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新時代到来

かなり間が空いてすいませんでした。

山本がブレイクの兆しを見せ、ナイマンが本領発揮。そしてハンの戴冠。


多くの希望を生み出して94年が終わる。そして95年。リングスにおいてひとつの時代が終わる。


2月。リングス初のオランダ興行において、クリス・ドールマンが現役を退いた。新ランキングにおいて5位にランクインしていたドールマンであったが、「50歳になると、もうプロとしてやっていくのは無理だよ」とファンからの質問にこう答えた。


赤鬼が一線を退いた一方で、リングスジャパンの陣容が少しずつ整ってきた。


前の年からジャパン勢自前の若手選手がデビュー。高阪剛と坂田亘である。


柔道出身の高阪は早い段階から連戦連勝。そのセンスは折り紙つきで、文字通りスポンジのように技術を吸収していくのである。

一方、もう一人の若手・坂田は伸び悩んだ。もともと身長が入団規定の180cmを下回っていた(175cm)ことや、格闘技の経験が浅かったこと(もともとは器械体操をしていて、空手を経て1年間アニマル浜口のもとレスリングを学んだ)もハンデとなったが、しばらくは決め手にかける戦いが続き、試合後のインタビュー中に前田に制裁(ほぼ半殺し)を受けたことはあまりにも有名である。


話はそれたが、この年からジャパン勢もようやく戦える頭数がそろってきた。

前田を筆頭に、長井、山本、成瀬。そして若手2人。

その結果行われたのが史上初の団体戦である。

6月の有明で開催されたジャパン対ロシアの5対5の団体戦。この日を迎えた前田は感慨深い様子だった。前田が旗揚げ当初に描いたネットワーク構想。その構想が生み出した産物だった。



個人のほうに目を向けると、ナイマンは相変わらずの快進撃でランキング3位を堅持。高阪は徐々に苦戦が続き、ブルガリアの2枚看板であるソテル・ゴチェフ、ディミータ・ペトコフに連敗。念願の1位を掴み取ったハンは毎度のようにランキング戦を行うが、悉く返り打って君臨し続けた。


そして長井満也と山本の「ジャパンナンバー2」争いも、このころに本格化してきた。


かつて前田の長期欠場の際には、ハンとともにリングスを引っ張った長井だが、93年のトーナメント出場を逃し、前年のトーナメントもドールマンからダウンを奪いながらネックロックに散った。

一方の山本は94年に4連勝を含む5勝1敗でトーナメント直前にランキング入り。そしてドールマンを破り上位ランカーとなり、前田日明の後継者争いの最右翼に立っていた。


3月の有明大会においてこの二人は対決したが、20分を超える激闘の末レッグロックで長井が先輩の面目を保った。5月には山本が勝てなかったアンドレィ・コピィロフを撃沈するなど、立場を取替えさんと結果を残した。だが、差は埋まるどころかますます広がった。


有明の試合から1ヵ月後、山本はあのヒクソン・グレイシーとバーリトゥードジャパンで対戦し善戦して評価を上げると、以後柔術の技を駆使して皮がむける。前述の国別対抗戦ではメインでハンと戦って敗れたものの敢闘賞受賞。ディック・フライに連勝するなど、トーナメント優勝の候補の一角に上げられるなどブレイクした。

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