひさの、生え抜きの若手がデビューを飾った。

この頃からジャパン勢もようやく新戦力が台頭してきたのである。



そして、10月。ついにリングスは初のトーナメントを開催する。




その名は「メガバトルトーナメント’92」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ