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弱小ブルガリア

ここ最近立て続けに感想を頂いたので久方ぶりに進めました。


 リングス旗揚げから5年たった中で、各国が勢力を伸ばしつつあるなか、後の休止に至るまで存在感が薄いままの古参勢力があった。



 リングス・ブルガリアである。


 レスリングをバックボーンとする選手が多く、それの基礎技術には見るものがあった。

 ブルガリア勢の看板選手として挙がるのは「ブルガリアのマンモス」と呼ばれた巨漢、ディミータ・ペトコフだ。

 一番の特徴はその体重だ。特に93年以降は計量不可と言われ明らかにそれ以上に重そうなのに150キロで統一されていた。あのタリエルよりも重いのである。

 初陣は92年10月の第1回メガバトルトーナメント。持ち前の巨体とそれに似合わぬ細かなテクニックで一回戦を突破。二回戦で前田と対戦し敗れはしたが善戦を見せた。

 もう一枚の看板は、幻の五輪代表と謡われたソテル・ゴチェフ。グラウンドコントロールは病み上がりとはいえ前田を苦しめたほど。以後も日本人選手にとっては試験官的存在として立ちはだかり、若き日の高阪剛、坂田亘を破った。

 負けん気の強さではレスリング、柔道、サンボで実績のあるトドール・トドロフも捨てがたい。何せ成瀬昌由とは熱い試合を見せたし、ヘルマン・レンティングの反則技にもめげずに戦う姿が印象的だった。



 ただ、惜しむらくは彼らの技量が優勝を狙うほどのトップランカー相手にはまるで歯が立たなかったことだ。

 挙げた三人はいずれも打撃に弱く、グラウンドにおけるサブミッションのバリエーションも多くはなかった。ゴチェフはハンやコピィロフとも戦ったがグラウンドの過程では互角でも決め手の部分で雲泥の差があった。勝ち星を奪った相手も成瀬、高阪、坂田の三人に片寄っていて、体格差によるハンデ付き勝利の印象も拭えなかった。

 一方で打撃系格闘技をバックボーンにする選手の戦績は、はっきり言えば雑魚同然だった。9戦全敗のミハイル・シーモフを筆頭に、複数回参戦した選手のもいたが、ほとんどが白星を上げることなく再来日することはなかった。(この事は前田も頭を痛めていて、ネットワーク支部強化を図って多くの選手を呼びたかったが、興行として考えた場合はどうしてもハン、フライ、ナイマンら人気選手を優先せざるを得ず、思うようにできないことを漏らしていた)



 その中にあって、ペトコフはかなり善戦した方だ。95年のメガバトルトーナメントはブルガリア唯一のエントリー選手として、ランキング一位のタリエルと激突。リングス最重量の巨漢とタリエルにはないグラウンドテクニックをもって一時はポイントでリード。しかも担ぎ上げてタリエルをぶん投げたのだから会場の福岡国際センターがどよめく。結局みぞおちに回し蹴りを喰らってテンカウントを聞いたものの、ブルガリアのプライドを保った意味でファンの記憶に残っている、はず…。

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