NKの大波乱
一気に2話書きました。これでどうかご勘弁。
10年余りのリングスの歴史において、もっとも荒れた試合として記憶に残るのは94年7月の大阪である。だがあれは試合後の乱闘で荒れたのであって、ルールの中で荒れた試合となると馴染みのファンはこの大会を思い出すのではないか。
95年8月27日。2年8ヶ月ぶりにリングスの試合が開催された、今はなき東京ベイNKホールのライジングシリーズ(この年のリングス興行のシリーズ名)葉月ではないだろうか。
この大会はどんな大会だったかというと、高阪がペトコフに首を絞められ、長井がナイマンに逆片えびをくらい、後に主力の常連選手となるオーストラリアのクリストファー・ヘイズマンがデビュー。山本が喧嘩屋レンティングを三角締めで一蹴し、フライは相手の負傷で消化不良に終わった。
何が起こったのかというと、ランキング2位の前田がランキング圏外のコピィロフに逆転負けを喫し、1位のハンが8位タリエルの剛拳に散ったのだった。
まず前田対コピィロフ。
試合前、コピィロフは「前田の攻撃の時にできる一瞬の隙。それに集中する」と語り、前田は「正直怖い相手だが、よほどのことがない限り負けないだろう」と言った。戦跡は前田の2戦2勝。多くのファンもいつもどおりの熱戦を展開した後前田が勝つだろうと踏んでいた。
しかし開始早々、コピィロフがアームロックで前田からエスケープを奪うと、それまでの2戦にはないロストポイントの奪い合いとなる。コピィロフがダウン含む7ロストポイント、前田が腕をとられ続けての5ロストポイントの末迎えた9分半ば。前田がコピィロフに巴投げをかけたとき、コピィロフが投げられている間に前田の右足に絡みつき靭帯を伸ばす。投げ終えた後、コピィロフの「イテテテテテっ!!!」という叫び声が聞こえたが、そのとき前田は必死の形相でタップ。
会場は一瞬の沈黙の後、悔しがってマットを叩く前田と、コピィロフの雄たけびで番狂わせが起こったことを知った。
続いてハン対タリエル。
94年4月に二人は対戦しており、当時はハンが7位でタリエルが2位。ハンがタリエルアキレス腱を固めて2位を奪った。今回は立場を逆転してのランキング戦。しかもタリエルは勝てばリングス参戦後初の頂点となる。
試合はハンが冷静さを欠き、タリエルが気迫十分の試合を見せた。グラウンドで脚を取られても長身を生かしてすぐにロープに逃げ、時には腕十字を耐え抜いて腕を引っこ抜く。そしてハンのボディーを徹底して殴りまくり、最後は渾身の中段突きでハンを貫いた。その瞬間、NKの観衆はスタンディングオベーション。
このとき、放送のゲストに招かれていたつのだ☆ひろはこう総括した。
「リングスの上位選手は誰が一位になってもおかしくない」
それを体現した大会だった。